第十四話・メンフィスとヘルメス
「ジュード、大丈夫か?」
「うん、オレは平気。むしろ父さんやみんなの方が……」
「俺たちは大丈夫だって、坊主はもうちょい休んでな。部隊の案内はこっちでやるから」
聖地ヘイムダルには、上陸した後続部隊が次々に到着を始めていた。
残党がいたものの、魔族は既に撤退を始めていたこともあってか大きな負傷をした者はいないようだ。ようやく休める場所に着いたことで安心したのか、多くの兵士や騎士たちの顔には嬉しそうな色が見て取れる。
休憩所として使うようウィルたちが確保した一角に連れて行くのを自分も手伝おうかと、ジュードはそう思ったのだが、それはクリフによって制されてしまった。
「(……よかった、重傷人はいないみたいだ。メンフィスさんが来たら明日の作戦をもう一回確認しよう)」
もうじき夜がやってくる。予定通りに行けば、明日は日の出と共に魔族の拠点である城へ総攻撃をかける手筈となっている。
早々に作戦の確認を終えて身を休める必要がある。どれだけ確認しても全然足りないような気さえしながら、ジュードはそんなことを考えていたのだが――そこでふと、確かな違和感を覚えた。
「……あれ?」
第一部隊は真っ先にヘイムダルに到着した。彼らがやってくるのは、ジュードもつい先ほど確認したばかりだ。
けれども、その第一部隊に続くはずの第二部隊の姿が見えない。そして、第三部隊を率いているはずのメンフィスの姿も。それよりも先に第四、第五部隊、更にその後の部隊が続々と続いていることに純粋な違和感を覚えたのだ。
里の出入り口に溢れる騎士たちを案内しに向かうグラムの背に、ジュードは慌てて声をかけた。
「ね、ねぇ、父さん。メンフィスさんは?」
「ん? ……そういえば姿が見えんな、とっくに着いていてもおかしくはないはずだが……」
「メンフィスさんのことだから、他の部隊の援護でもしてるのかな?」
メンフィスは長らく騎士団長として務め上げてきたためか、それとも最愛の息子を失ったせいか。他の者を見捨てるということをしない男だ。残党に襲われて負傷した者を助けながら進軍しているのかもしれない。
ジュードはそう思ったのだが、グラムは足を止めると眉根を寄せて視線のみを動かしながら周囲を見遣る。
「……いや、メンフィス隊が一人も到着していないのはおかしい。周りの援護をするとしても、自分の部下まで巻き込んだりはせん男だ」
「じゃあ……!」
まさか、第二部隊と第三部隊になにかあったのか――ジュードとグラムがそこまで考えた時、不意に大地が揺れるような錯覚を感じた。先ほどから繰り返し揺れているが、今度はそれまでよりも小さい。だというのに、言葉にし難い奇妙な悪寒がした。
そして、次の瞬間。ヘイムダルの出入り口付近に集まっていた兵士たちから悲鳴が上がったのである。
「ぎゃああぁ!!」
「う、うわあぁッ! な、なんだこれは!?」
何事かとそちらに目を向けようとはしたのだが、悲鳴の原因は容易に知れる。それまで枯れ草が無造作に散らばっていただけの地面から、無数の触手が突き出てきたのだ。
それらの触手は次々に兵士や騎士たちの身に突き刺さり、彼らの血肉を喰らい始めた。あちらこちらから悲鳴が聞こえてくるところを見ると、恐らくヘイムダル全体にこの触手の群れは広がっているのだろう。
「これは……!?」
「わ、わっ!」
グラムは咄嗟に神剣バルムンクを手に取り、己に群がる触手をひと振りで薙ぎ払う。ジュードに向いたものは、彼の中から飛び出したちびが蹴散らしてくれた。
少し離れた場所に立つクリフが慌てたように神盾を構えて辺りを純白の光で包み込むと、周辺の触手の群れは嫌がるように地中の中に逃げ込んでいったが、流石にヘイムダル全域にその光は行き届かなかったらしい。出入り口や奥地からは、今もまだいくつもの悲鳴が聞こえてくる。
仲間たちは大丈夫なのか――ジュードとグラムは思わず、辺りを見回した。
* * *
「ぐ、ぬうぅ……ッ!」
『キキキキッ!』
左肩の付け根に突き刺さる他、メンフィスの身には正面からも右足の太股や脇腹など、様々な箇所に鋭利な触手が突き刺さっていた。肩の付け根に感じた激痛に一瞬気を取られた隙を、真正面で対峙していたカラミティは見逃さなかったのだ。
これ幸いとばかりにカラミティは嬉しそうに笑い、今まさにその血肉を貪ろうとしたのだが――脇腹に突き刺した特に太い触手が不意に切断されたのである。
「ぐ……ッ、これ、以上……私の身体を、好きにされては……困る……っ!」
「……! ヘ、ヘルメス王子……意識、が……?」
それは、ヘルメスだった。片手の平から突き出た剣の刃で、メンフィスに突き刺さった触手を斬り捨てたのだ。ヘルメスの意識がカラミティの邪魔をしているのか、正面からメンフィスの身に刺さった触手がじわじわと外れていく。
だが、当の本人の顔色は非常に悪い。端整な顔を苦痛に歪め、頬を脂汗がいくつも伝った。目は虚ろで、今にも意識が飛んでしまいそうだ。メンフィスは咄嗟に彼の腕を掴んで引っ張ろうと右手を伸ばしたが、その手はヘルメス本人によって振り払われてしまった。
「王子……っ!」
「……ッ、どうやら……私が、間違っていたようだな……憐れなものだ、奴らの口車に……乗せられて……」
「……」
口元だけで自嘲気味に笑うヘルメスを見て、メンフィスの顔は痛ましそうに歪む。左肩に突き刺さった触手の激痛は今もなお続いているが、彼から目が離せなかった。
ぐ、と下唇を固く噛み締めてヘルメスの背中に鎮座する肉の塊を見据えると、表面に散らばるたくさんの口はヘルメスやメンフィスを嘲笑うかのように耳障りな笑い声を上げるばかり。それが余計にメンフィスの神経を逆撫でしていく。
「彼女も、母上も……あいつのことばかりで、悔しくて……嫉妬、して……」
「ヘルメス王子……」
「私が今更、言えたことではない……わかって、いる。だが……」
途切れ途切れに、時折苦悶の声を洩らしながら紡がれる言葉の数々に、メンフィスは胸が締め付けられるような想いになった。
メンフィスは、ヴェリア王家のことを詳しくは知らない。
勇者の子孫だから、と王族にも横柄な態度を取り続けてきた無礼者、もしくは魔族に魂を売った裏切り者として認識している部分が強かったが――彼が心に秘める闇は普通の子供のものとそう違いはなかったのだ。
ヘルメスは次期国王として幼い頃から勉学に勤しみ、武術にも精通してきたものと思われる。ジュードやエクレールのように自由に遊び回るなどできなかったことだろう。
ジュードは明るく人懐こいが、手がかかる存在。父ジュリアスも母テルメースもそんなジュードに構う時間は、とても多かったはずだ。その一方で長男として生まれたヘルメスは寂しい想いをしてきたものと思われる。
唯一惚れ込んだカミラもジュードに好意を寄せ、両親はジュードとカミラの気持ちを尊重して二人の婚約を認めてしまった。
「母上と、妹……国の、者……弟のことを……頼ん、だ……」
ヘルメスはそれだけを辛うじて喉奥から絞り出すと、糸が切れたようにがっくりと頭を垂れた。両腕から力が抜けたところを見ると、意識を飛ばしてしまったようだ。
メンフィスは片足の踵に力を入れて己の身を支え、固く歯を食いしばって拳を握り締めた。左肩に突き刺さった触手に喰われて、左側は既に使い物にならない。肉は削げ落ち、太くたくましかった腕は今や枯れ枝のようだ。少し叩けば折れてしまいそうなほど、不気味に細くなってしまっている。生き残ったとしても、もう腕としての役割には期待できないだろう。
「ぐおおおおおぉッ!!」
だが、メンフィスは絶望に呑まれたりはしない。残った右手で一際太い触手を鷲掴みにするや否や、片足を軸に大きく身を翻す。力任せに引っ張ったことでカラミティはバランスを崩し、大きく転倒。それでも更に強く引くことで引きずり回すと、大木の根のように地中深くに巡らせた触手の群れが次々にずるりと抜け出てくる。
『ギイイィッ!』
「なんだ、怒っているのか? 貴様が今感じている怒りよりも、ワシの方が百倍は怒っておるわ!!」
触手を掴んだ腕を振り回すことでカラミティを放り、メンフィスは近場に落ちていた剣を拾い上げてカラミティの肉部分から伸びた無数の触手を叩き斬る。そうすることで、地中に潜ったものとカラミティとを分断したのだ。
転倒させた際にヘルメスの身にも傷は付いてしまっただろうが、それは仕方ない。メンフィスは大きく息を乱しながら、それでも双眸に確かな怒りを宿してカラミティを睨み据え、身構えた。自分が死んででも、ヘルメスをあの肉の塊から引き剥がさねば――その一心で。




