第三十一話・ガイアスとシルフィード
「その首、もらったですうぅ!!」
一直線に急降下してくるセヴィオスを見上げて、ガイアスは依然として身構えることもしないままゆうるりと口角を引き上げ、口元に笑みを形作る。己の首を目がけていると言うことは、これまでのセヴィオスの言動からも容易に知れる。
両腕を突き出したセヴィオスから放たれる風の刃を、片足を軸に一歩足を引く程度の微々たる動きで避けてしまうと、即座に彼女の腹にカウンター気味に拳を叩きつけた。
「がふッ……!?」
「シルフィードほどの風の力を持たないくせにカエルちゃんみたいにピョンピョン飛び回るからですよ、ナントカは高いところが好きとはよく仰いますけれどね」
「こんの……っ! クッソバババアアアァ!!」
ガイアスのその言葉にセヴィオスは彼女の腕に片足の裏を添えることで大きく後方に跳び、やや離れたところに着地を離すと拳が叩き込まれた腹部を片手で摩る。そこで、彼女は腹になにかが突き刺さっていることに気づいた。
腹を見下ろしてみれば、そこには人間の手の平ほどの大きさの棘が数本突き刺さっていたのだ。
「な、なんなのよぉ……これは……!? このセヴィオスちゃんの身体にこんなものを……!」
「植物の棘ですよ。あなたにはこの棘の毒が一番合っていると思いましたので、わたくしからのプレゼントです」
「毒ぅ? ハッ、そんなものに頼らないと戦えないんですかぁ? 卑怯な奴ですねぇ!」
「なんとでも仰ってくださいな、最初からフェアな状態で戦う気のないあなた方になにを言われようと痛くも痒くもありませんから」
属性相性を考え、自分たちが有利に戦える相手を狩ろうと画策したのは四魔将が先だ。そのような奴になにを言われようと、別にどうとも思わない。セヴィオスの言葉にガイアスはにっこりと微笑んだ。
そんな様子を見てセヴィオスは愛らしい風貌を憎悪に染め上げて、腹部に突き刺さった棘を引き抜く。そうして片腕に纏わせる風の刃で粉微塵に切り刻んでしまった。
しかし、そんな矢先だ。不意にセヴィオスは棘を引き抜いた腹を押さえて目を見開き、両膝を地面について屈んでしまう。
「あらあら、どうしました?」
「ぐッ、うぅ……っ! な、んなのよぉ……この、痛み……っ!?」
じわりじわりと患部から全身へ広がっていく独特の激痛に、セヴィオスの口からは苦悶が洩れ始めた。あまりの痛みに顔からは血の気が引き、代わりに滝のような脂汗がこめかみや頬を伝い地面へと落ちていく。
目は見開かれ、焦点はやや定まっていない。歯を食いしばった口からは、ひゅ、ひゅ、という空気が洩れ出るような短い息が忙しなく零れるばかり。
そんな様を見据えてガイアスは改めて「ふふ」と小さく笑うと、宙から金色の扇を取り出し優雅に開いて己の口元を覆い隠す。双眸を弓なりに細めて笑う様は、どこか妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「風の魔将セヴィオス……理性よりも感情のままに動く猪突猛進型、攻撃手段は主に風による魔法。ですが戦略性はなく、単純に跳びはねて襲いかかってくるだけでその軌道を読むことは容易、典型的な単細胞さん……と言ったところでしょうか。頭脳派の水の魔将がいればある程度はサポートもしてもらえたようですが、単独で行動するのは控えるべきでしたね」
「(こいつッ、まさか今の今までこっちの動きをずっと観察して……!?)」
患部から全身、足の先に至るまでを激痛に支配されたセヴィオスは口の端から呑み込み切れなかった唾液を滴らせながら、それでも懸命に立ち上がる。両足は震え、身を支えているのがやっとだと言うことが一目でわかるが。
諦める、という気は毛頭ないらしい。片手で腹部を押さえたまま逆手に再び風を纏わせると強く地面を蹴って跳び出した。
「こんの、クソババアがあああぁッ!!」
「ふぅ……親切に今教えて差し上げたばかりですのに、本当に単細胞さんなんですね」
「――!」
再度高く跳び上がって襲ってきたセヴィオスに対し、ガイアスは呆れたとでも言わんばかりに双眸を半眼に細め、わざとらしく溜息をひとつ。当のセヴィオス本人も、その言葉を聞くまで気付かなかったのだろう。
自分がまた跳び上がって攻撃していることに。
シルフィードのように強い風の力を持つ存在であれば、風を操り上空で自由に飛び回ることも可能だが――セヴィオスの場合はそうではない。ただただ強い力を利用して得意の風魔法を叩きつけてくるだけなのだ。
当然、上空で自由に動くことなどできない。
ガイアスは己に向かって跳んでくる彼女を一瞥し、大きく後退した。すると、彼女の足元から一直線に大地が大きく裂けたのだ。
急降下してくるセヴィオスは発生した地割れに呑まれたが、慌てて片手で地面の端を掴み落下を防ぐ。下に向けて風の魔法を放てば、地中に呑み込まれることはないはずだ。セヴィオスが頭の中でそう考えるのと、彼女の視界に微笑むガイアスが映り込むのは、ほぼ同時。
「さようなら、お嬢さん」
「ひ、ぎ……ッぎゃあああぁっ!!」
彼女の考えなどお見通しだったのだろう。セヴィオスが地割れから脱出すべく魔法を放つよりも先にガイアスは扇を顔の高さほどまで引き上げると、ぱたん、と小さな音を立ててそれ閉じる。
その刹那、裂けた大地は勢いよく元の形へと戻り――セヴィオスの身体を問答無用に固い地面で押し潰した。
「戦いは最後まで冷静さを失わないこと……それと、もうひとつ。己の力を過信し、相手を見くびらないことです」
再び流れるような優雅な所作で扇を開いてガイアスは呟いたが、地割れに挟まれたセヴィオスにその言葉が届くことはなかった。
* * *
「くたばれ、シルフィード! その身、跡形もなく燃やし尽くしてやるわッ!」
一方でシルフィードは火の魔将バーネックと交戦していた。
貫かれた胸元を押さえながら、それでもシルフィードは苦痛を表情に出すことはせずに空を自由自在に飛び回る。
風は火に弱い。けれども、既に突破口は見えている。
大きく羽ばたくことで燃え盛る業火を放ってくるバーネックを見据え、シルフィードは高く上空へと飛翔した。対するバーネックは賺さず彼を仰ぎ、改めてもう一度羽ばたくことで炎を発生させる。
「――有利な属性であれば仕留められると思ったのだろうが、甘いな。喰らえ!」
「むっ!?」
バーネックの前に展開した紅蓮の炎を見据え、シルフィードは炎が触れる直前まで飛ぶと凝縮した風の塊を燃え盛る火の中へと投じる。すると、次の瞬間――まるで爆ぜるように炎が一層強く燃え上がったのだ。
真っ赤な炎は吐き出した張本人であるバーネックの身までもを呑み込み、その毛や翼を燃やして確かなダメージを与えた。もっとも、流石に火の魔将と言うこともあってか致命傷にはならないが。
翼と身を振るいながら炎を払うと、バーネックは対峙するシルフィードを忌々しそうに睨み据える。
「ふん、小賢しい真似を……だが、こんなことをすれば貴様とてタダでは済まないはず……」
「ほう、そう思うか? 私の身には火傷ひとつないが?」
炎は非常に大きく燃え広がった、バーネックが吐き出したものでさえ三メートルは立ち昇るほどのものだったのだ。それがシルフィードが風を叩き込んだ影響で倍以上にはなったはず。
だと言うのに、シルフィードの言葉通り彼の身には胸部を貫いた初撃以外の傷は存在しない。その現実を目の当たりにして、バーネックは思わず瞠目した。
「バ、バカな……なぜ……」
「私は風の神柱だぞ、貴様では避け切れぬものでも私にとっては容易なのだよ」
シルフィードは四神柱の中で一番スピードに優れた存在だ、どれだけ速い攻撃であれど彼の目には止まっているように見えることさえある。
バーネックは火属性特有の攻撃力こそ高いものの、速度ではシルフィードに敵うレベルですらない。炎に邪魔をされてどう仕掛けるか悩んでいたが、こうなってしまえば完全に炎による攻撃を封じれたと言っても過言ではないだろう。
「さあ、どうする? 一撃では致命傷を与えることはできなくとも、同じことを何度も繰り返せば貴様の未来は焼き鳥以外にないぞ」
「ぐ、ぐぐ……ッ! この俺様が、貴様などに……やられるはずがないだろう、戯けがあああぁ――ッ!!」
下に見るようなシルフィードの言葉は、神経を逆撫でしたらしい。
辺りに燃え広がる炎がダメならば、と今度は初撃を加えることに成功した炎の光線を放ったのである。
しかし、既に不意打ちにすらならないそれでは、シルフィードの身を捉えることは――やはり叶わなかった。それでも負けじとバーネックは何度も光線を吐き出すが、シルフィードは水の中を優雅に泳ぐ魚のようにスイスイと宙を舞い、悉く攻撃を避けて距離を詰める。
それを見てバーネックは悔しそうなくぐもった声を洩らしたが、シルフィードがすぐ間近まで迫った時――不意にその姿が忽然と消えてしまったのだ。
「な、なに!? ぐ、ぎゃあああぁッ!!」
「言ったはずだ、私は風の神柱シルフィード。その程度でこの身を捉えられると思うな」
厳密に言うのならば消えたのではない、その速度を活かしてバーネックの真後ろに回り込んだだけだ。
そのことにバーネックが気付くのと、身体が切り刻まれるのは同時。気付いた時には既に遅かった。
一拍遅れて激痛に襲われたバーネックの口からはけたたましい悲鳴が上がり、翼で身を支えることも叶わずに徐々に高度が下がっていく。だが、シルフィードは即座にその後を追いかけると最後に一撃――今度はバーネックの首を斬り裂いた。
「が、は……アァ、ァ……ッ!」
バーネックの首から全身へ走る鋭利な風の刃は問答無用に身を引き裂き、最後にその首を叩き落す。紅蓮の業火にも負けぬほどの鮮血が宙を舞う様に、シルフィードの表情は自然と歪んだ。
物言わぬ屍と化して地上へ落ちていくバーネックの身を静かに見下ろすと、そっと片手で胸部を押さえる。最初に受けた一撃は決して軽いものではなく、当たりどころが悪ければ致命傷になっていてもおかしくはないほどだった。
「……やれやれ、これだから火属性の敵は嫌いなんだ。乱暴で野蛮でガサツで、スマートじゃない」
そう呟くと、シルフィードは早々に王城の方へと目を向ける。今頃はエクレールが城に到着し、他の部隊の援護をしながら戦っているはず。
少しばかり離れた空の下で、フィニクスのくしゃみが聞こえた気がした。