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第二十二話・親


「何者だ!」


 まだ夜も明けきらぬ時間帯、遠方の空が白み始めてきた頃に怒声が響いた。

 朝露に濡れる草の上を一歩一歩進みながら、テルメースは目の前の男たちを見据える。彼らは皆、手に農業用の作業道具を持ち臨戦態勢だ。それでも、彼女は怯むことをしなかった。

 そして、程なくして見覚えのある男の姿を視界に捉えれば言葉もなく目を伏せて深く頭を下げる。


「ま、まさか……」

「ラギオ、この連中はお前の知り合いか?」

「知り合いもなにも……テルメース、お前か……? お前、なのか……?」


 ここは、水の国にある精霊の里だ。族長のラギオは朝早くに外から聞こえてきた怒声に反応して顔を出したのだが――里の出入り口に見える団体の先頭、そこに立つテルメースの姿を確認して暫し固まった。そして、やがて「信じられない」とばかりに覚束ない足取りで彼女の正面まで歩み寄る。

 すると、テルメースは幾分か緊張したような、それでいて泣き笑いのような複雑な表情を浮かべて下げた頭を上げた。


「……父さん、お久しぶりです。各国の王族の方々をお連れ致しました」


 テルメースの後方、そこには火の女王アメリアや水の王リーブル、地の王ファイゲや風の王ベルクの姿もある。ラギオや精霊の里の者たちにとっては初めて見る顔触れだったが。

 愛娘の口から出た「王族」という言葉を聞けば、ラギオを筆頭に里の者たちには疑問符ばかりが浮かんだ。


「お、王族だと? なぜ我々の里に……」

「早朝からお騒がせしてしまい申し訳ございません。テルメース様から窺いました、こちらに神の力を秘めた聖石があると……」

「父さん……ジュードたちが今、ヴェリア大陸で魔族と戦っているの。あの子たちの帰りをなにもしないで待っているなんてできなかった。お願いです、あの子たちの無事を……この世界の平和を聖石に祈らせてください」


 王族と聞いて、辺りにいた里の住人たちは手にしていた武器を下ろして背筋をピンと伸ばす。見れば、護衛の兵士たちは誰も彼も武器を下ろしている。敵意を露にしている者など一人もいなかった。

 けれども、聖石の話が出ると住人たちの表情は歪んだ。

 聖石が安置されている聖殿は神聖な領域、部外者を立ち入らせるなど簡単には了承しかねる。


「逃げ出した私が今更こんなことをお願いするなんて都合がいいことはわかっています、でも……」

「……」


 アメリアとリーブルは言葉もなく互いに顔を見合わせ、ベルクは心配そうにその様子を見守る。ファイゲはざわめき始める住人たちの様子を見つめていた。

 だが、色好い返事を期待できそうもない雰囲気を壊したのは、ひとつの優しそうな声だった。



「おかえりなさい、テルメース。さあさあ、いつまでお客様を立たせたままにしておくんだい? 早く中へお入り、寒かったでしょう?」


 その声に驚いたのは、テルメースやアメリアたちだけではない。ラギオや住人たちも同じだった。

 慌てたように後方を振り返ると、そこにはラギオの妻でテルメースにとっては実の母にあたるイスラが立っていたのだ。木製の杖をついて佇む姿は弱々しく、微かに足が震えているように見えた。

 先日の防衛戦、アルシエルが水の国に於いて魔剣の呪いを再発させた際に彼女も被害を受けたのだろう。体調は決して良いようには見えない。


「イ、イスラ、しかし……部外者を里はおろか、聖殿に入れるのは……!」

「平和がほしいのはみんな同じなんですよ、部外者だとかそうじゃないとか言っている場合? それにテルメースは私の娘です、この里の出身なのよ」


 至極当然のことのようにテルメースたち一行を里に招き入れようとするイスラを見て、声を上げたのは周囲にいた里の男たちだ。だが、イスラは依然としてにこにこと朗らかに笑いながら間髪入れずに言葉を返す。

 魔族がこの世界を支配すれば、精霊の里とてただでは済まない。二度とジュードのような危険な存在が生まれぬよう、真っ先に葬られる可能性が高いのだ。それを理解して、男たちは唸りを洩らしながら顔を俯けて黙り込む。納得はしていないように見えたが。


「……母さん……」

「見違えたわよテルメース、綺麗になったわねぇ」

「母さん、ジュードが……あの子たちが……」

「大丈夫ですよ。一度こうだと決めたら絶対に曲がらないあなたの子供ですもの、きっとやり遂げてくれるって私は信じてるわ」


 テルメースはふらりとイスラの目の前まで歩み寄ると、目に涙をいっぱいに溜めて震える声で呟く。ジュードたちを心配する気持ちはもちろんなのだが、彼女の記憶にある姿と現在目に映る母の姿は随分と違っているように見えた。一言で言うと、老けたのだろう。

 それだけ長い間、会っていなかった。離れていた。きっと苦労をかけた、自分が逃げたせいで。

 しかし、それでも変わらずに受け入れてくれる母の愛と己の不甲斐なさに、涙腺が崩壊したように次々に涙が溢れてきたのだ。


 両手で己の顔を覆い、そのままテルメースは泣き崩れた。イスラはそんな彼女に寄り添うと、優しくその身を抱き締めてよしよしと背中を撫で叩く。まるで幼子でも宥めるかのように。


「私、なにもわかってなかった。子供の気持ちをなにも考えてあげられてなかったの」

「うんうん」

「ヘルメスをあんな風にしてしまったのは私だわ、しっかりしているからって……ちゃんとあの子と向き合うこともしないで……」


 これまで、誰にも吐露することなく内に秘めていた想いが母の前ではスラスラと口を突いて出てくる。その事実にテルメース自身も驚きはしたが、今は構っていられなかった。涙がとめどなく溢れてきて、止まることを知らない。拭っても拭っても、ほとんど意味をなさなかった。


 アメリアは里の出入り口に佇んだまま、そんなテルメースの背中をジッと見つめる。今まではヴェリアの王妃ということもあってか、弱さを見せることのなかった彼女が今はただの少女のようだ。

 ヘルメスが仕出かしたことをどう思っているのか気にはなっていたのだが――考えていた以上に己を責めていたらしい。


「いいかいテルメース、親っていうのは子供と一緒に成長して親になっていくんだよ。私たちとあなたに話し合う時間が足りなかったように、きっとあなたもこれからちゃんとやっていけるわ」

「母さん……」

「だから、今はみんなで一緒に祈りましょう。あの子たちが無事に帰って来てくれるようにね」


 そんな母娘の姿を見守り、アメリアはそっと空を仰ぐ。

 かつて、彼女にも母がいた。王都が陥落の危機に瀕した時、先代女王はなによりも先にアメリアを逃がそうとしたものだ。一国の王として決して褒められた選択ではないのかもしれないが、それが母の愛というものなのだろう。


「(……お母様。あの時に私たちを救ってくれたグラム殿とその息子が、今は必死に戦っています。どうか、彼らをお見守りください)」


 アメリアが見上げた空は既に明るくなり、太陽がその光で大地を照らし始めていた。


 * * *


 辺りに漂う噎せ返るほどの血の匂いに、ジュードの顔は自然と歪む。

 まだ夜が明けて数分と呼べる程度だと言うのに、部隊は敵の群れと交戦していた。ヘイムダルを出立して北上し始めると、昨日とは比べものにもならぬほどの大群と衝突したのである。

 デーモンで結成された敵部隊は、神器によって守られるジュードたちであればさほど怖くはないが、そうではない一般の兵士や騎士にとっては脅威となる。


 メンフィスが倒れたことで、作戦は急遽変更を余儀なくされた。

 本来はジュードたちを中央に配置した方円の陣で進軍する予定だったのだが、先陣の部隊を任せられるほどの者が他にいないのだ。

 そのためジュードとグラムを先頭に、ウィルとマナを右翼、クリフとリンファを左翼、カミラとルルーナを中央の部隊に配置した形で進軍することとなった。

 先頭がひとつ飛び出た形の陣だ。進めば進むだけ、必然的に敵の攻撃はジュードとグラムの隊に集中する。


「ジュード、大丈夫か?」

「う、うん。オレは平気。父さんや他の人たちは?」

「うむ、セラフィムとワルキューレがいるお陰か兵の消耗は少ない。問題はお前だ」

「……大丈夫、親玉に辿り着く前にバテたりはしないよ。ジェントさんもいるしね」


 現在の場所から、旧ヴェリア跡地まではそれほど距離はない。幼い頃、ジュードはよく王城を抜け出してヘイムダルに遊びに行っていたのだから。

 子供の足で行き来できる距離だ、城まではもうすぐだろう。部隊の指揮はグラムが執ってくれる、ジュードは目に見える範囲に注意を向けているだけでいい。それだけでも多少は気が楽だ。


「敵の本拠地はもうすぐです、そろそろ四魔将も現れるでしょう。ですが、あなた方の狙いはサタンのみ――それを忘れないでください」

「だが、四魔将は四神柱(ししんちゅう)でも厳しい敵だと聞いた。大丈夫なのか?」


 部隊のやや上空にふわりと浮かぶセラフィムはジュードやグラムの傍まで降り立ってくると、視線は進行方向へと向けたまま神妙な面持ちで呟く。しかし、グラムが言うように四魔将は四神柱でさえ苦戦を強いられるような相手だ、仲間がそれらと衝突した場合、援護をしなくても大丈夫なのか――それが気になったのである。

 だが、セラフィムはくすりと場に不似合いなほどに優しく微笑むと何度か小さく頷いた。


「ええ、あの子たちはあれで随分と負けず嫌いなのです。自分たちが必ず撃破すると昨晩意気込んでおりましたから、大丈夫ですよ」

「……四神柱と言っても、人間みたいなモンだな」

「う、うん、そうだね……」


 昨日、遅れてヘイムダルに戻ってきた神柱たちはボロボロだった。それを思えば心配は払拭し切れないが、厄介な敵の相手をせずにサタンだけを叩けるのならばそれほど助かることもない。

 やがて見えてきた城を見据えてジュードはグラムと顔を見合わせると、先陣を切るべく目の前のデーモンの群れへと飛び込んだ。



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