第二十話・話したいこと
エクレールたちと別れたジュードは、祠へと通じる道をのんびりと歩いていた。
去り際にエクレールにカミラの行方を尋ねたところ、この先にある祠にいるのではないか、との話だったのだ。荒れた道を一歩一歩踏み締めて、祠までの道を歩く。
ジュードは幼い頃にヘイムダルに足を運んだことは何度かあるが、いくら勇者の子孫であっても祠に近づくことはできなかった。
「……あ。あそこが入り口かな……」
程なくして見えてきた石造りの祠は、里の居住エリアとは異なり荒らされたような印象は受けない。永い年月の経過で壁に苔がびっしりと生えてはいるものの、家屋のようにボロボロに破壊されるということはなかったようだ。
この祠には、さしもの魔族も近づけなかったのかもしれない。
扉も設置されていない中へ足を踏み入れると、ふと空気が変わったような気がした。目には見えない、なにかしら神聖なものに包まれているかのような感覚だ。
肺いっぱいに空気を吸い込むと、自然と気持ちが落ち着ていくような気さえする。
祠の中はそれほど広くはなく、出入り口を少しばかり奥に進むとそこはすぐに最深部だった。カミラは――その最深部で座り込んでいる。なにをしているのか、ジュードの視点からでは背中側になるために窺えなかったが。
「……カミラさん」
「――!!」
「なにやってるの?」
「ジュ、ジュード……ま、まだ起きてたんだ」
極力驚かさないようにそっと声をかけたつもりだったのだが、あまり効果はなかったらしい。ジュードの声にカミラは大きく身を跳ねさせると、勢いよく振り返った。
最深部も、それほどの広さはない。精霊の里にあった聖殿の半分ほどしかなかった。
厳かな雰囲気もなく、どことなく寂しい印象を受けるのは――神聖な空気が漂う場所だというのに、飾り気ひとつないからだろう。右を見ても左を見ても、ただ石造りの壁が広がっているだけだ。
「うん、なんか眠れなくて。……みんなもそうだったみたいだけど、カミラさんも?」
「……うん」
カミラは慌てたように立ち上がり服の裾についた土埃を両手でパタパタと叩き払うが、すぐに燃料でも切れたようにしゅんと頭が垂れる。見るからに元気がない。
ジュードは軽く眉尻を下げると、特に余計な言葉を向けることはせずに傍まで歩み寄った。そうして声をかけようとしたのだが、それよりも先にカミラがポツリと呟く。うっかりすれば聞き逃してもおかしくないほどの小さな声量で。
「……ジュード、ごめんね」
「……え? なにが?」
「わたしが勝手な行動してなければ、メンフィスさんは……」
不意に紡がれた謝罪と、続く言葉にジュードは困ったように苦笑いを滲ませる。
カミラがその場にいようが遅れようが、メンフィスの左腕はどうにもならなかったのだ。セラフィムが合流した時には既に壊死は深刻なレベルで進行しており、ヘイムダルに着いた頃には手の施しようがなかった。すぐに命を落とさず、こうしている今も辛うじて生きている――それだけでも奇跡に近いのだ。
「それに……」
「……?」
「みんなが一生懸命戦ってるのに、わたしはちっとも役に立てないの。マナたちはみんな神器を持って強くなったのに……」
その言葉を聞けば、流石にジュードもそれ以上は黙っていられなかった。
彼は自分自身の傷であれば聖剣が癒してくれるが、仲間のことはそうもいかない。カミラがいなければ、戦いの中で誰かが命を落としていてもおかしくはないのだ。
そこまで考えて、ジュードは慌てて頭を左右に振った。
「それは違うよ。メンフィスさんのことはカミラさんのせいじゃないし、役に立ててないなんてこともない」
「でも……」
「……セラフィムがメンフィスさんを連れてきた時には、もう遅かったんだ。カミラさんがいてくれなかったら、メンフィスさんはあのまま死んじゃってたかもしれない。今回のことだけじゃない、今までだってそうだよ。オレたちみんな、カミラさんにいっぱい助けられてる」
それは決してお世辞などというものではないのだが、そっと顔を上げたカミラの顔は――まだ納得がいっていないようだった。仲間の怪我を治すだけではなく、彼女もマナやルルーナのように後方から魔法で攻撃することで援護したいのだろう。
マナはともかく、ルルーナは元々攻撃系の魔法は得意ではない。そんな彼女も地の神器ガンバンテインの力によって、カミラ以上の攻撃魔法を操れるようになりつつある。それでも、まだまだ未熟な部分は多いのだが。
戦いというものは、ひたすら攻撃を畳みかければ勝てるわけではない。無論、それだけで勝てることもあるが、聊か不安は残るものだ。
それぞれに役割があって、初めて安心して戦えるというもの。ましてや、今の戦いは決して気を抜けないものなのだから。
けれども、今のカミラにそんなことを話しても納得してくれるとは思えなかった。
「……水の国に鉱石を採りに行く時さ、話してくれたよね。カミラさんが魔物と戦う理由」
「えっ? う、うん……」
あの頃、どうしてもジュードは魔物の命を奪えなかった。
そんな時にメンフィスから自身の過去の話を聞かされ、打ちのめされたような想いをしたものである。当時、カミラはそのジュードに対して自分が戦う理由を教えてくれた。
小さい頃に亡くした初恋の王子様がどこかで生きているかもしれない、もし生きているならきっと魔族に狙われるから一匹でも多くの魔族を自分が倒すのだと。
その初恋の王子様は――ジュードだ。
カミラとて戦うのが好きで剣を手にしたわけではない、全てジュードのためだった。自分が彼女にそんな道を選ばせてしまったのだと思えば、心は重くなっていく。
「カミラさんに戦う道を選ばせちゃったのは、オレなんだ」
「――! そ、そんなことは……!」
「そうじゃなくて、えっと……なんて言えばいい、かな……」
自分のせいで戦いに巻き込んでごめんね――と、そう言いたいわけではない。そんなことを言われたところで、カミラが困るだけだ。
元々頭の弱いジュードのこと、幾分か困ったように一度視線を宙空に投げると思案するように唸りをひとつ洩らしてから、利き手でがしがしと己の後頭部を緩く搔き乱して目線をやや下方に下げた。
「……その、オレいっつもカミラさんに色々な面で支えられたし、助けてもらってきたよ。だから……ええと、最後くらいオレに守らせてほしいんだ」
「え……」
「オレはみんなのこと大好きだけど……その中でもカミラさんは特別なんだよ。……カミラさんが危ない目に遭うのは嫌だし、好きな人にはできることなら安全な場所にいてほしいって思ってる」
ポツリポツリと紡がれていくジュードの言葉を聞いて、カミラは目をまん丸くさせるとぽかんと口を半開きにさせて暫し固まった。しかし、数拍の後にじわじわと顔に赤みが差し始めるところを見れば――好き、の意味は正確に伝わったのだろう。
別にそういう言葉で誤魔化そうなどという気は、ジュードの方にはない。これはあくまでも彼の本音だ。
「オレ頭弱いからさ、うまく言えないんだけど……攻撃するだけが戦いじゃないよ。カミラさんはそのまま……今のままでいてくれたら嬉しいな、オレはカミラさんのところを帰る場所にしたい」
その言葉に、カミラはぎゅ、と唇を噛み締めると瑠璃色の双眸からボロボロと大粒の涙を溢れさせ始めた。ジュードがそれに対してギョッと目を見開くのと、カミラが目の前の彼に飛びついたのはほぼ同時――先のエクレールの時のように軽くバランスを崩しはしたものの、慌ててその身を抱き留めれば一度困ったように視線をあちらこちらへ移す。
しかし、程なくしてすすり泣くような声が洩れ始めると、行き場を失って彷徨わせていた手は自然と彼女の背中に落ち着いた。
「わたし、わたし……自分が情けなくて……」
「……そんなことないよ」
「絶対、誰も……死なせないからね」
「うん。頼りにしてる」
未だ納得はしていないのだろうが、カミラはそれ以上は食い下がることはしなかった。
敵を叩き伏せる力がない、その歯がゆさはジュードとてわかる。だが、彼女が攻撃に回ることで仲間を治療する手が薄くなれば、その分仲間全体が危機に晒されることにも繋がるのだ。
彼女が後方で回復に専念してくれるのであれば、そんな不安もなくなる。できるだけ彼女を危険な目に遭わせたくないと思うジュードも、敵を叩くことに集中できるだろう。
「(……もうカミラさんが剣を取らなくてもいいように、明日で全部終わらせるんだ。今までずっと情けないとこばっか見せてきたんだから、最後くらいカッコイイとこ見せないとな……)」
今だからこそ思い出せることだが、小さい頃、ジュードとカミラは本当に仲が良くて毎日のように一緒に遊んでいたものだ。当時を思い出せば、ジュードの胸には懐かしさと共に恋しさばかりが込み上げてくる。
この記憶をずっと持ち続けて今まで生きてきたカミラは、どれだけ苦しかったことだろう。死んだと言われた婚約者のことを想い、心優しかったはずの彼女は剣まで手に取ったのだ。その気持ちが決して浅いものではないことは容易に理解できる。
「……カミラさん。ずっと好きでいてくれて……ありがとう」
「ジュード……」
「この戦いが終わって全部落ち着いたら、言いたいことも話したいこともいっぱいある。だからその時は……ちょっとでいいから、時間くれる? 父さんや母さんが昔に決めたものじゃなくて、ちゃんと言いたいんだ」
頭上から降る言葉にカミラはそっと身を離すと、片手で目元を拭う。
ジュリアスやテルメースが決めたものではなくて――そう言われれば、内容がどのようなことなのかカミラでもわかる。ジュードとカミラは幼い頃、親が認めた婚約者同士だったのだから。
それを認識するや否や、彼女の目からは再び涙が溢れ始めたが、それでもカミラは両手を胸の前で合わせると嬉しそうに笑って何度も頷いた。
「――うん! わたしも、ジュードと話したいこといっぱいある。だから、わたしのお話も聞いてね」
その返答にジュードも自然と表情を和らげた。
カミラは改めて目の前の彼に身を寄せると、その温もりを感じて両腕を背中に回す。ぎゅうぅ、と力を入れて抱き締めてくる彼女を見下ろしてジュードはそっと双眸を細めた。
躊躇するように辺りに視線のみを巡らせた末に軽く上体を屈め、触れる程度にカミラの額に口付けを落とせば――次の瞬間、驚いたと思われる彼女が勢いよく顔を上げて凝視してくる。
「ジュ、ジュード……っ!」
いつものようなけたたましい悲鳴は――今回は上がらなかった。
代わりに耳や首元までを真っ赤に染め、口を真一文字に引き結んでプルプルと震えている。本当は叫びたいのだろうが、ジッと堪えているのだろう。ここで叫べば確実に雰囲気をぶち壊してしまうと思って。
確かに可愛らしいと思うのだが、そんな反応をされると仕掛けた方も妙に気恥ずかしくなってくる。
結果、それ以上はどちらも動くことができずに暫しの間、言葉もなく固まっているしかできなかった。




