第三十四話・サタンの力
「う、ぐぐ……ッ!」
『大丈夫か、クリフ』
「へ、っへへ……勇者様よぉ……俺すんごい頑張ったぜ、ちゃんと褒めてくれよな……」
『生きて帰ってからゆっくりな』
ジェントは前線へ気を向けながら、それでもクリフの傍にちびと共に寄り添っていた。
最前線ではグラムを筆頭に、依然としてウィルとリンファがサタンと交戦している。後方ではルルーナとマナ、本来の姿へと戻ったライオットが魔法によって援護しているが、やはり束になってかかっても力は――サタンの方が上だ。的確にダメージを与えることはできているものの、致命傷とはならない。
神双アゾットであれば、魔剣による傷を受けてもあの忌まわしい効果を受けはしないが、グラムやウィルは別だ。ひとたびあの刃で切り裂かれれば、自ずと傷を広げる魔剣ダーインスレイヴの呪いによって命を落とす可能性が高い。
『(その上、ケリュケイオンが一時的に使えなくなるのなら……決してあの一撃を受けてはならない……)』
カミラの手に聖杖ケリュケイオンがあれば、魔剣の呪いとて怖くはない。だが、聖剣と合わせる必要があるのなら――彼女は一時的に神器を失い、仲間の治療の手が少しばかり薄くなるのだ。
サタンの視線が時折最後方へ向けられるため、ジェントがこの場を離れることもできなかった。もし後方に流れ弾が飛ぶのならば、彼がその凶刃からジュードたちを守らねばならない。
「束になろうが無駄なこと、どれだけ俺の心臓を討とうが貴様らでは――俺を倒すことなどできぬわ!」
サタンはそう叫ぶと、両手を大きく広げて天へと翳した。
すると、未だに落ちると言うことを知らない彼の膨大な魔力が爆弾のように大きく爆ぜ、グラムやウィル、リンファの身を大きく吹き飛ばしてしまった。真正面から受けた彼らの身は数メートルほど飛ばされ、固い床の上を何度も転がってようやく止まる。
元々バランス感覚のよいリンファだけは、空中でなんとか体勢を崩し見事に着地を果たしたが。神双アゾットが、身に負った傷や打撲による痛みをじわじわと癒してくれる。それを理解して、リンファの口からは自然と安堵が零れた。
グラムとウィルはそれぞれ武器を床について身を起こすと、眉間に皺を寄せながらサタンを睨み据える。
三人の連携によって、サタンの心臓をこれまでに何度も貫いたはずだ。全身に裂傷を負わせることにも確かに成功した。
だと言うのに、それらの傷は見る見るうちに消えていってしまうし、心臓は何度貫こうが決して鼓動を止めることはない。
「これが……ジュードが言っていたものか。サタンには無数の命があると……」
「そう、みたいですね……やれやれ、まいったなぁ……」
サタンが今の姿を取り戻す前――あの不気味な姿であった頃に喰らった命は、彼の中に今もまだ無数に存在している。何度殺そうとも中にあるそれらの命が代わりとなり、サタンを守っているのだ。
そこまで考えて、ウィルはなんとなく――背筋がゾッとするような感覚に陥った。武器を持つ手から軽く力が抜け、神器が異様に重くなったようにさえ感じる。
「(……つまり、サタンの中にある命を俺たちが殺してるってこと、か……)」
その命は全て、サタンによって喰われた後。生きているとは到底言えない。
だが、サタンの心臓を貫けば貫いた分、サタンではなくそれらの命を自分たちが消しているとも言えるのだ。そんな状況ではないと言うのに、考えないようにすればするだけ、まるで波のようにその考えが押し寄せてくる。
だが、その考えは強制的に止められた。他でもない――サタンに。
サタンは片手に膨大な魔力を集中させると、不気味な黒いオーラを纏う一本の槍を形成した。にたりと口角を引き上げて笑い、大きく振りかぶった末になんの躊躇もなくグラムやウィルのちょうど間へと投げつけてきたのだ。
なぜそんな場所に――そう考えたグラムとウィルの疑問を嘲笑うかの如く、床へと突き刺さった槍は周囲の空気を巻き込んで黒い旋風を作り出した。唸るような音を上げて大きくなっていくそれは、残されていたカラミティの死骸され巻き込んで更に勢いを増していく。
「ウィル様! グラム様!」
リンファは咄嗟に悲鳴に近い声を上げたが、彼らが黒い旋風から逃れる様は――確認できなかった。
しかし、彼らの安否を気にしているだけの余裕はない。次の瞬間、彼女の視界には一瞬のうちに移動して距離を詰めてきたサタンが映り込んだからだ。
その距離、まさに数センチほど。さしものリンファも驚愕に双眸を見開き、半ば反射的に床を蹴って後方へと跳ぶ。だが、回避行動は僅かに間に合わなかった。
「くうぅッ!」
咄嗟に跳んだことで直撃は避けられたものの、サタンの振るった魔剣は彼女の腹部を抉った。もしも後少しでも反応が遅れていれば、その身は胴体から真っ二つになっていたかもしれない。そうなれば、いくら治癒能力に優れた神双アゾットと言えど、再生するのは難しい。
もっとも、サタンはそれを狙ったのだ。それぞれの神器の効力がわかっているからこそ、どのように対処すればいいのか手に取るようにわかる。再生するのなら、再生できないほどの傷を一撃で与えてしまえばよいと。
「あ……」
次の瞬間、黒い旋風の中からなにかが弾け飛ぶのがサタンの肩越しに見えた。
それは他でもない、巻き込まれたグラムとウィルだった。まるで鋭利な刃に斬り裂かれたかのように二人の全身には深い裂傷が刻まれ、辺りにはおびただしいまでの血の海が広がる。死んではいないようだが、治療が遅れれば間違いなく命を落とす。瀕死と言ってもいいレベルだ。
マナとルルーナはその光景を目の当たりにして、真っ青になりながらそちらへと駆け出した。
「ふっ……盾を失った術士など、赤子同然だ」
「――! やらせません!」
サタンの目がそちらに向くのを見遣ると、リンファは表情を焦りに染め素早く距離を詰めてマナたちの方へ向けられそうになった片腕に刃を走らせる。
アゾットの刃は見事にサタンの右腕を捉え、深く刻まれた傷からは血飛沫が上がった。けれども、鮮血越しに見えたサタンの双眸。まさに血の色をしたそれは、しっかりと横目にリンファを捉えていたのだ。口元に笑みを湛えて。
しまった――と、そう思った時には既に遅かった。サタンは虫けらでも見下すような目でリンファを見据え、片足を思い切り振り上げて彼女の腹部へ強打を見舞う。
脳が揺れ、内臓が口から出るのではないかと思うほどの強烈な一撃に一瞬意識が飛びかけたが、それさえも許されなかった。宙に打ち上げられた彼女の身を、サタンは再び魔剣で狙ったのだ。
照準は――今度は胴ではない、その首。ダーインスレイヴで一思いに斬り捨ててやろうと、問答無用に魔剣を振るった。
「むッ!?」
けれども、その照準は微かに外れた。首の代わりに、彼女の左肩が抉られるだけに終わったのである。重傷に違いはないものの、命があるだけでもマシと言ったところだ。
魔剣の刃がリンファの首を直撃する間際――サタンの翼に光の羽根が無数に突き刺さったことで、僅かに狙いが外れたのである。
サタンは己の翼に刺さり貫通したいくつもの羽根を振り返って、双眸を笑みに細めて笑う。肩を抉られたリンファは今度は満足に受け身を取ることも叶わず、床へと身を打ちつけた。左手に力が入らないのか、その手からはアゾットが離れてしまっている。
「やはり貴様が邪魔をするのか、ジェントよ。無駄な足掻きだと言うのに……」
『指を銜えて見ていられるほど、俺は聞き分けがよくない』
魔剣の照準を狂わせた張本人は、クリフの傍に付き添うジェントだ。突き刺さったのは、彼の背に生える光の翼から飛ばされた羽根だった。
マナとルルーナはグラムとウィルの怪我の具合を確かめながら、その様を見つめる。前衛三人がやられてしまった今、彼女たちは満足に詠唱することさえできないのだ。術者は詠唱中、非常に無防備になる。そこを狙われればひとたまりもない。
「(勇者様が引きつけてくれてる間に攻撃を仕掛けるか……けど、どうしたらいいの……? ガンバンテインを使ったって、サタンの力をこれ以上下げることはできないみたいだし、ウィルたちの治療もしなきゃ……)」
普段は冷静なルルーナも、まずなにを優先すればいいのか決められずにいた。
床に倒れ伏すグラムとウィルの怪我は深刻で、急がなければ失血死してしまいかねない。幸いにもルルーナであれば地の神器ガンバンテインの効果である程度強力な治癒魔法は使える、回復には充分なはずだ。
しかし、ジェントがサタンの注意を引きつけている間に少しでもダメージを与える方がいいのか――わからずにいた。
「ルルーナ、ウィルたちをお願い」
「マナ、どうするつもり?」
「あんたは治療、あたしは攻撃! どうせあたしは、攻撃魔法くらいしか取り柄がないんだからね!」
そのルルーナの迷いを汲み取ったのか、はたまた考えることは同じだったのか――マナはそう告げると、屈んでいたウィルの傍から立ち上がった。サタンの注意はジェントに向いている、今であればそれほど長いものでない限り危険もなく魔法の詠唱もできるだろう。
ルルーナはぽかんと口を半開きにしてそんな彼女の背中を見つめたが、ややあってから我に返るとふっと薄く笑った。
「あら、がさつなマナが使う魔法ですもの。これでも破壊力だけは信頼してるのよ」
「褒めるのか貶すのかどっちかにしなさいよ。……ウィルとおじさまになにかあったら許さないからね」
「わかってるわ、アンタこそ今度は勇者様を巻き込まないようにしなさい。リンファだって倒れてるんだから」
それだけをお互いに言い合うと、両者ほぼ同時に魔法の詠唱に入った。ルルーナは治療に、マナは攻撃に。どちらも胸中に宿るのは心配ばかりだ、どれだけ虚勢を張っても状況が最悪であることは理解できている。
前線を担う三人は重傷、これまで仲間を守っていたクリフも戦線離脱。残るのはジェントとちび、ライオットくらいのものだ。ジェントならばサタンとどう戦えばいいか心得ているだろうが、撃破に至るかどうかは――わからなかった。倒しても倒しても起き上がってくる敵を、どう倒せばいいのかさえわからないのだから。
「きゃあぁッ!?」
しかし、そんな時。
不意に後方から眩い閃光と共に衝撃が走ったのである。思わず転びそうになるほどの衝撃を背中で受けたマナは慌てて杖で身を支え、何事かとそちらを振り返った。
――が、目を焼きそうになるほどの強い光に視界を妨害されて、なにが起きたのか視覚からの情報はまったく得られない。ただ、なにかがあった、と言うことしかわからなかった。
「――マナ、援護を頼む。あとはオレがなんとかするから」
「ジュ、ジュード!? ジュードなの? だ、大丈夫!?」
「大丈夫……かどうかはわからないけど、やれるだけのことはやってみる!」
「わ……わかったわ、援護は任せておいて!」
マナが額の辺りに片手の平を翳して細めた双眸で光の方を見つめると、中から返ってきた声はジュードのものだった。
状況は依然としてよいものではないが、今は他に頼れるものもない。マナは戸惑いつつも、しっかりと頷き返した。彼ならばなんとかしてくれる、そう信じて。