第十九話・カミラとルルーナ
ウィルとマナは宿を出ると、気合を入れ直すようにそれぞれ身を伸ばす。ジュードはそんな二人を何処か微笑ましそうに眺めた。
「さ~て、気分もスッキリしたところで吸血鬼退治といきましょ!」
「ああ、張り切ってな!」
何処までも軽い調子での言葉ではあるが、実際はそう簡単なことではない。
しかし、最初から気持ちで負けていては勝てる見込みが全くなくなってしまう。そんな気さえしたのである。
先んじて馬車へと歩き出したマナを見遣り、ウィルはその後に続きながら一度ジュードに視線を向けた。
「なあジュード、お前……身体は大丈夫なのか? 魔法喰らったのに……」
「え? 特に問題はないみたいだけど……あれから、日は跨いでないんだよな?」
「ああ、約三時間前後。もちろん日は跨いでない」
いつもであれば、魔法を受けた後すぐにジュードは特異な体質の所為で高熱を出して寝込んでしまう。だが、今回は熱もなければ身体の不調さえ出ていなかった。
どう言うことなのかとウィルは首を捻り、ジュードもまた不思議そうではある。しかし、不調がないのなら幸いであった。
カミラやルルーナ、その他なんの罪もない少女達を救出する為に早く行動を起こせるからだ。なんとしても、彼女達が毒牙に掛かる前に助け出さねばならない。
気にはなるが、今は考えていても仕方がない。ジュードは頭から余計な考えを追い出し、改めて口を開いた。
「不調がないなら、それでいいさ。考えるなら後で考えよう。今はカミラさん達のことが先だ」
「ああ、そうだな。けど……無理はするなよ」
その言葉に多少の気掛かりは残しつつ、ウィルも自らの頭から余計な考えを追い払う。
そして、いつものように一声掛けると、ジュードはしっかりと頷いた。
* * *
一方、馬車で館まで連れて来られたカミラとルルーナは後ろ手に拘束され、暗く冷たい廊下を歩いていた。
廊下の両壁にはひっそりと、今にも消えてしまいそうなロウソクの火が灯っているだけ。真っ暗とまではいかなくとも、足元などはほとんど見えない薄闇であった。
辺りには足音と、不気味な黒い甲冑がガチャガチャと擦れるような音しか響かない。なんとも寂しく、不気味な雰囲気の館である。
先を歩く吸血鬼の背中を睨むように見つめながら、カミラは口唇を噛み締めた。
「(禁術……これさえ解ければ、わたしがジュードの仇を討つ……!)」
あの時、ルルーナと共に街の出入り口近くで休んでいたカミラであったが、不意に現れた男に声を掛けられたのである。
タキシードを着込んだその男に、まさか情報通りの張本人かと思い北西の館のことを尋ねたのだが、近くにいた住民が男へ怒声を張り上げてしまったのだ。そこからはなし崩しである。
住民を攻撃しようとした男を止める為に魔法で応戦しようとしたのだが、男は不気味に笑いカミラとルルーナにある魔法を掛けた。
それが『禁術』だ。禁術は相手の魔法を封じ込める能力抑制魔法の一つであり、単純に言えば魔法を使えなくする魔封じの効果を持っている。
カミラは闇に属する魔族に対し、最も有効と言える光魔法の使い手である。一撃でも放てば絶大な効果を発揮出来る筈なのだ。
しかし、肝心の魔法を封じられてしまっては全く意味を成さない。
禁術は時間の経過と共に効果が消える魔法。だからこそ、カミラはその効果が消える時を待つことにした。
だが、そこへジュード達が来てしまったのだ。自分達を助けようと必死に戦った二人の姿を思い返し、カミラは改めて涙腺が緩むのを感じる。
「(ジュード……ウィル……)」
事もなげにウィルを蹴り飛ばした男、ジュードを捕まえて至近距離で闇の魔力を爆発させた男。
カミラの目には、その光景が鮮明に焼き付いていた。
男がジュードに放った『ダークフォース』は、闇の魔力を一箇所に集束させ、一気に爆発させる中級クラスの闇属性攻撃魔法である。ウィルが放った『フレアスプレッド』と同じように、単体攻撃に於いて絶大な効果を発揮する。逆に敵が複数いては、闇の魔力がそれぞれ対象全てへ散ってしまい、あまり高い威力や効果は出ないのだ。
ジュードは、その魔法を一人単独で受けてしまった。それも男に捕まり、至近距離で。
更に言うのなら、ジュードは魔法に対する抵抗力が全くない。全ての魔法が害になると言っても過言ではない特殊な体質の持ち主だ。
だからこそ、深く考えなくともカミラは思った。もう、ジュードは生きてはいないのだと。
「(許さない、絶対許さない……ジュードの仇は、わたしが取る……!)」
カミラは固く決意しながら、目の前を歩く男の背中を睨み付けた。
程なくして廊下の最奥まで行き着くと、そこには古びた扉があった。男はドアノブに片手を翳し魔法の力で施錠を解除してから、その扉を静かに開く。
そしてカミラとルルーナを振り返り、口元に薄く笑みを刻んだ。中に入るよう視線のみで促し、血のように赤い瞳で二人を見つめる。
カミラはそんな男の様子を眺めた後に静かに足を踏み出し、室内へと歩みを向けた。廊下よりは明かりの灯る室内は思ったよりも広く、多少なりとも清潔感がある。しかし、室内に家具などは一切なく、ただの空き部屋に近い。
そして、その部屋の中には家具が何もない代わりに大勢の少女達がいたのである。皆、覇気もなく床に座り込んで、怯えた表情を浮かべていた。恐らくは、男が次の餌を求めに来たと思ったのだろう。これまで一体何人の若い乙女が犠牲になったのか。
少女達はカミラの姿を見て、食事の時間ではなく新入りを置きに来たのだと判断したらしい。僅かに――本当に微々たる変化ではあったが、微かに表情に安堵を滲ませた。
「こちらがお部屋になります、大人しくしていてくださいね」
ルルーナもカミラの隣に並び、部屋の中にいる少女達を見回した。
男はそんな二人を眺めると一言だけそう告げるのみでゆっくり、そして静かに扉を閉める。それと同時に室内には静寂が降りた。
「こんなにたくさんの女性が誘拐されていたなんて……」
恐らくは、あの街から連れて来られた少女達だろう。正確な数は即座に判断出来ないが、優に十人はいる。二十人に近いかもしれなかった。
少女達は静寂の中、啜り泣くように声を殺して泣いている。恐怖と寂しさから流れる涙だ。大切な家族と引き離され、いつ殺されるか分からない環境に置かれているのだ。泣くなと言う方が無理である。
カミラはルルーナと共に取り敢えずと部屋の隅に移動し、そこに腰を落ち着かせた。依然として気持ち悪さは消えないが、今はそんなことを気にしてもいられない。
「……カミラちゃん、私達これからどうなっちゃうの?」
「ルルーナさん……」
隣に腰を下ろすルルーナは溜息混じりにカミラへ問いを向けた。単純に彼女の問いに答えるのだとすれば「吸血鬼に血を吸われて終わり」だろう。
だが、無論ルルーナがそんな言葉を求めている筈もない。カミラは暫し黙り込んでから口を開いた。
「大丈夫、絶対に生きてここから出る……」
禁術さえ解ければ、勝機はあるのだ。カミラはこれまでも魔族と戦ってきた経験がある、寧ろ負ける可能性の方が低いかもしれないほどに。
ルルーナはカミラを眺めていたが、やがてそっと微笑むと薄暗く不気味さの拭えない天井を見上げた。
「……カミラちゃん。私ね、水祭りの時……寂しかったの、本当は」
「えっ?」
「昔は好きだったのよ、お祭りとか。騒いだりするのも、賑やかな雰囲気も好きで」
ふと薄い笑みさえ交えながら呟くルルーナに、思わずカミラは彼女を見つめる。
落ち着ける場所に着いたら、話を聞いてほしい。そう言われていたのを思い出してカミラは黙り込む。余計な言葉を掛けて、話の腰を折る気は全くなかった。
「でもね、私が五歳くらいの頃……お父様がいなくなったの」
「……いなくなった?」
「ふふ……出て行ったのよ、私とお母様を捨てて……ね」
「ルルーナさん……」
笑いながら答えるルルーナの横顔は何処か寂しそうで、カミラは切なげに眉を寄せて双眸を細める。
そんなカミラに気付いたか、ルルーナも彼女に目を向けると、戯けるように肩を疎めてみせた。
「昔は、よくお父様に肩車されながらお祭りに行ったものよ。……でもね、今はダメなの。あの頃の楽しい時間を思い出しちゃって」
五歳と言えば、まだ物心がついて間もない頃と思われる。当然個人差はあるのだが。
そんな時期に大切な父が自分達を捨てて出て行ったとなれば、ルルーナの心に刻まれた傷は決して浅くはない。王都フェンベルでの彼女の態度、言動にもカミラは頷けた。
「寂しいのに、寂しいとも言えなくてね。私、プライドが高いから」
静かに微笑むルルーナの表情はやはり何処までも寂しそうで、儚げでもあった。カミラは胸が締め付けられるのを感じながら、彼女に向けていた視線を室内の少女達へ向ける。
そして、改めて口を開いた。
「ルルーナさん。必ずみんなで、生きてここを出るの」
「……カミラちゃん?」
「そして、今度はわたしとお祭り回ろう?」
カミラの言葉に、思わずルルーナは紅の双眸を見開いた。暫し瞬きも忘れたように彼女を見つめて固まっていたが、やがてふと――幾分照れたような笑みを浮かべる。
いつも余裕に満ち溢れた表情ばかりだったルルーナにとってその反応は珍しく、少なくともカミラは初めて見る表情であった。
カミラは同じく照れたように、しかし嬉しそうに笑う。
「(……確かに生きてここから出るのは大事。だけど……)」
ルルーナはそれ以上何かしら言葉を連ねることはせず、正面へ視線を戻す。
彼女自身、このまま果てるつもりはない。カミラの言うように、生きて館から出る、と言うことには全面的に賛成である。
――だが。
「(ジュードが死んでしまったんじゃ、どうしようもないわ。お母様になんて報告すればいいの……?)」
彼女は元々、母の為にジュードと共に在っただけである。ルルーナの脳裏にも、彼が闇魔法を喰らい吹き飛ばされる姿は焼き付いていた。
本来の目的であったジュードが死んでしまったのなら、彼女の目的は達成出来ないのだ。
ルルーナは薄暗く冷たい雰囲気の漂う室内で、母の温もりを求めるように宙空を仰ぎ、内心でそっと嘆いた。