第三十話・国王リーブル
ジュードとウィルは困ったように雪の降る空を仰ぐ。もちろん、雪も空も二人を助ける要素にはならないし、青空を閉ざす雪雲は二人の心を余計に曇らせていく。
仲間内の女性達は口を閉ざし、始終不機嫌オーラを放っている。
それと言うのも、洋服屋で思わぬ邂逅を果たした水の国アクアリーの王女が原因だ。
彼女はルルーナが言ったようにかなりの男好きで、ジュードのみならずウィルのこともお気に召したらしい。先程からジュードとウィル、互いの間に入り幸せそうに表情を蕩けさせている。
その一方で、女性陣の機嫌は下がっていく一方だ。
「ジュード様、ウィル様。もうすぐお城に着きますわ」
「あ、ああ……うん、はい……」
「是非お父様にお逢いくださいませね、助けて頂いたお礼もしたいですから」
そんな中であってもオリヴィアは女性陣に構うことなく、頻りにジュードとウィルに話しかけている。リンファと呼ばれたお団子頭の少女は、何も言わず相変わらず無表情で彼女の後に続いていた。先程オリヴィアの命令に従ったところを見ると王女の護衛なのだろう。
オリヴィアは二人を何度か交互に眺め、そしてまた幸せそうに表情を蕩けさせる。頬を朱に染めて、にこにこと上機嫌そうに笑いながら王城への道を歩いた。
「なんなのよ、あの女は……」
「ああいう女なのよ。気を付けなさい、男と女とじゃ態度が全く違うから」
マナは今にも飛び掛かりそうな鬼の形相である。野獣が獲物を睨むような、そんな目でオリヴィアの背を見据えていた。
ルルーナはマナの隣を歩きながら、やはり不愉快そうに表情を歪ませて告げる。カミラはそんな二人の後ろを歩き、何処か不貞腐れたように黙り込んでいた。
重苦しいような気持ちの悪さは、依然としてカミラの中から消えてはくれない。しかし、今現在の彼女は別の不快感に悩まされていた。
オリヴィアがジュードに身を寄せる度に、モヤモヤと胸の中が言いようのない霧に覆われていく、そんな感覚。胸が締め付けられ、表情は自然と歪んだ。それは紛れもない『嫉妬』の感情であった。
いつもは自分を見てくれる彼の翡翠色の双眸が、例え望む望まないにしても今は別の女性を映している。それも、明らかに好意的な女性を。腹の中に重石でも入れられたような不快感をカミラは確かに感じていた。
好きになってはいけない。そうは思うのに、やはり心は自由にならないものである。
「(……モヤモヤする……)」
今すぐにジュードの傍まで駆けて行って、その腕を引っ張ることが出来るならどれだけ良いか。
しかし、そんなことをすれば「好きです」と言っているようなものである。幾ら鈍いジュードでも流石に気付く。だからこそ、カミラは何も出来ない現状に悩んだ。
そうしている内に王城に行き着くと、先に入っていくジュード達に続いて女性陣も城の中に足を踏み入れた。
謁見の間に向かう途中でも、オリヴィアはジュードとウィルの腕を掴んだまま離さない。いつ離すのだろう、とカミラはそればかりを考える。
ジュードと手を繋ぐことは多いが、自分は彼と腕など組んだことはない。複雑な心境であった。折角ジュードに選んでもらった服も彼にゆっくり見てもらうような暇もなく、あれよあれよと話ばかりが先に進んでいく現状にカミラはそっと頭を垂れた。
「(わたし、何を考えてるの。ジュードのことは特に好きになっちゃダメなのに……)」
カミラの頭の中には様々な葛藤が浮かぶ。出逢った頃から、決して好きになってはいけないと内心で自分に言い聞かせてはきたつもりではあるが、頭で理解していても心が付いてきてくれない。
故郷であるヴェリア大陸には、彼女を待つ男がいる。それを考えるとカミラの胸は更にどんよりと暗く、そして重くなっていく。
「(わたしもジュードのこと、普通に好きになれるならよかったのに……)」
じわり、と涙腺が弛み掛けてカミラは慌てて頭を振る。そんな彼女に気付いたマナやルルーナが不思議そうに振り返りはしたが、なんでもない、と笑い掛けることでなんとか取り繕った。
――彼を好きになってはいけない、改めてそう思いながら。
行き着いた謁見の間は、やはり広々とした空間であった。
火の国エンプレスのシンボルカラーは火をイメージさせる赤であったが、水の国アクアリーのシンボルカラーは水色である。綺麗に整えられた大理石の床には青い絨毯が敷かれ、玉座まで伸びている。
両脇に立つエンタシスにはサファイアと思われる石が幾つも散りばめられ、美しい装飾が施されていた。なんとも高級感溢れる雰囲気だ。
周囲には火の国同様に複数の兵士がいる。その中には、関所で会ったエイルの姿も見えた。
オリヴィアは依然としてジュードとウィルの腕を取ったまま、父である国王の前へと上機嫌に歩いていく。この水の国の王リーブル・シトゥルスだ。
エイルはジュードの姿を目の当たりにして安堵したように表情を和らげたが、ワガママ姫と認識するオリヴィアに腕を取られている様子から即座に状況を理解したらしく、不愉快そうに軽く眉を寄せた。
「お父様、客人をお連れ致しましたわ」
「おお、オリヴィア。その者達は?」
オリヴィアはそこでようやくジュードとウィルを解放すると、玉座に座る国王の傍らへと駆け寄る。嬉しそうに笑顔で駆けてきた愛娘に国王も表情を和らげ、彼女の頭をひと撫でしてからジュード達へ視線を向けた。
そしてその双眸がジュードを捉えると、ほんの一瞬のみ大きく見開かれる。
挨拶しようと口を開きかけたジュードとウィルは、そんな国王の様子を見て思わず眼を丸くさせた。
「あ、あの……?」
「あ……ああ、いや、すまない。何でもないのだ」
「お父様、こちらはジュード様とウィル様。ジュード様は先程の地震からわたくしを守ってくださいましたのよ」
「そうか、そうだったのか。娘が世話になったようだな」
可愛い愛娘が紹介する言葉に、国王は玉座から静かに立ち上がるとゆっくりとした足取りでジュードやウィルの前へと歩みを進める。そして彼らの後方に見える三人の女性の中に見知った顔を見つけ、表情を笑みに破顔させた。
「おお、ルルーナ嬢ではないか。久しいのう。グランヴェルを出たと聞いていたが、まさか逢いに来てくれるとは思っておらんかったぞ」
「お久し振りです、陛下。お変わりないようで、安心しました」
「ふふ、そなたの美しさもな。オリヴィアも美しく育ったと思っておるが、そなたに比べればやはり霞んでしまうわ。こうして逢えたこと、嬉しく思うぞ」
饒舌に言葉を連ねる国王に、ルルーナもまた表情には柔和な笑みを浮かべて対応する。普段の高飛車な様子はすっかり鳴りを潜め、完全に淑女のような振る舞いだ。先程オリヴィアに過去の傷を抉られたばかりだと言うのに、全く匂わせないところは流石と言える。表面を取り繕うのが巧みなのだ。
国王はルルーナの様子に安堵と共に嬉々を滲ませると、ジュード達に改めて視線を向けた。
「して、ジュード……ジュード・アルフィアか?」
「え? はい、そうですが」
「おお、そうか。グラム・アルフィアの子が魔族を倒した、と言う報告は聞いているよ」
不意に名を呼ばれ、ジュードは半ば反射的に返事を返したが国王はうんうんと何度か頷きながら彼に向き直る。そして情報の出所として、壁際に立つエイルへと視線を投じた。
ウィルは小さく舌を打つと軽く眉を顰める。魔族を倒した、などと言う噂が広まり持て囃されれば、ただでさえ負傷しているジュードが休めない。また魔族が現れた際に妙な期待を向けられる可能性もあった。今現在も負った怪我が治っていないと言うのに。
しかし、何処か気恥ずかしそうにはにかみながらジュードに手を振るエイルを見ると、どうにも悪気があってのこととは思えない。だからこそウィルも諦めたように一度目を伏せて力なく頭を左右に振った。大方ジュードのことを自慢でもしたかったのだろう。
だが、それはまた新たな波乱を呼ぶ。
「まあっ! では、ジュード様が魔族を倒してくださいましたの!?」
「い、いや、オレは覚えてな――」
「素敵ですわ! やっぱりジュード様はわたくしの王子様で、騎士様なのですわね!」
オリヴィアが玉座の傍らから、ジュードの正面へ駆け寄ったのである。表情と双眸を嬉々に輝かせ、両手を胸の前で合わせて見るからに感動しているような、そんな様子だ。その言葉を聞いて真後ろで空気が凍り付くような錯覚をウィルは確かに感じる。――マナとルルーナだ。
ジュードも彼女達の不穏な気配を感じたのか、はたまたオリヴィアから逃れる為か、幾分ぎこちなく国王に視線を戻すと本来の要件を思い返す。別に国王からの許可は必要ないのだが、敵国に近い認識を受ける火の国から来た身であることも重なり、念の為である。
「あ……あの、陛下。オレ――自分達は、火の国エンプレスから女王陛下の命令でここまで来ました。鉱山への立ち入り許可を戴きたいのですが……」
「なに、エンプレスから?」
「はい、前線基地での戦いの支援に、どうしてもサファイアやアクアマリンが必要なんです」
その言葉に、国王は特に表情を歪めることは全くなかった。
一国の王と言うこともあり、既に理解しているのである。前線基地が崩壊すればその魔物達が世界中に広まり、脅威となることを。
エイルや関所にいた兵士達のような反応が返ると考えていたジュードやウィルも拍子抜けしたように一度こそ目を丸くさせはしたが、すぐに表情を引き締める。
「私は構わんが、大丈夫なのか? あの鉱山の辺りにも最近は頻繁に魔物が出るようになったと聞いているのだが……」
「はい、大丈夫です。問題はありません、……どうしても行かなければなりませんから」
「……そうか」
それは間違いではない。
メンフィスにも必ず鉱石を持ち帰ると約束してしまった以上、危険があるからと引き下がる訳にはいかないのだ。前線基地では今も、それより遥かに危険と隣り合わせで戦う者達がいるのだから。彼らの為にも決して諦めることは出来ない。
国王はジュードの返事を聞いて、数拍の沈黙の末に小さく頷いた。
思っていたような反対も風当たりの強さもないことに、ウィルは小さく安堵を洩らす。出来ることならすぐに発ちたいと思ったのだが、やはり上手くはいかないらしい。
ジュードの正面に立ち、宝石の煌きように双眸を輝かせていたオリヴィアが彼の腕を両手で取ったのだ。左腕を抱き締めるよう身を寄せて、満面の笑みで父に言葉を向けた。
「ねぇ、お父様! 今日はお城に泊まってもらいましょうよ。わたくしを助けて下さったのですから、お礼もしたいですわ」
「え、いや。オレ達はあまりゆっくりは――」
「ねっ? いいでしょう、お父様?」
最早、ジュード達に決定権はないらしい。
横から口を挟もうとはするのだが、オリヴィアは全く聞いていない。そんな愛娘に一度こそ国王も困ったような表情を浮かべはしたが――請うような視線を王から向けられてしまえばジュード達にはもう何も言えない。
「どうだろう、今夜は一泊していってもらえんかね。娘もこう言い出したら聞かなくてな。それに私も娘が世話になった礼をしたい」
「……まあ、外で野宿するのに比べれば天国だよな。ジュード、折角だからお言葉に甘えさせてもらおうぜ」
そこは、やはり年長者である。
国王に変に罪悪感を植え付けることもなく、ウィルが当たり障りのない理由をこじつけてジュードに一声掛けた。これで断ってしまえば父娘関係が軽く歪んでしまう可能性もある。見たところ国王は結構な親馬鹿だ。「お父様のバカ!」などと娘であるオリヴィアに言われれば立ち直るのに時間が掛かりそうである。
そこまで考えて、ジュードは苦笑い混じりに頷いた。
* * *
謁見の間を後にすると、夕食の時間までは自由行動となった。
夕食にはまだ随分と時間がある、今は昼を過ぎて二時間程度しか経っていない。今から鉱山に出発すれば、行きは良くても帰りは野宿になるだろう。
極寒の中、焚き火をして野宿することに比べれば城で休めるのは確かに天国である。必要なものの買出しもある、今日ばかりは仕方がないかとジュードは小さく吐息を洩らした。
「ではジュード様、ウィル様。また夕食の時に。出来ることならずっとご一緒したいのですけれど、わたくしにも務めがありますの……夕食の時にまたお話ししましょうね」
「え、ええ……まあ、……はい」
「それでは、また――」
オリヴィアは優しく微笑むと、両足を揃えて背伸びをする。「えっ」とジュードが思うのと、そんな彼の頬に柔らかい感触が触れるのはほぼ同時だった。
所謂「頬っぺたにキス」と言うヤツである。ジュードは一拍遅れて状況を理解すると、大仰に後退る。片手でそこを押さえ、顔には自然と熱が集まった。それを見てマナもルルーナも鬼のように表情を強張らせ、オリヴィアと真正面から対峙する。
――恐ろしい。口にこそ出さないが、ウィルは心の底からそう思った。これぞ修羅場である。
実際に手が出るような暴力的なものではないが、雰囲気が既にウィルの胃に蓄積ダメージを与えている。この場にいるだけで辛い。全身が悲鳴を上げるかのように竦む。
マナとルルーナ、そしてオリヴィア。言葉もなく暫し睨み合った後に、オリヴィアはやはり女性陣には何も言わずリンファを伴って踵を返すと、通路の奥へと消えていった。
そこで、ようやくウィルは小さく――本当に小さく安堵を洩らす。吐息一つでも聞かれればマナやルルーナに鬼の形相で睨まれるのではないか、そう思ってのことだ。実際にそんなことにはならないのだが、今の彼女達を見れば些細なことでも八つ当たりの標的にされかねない。非常に怖い、恐ろしい。
「~~なんっなのよ! あの女は!」
「相変わらず猫被りな女だわ、男の前では可愛らしい子を演じちゃって」
「ルルーナ以上のアバズレじゃない!」
「言うわねえぇ、マナ?」
やはり恐ろしい。ウィルは思わず彼女達に対し戦慄く。
しかし相手は強引と言えど、一国の王女だ。あまり大声で文句を言っていいものかとウィルは止めようと思ったのだが、今度はいつものようにマナとルルーナで口論を始めてしまった。
これはこれで、互いに鬱憤をぶつけ合って解消になるだろう。なってくれ、なってください。
内心で半ば懇願しながら、ウィルは強引に彼女達から意識を外す。当の本人であるジュードはこんな状況の中でどうしているのかと思ったからだ。
ジュードに目を向けてみると、こっちはこっちでカミラに叩かれていた。
「カ、カミラさん?」
叩く、と言っても無論思い切りではない。
ぺち、ぺち。と、手の平で極々軽くジュードの背中辺りを叩いていた。やや俯きがちの顔は眉が寄り、頬が膨れている。こちらも嫉妬しているのだと、ウィルには容易に理解出来た。
だが、ジュードは違ったらしい。
ぷくぷく、と頬を膨らませるカミラが拗ねるように背中を向けてしまうと困り果てたような、そして泣きそうな顔でウィルに助けを求めてきたからだ。
「な、なあウィル……カミラさんが異様に機嫌悪いんだけど、どうしたらいいかな……」
「(妬いてるんだろう! なんでそれが分からないんだよ、お前は!)」
確かに好きな子が妬いてくれているのだと、あまり思えることではないかもしれない。
しかし、カミラのあの態度は明らかである。それでもジュードには伝わらないのだから、この鈍さはいっそ犯罪級だ。ウィルは叫びたくなった、寧ろ叫ばなかった自分を褒め称えたいと思うほど。
――バカか、バカなのか……。
そう思いながら頭を抱えると、そんなウィルやジュードにふと控え目に声が掛かった。
「あ、あの……ジュード」
「え? ……あ、エイル。先に戻ってたんだな」
「う、うん。魔族のこと、陛下に伝えなきゃならなかったから」
先程まで謁見の間にいたエイルだった。
ジュードは彼の姿を視界に捉えるとそちらに歩み寄る。クリークの街で別れた時のように怒った様子がないのを確認して、エイルはそっと安堵に一息洩らした。そして、ジュードが無事に目を覚まして元気にしている姿にも。
エイルはジュードを見上げると、何処か必死な様子で口を開いた。
「あ、あのね、ジュード!」
「ん?」
「僕、ジュードが言ったこと、まだよく分からないけど……でも、ちゃんと考えてみるよ」
彼のその言葉は、ウィルにとって意外なものであった。これまで自分はエリートなのだと言い張る姿しか見てこなかった所為かもしれないが。
叩かれたのが余程効いたのだろう。唯一エイルを『友達』と言うジュードだからこそ、特に重く響いたのかもしれない。
ジュードはエイルの言葉にふと薄く笑って、自分よりも低い位置にある彼の水色の頭を片手で撫で付けた。
「……ああ、頑張れよ。エイル」
「うん、……僕と、まだ友達でいてくれる?」
「当たり前だろ、また暇を見つけて遊びに来るよ」
特に考えるような間も置かずに答えたジュードに、エイルは歳相応の幼さを残す笑顔を以て「うん!」と大きく頷いた。
そして再び謁見の間へと戻っていく。ジュードはそんな彼の姿を、安心したような表情で見送っていた。