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【兄と弟】


「……カミラ、君にも色々と謝らなければならない」


 王城の三階にある聖殿へと向かう道すがら、ふと隣から向けられた言葉にカミラは足を止めることはしないまま目をまん丸くさせた。その「謝らなければならないこと」が具体的になにを指しているのかはわからないが、彼が罪悪感を胸に抱いていることだけは確かだ。

 余計な言葉を向けて話の腰を折ることはせず、カミラは視線を正面に戻すとヘルメスの言葉を待った。


「色々と酷い言葉を吐き掛けたし、手を上げることもあった。謝って許されるものではないことは理解しているが……本当に、すまなかった」

「……やめてください、もう終わったことなんですから。ヘルメスさまはあれから随分と変わられました。エクレールさまやテルメースさまも、まるで昔に戻ったようだと嬉しそうにいつもお話してくださいます」

「……そうか」

「ヘルメスさまのことを認めず、反発してくる民もいるでしょう。今後、これまでよりもお辛いことが多くなるかもしれません。でも、どうか今のままでいてください。今のヘルメスさまなら……時間はかかったとしても、きっといつか認められるはずです」


 ゆっくりとした口調で返るカミラの言葉に、ヘルメスは暫し彼女のそれらを噛み締めるように黙り込んだ。

 ヘルメスを許せないのは、なによりもヴェリアの民である。彼らは自分たちが信じるべきヘルメスに裏切られたのだから、当然なのだが。そのため、彼を新しい王だと認めたがらない者は多い。

 エクレールとテルメースは今も変わらずヴェリアの王城に住まい、ヘルメスを助けながら日々街の復興に全てを注いでいる。冷え切っていた家族間の関係もこの一年で徐々に改善され始めていた。それゆえに、エクレールはいつもとても嬉しそうにカミラに語って聞かせるのだ。昔のヘルメスが戻ってきたようだ、と。


「……もう二度と、間違えたりはしない。父上のように……国と民を守る立派な王を目指すよ」


 静かに、それでいてしっかりとした口調で呟かれた言葉にカミラは花が咲いたようにふわりと笑った。

 彼は、きっともう大丈夫だと。そんな確信を抱いて。



 * * *



 やがて行き着いた聖殿は、三階にある最深部。両開きの扉で固く閉ざされた先にある。

 限られた者しか立ち入ることができないように、と幾重にも施錠してあるはずの扉は――今日も肝心の鍵が開いていた。

 ヘルメスはそれを見て溜息を零し、カミラは「ふふ」と声を洩らして笑う。

 両開きの扉の片側を押し開けた先、そこに目的の姿を見つけてヘルメスは双眸を半眼に細める。光を失った彼の片目はすっかり回復し、視力の低下こそ僅かに残るものの、完全に輝きを取り戻していた。



「……やっぱりここにいたのか。侍女たちがお前を探していたぞ、ジュード」

「あのね、明日の戴冠式の時に着る服のサイズ合わせをしたいんだって」


 そう呼びかけたヘルメスとカミラの言葉に振り返ったのは――他の誰でもないジュードだった。心底嫌そうな、どこまでも辟易とした様子で。彼の傍には元気に尾を揺らすちびの姿も見える。

 地の都グルゼフで貴族の服を着た時も、彼はあのヒラヒラとした服を大層苦手としていた。式と名のつくもの、それも兄が王になるものだ。どうせまたああいう系統の――もしかしたらもっとヒラヒラとした服を着せられるかもしれない。そんなことを考えてウンザリしているのだろう。

 カミラは微笑ましさを感じてジュードの隣まで足を進めると、彼が先ほどまで見つめていたものを見上げる。


「……ジェントさん、まだ目を覚まさないんだね」


 ジュードが見つめていたもの――それは、謁見の間のひと回りほど小さく造られたこの聖殿の最奥に安置された聖剣アロンダイトだった。言わずもがな、それはあの戦いの最中にジュードが最後まで振るっていた剣だ。

 ヘルメスもその隣に並ぶと、ジュードは一度己の両脇に立つ二人へ目を向けてから改めて聖剣を見つめる。



 サタンとほぼ相討ちになったジュードは、本来ならばあのまま死んでいたはずだった。

 その彼がなぜ生きているのかと言うと、かつて水の都でメルディーヌと交戦した後のように、ジュードが負った傷の全てをジェントが肩代わりしたからだ。

 彼がジュードに与えた力は、謂わば鎧のようなもの。効果中に負った傷は交信(アクセス)が切れると同時に力を与えた本人――つまり、ジェントの元へと力ごと戻る。そのお陰で間一髪、ジュードは死を免れたのだ。


 ジュードの身に刻まれた致命傷が綺麗さっぱり消えてしまったことに気づいた仲間は、奇跡とも思えるその現象に涙を流して喜んだが、カミラだけはそれが誰の仕業なのか理解できた。彼女は、初めてジェントがそうした時のことも知っているのだから。


 ジェントは――なにも言わなかった。

 あの絶望の中、彼は誰になにを言うこともしないまま黙ってその全てを受け入れた。カミラが気づいた時には既に彼の姿はどこにもなく、今もまだ礼を伝えることさえできずにいる。



「……結局、最後までジェントさんに助けてもらったんだ。自分は勇者なんかじゃないって言ってたけど……ジェントさんはやっぱり、勇者なんだと思う」


 本来は死ぬはずだったほどの傷だ。彼は下手をしたらジュードの代わりに消えてしまったのではないか――そう思ったが、ヴァリトラが言っていた。消えたわけではない、聖剣の中に気配を感じる、と。

 しかし、傷があまりにも重すぎて一年経った今でも彼は姿を見せることをしない。聖剣の中で深い眠りに就いているのだ。目を覚ますのが今日か明日か、はたまた数年後、数百年後――いつになるのかヴァリトラにさえわからなかった。

 そのため、ジュードはこうして毎日のようにこの聖殿に足を運んでいるのである。


「……ジュード。やはり、新しい王はお前がなるべきだ」

「やだよ」

「あの戦いで命を懸けたのは私ではない、お前なのだ。民もその方が喜ぶだろう」

「別に王様になりたくて戦ったわけじゃないんだよ。オレが勉強とか難しいのとか、全然ダメなの知ってるじゃん……オレは王様になるんじゃなくて、王様の傍でサポートする方が好きなの」


 突然のヘルメスの言葉に、ジュードは先ほどよりも更に明確に嫌そうな顔をするなり、隣に立っていた兄と軽く距離を空ける。余程嫌なのだということは、その行動だけでよくわかった。

 そうして、再びヘルメスが口を開くよりも先にジュードは踵を返すと宙空へと投げる。まるで遠くに想いを馳せるかのように。


「それに王様になんてなっちゃったら、あちこち行ったりできなくなるじゃないか。オレは父さんたちと一緒に、しばらくは色々な場所に行って復興の手伝いをしたいんだ。もちろん、ヴェリアの復興もね」

「……」

「ヘルメス王子にオレの力が必要な時は、いつだってここに帰ってくるよ。オレじゃきっといい国なんて作れないし、テルメースさんたちと一緒にヘルメス王子を支えて、いい国を作る手伝いがしたいと思ってる。……弟としてさ」


 その言葉にカミラは表情を綻ばせ、ヘルメスは緩く眉尻を下げて小さく溜息を洩らした。

 ジュードは現在、ウィルやマナと同じようにヴェリアにあるグラムの家で生活をしながら、彼らと共に各地の復興の手伝いをしている。ウィルとマナが各国に赴いている間はグラムと共にヴェリアの復興を、逆に彼らがヴェリアの復興に回ればジュードとグラムが各地へ足を運んでいるのが現状だ。

 それを考えると、ヘルメスはそれ以上とやかく言うことも、王位を譲ることもできなかった。


「(……そうだな、お前は昔からあちこち飛び回っている子供だった。そんなお前を国に縛り付けるのは……兄としてすべきではない、か。民はお前を勇者と崇めるが、それもお前にとっては重荷になるだろう)」


 言葉に出すことはせずともそう考えると、ヘルメスは小さく頭を左右に振ってから緩慢な足取りでジュードの隣まで足を向け、横目に彼を見遣る。

 ヘルメスは母に、ジュードは父に似たせいか、兄弟なのに見てくれはあまり似ていない。だが、どちらもその双眸の色は同じだ。


「……ジュード。私たちはまだ、兄弟として間に合うのだろうか」

「当たり前じゃないか。生きてさえいれば、きっと今がどこであってもやり直せるってオレは信じてるよ」

「……そうか。……そうだな」


 ジュードの返答にヘルメスがなにをどう思ったかは定かではないが、その表情はとても穏やかだった。ジュードはまだヘルメスのことを「兄さん」と呼べずにいるが、それは恐らくこれから共に過ごす時間の中で自然と変わっていけるだろう。ヘルメスとも、エクレールとも――もちろんテルメースとも。

 彼らは元々、血の繋がった家族なのだから。


 一度静かに目を伏せ、納得したように笑ったヘルメスはそのまま聖殿を後にすべく出入り口へと足を向かわせる。――が、数歩進んだところで肩越しにジュードを振り返ると、その顔に薄く笑みを浮かべながら忠告を投げて寄越した。


「ジュード、もうカミラを泣かせるような真似はするなよ。お前が彼女を泣かせたのは、あの時で二度目だからな」

「うっ……、……は、はい」


 その言葉は、まるで刃物のようにジュードの胸にぐさりと突き刺さる。

 心から好きになった相手を彼女は二度も失うところだったのだ、それを言われると最早ジュードはなにも言えない。借りてきた猫のように口を噤み、項垂れるように静かに頭を垂れる。そんな弟の様子を見遣りヘルメスは改めてそっと笑うと、今度こそ背中を向けて先に聖殿を出て行った。



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