第三話・休息
ジュードが階下に下りると、そこには外出の支度を済ませたマナとウィルが待っていた。
今日は久方ぶりの自由な時間、マナだけでなくウィルも嬉しそうだ。ジュードやマナより歳上の彼だが、表情には嬉々が滲んでいる。遅いぞ、と戯れ混じりに声をかけてくる様子にも喜びが溢れているように感じるほど。
ジュードたちの家から麓の村まで、そう距離はない。ゆっくり歩いて大体、十分前後だ。
今は正午。これから行けば充分に村で自由な時間を過ごせるだろう。だからこそジュードたちの気分も高まる。
村というだけあって珍しいようなものは特にないが、それでもいつも山にこもり仕事に追われる身にとっては新鮮で楽しいものだった。
「じゃあ、父さん。行ってきます」
「ああ、気をつけてな。村の者たちに迷惑をかけるんじゃないぞ」
ジュードはソファに腰かける銀髪の男性――父グラムの正面に歩み寄ると、出発の挨拶を向けた。グラムはそんな息子を優しく見つめるが、すぐに心配そうに眉をひそめる。
父のその様子にジュードは薄く苦笑いを滲ませ、小さくだがしっかりと頷く。
すると、程なくしてグラムは改めて表情を和らげる。可愛い子供たちのオフの日に、父である己が渋顔をしていたくはなかったからだ。
グラムは穏やかな笑みを浮かべると、ジュード達を快く送り出した。
足取り軽くジュードたちは自宅を後にし、山を降りていく。
村に着いたらどこへ行くか、なにをするか。マナは次々にジュードやウィルに語りかけ、それに対し二人は相槌を打つ。話好きなマナと、それを聞くジュードとウィル。これが基本だった。
三人にとって居心地がよく、無理のない形である。
* * *
村に着くとマナは大きな解放感に包まれて、しっかりと身を伸ばす。彼女はこの村の出身だが、懐かしさを匂わせるような事もない。
彼女は今とても幸せだからだ。贅沢な暮らしはできないし、女の身でありながら鍛治仕事、身なりもあまり女の子らしいものではない。
だが、彼女はジュードやウィル、そしてグラムと家族のように暮らす今が確かに幸せなのだ。血の繋がりなどなくとも人は寄り添い合っていけるのだと、まだ若い身ながら理解し、それを純粋な喜びとして感じている。
そんなマナはジュードに向き直ると、軽く腕を引いた。
「ね、ね、ジュードはどうするの?」
「あちこちブラ~っとしようかなと思ってるけど」
「じゃあさ、一緒に……」
「あ、ウィル。マナと一緒に雑貨屋でも見てこいよ、前にきた時に可愛いのあったんだろ?」
マナとジュードが口を開くのは、ほぼ同時だった。
ジュードは、さも当然と言わんばかりにウィルにマナを預ける。ウィルはバツ悪そうに「あちゃ……」と片手の平で自らの顔面を覆った。マナは当然ながら不満顔だ。
「な……っ、なんでウィルと……! あたしは……!」
「前回きた時、マナに似合いそうなリボンが雑貨屋に売ってたんだって。髪結うのにいいんじゃないか? マナもたまにはオシャレしないと」
にこりと笑いながら、ジュードは以前ウィルと話していた内容をあっさりとマナに伝えてしまった。
ジュード、マナ、ウィル。兄妹のように育ってきた三人だが、それぞれの想いは複雑だ。マナは随分と昔からジュードに家族以上の感情を抱いているが、ウィルはそんなマナに対し淡い恋心を抱いていた。
そしてジュードはウィルの気持ちを知っているからこそ、彼に協力するつもりでそう言ったのだ。当然というかなんというか、ジュードはマナの気持ちを知らないし、マナはウィルの気持ちを知らずにいる。
大切な仲間で、大好きな家族。血の繋がりはないのだから、二人が上手くいけば嬉しい。ジュードの内心はそれだった。
そんなジュードは穏やかに笑いながら片手を上げると、邪魔者は退散とばかりに早々に村の中へと足を向ける始末。
残されたウィルは彼の背中を見送ったあと、恐る恐るマナを見遣る。マナはジュードの背中を眺めて拳を震わせ、そして叫んだ。
「ジュードのバカアアアァっ!!」
ウィルはマナの叫びを聞いて、苦笑いを浮かべながら肩を疎めた。
ジュードがその足で向かったのは、村の中央にある古びた教会だった。昔、まだ幼い頃に父の用事で降りてきては、先日のようにこの教会で勇者の物語を聞いたものである。
翡翠色の双眸を輝かせながら話に聞き入るジュードは「男の子ね」とシスターやお祈りにきた女性にいつも微笑ましく思われていたものだ。
勇者への憧れからか、はたまた性格か。正義感だけは無駄に強くなったとジュードも自覚している。何度同じ話をしても目を輝かせて聞き入る彼を、神父もとても気に入り可愛がっていた。
ジュードは両開きの扉を押し開くと、中にいた神父へ声をかける。
「神父さま、こんにちは」
「おお、ジュード。よく来たな」
ジュードの声に、丸眼鏡をかけた白髭の老神父――ジス神父が振り返る。長く伸びたふわふわのヒゲは昔から変わらず、ジュードは安心感さえ覚えて表情を和らげる。
白い法衣を揺らめかせながら、神父はゆっくりとした足取りでジュードに歩み寄った。
「今日はなんだ、食糧か? それとも仕事に使う材料調達のついでか?」
「はは、今日は久々にオフなんだ。ウィルとマナも一緒に来てるよ」
「ほう、そうか。ならば今日はじっくりと勇者様の話を聞かせてやらんとな」
「へへ、もちろんそれ目当て」
ジュードがそう返答を向けると、ジス神父は愉快そうに笑う。だが、もう長い付き合いだ、ジュードがここに来る理由など勇者の話を聞きにくる以外は、あまりない。至極当然と言った様子で神父はジュードを教会の中へと促す。
しかし、そんな二人の耳に一つ――女性の悲鳴が届いた。
ジュードは弾かれたように振り返ると、頭で考えるよりも先に意識を集中させて声の出所を探る。
「ジュード! 今の声は……!?」
「神父さま、ちょっと行ってくる。村の外からだ!」
「う、うむ、わかった。気をつけるんだぞ!」
早口にそう告げて駆け出していくジュードの背を見送り、ジス神父は心配そうに双眸を細めた。