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第二十一話・守りたい人


 明日も早いから、とカミラと別れたジュードは祠の最深部で蹲り、更に頭を垂れて唸っていた。

 顔面を両手で覆う彼の耳はいっそ憐れなほどに真っ赤だ。心なしか肩が小さく震えているような気さえする。

 それもそのはず、現在彼は津波のように押し寄せる羞恥と戦っているのだから。


『……ジュード、いつまでそうしてるんだ? そろそろ寝床に戻って休んだ方がいい』


 ――これだ。

 カミラとの恋人とも呼べるようなイチャイチャ現場を、聖剣と同化したあの勇者に見られたのだ。

 とは言え、ジェントの方に悪気があったわけではない。彼は聖剣の継承者であるジュードの傍をあまり離れられないのだから仕方がないのである。

 ジュードも、それにカミラも。彼が傍にいることをすっかり忘れていたのだろう。ジュードがこうして羞恥と格闘しているのと同じように、今頃カミラも同じような状況に陥っているかもしれない。


 ジュードはそっと両手を顔から離し、ちらりと視線のみでやや離れた位置に立つジェントを見遣る。ある程度の距離を空けて立っているのは、彼なりの優しさのつもりだ。

 何度見ても、夢でも幻でもない。それを改めて認識してジュードは深く項垂れると腹の底から長い溜息を吐き出した。


『そんなに恥ずかしがるようなことでもないだろう、健全に育っている証拠だ』

「そういう風に言われると余計に恥ずかしいのでやめてください……」


 恐らく、どう言われてもこの羞恥は抜けてくれない。

 今にも消え入りそうな声でそう呟いたジュードは、半ば無理矢理に思考を切り替えてしまうと屈んでいたそこから立ち上がった。顔には、まだ赤みが差したままだったが。

 ひとつ咳払いをしてから、ジュードは来た道をゆっくりと引き返し始めた。ジェントの言うように流石にそろそろ寝床に戻って身体を休めないと、明日に響いてしまう。――そもそも、ジェントはそれを言いに出てきたのだ。そろそろ寝ろ、と。


「……ジェントさんは、もう大丈夫ですか?」

『迷惑をかけたようだ、すまないな。大丈夫だ』


 彼はもう大丈夫なのだろうかと聊かの心配を抱きながら問うたのだが、当のジェント本人からは非常にあっさりとした言葉が返る。あまりにもあっさりとしすぎてしまっていて、問いかけたジュードが呆気に取られるほどだ。

 しかし、そこで彼の頭にはヴァリトラから聞いた話が思い浮かぶ。脇に下ろした手をぐ、と握って拳を作ると足を止めて身体ごと彼に向き直り、行く手を阻むようにジェントの目の前に立ち塞がった。


『……? ジュード、どうした。早く――』

「あの、ジェントさん。オレ、頭悪いからこういう時になんて言えばいいかわからないんですけど……」


 不意に立ち止まったかと思いきや、思い詰めるような表情で視線を下げるジュードに対し、ジェントは眉を顰めて複雑な面持ちで黙り込む。ふと斜め下に向く視線を見れば、あまり聞きたくないという意思表示だろう。

 だが、それでもジュードは黙ることはしなかった。


「ジェントさん、もう完璧でいようとしなくたっていいんです。つらい時は、つらいって言ってください」

『……』

「……ヴァリトラから聞きました、当時のこと。でも……もうあの頃とは違います、せめてオレたちの……オレの前では完璧でいようとしないでください。勇者だからとか気にしないで弱音吐いたっていいし、弱いところだって見せてくれていいんです」


 ――つらくない、はずがないのだ。

 ベリアルが目をつけるほどの傷、触れられて苦しくないわけがなかった。

 だと言うのに、彼はその苦しみさえ呑み込んでなんでもないことのように振舞っている。もしかしたら、これまで共にいる中でも同じようなことがあったのかもしれない。そう思うと、どうしても嫌だった。

 ジェントはジュードから向けられる言葉に眉を顰めたまま、複雑な表情で黙り込む。


「今まで、ジェントさんに助けてもらうことばっかりでした。だから頼りないかもしれないけど……」

『そういうことは好きな女に言ってやるものだ』

「カミラさんには全部終わったら、他のことと一緒に色々話します」

『プロポーズも含めて、か?』

「ぷ、ぷろ……ッ!」


 サラリと返された言葉に、ジュードの顔は耳まで瞬時に真っ赤に染まり見るからに狼狽し始めた。そんな様を見てジェントはふと口元に薄く笑みを滲ませると、彼の脇をすり抜けてさっさと歩みを再開させる。

 けれども、そこでジュードは気付いた。それと同時に弾かれたように彼を振り返り、慌ててその後を追いかける。


「――って、はぐらかさないでくださいよ!」

『チッ』

「舌打ちもしない!!」


 ジュード相手ならば簡単に話を誤魔化せると思ったのだろう、背中に届く言葉にジェントは改めて眉を寄せて一度小さく舌を打つ。

 その音を耳聡く聞いたジュードは思わずツッコミの如く声を上げ、そのまま言葉を続けようとしたのだが――当のジェントがピタリと立ち止まってしまうと、向けようとした言葉は喉の奥に引っ込んでいく。

 里の中に向けていた足先を脇に向け、近くに聳える大木の傍に歩み寄る彼の背中を見守ってジュードは不思議そうに瞬きを繰り返す。


『…………俺は勇者なんかじゃない。そう呼ばれるべき者がいるとするなら、それは戦いの中で傷付き死んでいった者たちだ』

「ジェントさん……」

『生き残った勝者だけが崇められ、その最中に命を落とした者のことは見ようとしない。後世に語り継がれているのは俺のことばかりで、死んでいったあいつらに触れるものはなにもない……おかしいだろう、なにが伝説の勇者だ』


 静かに語られていく話に、ジュードは握り締めていた拳から力を抜くと数歩そちらに歩み寄った。けれども、その話の腰を折ることはせずに黙したまま続きを待つ。

 ジェントは目の前にどっしりと鎮座する大木の幹に片手を触れさせ、乾いた感触を楽しむように手の平でゆったりと撫でながら一度静かに目を伏せた。


『俺は勇者などではなく……多くの者を戦いに巻き込み、死に至らしめた悪魔だ。うんと小さい頃に父親にもそう言われたしな』

「……!」


 その話は、かつてイスキアから聞いたことがある。

 しかし、実際こうして耳にするとジュードの胸は軋むように痛んだ。目の前で母を殺され、悪魔だと父に罵られ殺されそうになった。魔法を使える女性から生まれた、というだけで。

 なんと悲しく、痛ましいことだろう。


 ジュードは暫し言葉もなく彼の背中を見つめていたが、やがて大股でその真後ろまで歩み寄ると躊躇もなく両腕を伸ばした。背中側からその身を強引に抱き締めてしまえば、流石のジェントも驚いたように肩越しに振り返る。それはそれは、怪訝そうな面持ちで。


「オレ、小さい頃からずっと伝説の勇者に憧れてきました。ジェントさんとこうして話すようになってからは、あなたのようになりたいって思うことも……何度もありました」

『……』

「……でも、ちょっと間違いだったみたいです」


 ゆっくり静かに語られる言葉になにを思うのか、ジェントは無言のままジュードを横目に見遣る。彼がなにを言いたいのか、さしものジェントもその意図を図りかねていた。


「ジェントさんみたいになりたい、じゃなくて……オレは、あなたのことも守れるようになりたいです。そんな風に、自分を悪魔だとか責めていじめなくてもよくなるように」


 しかし、次の瞬間にハッキリとした口調でジュードが告げるとジェントの双眸は珍しく大きく見開かれた。それでも、すぐに怪訝そうな表情へと変わってしまうが。その表情と瞳に孕むのは明らかな困惑の色。

 その様を見て、言葉には出さずともジュードはなんとなく察知した。


「(……この人、本当にいつも守る側にいたんだな。色々な人を守ることばかりで、守られたことなんて全然ないんだ)」


 それを理解すると、これまでいつだって完璧に見えた彼が――なんだか子供のように感じられた。

 戦いに関することでは非常に頼もしい存在だが、ひとたび戦いから離れると案外そうでもないのかもしれない。そう思ったのだ。

 守りたい、という気持ちに対してなんと反応すればいいのかわからないのだろう。視線はジュードから外れて、困ったようにあちらこちらへ彷徨っている。


『……そういうことは――』

「はい、カミラさんやみんなのことを守るのは当たり前です。でもオレは、ジェントさんのことも守りたいんです」


 全て言い終える前に先を言われたことが気に入らないのか、淡々とした口調で言葉を返すとジェントの表情は複雑に歪んだ。

 改めて何事か言葉を返そうと何度か口を開きはするものの――それらは、特に言葉になることはなかった。代わりに諦めたように小さく溜息が洩れ、ゆるりと頭を振る。


『……物好きだな。そんなにあれこれ抱え込んでいたら、そのうち身動きが取れなくなるぞ』

「それってジェントさんのことですよね」

『俺は身動きが取れなくなったわけじゃない』

「弱音が吐けなくなったんだから似たようなものです」

『大雑把すぎる』

「ヘリクツよりはマシですよ」


 口論でもするかのように互いに休む間もなく言葉を吐きかけるが、ジュードに引き下がるような気配が微塵も見受けられないのを確認するとジェントの口からは改めて溜息が零れ落ちた。言葉もなく「離せ」との意味を込めてジュードの手を軽く叩くと、背中から抱き込まれた身はすぐに解放される。

 どうせ逃げても追い回されるだけだ、そう考えれば逃げる気にもならない。ジェントは身体ごとジュードに向き直った。


『……君にあれこれと負担をかけることはしたくない』

「負担だなんて思いません」

『そうじゃない、まずはサタンを倒すことだけ考えなさい。……それからならグダグダ言わずに君に寄りかかれる』


 ジェントは今でこそ触れることはできるが、別に生身の肉体を持っているわけではない。現に触れても、体温の類は一切存在しないのだ。

 だが、ジュードや仲間たちは違う。彼らは今を生きている存在だ。全員で生還することを約束しているのだから、自分のことにまで余計な気を割いてほしくない、ジェントはそう思った。


「……? それだとあんまり意味がないような……?」

『意味はあるさ、だから早く寝ろ』

「テキトーにはぐらかそうとしてませんか?」

『してない、早く寝ろ。睡眠不足で負けたら呪うぞ』


 どことなく怪しむように下から覗き込んでくるジュードを見て、ジェントは小さく頭を振ると彼の背後に回り込んだ。そうして後ろから彼の肩に両手を添え、半ば強引に寝所に向けて押し始める。

 無理に抗うようなことはせずにジュードはそのまま歩き出したが、肩越しに彼を振り返りながら聊か不満顔で続けた。


「ジェントさんだって、もうオレたちの仲間なんですからね」

『……ああ』

「だから、苦しい時はちゃんと言ってくださいよ」

『わかったわかった』


 本当にわかっているのかどうか、そうは思ったがジュードはそれ以上はなにも言わなかった。大人しく進行方向に視線を戻して、眠たげな欠伸をひとつ。

 明日の戦いに向けて、知らずのうちに色々な不安があったのかもしれない。だが、仲間たちと話ができたことで、ようやく胸のつかえがとれたような気がした。



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