第三十話・時間稼ぎ
ウィルとリンファは左右からサタンに襲いかかり、手にする神器を容赦なく振るう。
だが、刃は確実にその身に直撃したというのに当のサタン本人はその顔に苦を滲ませることもしないまま、むしろ逆に愉快そうに笑ってみせた。刃がめり込んだ箇所に裂傷が走ることもなく、神器の刃が光を纏うと共にその身を優しく包み込んでいく。まるで治癒魔法でも施したかのように。
愕然とする二人に構うこともせず、サタンは背中の両翼を振るうとウィルとリンファの身を大きく薙ぎ払う。致命傷にはならなかったようだが、腕や肩に刻まれた裂傷と激痛に彼らの表情は歪み、満足に受け身を取ることも叶わずに固い床の上を滑った。
「くうぅッ!」
「本当に……効かないの……?」
「冗談じゃないわよ、ここまで来て……!」
その様を見てマナとルルーナは表情を顰めると、ほぼ同時に杖を掲げる。
刹那、サタンの足元からは業火に包まれた岩の槍が無数に突き出てきたが――その身に触れる直前に硬度を失い、まるで液体かなにかのようにぐにゃりと溶けてしまった。
神器も魔法も、サタンの身にダメージを与えることができないのだ。これでは様々な属性を扱い臨機応変に戦うジェントとて、戦いようがないのも頷ける。
ゆっくりと歩み寄ってくるサタンを見据えて、ジュードは奥歯を噛み締めると諦めることはせずに果敢に立ち向かった。
素早くサタンの真正面まで間合いを詰め、勢いをつけて身を薙ぐように真横から聖剣を振るったのだ。
「……!」
「やれやれ、無駄だと言うことがまだ理解できぬのか? ジェントが敵わぬ敵を貴様のような子供がどうにかできるとでも?」
振るった聖剣の刃は――先のジェントの言葉通り、サタンの身に届かなかった。
正確に言うのであれば、直撃する前にサタンの全身を包む壁のようなものに阻まれてしまったのだ。恐らくこれが、四魔将の加護を受けて生み出した聖属性から身を守る防御壁なのだろう。渾身の力を込めた一撃でも、破壊することはできなかった。
呆れ果てた、とでも言わんばかりに溜息混じりに言葉を寄越してくるサタンを睨み据えて、ジュードは強く床を蹴ると一旦後方へと跳ぶことで距離を空ける。依然として、突破口はまったく見えてこない。
しかし、サタンは切れ長の双眸を細めると己の周囲に鋭利な氷の刃を出現させた。ゆったりと浮遊するそれらは、一般の剣ほどの大きさがある。先は鋭く、突き刺されば下手をすると致命傷になりかねないほどだ。
「どれ、貴様から先に始末してくれよう。残ったザコ共はその後でじっくりと殺してやろうではないか。その方が貴様にとっては苦痛だろうからな!」
「この……ッ!」
サタンが開いた片手をジュードに向けると、それらの氷柱はまるで弾丸のように勢いよくジュード目がけて飛翔した。だが、直撃など許すはずもない。
ジェントは両者の間に割って入るなり、目前まで差し迫った氷柱へ勢いよく蹴りを一発。すると彼の足は真紅の炎を纏い、サタンの魔力を凝縮して造られた無数の氷柱を跡形もなく溶かし切ってしまった。
「ふっ……貴様がそう出るのは想定の範囲内だ。だが、これはどうかな?」
『な……ッ!?』
次の瞬間、炎をなにかが真っ二つに叩き斬った。ジェントは咄嗟に両腕を顔の前で交差させることで守りの姿勢を取ったが、まるで巨大な猛獣の体当たりを身ひとつで受けたような衝撃を受けて固く歯を食いしばる。
両足をしっかりと床に張ることで吹き飛ばされることだけは防げたが、腕の隙間から見えたそれに彼の双眸は大きく見開かれた。そしてそれは、彼に庇われたジュードも同じだ。
「あ、あれは……!」
『ダ、ダーインスレイヴ……!? それをなぜ貴様が……』
それは、これまでに何度も彼らを苦しめてきた血の魔剣だったのだ。
サタンの片翼が魔剣の姿を形成し、ジェントが発生させた炎を一刀両断したのである。
だが、血の魔剣ダーインスレイヴの使い手はサタンではない、あくまでもアルシエルだった。彼の配下となったアンヘルが使っていたこともあるが、魔剣はアルシエルの手にあってこそ真の力を発揮するというもの。それをなぜサタンが、それも彼の身の一部と一体化しているというのか。
「アルシエルは先日の戦の際、憎きセラフィムに瀕死の重傷を負わされた。だが、辛うじてこの場に帰り着き……俺の力となることを望んだ。死を迎えて肉体を捨てることで俺と同化し、己が持つ魔力とこのダーインスレイヴを俺に託したのだよ」
謁見の間の出入り口付近でヘルメスの治療にあたっていたカミラは、その言葉に視線は思わずサタンの方へ向けた。彼女は水の国の防衛戦に於いてアルシエルと対峙した一人だ、シヴァとフォルネウスはもちろんなのだが、セラフィムの加勢がなければ――恐らくアルシエルには勝てなかっただろう。
そのアルシエルの魔力と魔剣を取り込んだのであれば、サタンの力はあの防衛戦の頃よりも遥かに増しているはずだ。更に神器も聖剣さえも効かない以上、状況が最悪なのは嫌でも理解できてしまう。
「さあさあ、どうするのだ? どこからでもかかって来るがよい、斬りかかってきた次の瞬間には――貴様らの身は真っ二つだろうがな!」
サタンは翼と同化した魔剣を大きく振り回すと、己と対峙するジェント目がけて躊躇なく振るった。
しかし、その一撃は今度ばかりは決まらない。ジュードとジェントを庇うように、彼らの前に神盾を構えたクリフが立ちはだかったからだ。
サタンが振るった魔剣は彼の持つ盾に防がれ、その一撃は無駄に終わった。
「いっつつ……!」
「クリフさん!」
「おい坊主、お前も勇者様も少し後ろ下がっとけ」
盾で防げても、その重い一撃はクリフの腕に軽いダメージを与えることには成功したらしい。けれども、その程度で怯むほどクリフは情けない男ではない。
サタンと真正面から向き合ったままそう言葉を寄越してくる彼に、ジュードは怪訝そうな視線を送る。後退してどうしろというのか、そう言いたいのだ。
「俺みたいなイヤ~な大人より、お前の方が信じるのは得意だろうがよ。……今から戻って四魔将を倒してたらこっちが先にくたばっちまう、だから四神柱を信じようぜ」
「……クリフさん……」
「言っとくけど、俺がこんな風に諦め悪くなっちまったのは確実にお前のせいだからな。だから、さっさと後ろに下がって体力を温存しろ。肝心な時にバテて体力残ってませ~んなんてことになったら、いくら温厚なクリフさんでも怒るからな」
クリフは、本来ならば前線基地で命を落としていたはずの男だ。前線基地にイヴリースが攻め込んできた時、ジュードが彼を見捨てられなかったことで一命を取り留めることができた。彼が「お前のせい」と言っているのは、十中八九その時のことだ。
確かに、今できることはなにもない。ジュードは僅かな逡巡の末に、歯痒い想いを感じながら静かに頷いた。
* * *
一定の距離を保ったまま次々に放たれる風の魔法を前に、ガイアスは守りに徹しながらセヴィオスの動きのひとつひとつを見逃すまいと目を向ける。いくら守りに長けたガイアスと言えど、弱点となる風の魔法を受け続けてその身はボロボロだ。
しかし、彼女はどこまでも冷静にセヴィオスに目を向け続けている。
「きゃはははッ! デカい口を叩いておきながら情けないババアですぅ!」
「(……風の魔将だからでしょうか、それとも単細胞だからですかね。随分とピョンピョン飛び回ること……)」
見た目が女性型だからか、ガイアスにそこまでの頼もしさを抱けない者はそれなりに存在する。現にこのセヴィオスもそうだ、どこまでも彼女を下に見ている。
しかし、彼女は守りの力に秀でた存在だ。例え見た目ではボロボロに見えても、その体力にはまだまだ余裕があった。
そんな時、ふと頭の中に聞こえた声にガイアスはそっと双眸を細める。
「(……ジェント様?)」
それは、彼女たち四神柱がかつて信頼を寄せた勇者の声だ。謁見の間で戦う彼から精神内へ齎された情報に、ガイアスの表情は自然を歪む。
その間にもセヴィオスからは攻撃を叩きつけられているのだから、余計に。
「……なるほど、四魔将とはそのような役割を持っていたのですね。こちらの猿真似など、小賢しいことをするものです」
「はあぁ? なにをブツブツ言ってやがるんですぅ? ついに頭イッちゃいましたかあぁ?」
ふと呟いた言葉はセヴィオスの耳には届かなかったのだろう。イスキアやシルフィード、風を司る者であればその呟きを拾えていてもおかしくはないのだが――セヴィオスたち四魔将はサタンの魔力で四神柱の力を超えたというだけ、それぞれの属性に秀でているとしても神柱たちほどではないのだろう。
ガイアスは口元に薄い笑みを滲ませると両手を己の脇に下ろして、身構えるでもなくその場に佇んだ。
「さて、そろそろババア呼ばわりされるのも飽きてきましたし……マスター様たちのために反撃といきましょうね」
「まだそんなくだらねーこと言ってるんですぅ? 負け惜しみもここまでくるとみっともないですねぇ!」
今度はその言葉を耳聡く拾ったセヴィオスは鼻で笑うと、高く跳び上がって猛烈な速度で急降下を始める。両腕に纏わせた風の刃、その照準をガイアスの首へと定めて。