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第九話・禍々しい気配


『――オンディーヌ、オンディーヌ。聞こえますか?』


 旗艦の船首部分に佇み、手に持つ槍を振るうことで様々な魔法を放っていたオンディーヌの頭に、突如として凛とした女性の声が響く。それは上空で魔族の群れと交戦する光の大精霊セラフィムのものだ。

 オンディーヌは攻撃の手を休めることはせずに、その声に返答を向けた。


「聞こえている」

『この禍々しい気配はなんです? あなたの元になにかいますか?』

「……いや、先ほどから気になってはいたのだが特にそれらしい姿は見えない、そちらもか?」

『ええ、いるのはグレムリンとガーゴイルばかりです。こちらにもそのような気配を放つものはいません』


 どこから湧いてくるのかと言いたくなるほどの魔族の群れは、右や左、果てには後方から次々に攻め込んでくる。オンディーヌは旗艦と共に他の船を守りながら、それらの群れを魔法で薙ぎ払っていた。

 けれども、そんな彼もセラフィムの言うようにひとつの異変を感じ取っていたのだ。


 腹部に言いようのない不快感を与えてくる、形容し難い不気味な存在。胃の中のものを全て吐き出してしまいたくなるほどの嫌悪感だ。この正体はなにか、それを目視で探してはいたのだが、特になにも見当たらない。こちらも上空と同じく、いるのはガーゴイルの群れがほとんどだ。それらは、謂わば雑魚でしかない。

 陸地の魔族が徐々に撤退を始めたのを見て、つい先ほどメンフィス率いる部隊が上陸したばかりでもある。オンディーヌは僅かばかりの逡巡の末に、改めてセラフィムに呼びかけた。


「……セラフィム、こちらにワルキューレ部隊を回してくれ」

『どうするのです?』

「つい先ほど、後続部隊と旗艦に残っていたものが上陸したばかりなのだ。……少し嫌な予感がする、この場は任せた」

『……わかりました、そちらも我々で引き受けます。頼みましたよ』


 メンフィスはグラムと並び、人間たちから英雄と称されるほどの人物だ。そんな彼と彼が率いる部隊が魔族の残党などにやられることはないだろう。特に今は、ジュードの共鳴(レゾナンス)で全部隊の能力が向上している真っ最中なのだから。

 しかし、払拭し切れぬ嫌な予感は依然としてオンディーヌの胸を占めている。セラフィムからの返答を聞いて、オンディーヌはふわりと宙に浮かび上がると陸地へ向けて飛び出した。


「(気になるのは……なぜこの禍々しい気配から光の魔力(・・・・)を感じるのか、だ。もしや、マスターや巫女になにか……いや、だとすればフィニクスたちが報せてくるはず。どうなっているのだ、一体……)」


 地面を埋め尽くすかのように辺りに転がる魔族の亡骸を見下ろしながら、オンディーヌはメンフィスたちの後を追った。

 なにもなければそれでいいのだ。心配だから来てくれたのかと愉快そうに、それでいてどこか嬉しそうに高笑いを上げてくれれば。

 逸る気持ちを抑えながら、生い茂る木々をかき分けてオンディーヌは奥へと急いだ。


 * * *


「勇者様! ど、どうしたの!? ジュードは大丈夫!?」

「あ、ああ、オレは平気。なんともないよ。……みんなは?」

「俺たちも平気、だいぶクタクタだけどさ」


 ベリアルを撃破したジュードはライオットの背に跨り、一足先にヘイムダルへと向かった。

 ヘイムダルの中にはまだまだ多くの魔族が屯していることだろう、ウィルたちが合流する前に少しでも数を減らしておこうかと、そう思ったのだ。

 しかし、ベリアルの部隊が拠点にしていたのか、行き着いた聖地ヘイムダルの中はからっぽ――もぬけの殻だった。そこで、ジュードはヘイムダルの出入り口付近でライオットの背から降り、ジェントを休ませていたのである。そこへ、少しばかり遅れてウィルたちがやってきた。


 マナは疲れた様子でダラダラと歩いていたのだが、木の根元に座り込むジュードと、そんな彼に凭れるジェントの姿を見るや否や大慌てで駆け寄ってくる。

 ウィルの言葉通り仲間たちは随分と疲れているようだが、幸いなことに大きな怪我を負った者はいないようだ。恐らくカミラの治癒魔法のお陰だろう。傷を負ったとしても彼女がすぐに治療してくれる、カミラが無事であればある程度は戦い続けられるのだから。


「ジェントさんも……大丈夫だよ、少し休めば元気になるさ」

「そ……そう、なの?」


 ジェントは正確に言うと今は既に人間ではない、身体的なダメージを負うことはないのだ。だが、精神的なものであるからこそ質が悪い。心に負った傷はどのような魔法でも治療できないからだ。

 イスキアは暫しそんな彼らの様子を見守っていたが、やがて傍にいたフラムベルクやタイタニアと共に辿って来た道を振り返った。頭の上ではトールも神妙な面持ちで息を呑んでいる。


「……ジュードちゃん、みんなも。疲れてるでしょうけど後続が来た時のために休める場所は確保しておいて」

「あ、はい。イスキアさんはどうするんですか?」

「アタシたちはまだまだ元気だから、その後続の援護と案内をしてくるわ。あなたたちは最終戦の要なんだから、今のうちに少しでも身体を休めておくのよ」

「サラマンダー、あなたはノームと共にマスター様のお傍にいなさい。このヘイムダルにも敵が奇襲を仕掛けてくる可能性がある」


 フラムベルクは傍らに付き従うように立つサラマンダーにそう告げると、早々に踵を返す。イスキアたちはそんな彼女の後に続いて来た道を引き返して行った。

 ヘイムダルを後にして暫し歩くと、大精霊たちはそれぞれ己のパートナーと一体化し――その身を神柱(しんちゅう)の姿へと変貌させる。


「ジェント様の意識がなくてよかったですわね、意識があればあの方にもオンディーヌの連絡が届いていたことでしょうし……」

「そうですね、そうなればあの子たちが引き返してしまいかねません。明日の最終戦に備えてそれだけは避けなくては……」


 四神柱(ししんちゅう)である彼ら大精霊には、オンディーヌから情報がもたらされていたのだ。正体不明の禍々しい気配を放つなにかが大陸にいる、と。その確認と先に上陸した部隊の援護にオンディーヌが向かうことも。

 明日が正真正銘、最後の戦いになる。そのためにジュードたちは少しでも身体を休めておく必要があった。余計な戦いに駆り出すわけにはいかないのだ。

 当然、ヴァリトラも理解しているだろう。ジェントであればジュードたちに言ってしまうかもしれないが、ヴァリトラならば――恐らくは言わない。


「正体を我々で突き止め、処理する。――行くぞ!」


 シルフィードはガイアスとフィニクスの言葉を聞きながら静かに頷くと、肌にひしひしと感じる不快感の元へ向かうべく、深い森の中へと飛び出した。

 ヴェリア大陸は林や森といった木々が非常に多い、エクレールが口にしていたようにこの地形を利用して戦うことももちろん可能だ。

 だが、身体に纏わりつくようなありありとしたこの不快感――いくら相手が身を隠していようと、探り当てることは容易だろう。犠牲者が出る前に急がなければ、と。先に飛び出したシルフィードの後を追って、フィニクスとガイアスも同時に森の中へと飛んだ。



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