第三十二話・フィニクスとオンディーヌ
「ふふっ、無様なものよなァ! 聖剣も神器も、まったくの役に立たんとは!」
「けっ、そう言うわりには俺の守りを崩せてねぇじゃねーか。あーやだやだ、情けないこと!」
謁見の間では、矢継ぎ早に繰り出される魔法による攻撃をクリフが必死に抑えていた。
いくら四魔将の加護を受けていようと、使い手と仲間を守るために作られた神盾オートクレールばかりはどうにもできない。
しかし、立て続けに魔法と魔剣の攻撃を受け止めて、盾よりもクリフの身体が悲鳴を上げ始めていた。
高い魔力を誇るアルシエルの魔力を取り入れたことで、元々高かったサタンの魔力は更に強化され、それによって魔法の威力そのものが異常な破壊力を誇るようになったのだ。
神盾オートクレールを使いドーム状の結界を張ることで仲間全体を魔法から守っているが、結界に直撃する度に盾を構える彼の腕には骨に響くほどの衝撃と痛みが走る。酷い時は腕だけでなく、肩や胸部にまでその痛みが及んだ。
それでも減らず口を叩くことだけはやめないのは、クリフの性格ゆえだろう。
『(オンディーヌはまだか、ガンバンテインで少しでも奴の力を弱めることができれば多少は楽になるのだが……)」
ジュードは頭の中に響くヴァリトラの言葉に、緩く唇を噛み締めた。
四神柱と神は繋がっている。風の魔将セヴィオスと火の魔将バーネックを撃破したことは、既にシルフィードとガイアスから報告を受けた。
神槍ゲイボルグと神杖レーヴァテインは既に使える状態であるし、四つの加護のうちのいくつかが欠けたことで、今ならば聖剣も通用することだろう。
だが、サタンのあの魔法の直撃を受ければ聖剣を持つジュードとてどうなることか。それに、問題はもうひとつあった。
『――俺には無限とも呼べるいくつもの命がある。何度殺そうが、それらの命全てを消さぬ限り俺を倒すのは不可能だ』
それは、火の都の防衛戦の際にサタン自らが口にしていた言葉だ。
サタンの中には、今まで喰らってきた多くの命が存在する。そして、それらがある限りサタンを倒すことはできないのだ。
この、決して避けられない問題をどう片づければいいのか。ジュードは悩んだ。
『(……大丈夫だ、王子よ。方法ならある)』
「……え?」
『(精霊の里に行った際、聖石に浮かんだ文字を覚えておるか? 神の剣携えし巫覡、清浄なる錫杖と共に我宿す時、奇跡の力を与えん――これはお前のことだ、巫覡とはお前を指しておる)』
「(……ってことは?)」
あれは確か、メルディーヌの力で水の国の者たちが肉体を溶かされてしまった時のことだ。元に戻す方法はないのかと探しに行った先で、そんな言葉が聖石に浮かんだことを記憶している。
内容までは、案の定ジュードの頭には残っていなかったが。
『(巫女のケリュケイオンと聖剣を重ね合わせ、我と交信せよ。さすれば、囚われている命の全てを浄化できよう)』
「……!」
命の浄化ということは、つまり――水の国に今もいるだろうアンデット集団を元に戻す方法はないのだ。できることと言えば、彼らの魂が天へと昇れるように浄化をすることだけ。
やり切れない想いを抱えながら、頭に響くヴァリトラの言葉にジュードはしっかりと頷いた。
* * *
「ふえぇっくしょい!」
血なまぐさい戦場に、似つかわしくない大きなくしゃみがひとつ。
フィニクスは片手の指の背で己の鼻の下を擦りながら、やや不貞腐れたようにむくれる。
「んもう、誰でしょう……大方シルフィードが文句でも言ってるんでしょうけど……」
「おやおや、冷えてしまわれたかな?」
「いいえ、ご心配なく」
そんな中、対峙する水の魔将――ティアノイドからわざとらしく揶揄するような口調で言葉がかかれば、フィニクスは一気に意識を戻して上空から見下ろす。
彼女から見て、この水の魔将は非常に厄介な相手だ。己はその場から動くことなく、氷柱と水柱を駆使してひたすらにこちらを攻撃してくる。単純な攻撃かと思いきや、そうではない。
無数の鋭利な氷柱を生み出してフィニクスを追尾し、彼女が攻撃に転じようとすれば己の周囲にいくつもの水柱を出現させることで防御壁とする。
「……はぁ、仕方ありませんね。後でエクレール様にお力添えする分、残るでしょうか……」
「なにを一人でボヤいているのです? 命乞いの方法でも考えているのですか?」
「いいえ、あなたがあまりにもお強いのでどうしようか悩んでいたところです。でも……仕方ありませんね、お叱りは後で受けることにしましょう」
どこまでも冷静に言葉を投げかけてくるティアノイドに対し、フィニクスはにこりと笑うと妙に可愛らしく小首を傾ける。
しかし、その刹那――大きく両腕を広げると己の全身を真っ赤に輝く炎で包み込んだのだ。
炎の中でフィニクスの真紅の髪は逆立ち始め、身を包んでいた衣服は熱に耐え切れずに次々に燃え落ちていく。彼女の両腕は金色の分厚い毛に覆われ、人の形をした手は鳥の翼へと変貌を遂げた。
その光景に感心したような声を洩らしたティアノイドだったが、すぐに己の周囲にこれまで同様に水柱をいくつも展開させていく。
「ふふふ、なにをしてくれるのでしょうね。どうしようが、私の水の守りを破ることは不可能ですよ」
「では、試してみましょうか」
それだけを短く告げて、フィニクスは地上のティアノイド目がけて急降下した。鋭い角度から向かってくる彼女は、ティアノイドから見れば恰好の的だ。氷柱を叩きつければ、撃ち落とすなど容易い。
勢いよく向かってくるフィニクスを見据えると、先が鋭く尖った氷柱を真正面から彼女へ向けて放った。避ければ直撃するまで追尾していく厄介な氷柱だ。
だが――フィニクスは、それらを回避することはなかった。
「なにッ!?」
「どうせ避けても無駄な労力を使うだけ、それならば――!」
眼前に氷柱が迫っても、回避行動を取ることはなくフィニクスは氷柱の群れへと自ら飛び込んだ。程なくして頬や肩、腕に太股など様々な箇所が深く抉られる痛みに彼女の表情は歪んだが、勢いが落ちるような様子は微塵も見受けられない。
ティアノイドを守る水柱へ照準を合わせると、フィニクスは右手で拳を――と言っても鳥の翼だが、それを固く握り締めて勢いよく叩きつけた。
「バカめ! 水に火で挑んでくるとはッ!」
「バカはあなたの方です、火は確かに水に弱いものですが――逆もあるのですよ!」
水柱へと叩きつけたフィニクスの右手は、次の瞬間、金色に光り輝く業火を纏った。通常の炎とは異なる、熱さえも交えたような灼熱の炎だ。ティアノイドを守る水柱は懸命にその炎を消そうとするが、フィニクスの炎はそれらを嘲笑うかの如く――次々に水を掻き消していく。
「な……なんだと!?」
「より強い炎は水を蒸発させるのです。まさか、その可能性を想像もしなかったとは言いませんよね?」
「グァッ……!?」
水柱を綺麗に蒸発させたフィニクスは突き出した手はそのままに、逆手も添えてティアノイドの首を両手で強く掴んだ。その身を守るものは、既になにもない。
首を掴んだ両手に再び灼熱の業火が発生し始めると、これまでずっと冷静だったティアノイドの目が大きく見開かれる。ぐぐ、と持ち上げられて、地面からは四つ足がすっかり離れてしまった。じたばたと四肢を忙しなく動かす様を視界の端に捉え、フィニクスは不敵に笑う。
「もふもふの毛並みですねぇ、よく燃えてくれそうです」
「がふッ……! や、めろおぉ……っ!」
それが、ティアノイドの最期の言葉だった。
フィニクスの両手から発火した灼熱の炎はティアノイドの体毛へあっという間に燃え広がり、その全身を焼き尽くしていく。その身全てが燃えてしまうのに、そう時間はかからなかった。
程なく、ティアノイドの全身が燃え尽きてしまったのを確認して、フィニクスはそこでようやく手を離す。燃え滓となってしまった残骸が重力に倣って地面に落ちるのを見下ろし、彼女の口からはひとつ安堵が零れ落ちた。
「やれやれ……手こずらせてくれたものです、エクレール様のサポートもしなければなりませんのに……」
致命的な傷こそ負っていないが、度重なるティアノイドの水と氷の魔法のせいでフィニクスの身はボロボロだ。だが、休んでいる暇などない。こうしている今も、エクレールを筆頭に兵士や騎士団が魔族の群れと戦っているはずなのだから。
フィニクスは再び空へ飛び上がると、痛む身にも構わず王城の方へ向かった。
* * *
全力で振り回される固い拳を受けて、オンディーヌの身は大地へと思い切り叩きつけられた。咄嗟に槍で防いだものの、その防御は完全ではない。地の魔将ダングランの身の守りも、その一撃の重さも桁違いだった。
全身に感じる痛みにオンディーヌは端整な顔を不快に染め、静かに身を起こすと片腕で口端を拭う。そんな彼を見下ろして、ダングランは大層愉快そうに笑った。
「ぐわはははは! これが力の差だ、わかるかオンディーヌよ!」
顔を上向け、天を仰ぎながら笑うダングランは非常に上機嫌そうだ。弱者を嬲る、と言うよりは自分たちと同レベルの力を持つ相手を圧倒的な強さで翻弄するのが堪らなく快感なのだろう。
だが、そろそろトドメを刺してやろうと言うのか、改めてオンディーヌを見下ろした直後――不意に顔面にぶち当たった水の塊にその笑いもほんの一瞬止まった。
それはオンディーヌが扱う破壊力を重視した水の魔法なのだが、それでもダングランはまったく堪えていない。
「クックック、どれだけ足掻こうが無駄だと言うのに……そのような水遊び、この完全な守りを誇る身体には効かぬ! これで何度目だ? 十発以上繰り返しても学習できぬとはなぁ!」
けれども、ダングランがなにを言おうがオンディーヌは決して止まらない。再び槍の先端に魔力を集束させると、今一度その顔面へと打ち当てた。それがまた、ダングランの気分を昂揚させていく。
しかし、そこでオンディーヌは薄く――極々薄く口元に笑みを滲ませた。
「なにを笑っている? 圧倒的な力の差に頭がおかしくなったか?」
「いいや、気持ちいいくらいに引っかかってくれたと思ってな」
ダングランは、その言葉の意味がまったくわからなかった。状況は圧倒的に有利なのだ、オンディーヌの水や氷の魔法では傷ひとつ付けることさえ叶わない。負ける可能性など万にひとつもないはず。
ならば、これは負け惜しみか――頭の中でそう結論づけると、再びその身を強打してやろうとダングランは右腕を振り上げた。
「な――ッ……なに……っ!?」
だが、その時だった。不意に、ダングランの左側の視界が真っ暗に暗転してしまったのだ。それと同時になにかが砕けるような音も聞こえてくる。
何事だと、見るからに狼狽するダングランを見上げながらオンディーヌは改めて槍の先端に魔力を集め始めた。今度はこれまでとは異なり、大気が大きく震えるほどの大量の魔力を。その様を異変に見舞われていない右側の視界に捉えて、思わずダングランは声を上げた。
「ぐッ、この卑怯者め! 視界を奪うなどという姑息な真似をして楽しいか!?」
「なにを勘違いしている? 私はこれまで通り普通に攻撃を仕掛けただけだが」
「嘘をぬかせ! ならば、なぜこのような……!」
先ほどまでの余裕もどこへやら、片目は生きているにもかかわらずすっかり気が動転しているらしいダングランを前に、オンディーヌは小馬鹿にするように切れ長の双眸をそっと細め遣る。
そうして槍を己の目の高さほどまで引き上げると、切っ先をダングランの顔面――正確には左目付近へと向けた。
岩に包まれたその顔の表面には――これまでには確認できなかったヒビができていたのだ。
「たったひとつの水滴でさえ、永い年月をかけることで岩に穴を空ける。一度では効果がないように見えても、同じ箇所に立て続けに打ち込めば――私の魔法でも貴様の身を砕くことは充分可能だと言うことだ」
「バ、バカな……っ! まさか貴様ッ、今までのは全て演技……!?」
「自分の方が有利であれば、私の攻撃を防ぐ必要もないと思っただろう? それが貴様の敗因だ」
その言葉に、ダングランは思わず逃げるように身を仰け反らせたが、オンディーヌがこのまま逃がすはずがない。
照準を合わせた槍を振りかぶり、思い切り投げつけると三又の槍は左目に見事に直撃。あまりの激痛にダングランは思わずのたうち回り、その刺激のせいでヒビが入った箇所からは次々に亀裂が走っていく。そしてそれは、やがて巨体全体に渡った。
「この、絶対的な……守り、があぁ、ァ……ッ!」
「貴様は確かに強かった、だが――それだけだ」
最後にそう呟くと魔力を込めたオンディーヌの槍が眩い光を放ち、ダングランの身を内部から破壊した。左側顔面で魔力が大きく爆ぜ、その巨体を爆破でもしたかのように吹き飛ばしてしまったのだ。
大小様々な岩となり周囲に飛散したそれらは地面に転がった後、静かに砂となっていく。緩やかに吹きつける風に溶け込むように飛ばされていく様を視線のみで眺めてから、オンディーヌはそこでようやく安堵を洩らした。