第三十二話・未来へ向けて
翌日、昨夜カミラに話した通りジュードは城の中庭に足を運んだ。彼の隣にはちびの姿もある。
中庭にはヴァリトラを筆頭に精霊たちが集い、ジュードがやって来るのを待っていた。彼ならばきっと逃げずに来る、そう信じていたのだろう。
庭先へと姿を見せた彼を見て、イスキアは一度こそ困ったような表情を浮かべはしたものの――それでも、すぐに常の如くふわりと優しく笑ってみせた。
「いらっしゃい、ジュードちゃん。……心は、決まったみたいね?」
「うん。……って言っても、元から悩んでたわけじゃないんだけど……」
「……そうね、あなたはそういう子だものね」
「そうだに、マスターは考えるのが苦手なんだに」
イスキアからの問いにジュードは困ったように片手で己の後頭部を掻いたが、続くライオットの言葉には軽く眉を寄せて抗議らしき声を向けた。ウィルがいつも言うことなのだが、本当にライオットは自分の主をよく貶す。
だが、考えるのが苦手なのは事実だ。だというのに、以前はよくウジウジ考えては出口のない迷路に迷い込んでいたものだと思う。当時のことを頭の片隅に思い返して、ジュードは薄く苦笑いを滲ませた。
「(……今はもう、あれだこれだって悩んでなんかいられない。オレは確かに精霊やみんなの助けがないとなにもできないけど、与えられたこの力で自分にできる精いっぱいのことを全力でやるんだ)」
シヴァはそんなやり取りを暫し静観していたものの、程なくして小さく吐息を洩らすと切れ長の双眸を細めながらゆるりと小首を捻る。
「……考えるのが苦手なお前には聊か厳しいかもしれないが、仕方ないな」
「……え?」
「王子よ、これからお前には精霊たちを相手に戦ってもらう。精霊を使役する主たるもの、精霊たちが持つ特性や能力をしっかりと把握せねばならん。どの精霊がどういった力を持ち、どのような戦法を得意とするのかをな」
シヴァの呟きにジュードは不思議そうに瞬いたが、続いて向けられたヴァリトラの声には思わずぽかんと口を開いた。――否、それくらいしか反応ができなかったのだ。
以前サラマンダーと戦った際には、満足に傷ひとつ付けることができなかった。そんな精霊たちと戦う――ジュードは思わず固唾を呑んで次の言葉を待つ。当時と今とでは明らかに力が異なるのは理解しているが、大精霊と真っ向からぶつかったことなど、そうそうない。あったとしても敵であった頃のフォルネウスとだけだ。
「仲間の参戦は認めぬ、お前の力で精霊たちと戦うのだ。ただ、聖獣フェンリルは既にお前の一部、ちびの参戦は認めよう。無論、お前の所有物となった聖剣の使用も可とする」
「こ、ここでやるの?」
「精神空間の中で、だ。そうでなければ下手をすると死んでしまうからな」
精霊とは、それだけの力を持っているのだろう。聖剣を以てしても下手をすると命を落とす危険があるほどの。
しかし、だからと言ってジュードが後に退くわけもない。ヴァリトラから向けられる言葉に、しっかりと頷きを返す。
それを見て、イスキアやライオットは改めて――困ったように笑った。いくら契約するためとは言え、これまで大事に想ってきた彼と全力で戦うなど、彼らも望んではいないのだ。
* * *
「はい、お疲れさま」
「ああ、サンキュ」
一方、城のテラスにはウィルとマナがいた。現在の時刻は正午をやや過ぎたところ、作業を中断して休憩中だ。そこへ、差し入れを持ってきたマナが顔を出したのである。
渡された水入りのボトルを呷り、中身を喉に通すとキンキンに冷えた水が作業の疲労を癒してくれるような錯覚を覚えた。皮膚に滲んでいた汗が徐々に引いていき、心地好い疲労感も同時に感じる。
「作業はどう? 進んでる?」
「ああ、グラムさんも鍛冶屋のおっさんたちもやる気だし……むしろ俺なんていなくても全然問題ない感じ」
「あはは、あたしたち三人で一人前レベルだもんね」
「三人でもまだまだ鍛冶屋としては半人前だよ」
ウィルは緩く肩を疎ませると、そっと薄い苦笑いを滲ませた。
彼らは武具に属性を付与させる特殊な技術を買われただけであって、彼の言うように鍛冶屋としてはまだまだなのだ。いずれも年若い身、それも致し方ないのだが――それでもウィルは僅かな焦りを感じている。
いつかグラムの跡を継いで立派な鍛冶屋になりたい。それは彼の純粋な夢だ。ウィルは優秀な商人の一家に生まれたダイナー家の長男ではあるのだが。
ぐ、と自然と握った拳に、ふとマナの手が包み込むようにして触れた。
「……マナ?」
「焦らなくてもいいじゃない、ヴァリトラが言うようにあたしたちまだ子供なんだから。これからなんでも、じっくりゆっくりやっていけばいいのよ。平和になったら修行だって好きなだけできるでしょ」
ウィルは暫しぽかんと口を半開きにしてマナを見つめていたが、やがて緩く眉尻を下げる。困ったような、なんとなく照れたような。そんな笑みを浮かべて。
いつからか、ハンマーを握るよりも武器を握っていることの方が多くなった。こんなことでグラムの跡を継いだりできるのだろうかと、焦りを覚えたことは以前もある。あの時は、本当にただ漠然と思っていただけだったが。
そこまで考えて、ウィルの口からは「はは」とひとつ笑いが零れた。
「これじゃ、ジュードのこと言えないな」
「あら、ウィルってジュードと似てるところあるわよ」
「やめろよ、俺はあんなに頭弱くない」
一頻り軽口を叩いて笑い合ってから、互いにその視線は街へと向けた。
城下街は未だに修繕などひとつもされておらず、荒れ果てたままだ。各国の兵士や騎士は最終戦に向けて鍛錬をしている者もいれば、船や食糧の確保に追われているし、ウィルたちのように装備を用意しようと全力を注いでいる者も多い。街の修繕にまで人手を割いていられないのだ。
全ては、この魔族との戦いが終わってからである。
「……全部終わったら、ジュードはどうするのかしら。未だに実感は湧かないけど、ヴェリアの王子さまなのよね」
「王子って感じじゃないけどな」
ヘルメスやエクレールであれば、王族と言われても納得はできる。ヘルメスは言動にこそ問題はあったが、王族らしい品があるし、立ち居振る舞いも庶民とは異なるレベルだ。
けれども、ジュードはどうか。元々の性格か、はたまた記憶がないからなのか。そのような品格は、悲しいかな微塵も感じられない。だが、ウィルもマナも別にそれでよかった。
「まぁ、どうしようと構わないさ。ジュードが変わっちまうわけじゃない、あいつが選ぶ道を応援するよ」
「……そうね」
ヘルメスが今後どうするのか、それもわからない。王位継承権は第一王子であるヘルメスが持っているが、魔族に加担した彼を人間たちは許せるのか、そしてヴェリアの民がついていくかどうかが問題だ。
そうなると、ジュードが王家に戻ることになる可能性は非常に高い。立派だと言われていた先代王ジュリアスの志は、恐らくヘルメスよりもジュードの方が強く継いでいるのだろうから。
それでも、結局はジュード本人が選ぶこと。頭の弱い彼が王になるなど不安しかないが、彼が選択する道を応援したい――ウィルもマナも、そう思った。
「……そういえば、マナ。防衛に出る前に言ってた話したいことって?」
「えっ」
「いっぱいあるって、言ってなかったっけ」
それは、彼らが各国の防衛に向かうために出立しようとしていた時のこと。いっぱい話したいことがあるから生きて帰ってこい、確かにマナはウィルにそう言葉を向けたはずだ。
彼の疑問がそれを指しているのを理解するなり、マナの顔はいっそ憐れなほどに真っ赤に染まってしまった。あの時は必死で、なんと言えばいいのかもわからずに勢いで言ってしまった部分もあるのだが――実際に問われると、なにをどう言うべきなのかまったくわからないのだ。
「な……なんでも、ないわ。ほ、ほら、こうやってジュードがこれからどうするのかな~って……ちょっと話したかっただけ、っていうか……はは、あはは……」
「……? そ、そう……か?」
マナの返答は明らかに不審だ、これ以上ないほどにしどろもどろになっているし、先ほどまで作業をしていたというわけでもないのに頬を冷や汗がいくつも伝っている。心なしか笑顔も引きつっているようにウィルは感じていた。
しかし、彼女がどのような答えを出すのか――気持ちの整理ができるまでのんびり待つと決めた手前、そういう系統の話なのかと聞くわけにもいかない。
気にはなるものの、結局どちらとも暫しの間、街の景色を眺めていた。




