第五話・上陸に向けて
「オンディーヌ、陸の敵は任せましたよ」
「ああ、わかっている」
動きがあったのは翌日、まだ夜も明け切らぬ時間帯だった。
目的地であるヴェリア大陸が見えてきた頃に、それは明らかになったのだ。
船でやって来るということは、当然魔族とて考えていたことだろう。そのため、上陸すべく接岸しようとした場所に、魔族の群れが現れたのだ。
それだけではない、陸地にはもちろんのこと――上空にも無数のグレムリンとガーゴイルがうじゃうじゃと群れて空を覆い尽くしている。
セラフィムは即座に臨戦態勢に入り、空へと飛び立っていく。そんな彼女へ、次々に天空の騎士団ワルキューレが追従した。
彼女たちを見送ってから、オンディーヌは陸地に見える――数えるのも億劫になるほどの群れへと目を向けた。その顔は感情を宿さぬ無表情だが、彼の全身からは大気が震えるほどの膨大な魔力が放出され始めている。それを見てグラムとメンフィスは互いに頷き合うと、それぞれ左舷と右舷に散り周囲の船に前へ出ぬようにと身振り手振りで指示を出した。
「ど、どうするの?」
「殲滅戦でオンディーヌの右に出る者はいないによ、吹き飛ばされないように気をつけておいた方がいいに」
船の甲板中央で状況を見守るしかできなかったジュードたちは、大丈夫なのだろうかと思わず心配そうな表情を浮かべたが、ジュードの肩に乗るライオットはそう告げるや否や彼の衣服にしっかりと掴まった。
他の船に指示を出し終えたメンフィスはいち早く彼らの元に戻ると、陸地とジュードたちとを何度か交互に見遣ってから口を開く。
「……お前たちは今のうちに行きなさい。上陸用の小舟は用意してある」
「えっ、でも……」
「セラフィムとオンディーヌがおっても完全に制圧するには時間がかかる、群れはワシらが引き受けよう。お前たちは先に上陸し、ヘイムダルを奪還しなさい。早ければ早いほど、それはワシらの助けになってくれる」
カミラの故郷である聖地ヘイムダルは、依然として魔族に制圧されたままだ。ヘイムダルを奪還し、そこで少しでも身を休める必要がある。
ひと塊となってゆっくりと進軍するよりも、二手に分かれて動く方がよいとメンフィスは判断したのだ。魔族が現在拠点のひとつとしているだろう聖地ヘイムダルを制圧できれば、ある程度は楽になるはずと踏んで。それに、休める場所を確保できたという報せは自軍に純粋な安堵と喜びをもたらすことにも繋がる。
やや遅れて戻ってきたグラムは、ちらりと視線のみでメンフィスを一瞥した末にポンと軽くジュードの肩を叩いた。
「それが戦ってモンだよ、ジュード。仲間に背中を預ける勇気と信頼も必要さ」
「父さん……」
グラムもメンフィスも、過去に死闘を繰り広げて生き抜いた英雄だ。その二人が言うのだから、そういうものなのだろう。そしてそれは、決して間違っていない。
程なくしてジュードはしっかりと頷き、仲間たちと顔を見合わせた。
メンフィスはそんな彼らを視界の端に捉えると、その視線をグラムへと向ける。その表情はどこまでも真剣で、普段のふざけた様子など微塵も見受けられなかった。
「グラム、ヘイムダルの制圧は任せるぞ。ワシらは他の船と協力して敵の注意を引きつける」
「ああ、心配なんぞしとらんがヘマをしてくれるなよ」
「ふん、お前に心配などされようものなら病気になるわ」
だが、軽口だけはいつもと変わらず交わし合うとグラムは先に船の後方へと足を向ける。ウィルたちもそれぞれメンフィスに一礼してから、彼の後を追った。
ジュードも一度こそ足先をそちらに向けようとはしたのだが、ふと思い立ったように立ち止まり、身体ごとメンフィスへと向き直る。そんな彼を見遣り、どうしたのかとメンフィスは緩く瞬きを繰り返した。
「……メンフィスさん、気をつけてくださいね」
「……ふふ、お前に心配されるようになるとはな。ワシの方は大丈夫だ、お前こそ気をつけなさい。グラムの奴やクリフがついておるのだから、心配はしておらんがな」
ジュードにとってメンフィスは剣の師匠であるし、逆にメンフィスにとってジュードは――今は亡き息子を思い出させてくれた存在だ。手はかかるが、メンフィスは彼のことを面倒に思ったことはない。義理とはいえ、親友の息子というのももちろんあるのだが。
メンフィスはジュードの傍まで歩み寄ると、先のグラムのようにそっと彼の肩を優しく撫で叩いた。
「ジュード、命を無駄にするんじゃないぞ。カミラたちと協力し、自分と仲間のどちらも大切にしなさい」
「はい」
「全て終わったら、またのんびりと稽古でもしよう。お前はまだまだ粗削りだからなぁ、はっはっは!」
その言葉に、ジュードは思わず眉尻を下げて薄く苦笑いを滲ませた。
メンフィスは長い間、火の国の騎士団長として国を守ってきた騎士だ。その彼から見れば、ジュードはまだまだ子供だし、未熟なのである。
全てが終わったら――その未来に想いを馳せると、ジュードの顔には自然と笑みが浮かぶ。この戦いが終わったらどうするのか、その選択を彼は既に終えている。それを考えてのことだ。
「――行ってきます、メンフィスさん」
「ああ、行っておいで。ヘイムダルで会おう」
「シヴァさ……いや、オンディーヌ、先に行くね!」
「うむ、お前たちの船には攻撃など加えさせん。安心して行け」
「うに! マスター早く行くに、みんな待ってるによ!」
船首部分に佇むオンディーヌにそう声をかけると、彼はこちらを肩越しに振り返り淡々とした口調でそう告げた。ライオットはジュードの肩の上でぴょんぴょんと跳びはねて彼を船の後方へと急かす。その言葉通り上陸用の船の傍では仲間が待っているだろう、ジュードは跳ね回るライオットを宥めてから船の後方へと向かった。
オンディーヌとメンフィスがいれば大丈夫――そう信じて。
だが、この時。ジュードはもちろん、メンフィスやオンディーヌも知らなかった。
陸地に待ち受ける魔族の群れの中に、覚えのある姿が紛れていることを。




