第十八話・吸血鬼退治へ
「じゃあ、街の女の子達がいなくなったのは、その吸血鬼の仕業だったのね」
「ああ、吸血鬼は若い女の生き血を飲むって言うからな。餌として連れて行ったんだろう」
「真っ昼間から現れる吸血鬼ってなんなのよ、まったく……!」
ウィルとマナは街の住民達が用意してくれた宿の一室で身を休めていた。部屋の寝台ではジュードが横になっている。生きてはいるが、未だ意識を飛ばしたままだ。教会の神父に診てもらったが、取り敢えず外傷は右腕に刻まれた裂傷だけで、他は異常がないと言う。
ウィルは自ら治癒魔法を施しようやく痛みから解放されたのだが、完全にとはいかない。微かな痛みは多少なりとも残っていた。
マナはウィルから事の顛末を聞き、小さく溜息を洩らす。
彼女は吸血鬼が襲ってきていた際、宿にいたのだ。悲鳴を聞きつけて道具屋を後にしたのだが、逃げ惑う人々を見捨てられず安全と思われる宿へ誘導していた。中には幼い少年や老人もおり、見るからに力のない――か弱い住民達を放ってはおけなかったのである。
ウィルは向かい合って椅子に座るマナを見つめて、やがて安堵らしき息を一つ吐き出す。マナはそれを見て怪訝そうに目を細めた。
「……ウィル?」
「いや、不謹慎だけどさ。……マナは、連れて行かれなくてよかったと思って」
マナはあの場にいなかったからこそ、カミラやルルーナのように連れて行かれずに済んだのだ。
それはウィルの、飾らない本心であった。密かに想いを寄せる彼女が魔族の手に落ちなかった。それだけでも幸いだったのである。
しかしマナは微かに頬に朱を上らせたかと思えば、正面に座るウィルから視線を外して多少なりとも早口に言葉を紡いだ。
「な……何言ってるのよ、カミラもルルーナも連れて行かれちゃったのよ、ジュードだって……」
「あ、ああ。そう、だよな」
自分で言っておきながら、やはり不謹慎だとウィルは思う。他の仲間二人は魔族に連れて行かれ、可愛い弟分はその魔族の魔法を喰らい、未だに意識が戻らない状態なのだから。
ウィルは申し訳なさそうに片手で後頭部を掻き乱す。そんな彼を見て、マナはそれ以上とやかくは言わなかった。
「……ねぇ、ウィル。吸血鬼って魔族なのよね?」
「あ、ああ。そうだよ」
「魔族が現れるなんて、どうなってるのかしら……封印されたんじゃなかったの?」
マナの疑問は尤もである。
マナだけでなく、先程の戦闘風景を見ていた住民達も恐らくは同じ疑問を抱いていることだろう。彼らにも、あの男が魔族だと言う話は聞こえた筈なのだから。
魔族は嘗て勇者により魔王が倒された時に、勇者と共に戦った乙女――当時の姫巫女の力で、魔界の入り口もろとも封印された筈。つまり、魔族はこの世界にいない存在なのだ。
その魔族が、現実に存在している。それは衝撃的な事実であった。
ウィルはジュードから相談された時にその事実を知ったが、マナは知らない。そして魔族が再びこの世に現れた原因はウィル自身にも分からないことである。
しかし、幾ら考えても可能性として出てくるのは一つのみ。
「……封印が弱まった、のかもな」
魔族が封印されたのは、もう随分と昔のことだ。魔族が何もせずに手をこまねいているとも思えない。気が遠くなるほどの年月の経過と共に封印が弱まったところへ魔族が何かをした、ウィルの頭はそう考えを導き出す。
真実は分からないのだが。
そうして、また一つマナとウィルが溜息を洩らした時。ふとウィルの視界で何かが動いた。
「……? ……ジュード!」
なんだ、とウィルは気怠げに視線をそちらに向けたのだが、すぐに双眸を見開いて声を上げた。
つい今まで、呼吸をしているのか確認しなければ分からないほど――まさに死んだように眠っていたジュードが起き上がっていたからである。寝台の上で身を起こし、やや寝惚け眼で横髪を緩慢な所作で掻いている。今起きました、と言わんばかりの様子で。
ウィルが上げた声に反応し、マナも勢い良くそちらを振り返った。
二人は座っていた椅子から立ち上がると、容態を確認する為に大慌てで寝台の傍へと駆け寄る。
当のジュード本人は、右腕に巻かれた包帯を呆然と見遣っていた。爪で抉られた傷を手当てしたものである。
「ジュード、大丈夫か?」
ジュードは暫しぼんやりとしたまま包帯の巻かれた腕を見下ろしていたが、やがて自分を心配そうに見つめるウィルやマナに視線を向ける。
幾分申し訳なさそうに眉尻を下げて、ジュードは口を開いた。
「……悪い。オレ、また倒れたんだっけ……?」
ジュードの記憶はあやふやであった。寝起き故に上手く思考が働いていないと見える。二人は小さく安堵を洩らすと、ウィルにとってはあまり思い出したくはない光景を頭に描きつつ返答を向けた。
どちらにしろ、話さなくても分かってしまうことなのだから。
「ジュード、覚えてるか? 俺達あの吸血鬼に負けたんだよ」
「吸血鬼……」
これまで、幾らか強力な魔物に遭遇しても負けたりはしなかったのがジュードとウィルである。仲間の存在ももちろん大きいのだが、少なくともウィルには自分の腕に少々の自信もあった。
しかし、あの魔族の男相手にはほとんど手も足も出なかったのだ。悔しくない筈がない。
そして、ウィルの言葉にようやく思い出したらしい。ジュードはぼんやりとした寝惚け眼な様子から一気に覚醒を果たし、傍らに立つウィルの腕を掴むと頭から足元までを視線で辿った。
「そうだ、あいつ……! ウィル、大丈夫だったのか? カミラさん達は!?」
「俺は大丈夫だが、カミラとルルーナは……あいつに連れて行かれちまった……」
「……っ!」
言い難そうに答えるウィルに、ジュードは眉を寄せて視線を下げた。掴んだウィルの片腕を静かに離し、掛布団の上で固く拳を握り締める。自分の無力感を噛み締め悔いるような、そんな様子だ。
ウィルはジュードを見下ろし、閉口した。こんな時にメンフィスがいてくれたら、彼になんと声を掛けるだろうかと黙想する。そもそも、メンフィスがいたら魔族に勝てていた可能性もあった。
「……ジュード、どうするの?」
マナはやや躊躇いながら、街で話を聞いた時と同じ問いを彼に向ける。彼女はその場に居合わせなかったが、ほとんど歯が立たない相手に流石のジュードとて心が折れかけているのでは、と心配してのことだ。
だが、不安そうなマナとは異なりジュードはすぐに顔を上げると、翡翠色の双眸に確かな意志を宿して答えた。
「館に行く。カミラさん達はもちろん、連れて行かれた街の人達を助けるんだ」
ジュードの心は、折れてなどいなかった。
寧ろ闘争本能か何かが逆に燃え上がっているような気さえする。大切な仲間が連れて行かれたとなれば、やはりジュードは黙っていられるような男ではないのだと、ウィルもマナも思った。
二人はジュードの言葉に静かに、しっかりと頷きを返す。
「けど、どうやって? そいつ、かなり強いんでしょ?」
「ああ、動きが早くて、力も強かったと思う」
確かに、館に行くだけならば簡単だが、実際に館に入りあの吸血鬼と対峙するとなると話は別だ。それは決して避けては通れない道でもある。
カミラ達を助けに行くのなら、必ず戦う羽目になるのだろうから。
考え込むジュードやマナを後目に、ウィルは部屋の隅に置いてあるマナの鞄へと視線を向けた。
「吸血鬼は腐敗生物を使役する力を持ってるんだ。マナ、幾つか水晶を持ってきてたよな? あれに火の魔力を込めてくれ」
「え? ええ、いいけど……」
「アンデットは火に弱い。その親分である吸血鬼だって、多少は火に弱いのさ。どれだけ効くかは分からないけど、何もないよりはマシだろ」
ウィルは中級クラスまでの攻撃魔法を幾つか扱えるが、如何せん魔力はあまり高くない方である。
ウィルが放った火属性の攻撃魔法『フレアスプレッド』は期待した効果や威力は望めなかったが、直接武器に火属性を付与させれば結構な打撃を与えることが出来る筈だ。
ジュードが火の力を付与した訳ではない一般の剣でダメージを与えられたことを考えると、魔法への抵抗は高くとも直接的な防御力は低めなのだろう。多少なりとも効果的な火属性を武器に付与させて斬り付け、更に高い魔力を持つマナに同じく火属性の攻撃魔法で援護させれば、勝機が全くない訳でもない。
「こんなことなら、ルビーやガーネットを持ってきておけば良かったわね……」
「水の国に行くなら火は役に立ちそうもないって思ってたからなあ……備えあれば憂いなし、か」
火は水に対し無力である為だ。
火は風に強く、風は地に強い。地は水に対して強く、水は火に強いのだ。
氷は水の中に分類されるが、火と氷は互いに強く、弱くもある。火は氷を溶かし、氷は火を鎮火させる。どちらの力、魔力が強いかで決まるとも言えた。
火の国の騎士クリフが扱った雷魔法は水に対して強いが、地に対しては全くの無力と言える。大地は雷を通さないのだから。
闇と光は火と氷のようなもので、互いに強く互いに弱い。光は闇を払う唯一の力であるが、光を闇で覆い支配するのも闇なのだ。
「仕方ないさ、ウィルの言うように何もないよりはずっとマシだ」
「そうね……じゃあ、すぐにでも行きましょう。カミラ達が心配だわ」
吸血鬼は若い娘の生き血を吸う魔族である。
血を吸われた者は眷属と化し、完全に支配下に置かれてしまう。時間の経過と共に心身は闇へ染まり、いずれは魔族として生まれ変わってしまうのだった。しかし、吸血鬼が眷属としようとしなければ、血を吸われた女性はそのまま息絶えてしまう。あの男がどう言ったタイプかは分からないが、眷属になるのも命を落とすのも決して喜べることではない。
既に何人の少女達が犠牲になってしまったかは分からない。カミラ達も、すぐにそうなってしまうかもしれない。
その不安は、ジュード達に焦りを与えたのである。
* * *
宿の一室を後にしたジュード達は、ふとロビーから聞こえてくる怒声に気付き、階段の踊り場からそちらを見下ろした。
見ればカウンター前の広く造られた一角で、街の男達がエイルを取り囲んでいる。ジュードは目を見張り、足早に階段を降りていった。
「何がエリートだ、情けない野郎だぜ!」
「そうだそうだ、これだから都の兵士ってのはアテにならねぇんだよ!」
街の男達は今にもエイルに掴み掛らんばかりの勢いと剣幕で口々に文句を連ねている。ジュードは慌てたようにその輪に歩み寄ると、思わず声を掛けた。
「あ、あの、何かあったの?」
「ああ、兄さん。身体は大丈夫なのかい?」
すると、男達はジュードに向き直る。ジュードは彼らの問いに一度頷いた後、彼らとエイルとを何度か交互に見遣った。
近くにいた男がそんなジュードの様子を見て不機嫌そうに鼻を鳴らすと、またエイルへ視線のみを向ける。
「エリートだかなんだか知らないが、こいつは魔族を見てガタガタ震えてやがったんだ。いつもデカい態度で俺達を見下すクセによ、とんだ臆病者だぜ!」
「う……うるさい! うるさい、うるさいっ!」
ジュードはそこで、先の戦闘風景を思い返す。
確かに、エイルはウィルについて来ていたが参戦はしていなかった。吸血鬼の男との戦いや、捕まったカミラやルルーナに気を取られていて気付かなかったが、そんな状態だったのかと今更ながらジュードは思う。
やや遅れて階段を降りてきたウィルとマナに目を向けると、マナはその姿を確認したと言うこともあってか、言葉もなく小さく頷いた。
するとエイルは元々の高過ぎるプライドを刺激されたらしく、顔を怒りで朱に染めながら声を張り上げた。
「うるさいんだよ! 僕はお前達みたいなどうでもいい存在じゃない、エリートなんだ! 僕に何かあれば国全体の損失になるんだぞ!」
エイルが放ったその言葉は、その場に居合わせる者達の怒りを煽るだけであった。
いよいよ本格的に、男達はエイルに対し敵意と嫌悪感を示し始める。殴ろうと言うのか、ジュードの近くにいた腕っ節の強そうな男が指を鳴らしながらエイルへ近付くのを見て、ジュードはその後を追い、肩を掴んで止めた。男は当然納得いかないと言いたげな不愉快さを前面に押し出した表情でジュードを振り返る。周りの男達も同様であった。
しかし、ジュードは特に何も言わずエイルの正面まで歩み寄ると、彼と真っ直ぐに向き合う。
エイルは、唯一自分を理解してくれていると認識するジュードを目の当たりにして安心したように表情を綻ばせた。
――――が。
ロビーに一つ、乾いた音が響いた。
ジュードがエイルの頬を平手で打ったのである。
それには流石のウィルやマナも――憤りを前面に押し出していた男達も驚いたようにポカンと口を半開きにして見つめた。エイルは暫し状況に置いてけぼりにされたように呆然とし、やがて叩かれた箇所を片手で押さえながらジュードを見る。信じられない、何をされたか分からないと言いたげな様子で。
ジュードは怒るでもなく泣くのでもなく、ただ無表情であった。
「……なんで叩かれたか、分かってるか?」
ジュードが重い口を開き問い掛けても、エイルは呆然としていた。聞こえてはいるけれど、頭が追いついてこない。そんな状態であった。
先程まで怒声を上げていた周囲の男達も余計な横槍を入れることなく見守る。
「……どうでもいい存在って、なんだよ」
「ジュ……ド……?」
「ここにいる人達は、どうでもいい存在なのか?」
「だ、だって、そうでしょ……? こんな奴ら、一体何の役に立つって言うのさ……! いつだって助けて助けてって他力本願で、文句ばっかりで……」
当たり前のように返る言葉に、そこでようやくジュードは表情を歪ませた。曖昧なものではなく、明確な怒りの感情を表情に乗せたのである。それを見てエイルは怯えたように肩を跳ねさせると、何か言われるより先に声を上げた。
「そ……っ、そんな顔しないでよジュード! 優しくしてくれないジュードなんて――」
「嫌えばいいよ」
それは、エイルなりの自己防衛であった。傷付くのが嫌だからこそ、先に癇癪を起こして相手を黙らせる、自分が正しいのだと言うように。ジュードも今までは、それ以上何かを言うことはしてこなかった。
だが、今回ばかりは違う。大人しくなることはせず、被せるように静かに一言を放ったのだ。その言葉に、エイルは流石に驚愕に目を見開いた。
「……エイル。オレはさ、お前を守って庇う為の、都合のいい人形じゃないんだ」
「ジュード、なんで……なんでそんなこと言うんだよ!」
「オレは、エイルのことを友達だと思ってるよ。だから言うんだ。友達なら、ダメだと思った部分はちゃんと言葉にして伝えないと」
ジュードの言葉に、エイルはやはり怪訝そうであった。これまで友と呼べる存在がいなかった彼にとって、本当に理解出来ないのである。
エイルは貴族であり、エリートだ。今まで、命令すればほとんど誰もが言うことを聞いてくれた。だからこそ自分の思い通りにならない現実が理解出来ず、受け入れることも出来ないのである。
育った環境が彼をこうまで歪めてしまったのだと思えば、いっそ哀れでもあった。
「エイル、お前が宿に泊まった時に雨風をしのげる場所があるのは誰のお陰だ? 食事をしようと店に入った時、注文するだけで温かい飯が食えるのは誰のお陰なんだ?」
「……」
「誰かが、そこにいてくれるからだ。宿を提供してくれる人がいて、野菜を作ってくれる人がいて、食糧を運んでくれる人もいて。……お前は、お前の知らないところで多くの人に支えられて生きてるんだぞ」
「……ジュード……っ」
それでも、まだ何か言いたそうな表情を浮かべるエイルに構うことなく、ジュードは早々に踵を返す。
言葉はなくとも「行こうぜ」と片手を緩く上げることで促すウィルに頷き、そちらに足を向けた。だが、数歩進んだところで一度改めてジュードはエイルを肩越しに振り返ると、最後に一言付け加える。
「……なあエイル、お前は確かにエリートかもしれないけどさ。この世にどうでもいい存在なんか、いないんだよ」
その言葉がエイルにどう届いたかは分からないが、ジュードはもう振り返ることはなかった。