第三十五話・鉱山内部へ
行き着いた鉱山の中は、国王の言葉通り魔物が群れていた。
氷を纏う青い蟻や、外とは異なる青いスライム、白い毛に覆われた熊。そしてスケルトン。
中は魔物の数が圧倒的に多い。種類も鉱山の外では見かけないものばかりだ。鉱山内部は薄暗く、通路も道が狭くなっている箇所が多々あった。馬車は中に入れない。
それ故に、ジュードとオリヴィアも馬車を降りてウィル達に同行していた。外に停めた馬車に置いてくるのも心配だったからだ。
馬は近くにあった小屋の陰に隠してきたが、ジュードは下手をすると脱走して付いてくる可能性がある。それにオリヴィアと二人きりにするのは、流石のウィルでも抵抗があった。
今は採掘作業も行われていないのか、何処も彼処も明かりが灯っておらず内部は薄暗い。鉱石を運ぶ為の簡素なトロッコも、最近は使われた形跡がなかった。
王都の店にもサファイアやアクアマリンの石はほとんどなく、どの国でも手に入り易いアイアンやクリスタルと言った一般的なものが数多く陳列されていた。恐らくは魔物が住み着いてしまった所為で、採掘作業も困難になったのだろう。
「どの辺りまで行けば手に入るかね……」
「サファイアやアクアマリンでしたら最深部が一番良いそうですわ、質の良いものが採掘出来ると聞いたことがありますの」
「最深部か……分かった、折角来たんだから少しでも質の良いものを持って帰らないとな」
「そうね、その方がメンフィスさんも喜ぶわ」
ウィルが近くに落ちていた木の枝を拾い溜息混じりに呟くと、意図を察したように傍らに歩み寄ってきたマナが相槌を打つ。そして微笑みながら木の枝に片手を翳し、先端部分に火を灯した。簡素な松明の完成である。
灯された火が、辺りをぼんやりと照らす。先程よりは随分と視覚的に楽になったように感じた。
メンフィスの名にジュードは一度足を止める。そして、すぐにまた歩みを進めた。足取りは随分と軽い。
「メンフィスさんか……元気かな、早くあの人に逢いたいよ」
「まあ。その方はどなたですの?」
「オレの剣の師匠だよ」
思わず洩れた呟きは、飾らないジュードの本心だ。オリヴィアは聞き覚えのない名前に、依然として彼の腕に両手を絡ませたまま不思議そうに小首を捻る。
師弟関係を築いてまだ間もない状態で離れたのだから恋しくなるのも当然と言えた。だが、マナは後方を歩くジュードを振り返ると揶揄目的に一つ言葉を向ける。
「前から思ってたけど、ジュードって結構なオジコンよね」
「……は?」
「オジサマコンプレックスって言うの? オジサン好きだなあ、と思って」
「変なこと言うなよ!」
思わぬマナの言葉にジュードは慌てて頭を横に振ると、咄嗟にツッコミの如く声を上げる。しかし、否定こそするもののジュードの頭の中には国王の存在が過ぎった。
父であるグラム、師匠と仰ぐメンフィス、そして水の国の王リーブル。それに、麓の村のジス神父もそうだ。
「(確かにオジサンばっかりだな……)」
違う、と完全に否定出来ない現状である。
だが、ジュードは一度目を伏せて小さく頭を左右に揺らした。
「(いや、だって父さんは父さんだし、神父さまには昔から世話になってたし、メンフィスさんはオレの剣のお師匠さまで、王様は……謝ってスッキリ出来ればいいなって思っただけで……)」
頭は勝手に理屈を連ね始めるが、ジュードは思う。どれも理屈は理屈でも、屁理屈染みていると。
うう、と片手で頭を抱え始めたジュードの唸り声に、マナは改めて肩越しに後方を振り返ると朱色の双眸を丸くさせる。
「やだ、ジュードったら本気で悩み始めちゃったわ」
「おいおいジュード、あれこれ悩んでたら本気でオジコン認定されるぞ」
マナとウィルの言葉に、カミラやルルーナは小さく笑った。リンファは相変わらず無表情で、オリヴィアは真横からジュードの顔を覗き込む。
そんな彼女を視界の端に捉えて、ジュードの意識は半ば強制的に引き戻された。
「ジュード様っ、わたくしもその方にお逢いしてご挨拶したいですわ!」
「……ご挨拶って、何言うの?」
「ジュード様の未来の嫁です、って!」
オリヴィアのその言葉にまた空気が凍りつく。折角和やかな、笑えるムードになったのにとウィルは内心で静かに涙した。
ジュードはジュードでげんなりとしている。女の子もオリヴィアのことも嫌いではないのだが、ジュードはカミラが好きなのだ。
そのカミラはと言えばオリヴィアとは合わないのか、彼女が傍にいると間違っても寄ってこない。いつもであれば何かとジュードの周りをチョロチョロとしているのに、全くと言って良いほどに寄り付かないのだ。それはジュードにとって非常に寂しい。
更にマナやルルーナには目で殺す勢いで睨まれる始末。尤も、彼女達はジュードではなくオリヴィアを睨んでいるのだが。
戦闘で身体を動かして発散も出来ない以上、ストレスは蓄積していく一方である。
――だが、そんな時。
不意にウィルが背中に背負う槍を引き抜き、身構えた。
「……お喋りはそこまでだ、来るぞ!」
魔物が現れたのだ。
氷の蟻が六体、大きさは結構なものである。寧ろ蟻と呼んで良いサイズかどうかも怪しい。道端をせっせと歩く働き蟻の何倍だろうか、中型犬ほどの大きさだ。鋭い爪を持ち、素早い動きでこちらを撹乱してくるのが特徴。
また、蟻の習性か集団で行動するのも特徴の一つだ。集団で素早く動き回られると本気で撹乱されてしまう。どの蟻が何を仕掛けてくるか全く分からない。
それを考えて、ウィルは後方にいるジュードに一声掛けた。
「また大勢で来たモンだ……ジュード、お姫さんと一緒に下がってろ!」
「あ、ああ。分かってる、気をつけろよ」
「マナ、火魔法――って、言わなくても分かるか」
「任せといて、特大のを見舞ってやるわ!」
敵が氷属性を持っているのであれば、マナの独擅場である。氷属性は火に強いが弱くもある。互いに相殺し合う属性なのだ。
故に、どちらが強い魔力と魔法に対する抵抗力を持っているかが鍵となる。
マナの魔力は非常に高い、一般の魔物の魔法抵抗力では間違っても彼女の魔力を上回ることは不可能だろう。つまり、彼女ならば大打撃を与えられるのだ。
ウィルは後方支援をマナに任せると、カミラやリンファと共に蟻達へ向かって駆け出す。敵がこちらを撹乱しようと動き出す前に、先に攻撃を仕掛けてしまった方が有利に戦闘を行えるからだ。
いち早く敵の群れに到着したリンファは、群れる魔物を前にしても表情一つ動かさない。素早い動きで迫った彼女に対し慌てたように爪による攻撃を繰り出す一匹の蟻を見据え、リンファは高く跳躍する。
空中で一回転したかと思えば上空で体勢を整え、両足を揃えて蟻の頭上から降り注いだ。落下の勢いをプラスしたそれは見事に蟻の小さな頭を直撃し、骨もろとも頭部を粉砕する。
やはり容赦も何もない戦い方にウィルは一度こそ眉を顰めはするものの、今はそんなことは言っていられない。こちらに照準を合わせた蟻と対峙し、ウィルは松明を放って足を止める。
素早く一気にこちらへ駆け出す蟻を見てウィルは目を細めると、構える槍を薙ぎ払うように振るった。彼の武器にはまだ火属性が付与されたままである。
槍からは複数の火の玉が飛び、それぞれ蟻達を撃った。苦手とする火の力に怯む隙をウィルは見逃さない。
勢い良く地を蹴って駆け出すと、一思いに切っ先を一匹の腹部に突き刺した。内部から燃えていくように蟻は苦しみにのた打ち回り、程なくして動きを止める。絶命したのだ。
そんな仲間を見て怒ったように、もう一匹の蟻がウィルの背後から襲い掛かる。両脇の足を忙しなく動かし一気に距離を詰めると、鋭い爪をウィルへ突き出そうとした。だが、それは叶わない。
その更に真後ろから、カミラが先に蟻の身を剣で貫いたからである。
「……っ」
ジュードは、仲間達が戦う光景を見つめて痛ましそうに表情を歪ませた。
魔物が上げる苦しそうな声、痛みにのた打ち回る光景、死にたくないとの意思表示か――瀕死の際に微かに動く身。
その全てが、ジュードの心を締め付ける。
魔物なのだから倒さねばならないとは理解している。だが、こうして魔物が苦しむ姿を見ると、ジュードは不思議なほどに胸が痛むのを感じていた。
その最中に、マナが詠唱していた火属性中級魔法――ファイアストームが放たれる。吸血鬼にも使った、あの攻撃魔法だ。吸血鬼にはほとんど効果は見られなかったが、氷属性を持つ一般の魔物に対しては全く別である。
ドームの中に閉じ込められた蟻達は、紅蓮の炎に身を焼かれ苦しそうな鳴き声を上げた。
――槍や剣で身を貫かれるのは、どれほどの痛みだろう。生きたまま焼かれるのは、どれだけの苦痛を伴うだろう。
そう考えると、ジュードはとてもではないがその光景を見ていられなかった。苦しみ喘ぐ魔物の声さえも聞きたくなくて、キツく目を伏せて片手で耳を押さえる。頭を抱えるように。
自分は甘いのだと、そう思いながらもジュードは顔を上げることは出来なかった。
「ジュード様? どうしましたの?」
「え、あ……ああ、いや、何でも――……!」
どうしてみんなは平気なんだろう。ジュードはそんなことを思いながら意識と視線をオリヴィアに向けるが、彼女の頭越しに見えた姿に思わず閉口する。
蟻が挟み撃ちする形で、背後からも迫っていたのだ。
幸い、こちらは複数ではない。ほんの三匹程度である。
だが、今のジュードは武器らしい武器を何も所持していない。それに利き腕である右手は肩の傷の所為で使えない。三匹と言えど脅威だ。
「――ジュード! オリヴィアさん!」
彼らに迫る三匹の蟻、それに真っ先に気付いたのはカミラだった。慌てたように剣を構え直し駆けて戻ってくるが、ただでさえこの蟻は動きが速い。間に合いそうもなかった。
オリヴィアはそこでようやく後方から迫る蟻達に気付き、悲鳴を上げて改めてジュードに飛び付く。
普段ならば難なく受け止めることも出来るが、如何せん今のジュードは右肩を負傷している。突然飛び付かれてバランスを崩し、転倒してしまった。
更に最悪なことに、背中に堅い感触を覚える。岩壁だ。
――バランスを崩し転倒したことで、壁際に追い込まれてしまったのである。まずい、と。ジュードは咄嗟に思った。
そんな隙を魔物が見逃す筈もない。一匹の蟻はこれを好機とばかりに素早く距離を詰め、飛び掛かってきたのである。
「きゃあああっ! いやあぁっ、ジュード様ぁ!」
「オリヴィア様!」
なんとか彼女だけでも守らないと。オリヴィアを呼ぶリンファの声を聞き、ジュードはそう思いながら目を細めて敵の出方を窺う。負傷していようと、彼の卓越した動体視力は少しも衰えていない。
爪による斬撃だと判断すると、オリヴィアが自分の胸にしがみついて身を縮めているのを良いことに、左手を突き出して爪を素手で受け止めた。瞬時に狙い澄ました通り、掴んだのは殺傷力の低い蟻の腕部分に近い箇所だ。ここならば、素手で受け止めようと手が傷付くこともあまりない。
一拍遅れで駆け付けたカミラが、ジュードとオリヴィアを襲う蟻を背後から斬り付ける。続いて駆け付けてきたリンファやウィルが、残った二匹へ向き直った。
しかし、多勢に無勢と判断したのか、程なくして二匹の蟻は慌てたように来た道を駆けて逃げ出していく。
「……ふう、わざわざ追いかけて倒すまでもないか」
「そうですね、……オリヴィア様、お怪我は御座いませんか?」
ウィル達は、魔物討伐の為に訪れている訳ではない。目的はあくまでも鉱石を手に入れることだ。逃げる敵を追いかけて無駄な力を浪費することは、出来る限り避けたい。
ウィルの言葉にリンファは小さく頷き、すぐにオリヴィアへと向き直る。護衛である彼女は常にオリヴィアの安全確保、確認が最優先だ。
しかし当のオリヴィアは、何やら双眸を煌かせながら頬をほんのりと朱に染め、またしてもジュードを見つめている。まさに「恋する乙女です」と言わんばかりの様子で。
そして、ジュードの首に両腕を回して抱き着いた。
「ジュード様! またしてもわたくしを守ってくださいましたのね!」
「オリヴィア、何やってんのよ! アンタがベタベタくっ付いてるから危なかったんじゃない!」
言葉にこそ出さないが、詠唱するマナを守るべく彼女の傍らに控えていたルルーナはジュードに抱き着くオリヴィアを見て表情を顰める。実際その言葉は間違いではない。
転倒さえしなければ、ジュードは難なく敵の攻撃は回避出来ていたのである。右肩の傷は深刻だが、足は既に元気を取り戻しているのだから。
敵の目の前でバランスを崩し転倒するなど、愚の骨頂だ。
だが、オリヴィアがルルーナの言葉に耳を貸すことはなかった。
「やっぱり、ジュード様はわたくしの王子様ですのね!」
「いや、あの、とにかく離れ――」
「ありがとうございますっ、ジュード様!」
ルルーナと言いオリヴィアと言い、自分が知り合う女性はほとんどこちらの話を聞いてくれない。カミラは別ではあるのだが。
ジュードは内心でそう思い、ひっそりと嘆いた。