第二十三話・魔将再び
魔族の本拠地となっている旧ヴェリア跡地の城周辺は、黒い馬に跨る騎士団で固められていた。甲冑を着込み、片手で軽々とハルバードを振り回してくる厄介な相手だ。
ひとたび薙ぎ払われると、いくらヴァリトラの力で強化されていようと人の身などただの肉塊となってしまうことだろう。幸いにも巻き込まれた者はいないが、近場にいたガーゴイルやデーモンの身は――首や胴体部分から切断され、物言わぬ屍と化していた。
「抵抗が強過ぎる、これでは乗り込めんぞ!」
「エリゴスという魔族です、奴らは群れを成して人間の騎士団のように戦います」
「じゃあ、こいつらも親玉を叩けば……?」
『いや、エリゴスはサタンを守る親衛隊だ。サタンを倒さない限りは退くことはない』
グラムもジュードも、敵の騎士団の勢いに押されてなかなか城まで潜入できずにいた。あと一歩、というところで足止めを喰らっている。
こうしている間にも、後方からは仲間たちが進軍してきているだろう。これではすぐに混戦になり、無駄に消耗してしまう。
ジェントは周囲に素早く視線を巡らせると両手に淡い青の輝きを纏わせていきながら、上空のセラフィムを振り仰いだ。
『……セラフィム』
「はい、ジェント様。この場は我々に任せ、皆さまは先にお進みください」
ジェントの言わんとすることは言葉にされずとも理解できたらしく、セラフィムは向けられる呼びかけに静かに頷くと槍を天高く掲げた。すると、彼女の周りには無数の光が出現し、それらは少女の姿を形成していく。
セラフィムが指揮を執る天空の騎士団、ワルキューレ部隊だ。現在も他の部隊の護衛としてあちらこちらで奮戦しているが、ここに来て更に数を増やそうと言うのである。
そんなに大量に召喚してセラフィムの負担にならないのかとジュードは心配になったのだが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。少しでも戦力を増強したいところなのだから。
『ジュード、グラム殿、突破口を開く。奴らが怯んだら城に突撃しろ』
「承知致しました」
「は、はい」
ジェントは短く呟くと光を纏わせた両手を空へ勢いよく突き出す。
すると、青の光は猛烈な速度で空へ放たれ――刹那、天空で大きく爆ぜた。細かく砕けた光は重力に倣い地上へと落ちていく最中にぐんぐんと鋭利な氷を纏い、地上で暴れ回るエリゴスたちへと容赦なく頭上から襲いかかる。
最後の訓練の際、瞬時に仲間を叩き伏せた水と氷の複合技、氷雨だ。
「グオオオォッ!!」
無数に降り注ぐ鋭利な氷の雨は、行く手を遮るエリゴスの群れを次々に打ち倒していく。
だが、ボーッと突っ立って見ているわけにはいかない。エリゴスは倒しても倒しても、すぐになにもない空間から瞬く間に補充され、数を補っていくのだ。恐らくはサタンを倒さない限り、ほぼ無限に増えるのだろう。
城の出入り口を塞いでいた群れが氷の雨に倒れるのを目の当たりにしたジュードとグラムは、その隙を見逃さずに突撃した。
「ウィルたちもすぐに追いついてくるはずだ、ゆくぞ、ジュード!」
「うん!」
だが、城の門を潜り抜けたジュードとグラムを見逃さず、目敏く見つけた数体が両脇から飛びかかってくる。この旧ヴェリア跡地は魔族の本拠地ともあって、敵の抵抗がこれまでとは比較にならない。払っても払ってもキリがないほどだ。
しかし、両脇からの攻撃は二人に届く前に腕ごと武器を斬り落とされたことで届くことはなかった。
「ギャウウウゥッ!」
『まるでゾンビ兵だな、次から次へと……よくもこんなに湧いてくるものだ』
ジュードの中から飛び出したちびと、彼の傍に常に付き添うジェントだ。ちびが左、ジェントが右側に位置することでジュードとグラムに向けられる攻撃を薙ぎ払っていく。
城の中も魔族の群れで溢れていることを思えば、頭であれこれと考えるよりも先にジュードの表情はうんざりしたように歪む。しかし、駆ける最中にも彼の視線はあちらこちらへと向けられていた。
「(……ヘルメス王子はどこにいるんだろう。メンフィスさんと約束したんだ、絶対に連れて帰らないと……)」
ヘイムダルから北上し、現在に至るまでの道中でヘルメスの姿を見つけることは叶わなかった。メンフィスと約束したから、ではなくジュードとて彼に会いたいとは思う。実の兄なのだから。
この手で殺す、と言われようが、どうしてもヘルメスと話がしたいという気持ちの方が強かったのだ。
だが、群れの中から彼を探しているだけの余裕はない。ヘルメスを無事に保護するには――この中から時間をかけて探し出すのではなく、少しでも早くサタンを撃破すること。
城の中にいてくれれば、サタンの元へ向かう途中で保護することもできる。
一度こそ周囲の群れに視線を向けるものの、どこか悔しそうに下唇を噛み締めるとジュードはグラムと共に城の中へと飛び込んだ。
* * *
「なんて数なのよ……前線部隊は大丈夫なの?」
「ジェントさんとセラフィムが一緒だから大丈夫だとは思うけど……」
ルルーナとカミラは、配置された中央部隊で周囲に視線を向けていた。
前線部隊の後方を進軍するこの中央部隊からでも、敵の数が昨日とは比べものにならないことは容易に理解できる。空を黒く覆い尽くすガーゴイルの群れの数は、昨日よりも遥かに多い。
中央部隊からも簡単に確認できるほどだ、最前線で休みなく戦うジュードやグラムは大丈夫だろうか――それが心配になった。
「大丈夫ですよ、そのためにわたくしが中央部隊に配置されたのですから。今のところ命を落とした者はいません」
「ほ、ほんと?」
「ええ、十字に展開した全部隊はわたくしが張る防御壁に包まれています。この中にいれば余程のことがない限り、致命傷を負うことはないでしょう」
そんな不安は、彼女たちの後方に位置する地の神柱ガイアスが払拭してくれた。
彼女が司る地属性は、あらゆる守りに長けた属性だ。物理的な攻撃や魔法による攻撃から身を守る能力で、ガイアスの右に出る者はいないと言えるだろう。
現在、全部隊は文字通りこの中央部隊を中心に前後左右の四方に展開している。その中央部隊にガイアスを配置し、全部隊が彼女が張り巡らせるドーム状の防御壁に守られている形だ。
そんな彼女の言葉を聞いて、カミラはそっと安堵を洩らした。
「うふふぅ、じゃあそんなものを張っちゃうワル~イババアを始末しちゃえばいいんですねぇ♪」
だが、そんな時。不意に上空から場に不似合いなほどの可愛らしい声が響いたのだ。
その刹那――ガイアスの肩をなにかが深く抉る。それはまるで鋭利な刃物のような裂傷を彼女の身に刻んだ。
それを見た周囲の騎士や兵士たちは悲鳴を上げながらも、大慌てで身構える。
「ガイアスッ!」
「なに、あいつがやったの!?」
咄嗟に上空を振り仰いだルルーナの目に映ったのは、空をふわりと舞う一人の少女の姿。見た目は勝気そうな少女だが、その肌と目の色から魔族だと言うことはすぐにわかる。
にこりと花が綻ぶように笑い、少女は宙でくるくると何度か回転してから地面へ降り立った。それは、昨日も襲撃してきた風の魔将セヴィオスだ。
「このババアを始末しちゃえばぁ、人間どもはクズらしくバッタバッタ死んでいくってわけですねえぇ~」
「な、なんなの、この子……」
突如現れた少女を前に、カミラは思わず聖杖を両手に持ち身構えたが――そんな彼女の前には、にっこりと優しく微笑むガイアスが立ちはだかる。
カミラとルルーナはそれを見て、怪訝そうな表情を浮かべた。
「あなた方は部隊を率いて先にお行きなさい、口の悪いこの小娘はわたくしがお仕置きを致します」
「で、でも……一人じゃ……」
「あなた方には大切な役目があるはずですよ。この戦いの目的はサタンを倒すこと――目先のことに囚われて、それを忘れてはなりません」
ガイアスのことはもちろん心配なのだが、そう言われてはカミラにもルルーナにも、返せる言葉はなかった。全員で協力して早めに片づけるというのもひとつの手ではあったが、その分、部隊の合流が遅れてしまう。そうなれば、仲間たちは余計な消耗を余儀なくされるのだ。
先に進もうとするカミラやルルーナを見ると、セヴィオスは面白くなさそうにむぅ、と頬を膨らませて再び宙へと飛び上がる。
「んっふふぅ~! このセヴィオスちゃんから逃げられるとお思いなんですかあぁ? にっがしっませんよおぉ~!」
「ルルーナさん!」
上空に飛び上がったセヴィオスは両手に風を纏わせ、鞭のように撓らせる。そのターゲットはルルーナだ。彼女が地属性を持っている――つまり、自分が有利に戦える相手だとわかった上で攻撃してきているのだろう。
カミラは咄嗟に彼女を守ろうとセヴィオスの風の鞭とルルーナとの間に身を滑り込ませたが、風は――カミラの身に直撃することはなかった。
代わりに、辺りには乾いた音が上がったのだ。
「うふふ、おかしいですねぇ……悪いオババのお相手をしてくれるのではなかったのですか?」
それは、ガイアスがセヴィオスの頬を平手で打った音だ。所謂「ビンタ」である。
にこにこと表情にこそ優しそうな笑みを浮かべているものの、ガイアスの目は決して笑ってなどいない。それどころか、怒りさえ宿している。
「ババア」と、そう呼ばれたことが気に喰わないのだろう。それを言葉にすることはしないが。
セヴィオスは打たれた頬を片手で押さえ、見るからに不愉快そうな様子でくるりと宙でひと回転。華麗に着地を決めると頬を膨らませながら、ぷらぷらと両手を手首から揺らしてみせた。
「……ふぅん、イイ度胸ですぅ。そんなに先に殺してほしかったら、お望み通りにしてやりますよぅ。どーせ他の神柱共も今頃ティアノイドたちがぶっ殺してるでしょうからあぁ~」
「フィニクスたちも襲われてるの……!?」
「人間ってそんなことも考えられねーくらい頭弱いんですぅ? 昨日はずる賢くお互い助け合っちゃったり見苦しい戦い方してやがりましたけどぉ、こうやって分断しちゃったら結局はただのザコですからねえぇ~」
饒舌に語るセヴィオスに対してルルーナは半ば無意識に表情を顰めるが、ガイアスはそれでも動じない。依然として穏やかな笑みを浮かべているだけ。
地の神柱ガイアスは、確かに守りに長けている心強い存在だ。けれども、攻撃面ではどうなのかまったくわからない。そんな彼女を一人残して大丈夫なのか――カミラは心配そうに彼女の背中を見つめる。
「目先のことに囚われるなと言ったばかりでしょう? さあ、皆さまをお待たせしてはなりません、急ぎなさい」
どう言っても、ガイアスは引き下がらないだろう。カミラやルルーナが手を出すことも、恐らくは許可してくれない。
後ろ髪を引かれる想いをしながら、それでもカミラとルルーナは互いに顔を見合わせると周りにいた兵士たちと共に城の方へと駆け出した。
自分たちが少しでも早くサタンを倒せば、その分ガイアスの助けになる。そう信じて。




