第三十四話・ウィルの過去
「――はぁッ!」
ウィルが真横に払った槍は、群れてきた緑色のスライムを一斉に吹き飛ばす。粘着生のある魔物と言えど、武器に火属性を付与したままのウィルの槍はスライム達に効果的であった。
斬れた箇所から溶け始め、やがて固まり動かなくなる。
しかし、ウィルは休むことなく仲間達に視線を向けた。
「残りは……!」
「任せてください」
ウィルが視線を向けた先には、負傷したマナの治療にあたるカミラの姿。彼女達を狙って、二足歩行で動き回る二匹のトカゲ型の魔物が駆け出して行った。リザードマンと呼ばれる魔物だ。片手にナイフ、逆手に盾を持っている。
近くで応戦していたリンファは素早い身のこなしでリザードマン達の元へ駆けていく。その速度はジュードと良い勝負である、下手をすれば彼以上だ。
慌ててリンファに向き直ったリザードマンだったが、遅かった。
上体を前に倒して駆けたリンファはリザードマンの目の前で行き着くと、流れるような動作で片足を蹴り上げる。彼女の爪先はリザードマンの顎を強打し、そのまま華麗に宙返りしたかと思えば、片手に携える漆黒の短刀を容赦なく頭上から振り下ろした。
その切っ先はリザードマンの頭を貫き、人間とは異なる緑色の血飛沫を噴出させる。
何とも容赦のない戦い方だ、ジュードと似た戦闘スタイルではあるのだが、躊躇いを持たないところは全く違う。
ウィルがぽかんと口を半開きにして彼女を見つめていると、その視界の片隅でもう一匹のリザードマンが動いた。しまった、とウィルは慌てて意識を引き戻し応戦しようとしたのだが、すぐに敵のその身は竦んだ。
バシィッ! と乾いた音がリザードマンを打つ。それを聞いて――否、その音の正体を目の当たりにしてウィルは青褪めた。
「うふふ、まだやるのかしら? 容赦しないわよ!」
「ル、ルルーナ……あの、お手柔らかに……」
「あら、ジュードったら何を言ってるのよ。徹底的にカラダに教え込んであげなきゃいけないでしょ? こういう魔物にはね」
馬車の中から、ジュードがそっと彼女の背中に声を掛ける。彼の片腕にはオリヴィアがくっついた状態だが、今のジュードは特に気にならなかった。
ルルーナはそんな彼を振り返ると、にっこりと笑う。オリヴィアの姿を認めてほんの一瞬表情が歪んだが。
ジュード的には、やはり魔物を徹底的に叩きのめすことには抵抗があった。それに――、
「オーッホッホッホ! さあ、イイ声で啼きなさいな!」
ルルーナは右手に黒い鞭を持ち、逆手で引っ張りながら顔の前に引き上げる。そしてその手を離すと、勢い良く鞭を振るった。――無論、目の前にいたリザードマンに。
鞭が魔物の身を激しく打ち付ける。啼くと言うよりは泣くような声を上げながら、リザードマンは身を竦めた。
――辺りにはリザードマンが上げる悲痛な声と、ルルーナの高笑いの声が響いていた。
「じょ……」
「女王様……」
ジュードとウィルは互いに小さく、本当に小さく呟いた。
彼女が身に纏う黒のドレスも相俟って、余計に女王様スタイルに見える。戦えるなら前からそうしてくれれば良かったのにと思いはするが、とても口には出せなかった。なぜ、って非常に怖いからだ。
オリヴィアは甘えるような声を出してジュードの首に両腕を巻き付けると、これ幸いとばかりにしっかりと抱き着く。
「嫌ですわ、ジュード様ぁ。わたくしルルーナさんが怖ぁい」
「怖いって……知り合いなんじゃないんですか?」
「まあっ、わたくしに敬語は必要ありませんわ。普通にお話してくださいませ」
オリヴィアは、王都シトゥルスを出てからずっとジュードにくっ付いたままである。当然、女性陣がそれを快く思う筈がない。仲間内は相変わらず一触即発――否、そのようなレベルではない。怒声が飛ぶのは当たり前になりつつあった。流石のウィルでも宥めきれない。
辺りに魔物の姿がなくなったのを確認すると、ウィルは仲間達に視線を向ける。負傷したマナも、カミラの治癒魔法ですっかり元気になったようだ。これまでと同様、ルルーナと共にオリヴィアを睨み付けている。
ルルーナがオリヴィアに鞭を振るわないのは、常にジュードにくっ付いている為だ。下手に攻撃を仕掛ければジュードにも当たる可能性が高い。負傷している彼に危害を加えることは流石に憚られた。
しかし、そこでウィルは気付く。王都を出てから多少なりとも気になっていたことに。
「……」
「……リンファ?」
オリヴィアの護衛であるこの少女は、事ある毎にルルーナを見ている。
ただ見ているだけなら問題はないのだが、気になるのはその視線の鋭さだ。彼女の目には明らかな敵意――更には殺意さえ宿っているように見えた。
ルルーナはオリヴィアとは面識があるようだが、リンファとはどうなのかは分からない。王女の護衛であるのなら可能性は高そうだが、ルルーナの方に親しげな様子は見受けられなかった。
ウィルはリンファに声を掛けようとしたが、それよりも先に武器を収め彼女は馬車へと引き返していく。
そんな彼女の背をウィルは複雑そうに見送った。
『――お兄ちゃん、お兄ちゃん』
嘗て、愛らしい声でそんな風にウィルを呼び、慕ってくれていた幼い少女がいた。
ウィルと同じ色素の薄い金の髪を持つ少女だった。瞳も同じく紫紺色。大きな眼が印象的な。
ジュードやマナ、それにグラムは当然知っているが――それは、ウィルの家族が健在だった頃にまで遡る。
魔物が狂暴化するまで、ウィルの家族――ダイナー一家は行商人として有名であった。風の国ミストラルの王都フェンベルを拠点に、あちこちの国に赴き色々と珍しい品を仕入れてきては、また別の国に足を運んで売り捌く。
ウィルには優しい父と母――そして、可愛らしい妹がいたのだ。
ミリアという名前の大層可愛らしい少女だった、大きくなればとびきりの美人になりそうな。
しかし、ヴェリア大陸で不気味な光が確認されてから魔物の狂暴化が始まり、いつものように仕事に出向いた先で一家は魔物に襲われたのだ。
両親と妹は馬車の外で休憩時間を満喫し、ウィルは仕入れたばかりの書物を馬車の中で読み漁っていた。それが不幸中の幸いだった。
外にいた家族は、ほとんど瞬く間に魔物達によって喰い殺されたのだ。ウィルはその時、馬車の中にいたからこそ助かったのである。
それでもすぐに魔物に見つかったが、そこへグラム・アルフィアが偶然駆け付け、ウィルを助けたのだった。
「ミリア……」
リンファは、亡くした妹と同じ年頃だ。
ウィルとミリアは四歳差、生きていれば十五歳になっていた筈である。そしてリンファは、そのミリアと同い年――十五歳であった。
とても十五歳とは思えない無表情且つ容赦のない戦い方に、ウィルは胸が痛むのを感じる。まだあどけなさが残る年頃であるにも拘らず、リンファには表情というものがほとんど存在していない。感情の起伏が乏しく、いつだって無表情だ。唯一表情が現れるのはルルーナを睨み付ける時、それも憎悪らしき瞬間だけと言うのは非常に哀しいことであった。
彼女に何があったかは知らないが、ウィルはどうにもリンファを放ってはおけない。
「ウィル、大丈夫?」
「ああ、カミラも大丈夫か? 悪いな、ちゃんと守ってやれなくて」
「ううん、気にしないで。わたし自分の身は自分で守るから、だからウィルも無理しないでね」
そこへ、最前線で戦っていたウィルを心配してカミラがやってきた。
リンファが加わったことで、ウィル一人が前衛で踏ん張る心配は解消されたが、だからと言って全くの無傷と言う訳にはいかない。カミラはウィルの頬に片手を添えると、そこに刻まれた擦り傷を癒していく。
王都を出てから、誰かが怪我をする度にカミラが仲間の傷を治療している。疲労が蓄積されているのは、彼女のあまり良くない顔色から容易に判断出来た。
「カミラ、少し休んだ方がいいんじゃないのか? 顔色があまり良くない」
「大丈夫、……また少し、気持ちが悪いだけだから」
「それ、大丈夫って言わない」
どうにも矛盾しているように感じられる返答に、ウィルは眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。気持ちが悪いのなら、ちっとも大丈夫だとは言えない。
そんなウィルの様子と言葉にカミラは数度瞬くと、片手で胸元を押さえて晴れた空を見上げた。その表情は何処となく不安そうである。
「……上手く言えないんだけど、水の国にはとても重苦しい空気とか雰囲気が漂ってるように感じるの。それを感じると……気持ち悪くなるみたい」
「……重苦しい空気とか、雰囲気?」
その返答に、ウィルはこれまでのことを思い返す。
カミラは、水の国に入るまでは不調を訴えることはなかった。王都フェンベルでは本当に楽しそうにジュードとじゃれていたし、火の国でも取り立てて具合が悪そうな様子はなかった筈である。
水の国に入って、まずあったこと――それはメンフィスのことだ。
エイルを筆頭に水の国の兵士達がメンフィスに怒りを燃やし入国を拒んだ。思えばあそこが始まりだったのかもしれない。
それからは近くに位置するクリークの街に行き、吸血鬼騒動だ。若い娘達が行方不明になったことで街の住民達は時にいきり立ち、または落胆していた。
第三者的な立場としては、確かに重苦しい空気にばかり晒されてきたと言える。それがカミラの体調にどう影響を与えるのかまでは分からないが。
「でも大丈夫、今はまず鉱石を手に入れなきゃね」
「ああ、けど……無理はするなよ。辛かったら誰にでもいいから言ってくれ」
ウィルがそう告げると、カミラはふわりと笑って頷いてくれた。