第十一話・精神的な強さ
「はあぁ……聖地ヘイムダルって、なんかこう……聖地って感じしないわね。もっと神秘的な場所なのかなって思ってたんだけど……」
マナは荒れ果てた聖地の中を歩き、辺りを見回しながらポツリと思ったままを呟いた。
行き着いた聖地ヘイムダルの中は荒れ放題だ。元々は美しかっただろう花壇は花が完全に枯れ、無残にも踏み荒らされた痕跡ばかりが目につく。
家屋も魔族たちには必要ではなかったらしく、全てが内側から破壊されていた。建物を形成していた木の腐敗具合から、破壊されたのがここ最近ではないことが容易に窺える。
隣を歩いていたウィルは緩く眉尻を下げて薄い苦笑いを滲ませ、少しばかり先を行くルルーナは幾分か呆れたような顔でマナを振り返った。
「仕方ないでしょ、魔族に占領されてたんだから。カミラちゃんの前では言うんじゃないわよ」
「うっ……そう、よね。カミラにとっては故郷なんだし……」
「ですが、本当にひどい有様ですね……家屋は全て壊されていますし、休める場所の確保と言っても外で眠るしかなさそうです」
「……そうだな。まぁ……どこに敵が潜んでるかわからない中で寝るよりはマシだろうさ」
イスキアに休める場所を確保しておけ、と頼まれはしたものの、なかなかに難しい状況だ。
破壊された家々は使い物にならないほどにボロボロで、修繕などとてもではないが間に合いそうにない。むしろ、修繕作業をすれば余計な体力を使ってしまうだけだろう。明日は最終戦、泣いても笑っても最後の戦いになるのだ。力は温存しておくに越したことはない。
ヘイムダルの外で野宿するよりは安全だろうが、この分だとリンファの言うように外で眠るしかないだろう。
「簡単なものでよければノームがベッドとか作れるナマァ」
「本当か?」
「タイタニアが戻ればもっとたくさん作れるナマァ、地べたで眠るよりちょっとは身体も楽になるかもしれないナマァ」
ノームの言葉に、それまでげんなりとしていたマナは表情を明るくさせた。いくら仕方がない状況とはいえ、休む時はある程度しっかりとした寝床で眠りたいのだろう。
数歩先を歩いていたルルーナは改めて肩越しにそんな様子を確認して、やれやれとばかりに小さく頭を左右に振る。最初はマナよりもお嬢様育ちのルルーナの方がそういった気持ちの方は強かったのだが、精神的に随分とタフになったものだとルルーナ自身そう思った。今や粗末な寝床だろうと、わりとどこでも眠れるようになっていたのだから。
「この分ではカミラ様たちの方も希望は薄そうです、ノーム様がいてくださって助かりましたね」
「はぁ……マナったら、ほんとワガママなんだから……」
現在、カミラはクリフやグラム、エクレールと共にヘイムダルの別の場所を見て回っている。このヘイムダルはカミラの生まれ故郷だ、彼女ならば休める場所を知っているかもしれない。そう思ったのだが、見るからに荒れ果てた周囲の様子を見る限りでは期待はできないだろう。
ウィルは秘境のひとつ、聖地ヘイムダルに内心期待していたのだが――現在目に映る光景には、憤りを覚えるほかなかった。
このヘイムダルにも多くの人間が住んでいたのだから、元々は人が住める美しい場所だったはずだ。
だというのに、今の状況は無残にも破壊し尽くされた廃墟と称してもおかしくはない。聖地ヘイムダルをこのような姿にした魔族に対する純粋な怒りを感じていた。
* * *
「……カミラさんたち、大丈夫かな。みんな疲れてるのに……」
「一番疲れてるのはマスターだに」
『ライオットの言う通りだ、王子よ。お前は今も共鳴の能力で我の力を拡散させている。それに先ほどはベリアルと交戦したことで、同時に交信もしていただろう。お前にかかる精神的な負担は非常に大きい、大人しく身を休めておけ』
そんな中、ジュードはヘイムダルの中心部にある大木の傍に座り込んでいた。彼も休めそうな場所を探しに行こうとは思っていたのだが、カミラやウィルに制されてこうして休憩している。
ヴァリトラが言うように、この間にもジュードの精神力は使用し続けている共鳴の力によってすり減っていくばかり。契約のお陰で能力使用時の精神的負荷は大幅に軽減されているが、まったく影響がないというわけでもないのだ。
明日が本番、ジュードがヴァリトラの力を仲間に与えることができなければ、恐らく勝ち目などない。こうして少しでも身を休めることは決して無駄ではないのだ。
ライオットやヴァリトラからかかる言葉に、ジュードはそれ以上はなにも言わずに小さく頷く。単純に無理をして勝てるような戦いではない、少しでも万全の状態にしておく必要があることは――日頃からおバカおバカと言われる彼にもよくわかっている。
それ以上グダグダと言葉を並べ立てるよりも、その視線は依然として目を覚まさないジェントに向けられた。彼は今もまだ、ジュードに凭れる形で眠り続けている。
「……ヴァリトラ、聞いてもいいかな」
『うむ、ジェントのことか?』
「うん。……さっきの奴に付け込まれるくらい色々な傷を負ってるんだな、って」
ベリアルは相手の心の闇を覗いて精神的に追い詰めてくる、と先ほどヴァリトラは言っていたはずだ。ジュードとてまったく気にしていないということはない、ほんのりと記憶に残る実の父がそのような最期を遂げていたなど――想像するだけで吐きそうになる。
しかし、心の闇に囚われるのではなくベリアルを討ったのは、魔族に対する怒りの感情の方が遥かに強く表れたからだ。
ライオットはユニコーンの姿から常のふざけた身に戻ると、ジュードの傍で腹這いになって身を休めるちびの頭の上に飛び乗る。ちびと同じように伏せてジェントを見つめる様子は、とても心配そうだ。
もっとも、相変わらず瞳孔が開いたような目のせいで緊張感はないのだが。
『……お前とジェントはよく似ている。だが、明らかな違いは……お前は仲間の影響を受けたということだ』
「影響?」
『魔族がお前を狙っていた頃は特に苦しかっただろう、自分のせいで仲間を危険に晒してしまうのだと悩んで。しかし、お前はその仲間に支えられ、罪悪感を抱え続けるのではなく仲間を信頼する方に変わっていくことができた』
ヴァリトラがゆっくりと語る話に、ジュードは聞き入るように静かに目を伏せて言葉もなく頷いた。
自分のせいで、自分がいなければ――そう思ったことは何度もある。そうすることで、どれほどカミラや仲間を悲しませてきたことか。
ジュードを守ろうとウィルが命を懸けて戦ったこともあった。当時を思い出せば、今もまだジュードの心にはトゲが刺さったかのような鈍い痛みが走る。
『ジェントはお前のように魔族に身柄を狙われていたわけではないが、仲間の影響を受けるということができなかった。……この男は、強すぎたのだよ』
「……?」
『ジェントは元々、魔物狩りとして生計を立てていた身だ。聖剣を持つ前から鬼のように強かった。そしてその強さは人々の希望となり、多くの期待を寄せられたものだ』
現にジュードもそうだ。これまでの訓練の中で、自分にできるのかと自信を持てずにいた時、いつも決まって彼が励ましてくれた。過分なまでの褒め言葉と共に。
ジェントが人々の希望であり、期待を寄せる。ジュードにはわかる気がした。
『しかし、それらの期待は次第にジェントを孤独にしていったのだ。寄せられる期待が大きく、多くなれば、それだけ強く完璧な存在でいなければならない。弱いところを見せれば周りが不安になってしまうからな。その結果、弱音を吐くことも弱さを見せることも……できなくなった』
「……!」
『お前はベリアルの精神攻撃に対し、闇に囚われるのではなく怒りを爆発させることができたが、ジェントの場合はそうではない。完璧であらねばならなかったために、仲間を守れなかった自分の無力さを必要以上に責め立て、こうして闇に呑まれてしまったのだ』
淡々と語られた言葉に、ジュードは一度驚いたように目を見開いたが、すぐにどこか悔しそうに眉根を寄せた。
彼が生きた時代は今よりも遥かにひどいものだったと聞いた覚えがある。そのため、戦い続けるには強くなければならなかったのだろう。ジェントは己の強さを見せることで人々や仲間を支えたのだ。
けれども、それと引き換えに彼はいくつもの大きな傷を心に負った。一人で傷を抱え、それでもなお戦い続けた結果、今の世界があるわけだが――なんともやり切れない気持ちになる。
『身体的な強さはまだまだジェントの方が上だろうが、精神的な強さは……お前の方が遥かに上なのだよ』
「(確かにオレも、ジェントさんのことは完璧だって思ってた。メチャクチャ強くて、でもすごく優しくて、怖いものなんてなさそうで……でも、違ったんだ……そうだよな、ジェントさんだって人間なんだから)」
ジェントが抱える傷も闇も、簡単には想像できないほどに深く重苦しい。慰めるための言葉さえジュードの頭には浮かんでこなかった。それがまた、歯がゆさに拍車をかける。
『……よいか、王子よ。誰かが一人だけ強くとも駄目なのだ。明日の最終戦、仲間と協力しながら皆で必ず生き延びろ。ジェントにとっては、それが一番の慰めになるだろう』
「――うん、わかった。元々死ぬ気はないけどさ」
ジュードも仲間も、決して死ぬために来たわけではない。サタンを倒して、この世界に平和を取り戻すために乗り込んだのだ。ヴァリトラの言葉にしっかりと頷き返して返事を向けると、ちょうど騒がしくなってきた出入り口の方を見遣る。
第一部隊が到着したのだろう、これから続々と後続がやって来るはずだ。混雑する前に少しでも開けた場所に案内した方がいい。
ジュードは己に凭れるジェントの身をそっと傍らのちびに預けると、座していた草むらから立ち上がった。




