第二十七話・お味はいかが?
「じゃあ、カミラはヴェリア大陸から来たの?」
マナとルルーナが出来上がった料理を持ってロビーに戻ると、これまでジュードとウィル以外は知らなかったカミラの素性が明かされた。
何処か妙な部分があるとは思っていたが、流石に想像出来ないことだったらしい。マナとルルーナは意外そうにカミラを眺めている。
当のカミラ本人はと言えば、椅子に座り膝の上に両手を置いて俯いていた。その姿は、叱られるのを待つ子供のようである。
「……ヴェリア王家は十年前には滅んでたってことだな。カミラ、魔物の狂暴化が始まったのも今から十年くらい前だよな、何か心当たりはないのか?」
「分からないの。魔族が関係しているのかもしれないけど、具体的には……」
ウィルは壁に凭れて両腕を胸の前で組む。鍛冶屋三人の中では切れ者に分類される彼の頭の中では、様々な可能性が次々と浮かんでは消えていった。
マナはそんなウィルを見ると、不思議そうに首を捻る。
「魔物の狂暴化に、魔族が関係してる可能性があるの?」
「全くないとは言い切れないだろ。ヴェリア王家が潰れた時期と魔物が暴れ出した時期が重なってるんだ、何か関係があるって考えた方が良いかもな」
事実、魔族はこの十年で遂にはヴェリア大陸の外に出て来たのだ。今後も世界各地に現れる可能性を考えて、ウィルは眉を寄せる。
吸血鬼一人、束になっても勝てなかったことを考えると人々の更なる恐慌が予想される。それも世界各地で。
何が起きたのかまでは分からないが、自分達の中で唯一魔族と戦えたジュードが負傷中ではウィル達さえ魔族と遭遇するのは避けたい状況だ。
そこまで考えて、ウィルは場に流れる重苦しい雰囲気を払拭すべく努めて明るい声色にて言葉を続けた。
「――まあ、俺達はただの鍛冶屋だし、カミラだってまだヴェリアに戻れないんだ。あんま気にしてたって仕方ないさ。今やることは変わらないだろ?」
「水の属性を持つ鉱石を手に入れて火の国に帰ること、……よね」
「そう。まずは前線基地をなんとかしないと。一応、メンフィスさんや女王陛下には伝えた方がいいだろうけどな」
ジュードは仲間達の会話を聞きながら、静かにその視線を自らの右手に向ける。
今現在、利き腕を満足に使うことも出来ないジュードは鍛冶屋としての役目さえ果たせない。武器を打つことさえ出来ないのだ。それは当然、ウィルやマナへの負担になる。
こんな情けない姿を、師と仰ぐメンフィスが見たらどう思うか。考えると自然に溜息が零れた。
「ジュード、お前はいいから療養しろ。俺達が生きてるのはお前のお陰なんだからな」
ウィルはそんなジュードの心情を察すると、痛めていない左肩を軽く叩く。治癒魔法さえ受け付けない以上、負ってしまった怪我はどうしようもない。下手に動いて悪化させないことが今は一番大切である。
マナは暗い雰囲気を跳ね飛ばすようにテーブルに置いたままだった料理皿を示して、ジュードとカミラを見遣った。
「そうよ、ジュード。ちゃんとご飯食べて早く元気になってよね! カミラも朝ご飯まだでしょ? いっぱい作ったから食べてよ」
「あ……ありがとう、マナ」
その言葉にカミラは顔を上げて、ふわりと穏やかに笑う。ウィル達は朝食を済ませたが、ジュードの看病をしていた彼女は朝食すらまだであった。
マナが作ったのはミートスパゲッティである。五日も眠っていたジュードは、そのチョイスに苦笑いを浮かべた。寝起きの人間に食べさせるにはやや胃に重い料理だからだ。
渡されたフォークを片手に持ち、カミラはテーブルに並ぶミートスパゲッティを前に両手を合わせると、向かいに座るジュードに視線を向けて緩く小首を捻った。
「ジュードも、食べよ」
「あ、うん。いただくよ、マナ」
「どーぞどーぞ」
いただきます、と。ジュードとカミラは手を合わせて食前の挨拶をすると、パスタをフォークに絡ませていく。
くるくる、とフォークにパスタを綺麗に巻けたらしいカミラは逆手を頬に添え、目を輝かせながらうっとりとパスタを見つめる。そして口に入れた。
程なくして幸せそうに破顔する様までをジュードは眺め、そして同じようにフォークに巻いたパスタを口に運ぶ。
しかし、幸せそうに破顔したまま咀嚼するカミラとは異なり、ジュードは目を見開くと思わずフォークを置いて口元を押さえ、俯いて咳き込んだ。口の中に異様な酸味が広がっていく。異常なほどの酸っぱさに身体が拒絶反応を引き起こしたのだ。
咳き込む度に右肩に激痛が走り、ジュードは眉を顰めて苦悶を洩らす。しかし、口内のものも何とか始末しなければならない。地獄だ。
「ジュ、ジュード! どうしたの!?」
「お、おい、大丈夫か?」
慌てて両脇からウィルとマナが彼の身を支える。ジュードは口内にあるパスタをなんとか飲み下すとテーブルの上に片手を彷徨わせて、水の入ったグラスを掴んだ。そして一気に喉を鳴らして中身を飲み干す。五日も眠っていた身体に、澄んだ水が深く浸透していくようだ。生き返る、とはまさにこのことである。
ジュードの口には妙な酸っぱさだけが後味として残った。あまりの苦痛からか眦に浮かんだ涙を親指で拭い、一言。
「マナ……これ、ムチャクチャ酸っぱい……」
「えっ、ええぇっ!? そんなぁ、だって厨房にあった料理酒を使ったのよ、香り付けにって……」
そう言ってマナは、大慌てで厨房へ向かう。料理に慣れた彼女が間違うなどあまり考えられることではない。
しかし、ここは勝手知ったる場所ではないことも確かであった。マナは瓶を片手にロビーに戻り、堂々と彼らに突き出す。
「ほら、これ!」
「……」
突き出された瓶を見て、その場にいた面子は固まった。
やがてウィルが言葉もなく、緩やかな所作にてその瓶を指し示す。その手は僅かにも震えている。それを不思議に思ったマナが瓶を手の中でひっくり返して見てみると、ラベルには一つの文字が鎮座していた。とてもシンプルな一文字が。
『酢』
マナは確かに料理に慣れているが、ここは彼女にとって初めての調理場である。その上、料理中に思いがけないルルーナからの感謝をもらい、混乱半分と喜び半分であった。
完全に調子が狂っていたのである。
「……ああああぁっ! ジュ、ジュード! ごめん、わざとじゃないの!」
腹の底から悲鳴に近い声を出してマナは青褪めた。寝起きの想い人になんて失敗作を食べさせたのかと、慌ててジュードの傍らへ駆け寄る。
しかし、ジュードは多少なりとも苦痛は抜けたのか、はたまた元々怒る気などなかったか――薄く笑いながら頭を横に振った。気にしていないとでも言うように。
「いいって、マナにも失敗くらいあるさ」
「ジュード……」
咎めるでも呆れるでも、ブチ切れるでもなく笑って許すジュードにマナは酢の瓶を胸に抱き締めながら、ほんのりと頬を朱に染めた。じーん、と効果音が付きそうなほど感動している様子。
ウィルはそんなやり取りを眺めてから、やや引き攣った表情でカミラを見た。彼女の前にあった皿の中身は、既に半分以上がその腹の中に消えていたのである。
「……て言うかさ、カミラはなんで平気なんだ?」
「この子、一体どんな食生活送ってきたのかしら……」
見れば、特に我慢して食べている訳でもないらしい。嬉々とした様子のまま、次々に口に運んでいく。不思議そうに――と言うよりは信じられないと言いたげな様子で自分を見つめるジュード達に、カミラはゆるりと小首を傾げた。
しかし、そこへマナを押し退けてルルーナが乱入する。酸っぱいミートスパゲッティの横に皿を置き、にっこりと笑った。
「可哀想にね、ジュード。私のオムライスで口直ししてちょうだい」
「あ、いや。ありがと」
私の勝ちね、と言いたげに細めた目でマナを見遣るルルーナに対し、マナは悔しそうに表情を歪ませる。確かに落ち度は、料理酒と思い込んで中身を確認しなかったマナにあった。だからこそ、彼女は何も言い返せない。
ジュードは気を取り直して添えられていたスプーンを手に取ると、皿の中身を見下ろす。
「……オムライス?」
「ええ、オムライス」
「既にオムライスの原型を留めてない気がするんですが」
「包んでひっくり返すの失敗しちゃって」
あっさりと悪びれなく答える辺りがルルーナらしい。皿の中身はチキンライスと卵がゴチャゴチャに入り乱れた状態だ。これではオムライスと言うよりはチャーハン、更に言うなら焼き卵飯である。
だが、彼女が珍しく自分から動き手料理まで振舞ってくれたのだ。贅沢を言ってはバチが当たるかと、ジュードはそれ以上ツッコミを入れなかった。ルルーナは名家のお嬢様だ、料理に慣れていなくても無理はない。その厚意だけでも喜ぶべきと言える。
チラリとカミラを見ると、目を輝かせて焼き卵飯――元いオムライスを見つめていた。どうやら今度はこちらに照準を合わせたらしい。既に酸っぱいミートスパゲッティの皿はカラッポだ。
「カミラさんも食べる?」
「いいの?」
「もちろんよ、カミラちゃんも食べて」
ルルーナは頬に片手を添え、うんうんと上機嫌に頷く。その様子からは自信が見て取れる。ウィルは小さく安堵を洩らし、マナはやはり悔しそうに見守っていた。
だが、ウィルが安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。
「がはっ!」
「うぐっ!」
ジュードとカミラが焼き卵飯の一部をスプーンで掬い口に入れた刹那、どちらも苦悶の声を洩らして吹き出した。そして口元を押さえ、身を震わせる。
ルルーナは「あら?」と首を捻り、ウィルとマナは慌てて二人の身を支えながら背中を摩った。
「ジュ、ジュード! カミラ! どうした!?」
今度はジュードだけでなく、カミラまでダメだったらしい。戦慄でもするように身を震わせながら、ジュードとカミラは口を開いた。
「た、卵が……ムチャクチャ、甘くて……っ」
「ごはんが……か、からい……っ、目が痛い……」
それだけをなんとか絞り出すように呟くと、ジュードとカミラの両名は互いにテーブルに突っ伏す形でダウンした。酸っぱいものは大丈夫でも、カミラは辛い物は駄目だったようだ。
「うわあああぁっ! お、おい! しっかりしろ!」
「ルルーナ! あんた何を入れたのよ!」
「何って……あれよ、あの細長い瓶のヤツ。色々あったから赤いのは手当たり次第に入れたわ。オムライスの中身って赤いご飯でしょ」
マナが改めて厨房に駆け込み、先程ルルーナが立っていた場所にある調味料を探す。
そして、そこに並んでいたものを見て思わず眩暈を覚えた。
「タバスコ、豆板醤、一味……タバスコなんてカラッポじゃない……!」
更に、マナは見つけてしまった。
先程、彼女達が調理すべく厨房に入った時は容器いっぱいに入っていた砂糖が半分ほどまで減っているのを。
確かに卵に適度に砂糖を入れればスイート卵になる。だが、大量に投下しようものなら当然砂糖の味しかしない。
マナは大急ぎでロビーに戻り、まず怒声を上げた。
「チキンライスの味付けはケチャップよ、ケチャップ! タバスコ全部ぶちまければそりゃ痛いくらい辛くなるわよ! て言うかあんたよく噎せなかったわね!」
「だって私、料理なんてしたことないもの。赤ければいいと思ってたわ」
「それでよくあんなに堂々としてられたわね! ある意味天才よ!」
「ふっ、料理酒とお酢を間違えたマナには言われたくないわ」
最早、どっちもどっちである。
あのカミラでさえも撃沈し、ジュードなど白目をむいて倒れてしまった。余程の酷い――衝撃的な味だったのだろう。
「二人とも! 喧嘩してないで部屋に運ぶの手伝ってくれ!」
ウィルはテーブルに突っ伏して意識を飛ばす二人の様子を見ながら、売り言葉に買い言葉になりつつあるマナとルルーナに声を上げた。