第二十八話・ふたつの選択肢
各地に分かれて防衛にあたった仲間たちが王都ガルディオンに帰り着いたのは三日後、五日後とバラバラだった。
行く時と異なり、帰りは各地の兵士や民を連れての移動が強いられたのだから当然なのだが。特に地の国は土地が広く、そのため人口も他国と異なり非常に多い。魔族を恐れて火の都に避難すべく集まった者たちを守りながらの旅路は、とても大変なものだったのだ。
グラムとルルーナの帰りが、分かれたメンバーの中で一番遅かった。
そして、彼ら全員が無事に火の都まで帰り着いた翌日。
ボロボロに崩れた城の通路を通って、ジュードたちは謁見の間へと足を向けた。正直、彼らの疲労はまだほとんど取れていない。無事に再会できたことを喜び合う時間も元気もなかっただが、あまり休んでいられないのも事実である。
今後、どう動くべきなのかウィルやルルーナは既に理解している。神器が揃い、各国の王族が協力関係を結べた以上――魔族の拠点があるヴェリア大陸に渡り、総攻撃をかけることだ。
ライオットとノームはそれぞれジュードの右肩と左肩に乗り、珍しく黙りこくったままちらちらと心配そうに彼を見つめていた。
「ああ、来たか。……皆、おかえり。本当にありがとう、君たちのお陰で各国の防衛はなんとかなったようだな」
顔を出したジュードたちにアメリアは玉座に腰かけたまま労いと感謝を述べたが、彼女の顔には隠し切れない疲労が見て取れる。
せっかく復興してきた街並みは前回以上にメチャクチャに破壊され、今や王城まであちこちが見るも無残な状態だ。無理もないだろう。メンフィスたちが防衛に回ったが、今回攻め込んできた魔族の数は並のものではない。彼らが全てをカバーできたわけではなく、命を落とした者も多いのだ。
それらが重なり、女王の身に心労として降りかかっているのだろう。
傍に控える水の王リーブルや、この度ようやく合流を果たした風の王ベルクも彼女を心配そうに見つめている。
ジュードとマナを除く面々はアメリアに一度頭を下げてから、視線のみで謁見の間の有り様を見遣る。
壁には大きな穴が開き、吹きさらし一歩手前と言うような状態だ。温暖な地だからこそいいものの、これが水の国であればこの場は既に謁見の間として機能していないだろう。
「我々だけでは持ち堪えられなかった、ウィル、クリフ殿。重ねて礼を言うぞ。無論、駆けつけてくれた多くの騎士たちやアメリア様の英断にもです」
「地の国の騎士や兵士は半分ほどが国に残り、各街や村の民を守るとのこと。この都には全員を連れては来れませんでした」
「水の国は精霊の里の者たち以外、全滅だったと……エクレールに聞きました」
ベルク、グラム、テルメース――それぞれの報告を聞きながらアメリアはもちろんのこと、ジュードたちも複雑な表情を浮かべて黙り込む。
少し前までは魔物の狂暴化だけだったというのに、今や世界中が魔族という存在に恐怖している。この状況を打破するには、やはり他に手はないのだ。
アメリアは暫し唸った末に、静かに口を開いた。
「……聞いての通りだ。この世界は既に魔族によって混乱している。これは我々だけの問題ではなく、世界的な危機だ。そこで、次はこちらから奴らの拠点を叩こうと思う」
「この王都から少しばかり北西に行ったところに、小さいものだが港街がある。昔はヴェリアからの船もよく着いていたものだよ。そこから船を出し、大陸に渡ろうという話になっておるのだ」
アメリアとメンフィスの言葉に、ウィルは何度か小さく頷いた。
魔族がこれで引き下がってくれるはずがない、むしろ次はもっと数を増して攻めてくるかもしれないのだ。その度に戦力を分けて防衛に回っても、いつか手が回らなくなる時が来る。消耗戦になれば、人々は戦うことを恐れるようになってしまうかもしれない。誰だって死にたくはないのだから。
ならば、そうなる前にこちらから出向いて叩く。その考えにウィルは全面的に同意だ。
しかし、そこへふと――大きく開いた壁の穴からヴァリトラがひょっこりと顔を覗かせた。
「その前に、子供たちよ。今一度、自分がそれでよいのかを考えるのだ」
「え、どうして?」
「次の最終戦、神器を持つお前たちが主力となるだろう。だが忘れるな、クリフやグラムを除いてお前たちはまだ年端もいかぬ子供なのだ。本来ならば大人がやるべきことを、お前たちがしている。神器を持って本当に魔族と戦えるのかどうか、それでよいのか考えなさい」
唐突に向けられた言葉に、マナは思わず目を丸くさせて疑問をぶつけたのだが、ヴァリトラの言葉にアメリアたち王族は静かに頷いた。恐らくジュードたちが来る前に、彼らでその話をしていたのだろう。
ジュードたちは、別に御大層な使命だとかを背負っているわけではない。彼らはただなりゆきで神器を手にすることになった、と言っても過言ではないのだ。
ジュードがヴェリアの王子であると言っても、彼はつい最近までそのことを知らなかった。勇者の子孫だからと必ずしも魔族と戦わねばならない決まりなどない。
姫神子であるカミラはともかく、ウィルたちに至ってはほぼ巻き込まれたに過ぎないと言える。そんな彼らは突然神器を押しつけられて、不満はないのか。本当にそれでいいのか。
ヴァリトラはそう言いたいのだ。自分がなぜ神器など持って魔族などと戦わねばならないのだと思わないのか、と。
「……王子よ、お前もだ。伝説の勇者の子孫だから、などということは抜きに、それでいいのかじっくり考えなさい。それでも気持ちが変わらなければ、我のところへ来るのだ。お前には最終戦前にやらねばならぬことがある」
「や、やらねばならぬこと?」
「契約だ。お前が我と契約せねば、神器を持たぬ他の者たちが魔族と互角に渡り合えん」
「あ……で、でも」
ジュードがヴァリトラと契約し、彼を媒体にすることで味方全体にヴァリトラの加護を与えて能力を飛躍的に高める。そうすることで神器を持たない一般の騎士や兵士でも、魔族と充分に戦えるようになるのだ。
しかし、そこでジュードはひとつ障害を思い出した。
彼には、魔法を受けつけない呪いがかけられている。以前ライオットと契約しようとした時も、その呪いのせいで高熱を出して倒れてしまったのだ。
だが、ヴァリトラは「ふふ」と笑うと、一度その黄金色の双眸を淡く輝かせた。彼がなにを言いたいのか、全てお見通しだとでも言うように。
すると、ふとジュードの目の前にはヴァリトラの目と同じ色をした金色の光の玉が現れたのだ。それを見て、ジュードの隣にいたカミラはハッと目を見開くと慌てたように口を開く。
「ヴァリトラ、なぜ――!」
カミラはなにを慌てているんだろう。
ジュードのみならず、ウィルたちもそう思いながら不思議そうに彼女を見たのだが、その刹那。
ふよふよと宙を舞うように漂っていた金色の輝きが、不意にジュードの頭頂部に激突したのである。まるで鈍器で殴られたような衝撃が頭部に走り、一瞬意識が飛びかけた。続いて痛みを感じるとジュードは思わずそこを押さえて蹲る。
「いいぃッ!? っつつ……!」
「どうだ、熱は出るか?」
「……へ?」
傍にいたウィルやカミラは慌ててそんな彼の傍らに寄ったが、続くヴァリトラの言葉にウィルは一度間の抜けた声を洩らした。一拍遅れて傍に駆け寄ったルルーナやリンファは咄嗟にジュードの肩や首元に手を触れさせたが、いつも感じていたはずの、あの高熱はいつまで待っても症状として表れることはなかったのだ。
その事実に、幼い頃から彼を知るウィルやマナは驚いたように目を丸くさせて、互いに顔を見合わせた。
ジュードが蹲った際に肩から転げ落ちたライオットとノームはそんな彼らを見上げると、ゆるりと首――否、身体を捻って言葉を向ける。
「うに、カミラのケリュケイオンが目覚めたからだによ」
「そうナマァ、魔剣の魔力を浄化した時にマスターさんの呪いも一緒に浄化されたんだナマァ」
「えっ……あ、あの時に? じゃあ、今のジュードは……」
魔剣の魔力を浄化した時と言えば、セラフィムがアルシエルを倒した直後のことだ。あの時は魔剣の傷で苦しんでいるだろう仲間を助けるのに必死で、そのことしか考えてはいなかったが。
アルシエルの魔力は、人間であるネレイナよりも遥かに高い。その彼の魔力を秘めた魔剣の傷を癒せたのだから、ネレイナがかけた呪いを浄化したというのも別におかしな話ではない。
「……って、それでなんで攻撃魔法なんだよ!!」
「はっはっは、その方が元気が出てよいではないか」
徐々に痛みが引いてきたジュードは、依然として頭頂部を押さえたまま勢いよく顔を上げると半分涙目になりながら吠え立てた。余程痛かったのだろう。
カミラが慌てたのは、あれが光の初歩的な攻撃魔法のひとつだと知っていたからだ。彼女は光属性のあらゆる魔法を扱う身、むしろ知らない方がおかしい。
ヴァリトラはジュードから向けられる言葉に対し悪びれた様子もなく笑うと、再度静かに語りかけた。
「……だから、今はじっくりと考えなさい。それでよいのかをな。気持ちが変わらなければ……その時は我の元に来るといい。戦いたくないと言ったところで、誰にもお前たちを責めさせたりはせぬ」
その考えはアメリアたちも同意見だったようだ。ヴァリトラがかける言葉に、余計な口を挟むことはせずに静かに頷いた。
魔族との決戦に於いて、彼らの力は大きな戦力になる。だが、参加を強制する権利など誰にもありはしないのだ。
「(問題はアンヘルの奴だ、全てが終わってから会わせるか、それとも……)」
アンヘルはあの後、ヴァリトラが己の中に一時的に封印した。放置しておけばまたアルシエルの元へ戻ってしまうだろうし、野放しにしておけばジュードたちに間違いなく牙を剥く。
そのため、己の中に封印することにしたのだ。だが、ジュードといつ引き合わせるか――ヴァリトラはそれを決められずにいた。




