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第十七話・意志と決意


 明日に備えて、夕食もそこそこに各々寝床に就くこととなった。

 明日――と言っても、もしかしたら夜のうちに魔族が奇襲を仕掛けてくることもあるかもしれない。そうなったら休む時間など僅かにも取れないのだ。そのため、休めるうちに休んでおくことになった。


 あの後、少ししてから戻ってきた四神柱(ししんちゅう)はいずれもボロボロで、最後の戦いが決して楽なものではないことは容易に窺い知れた。この世を形成する神柱たちでさえ苦戦するほどの敵だ、並みの力で太刀打ちできるものではない。



「……っとと」


 ジュードは寝床に就いてもなかなか眠れず、寝所を抜け出してヘイムダルの中をこっそり散策していた。

 里の中は真っ暗闇ということはなく、辺りに仄かな暖色系の灯りが見える。それは数ヵ所で火を焚いている灯りだ、見張りの兵士たちが熾しているものだろう。

 その灯りを頼りにジュードはのんびりと、里の中のあちらこちらを見て回っている。時折枯れ枝や草に足を取られながら。


「よお、坊主。まだ休んでなかったのか?」

「え? ああ、クリフさんこそ……もう寝たと思ってたのに」

「ハハハ、オトナの時間はこれからなのさ」


 そんな彼の背中に、すっかり聞き慣れた声がひとつ。反射的に振り返ってみると、そこには木の根元に腰かけるクリフがいた。その手元には酒瓶が一本握られている。屋外ということもあって、わざわざグラスに注ぐまでもないと思ったのだろう。所謂「ラッパ飲み」だ。

 ジュードは幾分か呆れたように眉尻を下げて笑うと、その傍らへと歩み寄った。明日は大事な戦いなのだから、と――咎める気はない。彼の気持ちはジュードにもよくわかる。


「お酒飲んだら寝れそう?」

「いーや、全然。まったく酔えねぇ」


 クリフの隣に腰かけると、酒瓶からはふわりとアルコールの香りが漂ってきた。その匂いにほんの僅か、軽い眩暈に似た感覚を覚えてジュードは小さく頭を振る。そんな彼を視界の隅に捉えて、クリフはこれまたいつものように愉快そうに声を立てて笑った。

 けれども、それが長続きすることはなく――徐々に勢いを失っていくと、片手に持つ酒瓶を一度軽く揺らしてみせる。


「……まだ信じられねぇ、あのメンフィス様があんなことになっちまうなんて」

「……うん」

「あの人は、俺ら騎士連中の憧れなんだ。お前のオヤジさんとメンフィス様に憧れて、騎士になろうって思った奴も多い。なのに、そんな人が……」


 メンフィスは辛うじて命を繋ぎ留めているが、未だに予断を許さない状態だ。突然容体が急変してしまう可能性も決して否定はできない。

 カミラの力と、彼女が持つ聖杖ケリュケイオンを以てしても、流れ出てしまった血までは元には戻せない。あとはメンフィスの体力と気力次第だろう。

 クリフが最終戦の前に酒と戯れているのもそのためだと、ジュードにはわかっていた。酒でも飲まなければやっていられない気分なのだ、と。


「きっと大丈夫だよ。メンフィスさんがそんな簡単に……」

「……ハハッ、こういう時ばっかりはお前が羨ましいよ」

「羨ましい?」

「オトナってのはイヤ~な生き物でなぁ……これまでの経験と照らし合わせて、実際にはまだ起きてもいない結果を勝手に頭の中に作り出しては不安になっちまうのさ」


 その返答に、ジュードは横目にクリフを見遣る。

 彼は随分と陽気な性格をしているが、長い戦いの中で失ってきたものがどれだけ多かったかは計り知れない。その中には彼の友人や、大事な人もいたことだろう。

 そう思うと、どう言葉をかければいいのかまったくわからなかった。メンフィスだったら、どんなことを言うだろうか。ぼんやりと考えて、ジュードの頭に浮かんだのはひとつだけ。


「……クリフさん。メンフィスさんもきっと今、生きるために必死に戦ってると思う。メンフィスさんが目を覚ました時にオレたちが魔族に負けてたら、きっとガッカリさせちゃうよ」

「……」


 ジュードから向けられた言葉に、クリフは顔を彼に向けて目をまん丸くさせた。

 だが、数拍の沈黙を挟んでからなにを思ったのか、再び愉快そうに声を立てて笑い始める。胡坐を掻いた片膝を、空いている手で叩きながら。

 そんなクリフに対し、ジュードは不思議そうに瞬きを打つ。なにかおかしなことを言ってしまっただろうかと、疑問符を滲ませて。


「ど、どうしたの?」

「いやいやいや、なんでも。……そんな当たり前のこと、お前に言われないとダメなんてなぁ……」


 眦に浮かんだ涙を親指で拭い一頻り笑い終えると、瓶に口をつけて一気に中身を喉に通し始めた。それを見て慌てたのは当然ジュードだ。そんなに一気に飲んで大丈夫なのか、と。

 だが、クリフは喉を鳴らして中身を飲み干してしまうと、空になった瓶を高く持ち上げてみせる。


「よおぉ~っし! こんなとこで腐ってるわけにはいかねーな、明日はビシッとキメるか!」


 空元気な部分もあるかもしれないが、取り敢えず先ほどより元気は出たようだ。ジュードはそっと小さく安堵を洩らし、勢いよく立ち上がったクリフを見上げる。

 夜空を背景に笑う彼は、その美しい銀髪も相俟って妙に画になると思った。


「んじゃ、坊主。また明日な、俺は先に休ませてもらうよ」

「うん。おやすみ、クリフさん」


 完全にとはいかないだろうが、多少は吹っ切れたようだ。

 クリフはそう告げるとにんまりと歯を見せて笑い、寝所の方へと歩いて行く。その足取りは軽かった。


 * * *


 まだ眠れそうもないと思ったジュードが次に向かったのは、里の隅にある小さな広場だった。

 この広場はジュードがまだ幼い頃、里の子供たちが集まって遊んでいた場所だ。ジュードがその中に混ざったことはなかったが、同年代の子供たちと遊ぶ、という状況に憧れていたこともあり微かに記憶に残っている。

 魔族に占領されていたせいで、広場はすっかり荒れ放題になってしまっているが。


「……リンファさん?」


 灯りの届かない広場の隅、ふと動く影を見つけて足を止めたのだが――夜の闇に慣れた双眸はその正体を的確に言い当てた。

 すると、影は動きを止めて身体ごとジュードの方を振り返る。と言っても、気配で探るしかないのだが。


「……ジュード様、眠れないのですか?」

「ああ、うん。なんかちょっと目が冴えちゃって。……リンファさんも?」

「はい。このようなことではいけないとわかっているのですが……眠れないので、少し身体を動かそうかと……」


 どうやら、最終決戦を前にしても彼女はこれまで通り鍛錬に勤しんでいたらしい。もっとも、メンフィスのあのような姿を目の当たりにしたことも影響しているのかもしれないが。

 リンファは仲間の中で最年少だが、非常にしっかりとした少女だ。下手をすれば、一番冷静で落ち着いているかもしれないと思うほど。

 その彼女でも、決戦前夜には落ち着きがなくなるのだと思えば、なぜだか妙に安心した。


「はは、ちょっとくらいなら別にいいんだよ。オレも眠れなくてウロウロしてるんだし」


 しっかりしているせいか、リンファは自分自身に対して少々厳し過ぎるきらいがある。いけないこと、と口にして視線をやや下方に下げる彼女を微かに視界に捉えて、ジュードは小さく頭を横に振った。

 灯りが乏し過ぎて、その言葉に対してリンファがどのような顔をしたかまでは窺えなかったが。ほんの少しでも彼女の心が軽くなっていればいい――言葉には出さずとも、そう思う。


「……ジュード様、ありがとうございます」

「え、なにが?」

「私を……ここまで連れてきて下さったことです」


 不意に告げられた礼の言葉に、ジュードは思わず双眸を丸くさせて小首を捻る。彼女に礼を言われるようなことがなにかあっただろうかと。

 だが、その内容を聞けばジュードの眉は自然と下がった。

 今やすっかり仲間として行動しているが、そもそもリンファを連れて行くことを願ったのはジュードではなくウィルだ。彼が土下座をしてまで、リンファをオリヴィアから救いたいと思ったことが全てである。


「い、いや、オレは……なにもできなかったし、むしろ初めて会った頃からリンファさんには助けてもらってばっかりで」

「そんなことはありません。ウィル様が望んで下さったことですが、私が同行することにジュード様も皆様も……どなたも反対なさいませんでした。私はそれが、とても嬉しかったのです」


 飾ることのない言葉に、ジュードはそっと表情を和らげて片手の指で己の鼻の下を軽く擦った。幾分か照れくさそうに。

 もしも、リンファではなくオリヴィアであったのならばマナやルルーナを筆頭に、女性陣は決して首を縦には振らなかったことだろう。ジュードたちが当たり前のように彼女を受け入れたのは、一重にその人柄によるものも大きい。

 リンファは口数こそ少ないが、正式に加入する前から仲間に目を向けることのできる少女だったのだから。


「明日の戦い、必ず勝ちます。私を……こうして受け入れて下さった皆様のためにも」


 ハッキリとした口調で告げられた決意とも言える言葉に、ジュードは暫し黙り込んだ。

 リンファは不意に黙る彼に対して不思議そうにゆるりと小首を捻り、その反応を待つ。なにか気に障ることを言っただろうかと、そう思ったのだ。

 しかし、程なくしてジュードは小さく頭を左右に振り緩慢な所作で夜空を見上げた。


「オレたちみんなさ、魔族を倒すために一緒にいたわけじゃないよ。みんな大事な仲間だって思ってる。この戦いが終わっても、きっと変わらないんだ」

「……はい」

「厳しい戦いになるとは思うけど、みんなで生きて帰ってこよう。誰かが欠けてもダメなんだ」


 その返答に、リンファは一度こそ目を丸くさせて彼をジッと見つめたが、意味や意図はなんとなく理解できたらしい。ややあってから、口元と眦をそっと緩めて静かに目を伏せる。

 片手を己の胸元に添えても、エイルに預けたことで彼女のそこにいつもあったはずのお守りは手に触れることはない。それでも、心細いとは思わなかった。

 心強い仲間が傍にたくさんいてくれる、自分はもう一人ではないのだと――そう思えるようになったからだ。


「はい。では、必ず勝って皆さんと一緒に帰ります。明日は頑張りましょう」


 リンファは闘技奴隷として生きてきた時間が長かったためか、己のことを疎かにしがちな部分がある。ジュードはそこが一番心配だったのだ。明日の戦い、勝つために彼女は自分の命さえ平気で投げ打ったりするのではないかと思って。

 必ず勝って全員で生きて帰る――その目標と願いを胸に、ジュードはリンファの言葉にしっかりと頷き返した。



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