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第二十四話・ヴェリアの記憶


 朧気に残る記憶の断片。

 優しく笑う見た目美しい少年が、いつも朗らかに笑って頭を撫でてくれた。あまりにも幼い頃の記憶ゆえにハッキリと覚えてはいないが、そんな日常のひとコマがあったのは確かだ。

 艶やかな金糸、宝石のように透き通った翡翠色の双眸。子供らしく丸みを帯びた頬。


『まったく、また部屋を抜け出してきて……ほら、早くお入り。風邪を引くよ』

『わーい!』

『こら、もう夜だぞ。そんなに大きい声を出すんじゃない』


 夜遅くヘルメスの部屋を訪れたジュードに対し、彼は嫌な顔ひとつせずに暖かく迎え入れてくれた。言葉とは裏腹に、とても優しく笑いながら。

 部屋の中に飛び込んだジュードは広い床をちょろちょろと駆けずり回った後、机に置かれたままの分厚い本を見つけて駆け寄った。ヘルメスは静かに部屋の扉を閉めると、ふあ、と眠たげに欠伸をひとつ。


『僕見てたよ、兄上この本を読んですごく困った顔してた』

『ああ……うん。ジイたちが今晩のうちに全部読んでおくようにって言うから……』


 当時、ヘルメスはまだ幼い王子だった。だが、次期国王と言うこともあり、大臣を始めとした教育係の者たちはそんな彼にあれこれと様々な知識を叩き込もうとしたものだ。

 ヘルメスはそれら全てを吸収し、見事にその期待に応えていたものである。もっとも、そのせいでますます教育に熱が入ってしまったようだが。


 ジュードは机の上に置かれていた本を両手で持つと、近くにあったゴミ箱に捨ててしまった。それを見てヘルメスはギョッと双眸を見開き、大慌てで弟の傍まで駆け寄る。


『こ、こら、なにをするんだよジュード!』

『だって、こんな本があるから兄上がそんなに苦しそうなんだ。そのうち兄上がわるい病気になっちゃう気がする』

『……』

『僕やだよ、兄上が病気になったら泣くからね』


 弟の言葉にヘルメスは双眸をまん丸くさせると、咎めようとした手は行き場をなくして力なく脇に降りた。なんとなく悲しそうな顔をするジュードを見てヘルメスは暫し黙り込んだが、たっぷり数拍の沈黙を挟んでから、その手でやんわりと弟の頭を撫でつける。


『……大丈夫だよ、僕は立派な王になるんだ。でも父上がすごく立派な分、ちょっと自信はない。だから大きくなったら、ジュードが僕を助けてくれるかい?』

『うん! 兄上をいじめるようなやつがいたら、僕が全部やっつけてあげるね!』

『はは、それは頼もしいな。約束だよ、ジュード』


 そう言って笑ったヘルメスは、どこか照れくさそうではあったものの、とても嬉しそうだった。


 * * *


 王城に飛び込んだジュードとグラムは、あちらこちらから湧いてくる魔族の群れと衝突していた。

 けれども、苦戦を強いられると言うようなことはない。ちびやジェントが加勢してくれる分、随分と楽だ。

 それに加えて、王城に突撃してからというもの、ジュードの動きがこれまでとは随分と異なっている――グラムはそう感じていた。


「(……ヴァリトラがサポートしているのか? 無駄な動きがほとんどない、まるで別人のようだ)」


 グラムは、彼と繋がるヴァリトラがなんらかの影響を与えているのではと思ったのだが、それは違う。

 城に突入してからというもの、ジュードの中にはまた別の――忘れてしまっていた記憶が次々に甦っていた。ヘルメスに関する記憶も、その中のひとつだ。


 間違いなく幸せだった当時。

 それを壊したのは、他でもない――目の前にいる魔族と、その親玉のサタンだ。

 そう考えると、腸が煮えくり返りそうなのに頭は妙に冷静だった。どこまでも冷静に、それでいて容赦なく聖剣と神牙を振るう。

 現在使用しているのはあくまでも共鳴(レゾナンス)のみ。交信(アクセス)さえすることなく、襲い来るガーゴイルとエリゴスの群れを打ち払っていた。


「(……そうだ、ヘルメス王子とそんな会話したっけ。小さすぎて所々抜け落ちてるけど、大きくなったら助けになるって約束したんだよな)」


 次々に頭に浮かんでくる記憶に意識を向けながら、魔物の群れを流れるような動作で薙ぎ払っていく。ジュードの想いに応えるように聖剣そのものが眩い光を纏い、これまで以上の切れ味を発揮していた。

 ジュードは聖剣を己の顔の高さに上げると、神牙を持つ逆手を脇に下ろす。そうして少しばかり離れた場所で奮戦していたグラムに声をかけた。


「――父さん、オレの後ろに!」

「む? あ、ああ、わかった」


 突然の言葉にグラムは思わず瞠目したのだが、それまで交戦していたエリゴス数体を両手で持つ神剣で力任せに振り払ってしまえば素早く後方に飛び退いて言われるままジュードの後ろへと入り込む。

 すると、一ヵ所に集まったジュードとグラムを同時に叩こうとエリゴスとガーゴイルの群れは一斉に飛びかかってきた。


 だが、ジュードはそれを狙っていたのだ。今はまだ城の中に突入したばかり、謂わば出入り口。

 一階の出入り口エリアを埋め尽くす魔族の群れを一匹一匹相手にしていたのでは、流石に骨が折れる。ならば、自分たちに群がったところを一気に叩いてしまえばいい――そう考えたのである。

 敵の攻撃が身に触れるよりも前に、聖剣が一際強く光を放つとその刹那。ジュードの身を中心に光と風の刃が渦を巻いて城内に爆ぜるように広がった。それらは敵の身を容赦なく斬り裂き、辺りに大量の血を飛び散らせて城内を鮮血で穢していく。


「……」


 文字通り一瞬で片づいてしまった戦闘に、助かったとは思ったのだが――グラムは言葉もなくジュードの背中を見つめる。

 ジュードと言えば、少し前まで魔物の命さえ奪うことができなかった身だ。

 どれだけ危険な存在であると言っても躊躇が抜けず、そのせいで生傷をこさえることも多かった。そのジュードが、このような方法で敵を屠るということがグラムにとっては意外だったのだ。


「(……この戦いが、魔族が……お前をこうまで変えてしまったのか。これほどまで容赦のない戦い方をする子ではなかった……)」


 かわいそう、などと言っていては逆に自分が命を落としてしまう。そのため、こんな風に変わるしかなかったのだろう。

 やはり、このような戦いはもう繰り返してはならない。

 そう思って、グラムは固く神剣を握り締めた。今後、二度と魔族が現れぬようにサタンを完全に仕留めなければならないと。


「父さん、城の作りは変わってないみたいだ。サタンがいるかはわからないけど……この先が謁見の間のはずだよ」

「わかった。では、行こうか。謁見の間にいなければ探す必要があるからな」


 魔族の親玉ともあれば、どこか隠し部屋にでもいる可能性がある。探す手間がかかると、それだけ余計な時間を取られてしまう。

 ぐるりと簡単に見回してみても、この王城は元々ヴェリアの城だったこともあり非常に広そうだ。両脇には大きな階段が設けられ、それぞれ片方は二階、もう片方は地下に繋がっている。これだけでも選択肢は三通りになる。

 真正面に見える謁見の間へ通じる扉に行くか、二階に行くか――それとも地下か。

 とにかく、ジュードが言うようにまずは謁見の間へ突撃してから考えてもいいだろう。


 ジュードは一度ちらりと辺りに転がる魔族の死骸を見遣り、複雑そうに眉根を寄せる。だが、すぐに意識と視線を外してしまうと奥に見える両開きの扉へと駆け寄った。



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