第二十話・不気味な館
街を出たジュード達は、馬車を使い北西の館へと向かった。吸血鬼に連れ去られた街の少女達、そしてカミラとルルーナを助ける為である。
マナはウィルに言われた通り、持ってきていた幾つかの水晶に火の魔力を込めた。それをジュードが武器に装着させ、特殊な土台へとまじないを彫る。
即席だが、火属性を持つ武器の出来上がりである。本来ならばしっかりと土台そのものを武器に装着、固定させじっくりとまじないを彫るのだが、今回ばかりは仕方がない。時間がないのだ。外れさえしなければよかった。
ジュードは馬車の中で、剣の柄下部に装着された紅水晶をジッと見つめる。火の魔力を宿した水晶は紅の色を纏い、淡く光っていた。
マナはそんなジュードを無言で見つめていたが、やがて馬車が止まると窓越しに外へと視線を向ける。
「着いたみたいね。ジュード、行ける?」
「ああ、行こう!」
マナの言葉にジュードはしっかりと頷き立ち上がると、馬車の扉を押し開いた。
手綱を握っていたウィルも馬の後ろ部分から降り、気を引き締めるように小さく一息洩らして館へと視線を投じる。
馬車を降りたジュードとマナはウィルの傍らへ歩み寄り、同じように館を仰いだ。
「……いかにも、って感じね」
ジュード達の前には、鬱蒼と生い茂る木々。館は、そんな木々に囲まれた場所に聳え立っていた。
館全体の外観は深い焦茶色をしていて、一見すると黒にも見える。所々に苔が生え、あまり手入れはされていないような印象を受けた。屋根は赤く、まるで血の色だ。
また、今現在の時間帯もその不気味さを醸し出す要因となっている。
街を発った時はまだ明るい時間帯だったのだが、幾ら馬車での移動とは言え時間が掛かる。すっかり夕暮れに差し掛かり、辺りは徐々に暗くなり始めていたのだ。
だが、ジュードは特に足踏みすることなくウィルとマナを振り返る。
「確かにそうだけど、怖がってても仕方ないさ。捕まってる人達はきっともっと怖い想いしてる」
「そうね、行きましょう。早く助けてあげなきゃ」
ジュードの声にウィルとマナは頷きを返し、先を歩き出す彼の後に続いた。
不気味さを漂わせる場所。そんなところであっても臆さないジュードは、やはり妙に頼りになる存在であった。時にその無謀さが不安を生み出すこともあるのだが。
両開きの扉をゆっくり開くと案の定、蝶番の軋む音が響いた。見た目の印象と変わらずやはり古く、あまり手入れはされていない館らしい。
メンフィスが用意してくれた屋敷の造りに似ている部分があり、まず玄関を潜り見えたのは広い――宿で言うロビー部分。右左何れにも二階に続く階段があり、奥には両開きの扉が見える。階段下にもそれぞれ左右に分かれた通路が存在しており、何とも分岐の激しい造りであった。
この館の何処に少女達が囚われているか、全く分からない。
「広いなぁ……」
「どこから行く? 地道に探すのもいいだろうけど、あんま時間はかけたくないよな」
「そうね、こんな不気味な館は早く出たいわ」
ジュード、ウィル、マナ。それぞれ呟くと、取り敢えずとジュードが近場の部屋へと視線を向けた。
まずは近場から当たってみるかと思ってのことである。部屋の造りも分からない以上、試しに行ってみることも時には必要だ。
ジュードは静かにそちらに歩み寄ると、やはり予想通りに古びた扉を静かに押し開いた。外観だけでなく、館の中も手入れなどはされていないようだ。
「……暗いな。明かりってのは――うわっ!」
館の中は全体的に薄暗い。
明かりはあるのだが必要最低限以下のものであり、魔族とも魔物とも異なるごく普通の人間のジュード達には、視覚にやや不安が残る。人間はあくまでも肉眼に頼るしかなく、魔物や一部の動物、魔族などの暗闇をものともしない眼は持ち合わせていないのだ。
室内に明かりはないのかと、ジュードは開いた隙間から室内に目を向けはしたのだが、不意に暗闇から何かが飛び出してきた。
ジュードは咄嗟に後ろへ飛び退き、勢い良く飛び出てきた――何やら白い帯状のようなものに目を向ける。ウィルもマナもそれぞれに武器を構え、宙を舞う正体不明の何かを見上げた。
程なくして、正体不明の帯状のものは大きな灯火のような形になった。中央部分には黒い目と口があり、笑うように開かれた口からは人間の舌に酷似したものが垂れている。
ケタケタと子供に似通う笑い声を上げて、ジュード達を見下ろした。
――実体を持たない魔物、ゴーストだ。
比較的涼しく、そして暗闇を好んで生息する魔物である。大して強くはないが、実体を持たない為に武器による攻撃が効かないことが厄介だ。風の国ミストラルの一部の森でも、夜になると出て来ることがある。
つまり、ジュード達も多少は見慣れた、そして戦い慣れた魔物だった。
「ファイアボール!」
ゴーストの姿を確認するとマナは素早く詠唱を終え、複数の火の玉を飛ばして攻撃を加えた。
初級クラスの火属性攻撃魔法の『ファイアボール』である。習えば誰にでも扱えるようになる――非常にありふれた魔法と言えた。
だが、ゴーストには効果があり、その半透明の身は苦痛の声を上げながら一瞬にして燃え尽きた。
ジュードとウィルがポカンと口を半開きにしてマナを振り返ると、彼女は得意げに笑って構えていた杖を下ろす。
「こんなザコ敵に構ってるヒマはないでしょ。さあ、次よ!」
確かにマナの言葉通りであった。
魔法を使う精神力には限界がある。あまり途中で使い過ぎてしまっては、いざと言う場面で肝心な魔法を扱うだけの精神力がなくなっている、なんてことになりかねないからだ。
極力、関係ない敵に遭遇することなく囚われている少女達を見つけて、吸血鬼を退治しなければならない。
「……あ」
「ジュード、どうした?」
「これ、使えないかな」
ゴーストが飛び出してきた部屋。ジュードが改めて視線を向けて中を覗き込むと、近くの壁に据え付けられていた蝋燭に目を向ける。
壁から燭台ごと取ってしまうと、ウィルを振り返った。それを見てウィルは眉を上げて笑ってみせる。
「松明代わりに使おうってんだな。よし、持ってこうぜ。こう暗くちゃ気分も滅入るってモンだ」
ウィルの言葉にジュードは頷き、明かりを片手に奥の通路へと目を向けた。
* * *
カミラとルルーナは、自分の後ろに控える少女達を時折振り返り、また改めて正面へ向き直る。通路の冷えた空気に小さく白い息を洩らしながら、ゆっくりゆっくりと通路を先に進んだ。
少女達の表情には恐怖と期待が混ざり合っている。だが、カミラもルルーナも確かな緊張を感じていた。
「(近い、何かが近くにいる……)」
辺りには、他に部屋はない。あるのは長い通路と、その先に見える扉だけである。部屋に閉じ込められる前に歩いた、長い長い通路だ。
今度は、館から出る為にこの通路を歩いていた。
見付からずに出られれば、少女達を街に帰すことが出来るのだ。
閉じ込められていた彼女達は、吸血鬼の食事の為に少女を一人連れ出しに来た腐敗生物を叩き伏せ、鍵を奪って脱走したのである。奪った鍵で手枷を外し、少女達の身は自由になった。
カミラは剣を片手に先頭を慎重に歩く。
「(剣を奪わなかったのは、それだけ余裕だと言うこと……)」
囚われ、閉じ込められる際にカミラは持っていた剣を奪われなかった。それは恐らく、吸血鬼の余裕だ。
剣を持っていたところで恐れる存在ではないという余裕と、完全なる軽侮。
カミラは眉を寄せて、キツく剣を握り締めた。
「(とにかく、今は街の人達を帰してあげないと)」
ジュードの仇を討つのはその後でも出来る、と。カミラは余計な考えを頭から追い出して再び歩き出す。それに、まだ吸血鬼にかけられた禁術が解けていない。これでは勝てる見込みはほとんどないだろう。今は生きて外に出ることが最優先だ。
しかし、全て上手くはいかないものである。
「……!」
長い通路を抜けた先。
食事となる少女を迎えにいったアンデッドがなかなか戻らない為か、様子を見に来たと思われる黒い甲冑を纏った二人の騎士と鉢合わせてしまったのだ。
カミラは息を呑み、ルルーナは身を強張らせ、少女達は思わず高い悲鳴を上げた。
騎士二人はカミラ達の姿を目の当たりにすると、手にしていた槍を持ち上げゆっくりと近付いてくる。
カミラは剣を構え、騎士二人の背後に見える廊下と扉を確認した。
そうして、床を蹴って勢い良く駆け出す。捕まえようと手を伸ばす騎士の手を避け、右側へと跳ぶ。注意を引く程度に剣を振るえば、騎士二人はカミラへ身体ごと向きを変えた。それを見て彼女は叫ぶ。
「――今です、扉まで走って!」
「……っ、さ、さあ! 行くのよ!」
カミラの言葉に一度こそルルーナは息を呑むものの、後ろの少女達へ向けて声を上げる。空いた左側の隙間を少女達は一斉に駆け抜け、ルルーナもその後に続いた。
距離が開いたところで後方を振り返り、騎士達と斬り結ぶカミラへ声を上げる。
「カミラちゃん! 早く!」
「はっ、はい!」
少女達が扉を潜っていく様子を視界の片隅に確認し、カミラは内心でそっと安堵を洩らす。彼女の頭には館の構造が入っている。
あの扉を潜れば、出口はもう近い。ここをやり過ごし必死に全員で走れば、恐らくは館から無事に出られる筈だ。
カミラは振り下ろされた槍を剣で受け止めると、刃を寝かせることでいなす。素早く半歩横にずれ、思わずバランスを崩した騎士の後頭部を、柄の下部で殴り付けることでその場に倒した。頭全体を覆うフルフェイスの兜の為、ダメージには期待出来ないが衝撃だけは与えられたらしい。
倒れた騎士を確認することもなく、カミラはルルーナの元へと駆け出す。ルルーナはそれを見て、表情に安堵を滲ませた。
――だが。
不意にルルーナが紅の双眸を見開いたかと思えば、次の瞬間――カミラは右足に激痛を感じた。
足に上手く力が入らず、駆ける勢いそのままにうつ伏せに転倒してしまう。全身に走る痛みにカミラは表情を歪めながら、一体何が起きたのかと肩越しに後方を振り返ってみれば、彼女の間近の床に騎士の槍が突き刺さっていた。
騎士は後ろからカミラに槍を投げ付け、その刃が彼女の右足を抉ったのだ。
傷を負った箇所から伝わる痛みにカミラは表情を歪めながら、歩いてくる騎士達を見遣る。しかし、すぐにルルーナに目を向けた。
「ルルーナさん、行って!」
「え……っ、で、でも……!」
「――早く!」
一度こそルルーナは躊躇ったのだが、間髪入れずに促されて機械人形のようにぎこちなく、そして小さく頷く。キツく口唇を噛み締め、後ろ髪を引かれる思いで駆け出した。
待っていてくれたのか、扉近くにいた蒼褪める少女達を促してルルーナは彼女達と共に扉を潜る。
――カミラはもうダメだ、そう思いながら。
ルルーナを含める少女達が逃げ出してしまったのだから、館にはもう女は残っていない。捕まれば必然的にカミラが今夜の食事になるのだ。
ルルーナは表情を歪ませ、片手で胸元を押さえる。
『今度はわたしとお祭り回ろう?』
そう言って笑ったカミラの顔が、声が、言葉が。ルルーナの頭から離れない。
二人いた騎士の片割れは、今もルルーナ達の後ろから追いかけて来ている。余計なことは考えていられないのだ。
だが、振り払おうと思えば思うほど、ルルーナの頭はカミラのその言葉を再生した。
「(あんな子、大嫌いな筈じゃない! 仲良くしたのだって、後で泣きを見せてやろうとしただけだっていうのに――!)」
背後からは騎士の足音がどんどん近付いてくる。辺りからは少女達の悲鳴が聞こえた。
ルルーナは走りながら、不愉快そうに――しかし、泣きそうに表情を歪ませて心の中で叫んだ。
「(――なんでこんなに胸が痛いのよ!)」
その時、少女達の悲鳴が一層高く、大きくなった。一体何事かと、ルルーナは無理矢理に意識を引き戻す。そして肩越しに後方を振り返り、双眸を見開いた。
追跡してきた騎士はルルーナのすぐ真後ろまで迫り、今まさに彼女の身を捕まえようと両腕を上げたのだ。次の瞬間、抱き込むように勢い良く腕が振り下ろされる。
――捕まる……!
ルルーナはそう覚悟して固く目を伏せた。