【春の訪れ】
雪の降る寒い季節が終わりを迎え、柔らかな春の陽射しが降り注ぐことが多くなった頃。
徐々に復興が進むヴェリアの都には、あちらこちらから多くの人間が集まっていた。
街全体の復興こそまだまだではあるものの、取り敢えず人が住む程度であればできるようになってきている。
この日、修復がじわりじわりと進む街中には多くの人々が集い、誰もが皆、楽しそうに歌ったり踊ったりして時を過ごしていた。
カミラは街の出入り口付近で佇んでいたが、やがてこちらに向かって歩いてくる人影を見つけて嬉しそうに両手を振り、その場で何度も跳びはねる。
「あ、カミラ。久し振り! 忙しいのに、わざわざお出迎え?」
「みんなに会えると思ったら嬉しくて、さっきアメリアさまたちもお着きになったの。マナたちはルルーナさんやリンファさんと一緒になったんだ」
「ああ、ちょうどみんな船が一緒でさ」
「イヤになっちゃうわよねぇ」
「なんでよ! ほんっと相変わらずよね、あんたは!」
先頭を歩いていたマナは、カミラの姿を見つけるなり嬉しそうに表情を綻ばせて駆け寄ってくる。その後ろにはウィルを始め、ルルーナやリンファ――水の王リーブルや護衛の中にはエイルの姿も見えた。
やって来るなり常のやり取りを始めたマナとルルーナを見て、カミラは思わず小さく笑いを零す。だが、リーブルが傍まで来る頃には気を取り直してぺこりと頭を下げた。
「リーブルさま、ご無沙汰致しております。本日はお越し頂きまして……」
「はは、我々の仲なのだ。そのような挨拶は不要だよ、カミラさん」
「カミラ様、お久しぶりです。お元気そうなお姿を拝見して安心しました」
リンファはエイルと共にリーブルの傍に付き添い、こちらも幾分嬉しそうに表情に笑みを滲ませた。カミラはやや照れたように「えへへ」と軽く後頭部を掻きながら静かに頭を上げる。
エイルは少しばかり大人びたように見えるし、リンファは以前と比べて随分と感情が表に出るようになっている。時の流れを感じて、なんとなく嬉しくなった。
「それにしても、早いものよねぇ。あの戦いからもう一年でしょ。それで明日はヘルメス王子の戴冠式、なんか未だに平和になったんだって実感が湧かないんだけどなぁ」
「平和になったって言っても、まだあちこちメチャクチャだからな、仕方ないさ。色々な復興が終わった頃にやっと実感できるって感じかね」
魔族との戦いを終えて、既に一年の月日が流れていた。
この一年でできたことは、そう多くはない。ヴェリア王国も含め、地の国グランヴェルや水の国アクアリーの復興は始められたものの、僅か一年ではそれほど進んでいないのが現状だ。特にほぼ壊滅と言ってもおかしくはない水の国の復興が終わるのは何年先になることか。
現在、水の国の民は隣国で比較的余裕のある風の国に住居を与えられ、平穏無事に暮らしている。リーブルや娘のオリヴィアは王城で、リンファとエイルは風の都フェンベルで。
「ウィルとマナはあちこちの国に顔出して復興手伝ってるんでしょ? よくやるわよねぇ、身体壊すんじゃないわよ」
「今度グランヴェルにも行くよ」
「こっちは別にいいわよ、メネットたちも手伝ってくれてるし……グランヴェルは他の国より住人も多いしね。人手が足りなくて困ってるところはたくさんあるんだから、そっち手伝ってあげなさい」
ウィルとマナはヴェリアの都に居を構えたグラムの元で暮らしながら、必要に応じて各地に足を運び復興の手伝いをしている。今は、その帰りなのだ。明日に控えたヘルメスの戴冠式に出席するためにこうして戻ってきた、と言うところである。一国の王であるリーブルがわざわざヴェリアまで足を運んだのも、式に出るためだ。
ルルーナは地の国に戻り、現在は地震で倒壊したアレナの街やアンデット集団に襲われた王都の復興を手伝っている。温泉旅館を営むメネットたちは、率先して彼女の力となっているようだ。
「ほらほら、積もる話もあるだろうけどいつまで陛下を立ち話に付き合わせるんだ?」
「私は別に構わないのだが……」
「そうはいきません。ただでさえ陛下は心労を重ねていらっしゃるのに」
リーブルの傍らに控えていたエイルは薄く苦笑いを浮かべながら、パンパンと軽く手を叩き合わせてそう言葉を向けた。当のリーブル本人は目を丸くさせるばかりだが、エイルは頭を左右に振って頑として譲らない。
エイルの言うことも尤もかと、ウィルやマナは慌ててリーブルを振り返って頭を下げたが、ルルーナは不思議そうに小首を捻った。
「心労を重ねてって……陛下、大丈夫なのですか?」
「あ、ああ、問題はないよ。ただ……」
「オリヴィア王女がヴィーゼ王子のことを大層気に入ってしまって、近頃王子に迷惑をかけ通しなんだよ。まったく……」
「はぁ……相変わらずなのねぇ、あのお姫様は……」
オリヴィアと言えば、男好きで有名な水の国の王女だ。一度は負の感情に侵食され、その身を魔物へと変えてしまったが風の都で充分な休息を取れたことで後遺症や他の症状もなく、すっかり元気になって現在も風の国でリーブルと共に暮らしている。
が、その男好きは依然として変わっていないようだ。それを理解してルルーナは呆れ果てたように頭を垂れ、深い溜息を吐き出した。
* * *
用意した部屋にルルーナたちを案内し終えたカミラは、王城の中庭へと足を運んだ。
そこには青々とした木々や花が咲き誇る景色を楽しむアメリアと、彼女に付き従うメンフィスとグラム、クリフの姿もある。そして、彼らと話しに来たと思われるヘルメスの姿も。
「メンフィス殿、貴方にはずっとお会いしたいと思っておりました。あの時の礼をと……」
「礼? ワシは王子に礼を言われるようなことはしておりませんぞ」
「そのようなことはありません、私が今こうして生きているのは他でもない貴方のお陰……感謝しております。それに、私のせいで片腕を失われたことを申し訳なく……」
ヘルメスは落ち着いた口調でそう告げると、静かに目を伏せて腰を折り深々と頭を下げた。
彼が救出されたのは、メンフィスがジュードに「王子を助けろ」と伝えたからだ。もっとも、そう伝えなくともジュードはヘルメスを助けようとしたのかもしれないが。
それでも、ヘルメスは純粋にメンフィスに感謝の念を抱き、この一年を過ごしてきたのである。
花壇の傍に置かれたベンチに腰掛けるアメリアは「ふふ」と小さく笑いながら、横目にメンフィスを見遣る。当のメンフィスはと言えば、強面の顔をやや赤らめていた。向けられる礼の言葉に照れているのは明白だ。
「ヘルメス様、貴方は明日には王になるのです。王となられるお方が、そのように簡単に頭を下げるものではありませんぞ」
「別に王が頭を下げてはならんという決まりはあるまい、照れてるなら照れてるとハッキリ言えばいいものを面倒くさい男だ」
「お前は黙っとれ!!」
「ま、まあまあ、メンフィス様……」
そんなメンフィスに賺さず言葉を投げて寄越したのは、彼の親友兼悪友のグラムだ。双眸を細めてニヤニヤと笑い、見るからに「からかってます」と言うような顔で。
メンフィスはその様を視界に捉えると腰から剣を引き抜き、思い切り振り回し始めた。クリフが慌てて止めようと声を掛けるが、相手が親友と言うこともあってか止まることを知らず憤慨するばかり。
「なんだなんだ、そんな身体でやり合う気か?」
「怪我人扱いしおって! 片腕だろうがなんだろうが、まだまだ負けぬわ! ジュードに二刀流を教え込んだのは誰だと思っておる!」
なにやら大人げないやり取りを始めて騒ぎ出すメンフィスとグラムを見つめて、アメリアは愉快そうに声を立てて笑った。その隣では、クリフが困り果てたように苦笑いを浮かべていたが。
アメリアは一頻り笑い終えるとその視線をヘルメスへと向けて、これまでとは異なり優しく笑いかける。やることはまだまだ山積みだが、平和になったことで彼女の心も随分と軽くなったのだろう。
「ヘルメス王子、なにかと大変なことは多いでしょうが……我々にできることであれば、なんでも仰ってください。今後は手を取り合い、共に平和な世界作りに貢献しましょう」
アメリアのその言葉に対しヘルメスは一度こそ驚いたような顔をしたが、やがて整ったその相貌に笑みを滲ませると言葉で応える代わりに改めて深く頭を下げた。
これまで彼がしてきたことを思えば、このように優しい言葉など本来は掛けてもらえるはずがないのだ。それを考えると、上手く言葉が出てこなかったのだろう。
ヘルメスを新しい王と認めない民は一年経った今でも非常に多い。
明日、彼がヴェリアの王となることで批判や反発が更に強くなる可能性も決して否定はできないのだが、今までのことを考えれば当たり前のこと。ヘルメスはそれらを全て受け止める覚悟で、明日の戴冠式に臨むのだ。
カミラはそんな様子を暫し見つめていたが、程なくしてそっと踵を返す。
だが、彼女がいることに気づいてはいたのだろう。ヘルメスはやや名残惜しそうにアメリアやメンフィスを見つめた後、カミラの後を追った。
「カミラ、聖殿へ行くんだろう? 私もいいだろうか」
「あ……は、はい、もちろんです」
不意に背中に掛かった声に驚いたカミラは、一旦足を止めてヘルメスに向き直ると小さく頷き二つ返事で返答を返す。そうして長い廊下を彼と共に進み、王城の三階へと足を向けた。