第二十八話・救出作戦
眼前に迫る触手の群れに双眸を細め、ジュードは上体を低くしながら駆け直撃スレスレで回避し本体へと差し迫る。よくよく見れば本体部分――つまり不気味な肉だが、肉の中に埋もれるヘルメスの腕が見えた。腕には細かな管のような触手がいくつも突き刺さっている、恐らくは彼の血管にそのまま侵入しているのだろう。
あれらを引き抜けば、ヘルメスとカラミティを分断できる――そう思ったジュードは駆けながら聖剣を振るった。
「ギイィッ!」
「邪魔なんだよ!」
ジュードが振り回した聖剣は、彼の身に後方から迫っていた触手の群れを一息に斬り捨てる。
だが、斬れた箇所からすぐに真新しいものが生えるのを視界の端に捉えるとジュードは背筋がゾッとするのを感じながら、ひとつ舌を打ってから真横に跳んだ。ヘルメスの身から本体を引き剥がしたくとも、これではいくら動体視力と器用さに優れた彼でも狙いを付けられない。引き剥がそうにも、下手をすればヘルメスごと叩き斬ってしまう。
見えるのは腕だけ。彼の肉体がどの辺りにあるのかさえわからないのだ。
「(けど、呑み込まれてるわけじゃなさそうだ。あくまでも外側から寄生されてるだけ……)」
ジェントにサポートしてもらっても、流石の彼でも全ての触手を薙ぎ払い続けることは難しいだろう。どうするか――そう思案するジュードの傍に寄ったのは、これまでも共に前線で戦ってきたウィルとリンファだ。
いずれもジュードより一歩前に出て、各々武器を構えて肩越しに振り返った。
「ウィル、リンファさん……」
「一人でカッコつけようとすんなよ、神器が効かなくたって鬱陶しいあのウネウネと斬り捨てることくらいならできるさ」
「はい、それにジュード様……お辛いのでは? できるだけ視界に入らぬよう気を付けながら私たちで散らします」
リンファの言葉にジュードは思わず薄く苦笑いを浮かべた。それと同時に、本当に彼女はよく仲間を見ていると痛感する。
こうしている今も、カラミティの触手はジュードの目にはヘビのように映る。いつもならば喧しい悲鳴を上げて暴走していてもおかしくはないのだ。だが、そうなってしまっては恐らくヘルメスに構わず斬り捨ててしまう。
視界に入らないように気を付けながら――リンファの言葉が指し示すのは、ジュードにとってはヘビに見える触手が、だ。
「それに、グラムさんに考えがあるみたいなんだ。だからお前は余計なこと気にしないで、ヘルメス王子を助けることにだけ集中しろ」
「わ、わかった」
その言葉にジュードは一度チラリと父の方へ視線を投じたが、その考えを聞いているだけの余裕はない。すぐにカラミティへと視線を戻し、再び飛び出した。
ウィルとリンファはそのすぐ後に続き、しっかりと武器を握り締める。各々、頭に浮かぶものは異なるが胸中に宿る想いだけは同じだった。
「(家族を喪うってのは本当にキツいモンだ、可愛い弟分にそんな想いさせるわけにはいかねーからな)」
「(兄さん……どうか、力を貸してください。私と同じ想いを、ジュード様に味わわせたくないのです)」
ウィルもリンファも、家族を亡くした身だ。どちらも共に、ジュードにそのような想いを経験させたくない、そう思っていた。
案の定、駆け出したジュード目がけてカラミティは再び無数の触手を叩きつけてくる。だが、リンファは真上から迫るそれらに照準を合わせると双眸を細め遣り、強く床を蹴って跳び上がった。
「やらせません!」
「上からも横からも……よくもまぁ、こんなにウネウネ出せるもんだ!」
高く跳躍したリンファは両手に携える神双アゾットを問答無用に振るい、可能な限り中ほどから触手を切断していく。すぐに再生してしまっても、怯むことはない。生えてくるのなら生えてきた矢先に斬り捨てるまで――そう思いながら、躊躇なく神器を振り回した。
その一方で、ジュードに両脇から飛翔する触手の群れはウィルが巧みに操るゲイボルグにより薙ぎ払われていく。槍は短刀と異なり、得物が長いために速い斬り返しには向かない。
しかし、一度大きく槍を振るうとまるで呼応するかのように周囲には風の刃が発生する。例え光の力が効かなくとも、神器が持つ個々の属性ばかりはカラミティでは防ぎ切れないのだ。それでも暴れ回る分は――ジュードの中から飛び出てきたちびが加勢して払ってくれる。
「ギイイィッ!!」
すると、カラミティはまるで怒ったような声を上げて、今度はそれらの照準をウィルとリンファへと向けた。彼らの真後ろや頭上といった死角から問答無用に触手を突き出したのだ。ジュードよりも先に彼らから始末する、そういうことだろう。
だが、カラミティの触手は二人の身に直撃するよりも先に、抉れた大地から飛び出してきた植物のツタによって絡め捕られてしまった。
「……ルルーナ!」
「っ……へえぇ、結構上手くいくものなのね。流石は神器ってところかしら。まったく役に立たないなんてことないじゃない、無力化だなんて笑わせてくれるわ!」
「ひ、ひええぇ……ガンバンテインって植物まで操れるの? あんたって鞭みたいなのと相性いいのね、もっといっぱい出してガーッと縛っちゃいなさいよ、そういうの得意でしょ」
「うっさいわねぇ! 集中できないでしょ!? この後はサタンを倒すんだから、アンタはクリフさんとカミラちゃんのところで今のうちに魔力でも貯めておきなさいよ!」
それは、ルルーナが操る地の神器ガンバンテインの効力だ。カラミティに杖の先端を向けたルルーナの意志に応えるかのように、地中から次々に植物のツタが飛び出てくるなり触手を捕まえていく。
だが、慣れない能力とカラミティの抵抗に集中力を保つのは難しいのだろう。ルルーナは珍しく奥歯を噛み締めて、美しいと称される風貌に苦を滲ませた。そんな状態でも、横からかかるマナの言葉に反論するだけの余裕はあるようだが。
「な~にやってんだか……ったく、あの二人は……」
それをやや離れた場所で見守っていたクリフは、呆れ顔で苦笑いを滲ませる。傍にいたカミラはそんな彼の後方に佇んだまま一度彼女たちを見遣ったが、その視線はすぐにカラミティの本体部分へと吸い込まれるように戻っていった。
祈るように胸の前で手を合わせ、沈痛な面持ちでぐっと下唇を噛み締めて。
「(ヘルメスさま……どうか、どうかご無事で……)」
ジュードは本体の真正面に行き着くと、辛うじて見えるヘルメスの腕を思い切り掴んだ。手の平に伝わる彼の体温は低い。しかし、ジュードが掴んだことで微かにその腕がピクリと動いて反応を返してきた。
生きてる――それを理解するなりジュードの顔には思わず、場に不似合いながら安堵したような表情が滲む。それと同時に、今にも消え入りそうな声が鼓膜を揺らした。
「……ジュー、ド……お前、か……」
「――!」
それは掠れた、とても弱々しい声だった。
貴様は私が殺す――そう言ってきたあの時の声と本当に同じものなのかと疑いたくなるほど。ジュードは持っていた聖剣を一度己の脇に抱えて押さえると、その手で顔があると思われる場所の肉を引きちぎった。
「……もう、よい…………殺して、くれ……このまま……」
肉に埋もれていた先、そこは見事にヘルメスの頭や顔部分だったようだが、その姿を見てジュードは思わず双眸を見開いて絶句した。
母テルメースに似て美しかった風貌は顔の右半分が暗い紫色に変色し、ジュードと同じ翡翠色の綺麗な双眸は右が完全に光を失っている。頬やこめかみ部分にも細長い管が差し込まれ、じわりじわりと侵食は続いているようだった。
言葉を失くしたまま動けずにいるジュードの肩に、ヘルメスの頭横から勢いよく突き出た触手が突き刺さる。刃物のような鋭さを持ったそれは深くまで到達し、ジュードは激痛にようやく意識を引き戻した。
「ううぅ……ッ! この……っ!」
「……っ」
「あ、あれ?」
ヘルメスを助けようと奮起するジュードを嘲笑うかのように肩に突き刺さる触手にジュードは歯を食いしばって表情を顰めたが、それは血肉を喰らうことをしないまま、程なくしてゆっくりと引き抜かれていく。
ハッとなって弾かれたようにヘルメスを見てみれば、彼は苦しそうに眉根を寄せて目を伏せていた。微かに残る力を振り絞って、ジュードに突き刺さった触手をヘルメスが抜いてくれたのだ。しかし、その意思はすぐにカラミティに呑まれてしまうだろう。最早、彼が自らの力でできることなどほとんど存在しない。
ヘルメスは静かに目を開けると、そっと双眸を細めて薄く笑った。
「……私が死ねば、神器の力も……通用するように、なるだろう……さあ……早く……」
その言葉に、ジュードは思わずヘルメスの身の周辺を見回した。
見るのもおぞましいほどの肉の塊はヘルメスの背中にべっとりと貼り付いていて、どれだけの管が彼の肉体に侵入しているかさえ定かではない。こうしている間にもウィルやリンファ、ルルーナは必死にジュードを守ろうと奮闘している。
ヘルメスの言うように彼を殺すしかないのか――そう思ったが、そんな時。不意に頭の中にヴァリトラの声が響いた。
『(王子よ、聖剣だ。聖剣を使え!)』
「……え?」
『(忘れたか、お前の聖剣アロンダイトはジェントの魂を取り込んだことで聖属性を持つようになったのだぞ。こやつが光の力を抑えることはできても、セラフィムが司る聖属性まで封じることはできぬはず。思い切り奴に突き刺してやれ!)』
「(……! そうか!)」
ヴァリトラは言っていたはずだ、聖属性は全ての属性に効果的なのだと。
ならば、聖剣ならこの不気味な肉の塊にも強力な打撃を見舞うこともできるはず。脳内に響く言葉を理解するなり、目の前が綺麗に晴れた気がした。
ジュードは脇に抱えた聖剣を勢いよく引き抜くと、一度ヘルメスの腕から手を離し、両手で構える。そうしてヘルメスの顔の横辺りに聖剣の刃を思い切り突き刺した。
「グギイイィッ!!」
「離せよ、この野郎ッ!!」
すると、カラミティは聖剣そのものを嫌がるようにいくつも鎮座する口から甲高い悲鳴を上げて悶え始めた。左右から聞こえてくる悲鳴は耳に喧しくジュードは思わず表情を顰めたが、片手は聖剣を握ったまま逆手で改めてヘルメスの腕を引く。
カラミティの侵食の力が弛んだのか、ヘルメスの身に差し込まれていた細い管がずるりと抜けるのを目敏く確認して、ジュードは両足をカラミティの肉に添え、思い切りその腕を引っ張り始めた。
だが、力の源をそうそう簡単に渡しはしないとばかりに、ジュードの背中側から一際太く鋭い触手の群れが差し迫る。
「おおっと、ウチの息子に触らんでくれよ」
「と、父さん! ……あれ?」
その触手がジュードの身体に届く前に、それは間に割って入ったグラムによって綺麗に切断された。その上、切断された触手はこれまでと異なり、再生しない。
目を凝らして見てみると、グラムにより叩き斬られた触手は切断部が分厚い氷を纏い、完全に凍結していたのだ。
「ハッハッハ、集中するのに随分と時間がかかってしまったが、凍らせれば再生できなくなるのではないかと思ってな」
「そ、そうか、バルムンクの力で……!」
先ほどウィルが言っていた「考えがある」とはこのことだったのだろう。カラミティの触手は凍った部分を再生できず、必死にもがいている。
それを見てサタンは面白くなさそうに切れ長の双眸を細めると、玉座から静かに立ち上がり片手に紅蓮の炎を纏わせた。目敏くそれを見つけたカミラは、咄嗟に声を上げる。
「――! みんな、サタンが!」
「もう遅いわ! 貴様ら全員、そのまま死ぬがいい!」
カミラが叫んだことでウィルやリンファは慌てたようにサタンの方を見たが、回避は間に合いそうもない。仲間の視線がそちらに向くのと、サタンが紅蓮の業火を放つのはほぼ同時だった。
無情にも放たれた炎は、今まさにカラミティごとジュードたちを呑み込もうとしたものの――それは叶わない。猛然と迫った炎は彼らに届くことはなく、青白く光り輝く水に包まれ寸前で掻き消されてしまったからだ。
その様にサタンは怪訝そうな表情を滲ませるが、すぐにその顔を憎悪に染め上げていく。
『言ったはずだ、貴様が横槍を入れるのならば俺が防ぐと』
「ジェント……貴様……ッ!」
『横槍を入れるのは焦りがあるからか? 偉そうにふんぞり返っていたわりには予想よりも早く仕掛けて来たじゃないか、魔族の長ともあろうものが情けない』
当然、サタンの炎を掻き消したのはジェントだ。淡々とした口調で羅列されていく言葉は的確に、そして確実にサタンの怒りを買うことに成功したらしい。
その怒りの矛先と照準が己に向くことを痛いほどに感じたジェントは、背中越しに仲間の大体の位置を把握し流れ弾が飛んでいかないようにと、壁を背中にして佇む。その意図に気付いているのか否か、サタンは口元に薄笑みを刻みながら両手に再び炎を纏わせ始めた。
ジュードがヘルメスを助け出すまでの間だけだ、聖剣も持たぬ状態でサタンと互角にやり合えるなどジェントとて思っていない。それまでの時間稼ぎができればいい――それだけだった。