第十三話・カラミティの力
ヘルメスと対峙するメンフィスは、次々に倒れゆく部下を後目に奥歯を噛み締める。見るからに醜悪な印象を与えてくるこの生き物を前に、部下たちは幾分か狼狽していた。それでも果敢に戦おうとしたのだが、メンフィスは彼らを逃がそうとしたのだ。
――ここは自分が引き受けるから先に里へ向かえ、と。
ヘルメス本人に意識はないものの、辺りには第二部隊の面々が倒れ伏している。内臓を抉られた痕跡がある者や、足や腕がなかったりと思わず目を背けたくなる者ばかり。
つまり、それほどの力を持った敵なのだろう。部下たちに無理をさせるのではなく、彼らを逃がす方がよいと判断したのである。
だが、メンフィスの命令を聞き里に向かおうとした者たちをヘルメスは――否、カラミティは見逃さなかった。
背中に背負う不気味な塊からいくつもの鋭利な触手を伸ばすとそれを大地に突き刺し、あろうことか地中を通して彼らを足元から襲撃したのだ。
「が、ああぁ……ッ!」
「なにっ!? おのれ、やめんか!!」
撤退すべく駆け出した騎士たちの足元からは地中を通ってきた無数の触手が飛び出し、彼らの足や腹部を問答無用に突き刺していく。そして生きた状態のまま、その血肉を喰らい始めた。
皮膚がまるで液体のように溶け始め、突き刺さった触手の中へ次々と呑み込まれていく。人の原型を留めなくなった部下たちの姿にさしものメンフィスも目を見開いて驚愕したが、即座に我に返りそちらへと飛び出した。
両手で持つ大剣で触手を一刀両断、叩き斬ることには成功したが――部下たちの身は元に戻ることはなく、支えを失った人形のように地面に倒れ伏してしまった。皮膚だったものがどろりと足元に広がる光景に、メンフィスは嘔気を覚えて数歩後退る。
『ク、キキ……』
「おのれ……おのれッ、この怪物め!!」
このような危険な生き物を野放しにするわけにはいかない。
メンフィスはその厳つい風貌に怒りをありありと滲ませるや否や、勢いよく大地を蹴り駆け出す。できるだけヘルメスに傷をつけることはしたくないが、状況が状況だ。無傷で確保することは難しい。
脳に直接響くような不気味な笑い声を洩らす生き物を見据え、メンフィスは躊躇なく大剣を振り回した。
『キッキッキ!』
けれども、地中から勢いよく触手を引き抜くと、まるで手のように自由自在に動かしてメンフィスの剣を難なく受け止めてしまう。その程度で怯むメンフィスではないが、非常に厄介だ。目視で確認できるだけで、その本数は六本ほど存在している。
メンフィスの剣を受け止めた四本はそのまま刀身に絡みつき、残りの二本は両脇から彼の身を狙った。力任せに剣を引いても、触手は離れない。剣を捨てて身を守るか、それとも――そこまで考えてメンフィスは剣から手を離して後方に飛び退いた。
「(力も半端なものではない、このような生き物をジュードたちに任せるわけには……!)」
ジュードたちだけではなく、こうしている今も次々と後続部隊が上陸を始めているはずだ。最終戦に少しでも戦力を投入できるよう、これ以上の犠牲を出すわけにはいかなかった。
メンフィスが持っていた大剣を高々と持ち上げた不気味な生き物――カラミティは、肉の表面についている口の一際大きなものを開くと、剣の刃を下に向けて己の口の中へと差し込んでいく。文字通り呑み込み始めたのだ。
「な……ッ!?」
ヘルメスの背に鎮座する肉の塊は幼い子供ほどの大きさだ。メンフィスの大剣を真上から呑み込めば、下から突き出てきてもおかしくはない。
しかし、刃は飛び出てくることはなく、あろうことか依然として固く目を伏せたままのヘルメスの右手から勢いよく突き出てきたのだ。ヘルメスの手の平を突き破り飛び出てきた刃は、柄を持たぬ刃のみ。その大きさ、太さからメンフィスの剣であることは容易に理解できた。
「なんと面妖な……!」
ヘルメスの意識は――今もまだ途切れたままだ。ぐったりと頭を垂れて、生きているのかどうかさえ見た目からでは判断できない。だが、剣が突き出てきたことで彼の手の平からは鮮血が滴っている。
恐らく、生きてはいるのだ。正体さえ定かではない不気味な背中の生き物に寄生されているせいで、意識が正常であるとは思えないが。
ヘルメスは生きている。いくら民を裏切った王子だとしても、単純に裏切り者だと始末することは――メンフィスにはできなかった。
『キキキキッ!』
「くうぅ……っ、どうする、王子を生かしたまま奴だけをやるのは……!」
笑い声らしきものを上げながら飛びかかってきたカラミティを前に、メンフィスは奥歯を噛み締める。改めて一度後方へ飛び退くと同時に、部下が抜身のまま持っていた剣を拾い上げて身構えた。
ヘルメスに寄生しながらも、その動きは非常に俊敏だ。左右や後ろに回り込んで背中の物体だけを攻撃するのは非常に難しい。敵は触手に加え、ヘルメスの右腕を振るって剣で攻撃を叩き込んでくるというのに――対するメンフィスは防戦一方だ。
『キッキッキッキ!』
「――なにっ!?」
カラミティは愉快そうな笑い声を洩らすと、上体を低くして再び飛びかかってくる。鞭のように撓り、振り回された触手をメンフィスは剣の刃を寝かせることで防ごうとしたのだが、そんな彼の背中部分に突如として激痛が走ったのである。
叩きつけられた触手を受け止めてから顔を横向け、視線だけで後方を見遣るとメンフィスの左肩の付け根に先ほど叩き斬った触手が突き刺さっていた。本体から離れても尚、息絶えることなく血肉を求めて彷徨っていたのだ。
「ぐううぅッ!!」
突き刺さった触手は本体から離れているにもかかわらず、その機能を失っていないらしい。メンフィスの肩の付け根に突き刺さったまま、彼の血肉を喰らい始めた。
意識が全て持っていかれるような錯覚を覚え、流石のメンフィスの口からも苦悶の声が洩れる。歯を食いしばってなんとか意識を繋ぎ留めるが、状況は決してよいものとは言えなかった。
* * *
その一方、上空で火の魔将と交戦していたシルフィードは四方八方を取り囲むガーゴイルの群れと、その中央で真っ赤な炎を纏う敵を前に苦戦を強いられていた。
火の魔将だけでも厄介だというのに、交戦している最中にあちらこちらからガーゴイルが襲撃してくるのだ。ひとたび風を発生させれば、群れなど簡単に葬ることはできる。だが、死を恐れることもなく次から次へと襲いかかり攻撃を加えてくるのだから、流石のシルフィードも堪ったものではない。
ガーゴイルの群れを相手にすれば、その隙を火の魔将が見逃さずに的確に攻撃を叩き込んでくる。
その繰り返しで、シルフィードの身は既にボロボロだ。対峙する火の魔将――バーネックは、そんな彼を小馬鹿にするように笑う。バーネックは大きな鳥の姿を持つ魔族だ、鋭い嘴を叩き合わせて小刻みにリズムを刻む。
「クククッ、得意とする空中戦で嬲られる気分はどうだ?」
「……あまりいいとは言えないな」
「そうだろうよ、これ以上の屈辱を味わう前に楽にしてやろうじゃないか」
バーネックがそう告げて両翼を大きく開くなり、周囲に群れていたガーゴイルたちがじわじわと距離を詰めてくる。その様は、弱った獲物を狩ろうとするハイエナのようだ。数は、軽く見ても百は超える。
「神柱は神が生きている限り死なぬと聞いたが、その首を喰いちぎっても生きていられるのかな? やれ、殺してしまえ!!」
バーネックが指示を出すと、シルフィードを取り囲んでいたガーゴイルたちは一斉に彼に飛びかかった。グレムリンの攻撃ならばそれほどのダメージにはならないが、ガーゴイルは打たれ弱い代わりに攻撃力は高い。百を超える群れに一斉に斬り裂かれれば、いくらシルフィードと言えどただでは済まない。
両手に風の魔力を集束させていくが、全てを吹き飛ばすのは流石に難しいだろう。
だが、そんな時だった。
シルフィードの右斜め正面から、巨大な光が猛烈な勢いで飛んできたのだ。真っ白な光線はガーゴイルの群れの一部を吹き飛ばすのではなく、跡形もなく消し去ってしまった。それを見て、今まさに襲いかかろうとしていた他のガーゴイルたちは狼狽を始める。
「なにッ!? なんだ、何事だ!?」
それには余裕綽々といった様子を醸し出していたバーネックも驚愕の声を上げ、弾かれたようにそちらを振り返る。
しかし、バーネックが振り返るのとその真っ赤な片翼が切断されるのは――ほぼ同時だった。
バーネックの頭上から降り注いだ白の刃は、本来ならばその頭を狙ったのだろうが、直前で振り返ったことで僅かに照準がずれたのだ。反応さえできなければ、今の一撃で首を叩き落されていただろう。
「そちらが複数で襲ってくるのなら、こちらも相応のもてなしをしなければいけませんね」
それは、空中戦を引き受けてくれた光の大精霊セラフィムだった。上空で戦っていた彼女だからこそ、シルフィードに群がるガーゴイルたちに気付けたのだろう。
片翼を切断されたバーネックはバランスを失い、鮮血をまき散らしながら見るも無残に地上へと転落していく。残された片側で必死に羽ばたくが、その身を支えることも浮上させることもできなかった。
最後の抵抗とばかりに炎を纏う羽根を無数に飛ばしてきたが、セラフィムが片手に持つ槍を薙ぐように振るうと空気に溶けて呆気なく消えていく。
「セラフィム……すまない、面倒をかけたようだ」
「いいのですよ。その代わりワルキューレを残していきますから、少しだけ空の敵を引き受けてください。フィニクスやオンディーヌも魔将と交戦中ですので、わたくしは援護に向かいます」
バーネックは地上に落ちていったが、相手は魔将。あれで倒せたとはシルフィードもセラフィムも思っていない。再び襲ってくる前に戦況を落ち着かせる必要があった。
セラフィムの言葉にシルフィードはしっかりと頷き、狼狽するガーゴイルの群れに向き直る。セラフィムはそんな彼を確認すると、眼下に見える森へ向かって急降下して行った。




