第二十五話・真っ向勝負
「これは……」
精霊の里に足を踏み入れたカミラたちは、里の中に人の姿がないことに焦りを募らせて聖殿へと足を踏み入れた。
だが、聖殿の最深部には里の住人全てが集まり、煌々と輝く聖石の前で座り込みながらひたすらに祈りを捧げていたのだ。その輪の中に座るラギオの腕には、ぐったりとしたイスラが抱きかかえられている。彼女も先の魔剣の力で再び傷口が開いてしまった一人なのだろう。
カミラとリンファはお互いに顔を見合わせて、慌てたように彼らの元に足を進めた。
「ラ、ラギオさん、みなさん……」
「あなた方は……!」
「イスラさんは……」
「大丈夫です、どうやら落ち着いたようで……」
そっと声をかけると、ラギオは一度こそ驚いたような顔をしたが、すぐにその表情を和らげる。孫であるジュードの仲間ということもあってか、彼がいなくともすっかり受け入れてもらえたようだ。
イスラは大丈夫なのかと心配になったが、返る言葉にカミラやリンファの口からは自然と安堵が零れ落ちた。
「エクレール様、このお二方がジュード様の祖父母様です」
「では……」
リンファの言葉にエクレールは双眸を緩く丸くさせたまま、やや呆然とした様子でラギオを見つめる。ジュードにとっての祖父母ということは、当然彼女にとってもそうなのだ。
エクレールは、これまでヴェリア大陸という閉鎖された場所で魔族と戦い続けてきた身。テルメースやヘルメス以外の肉親はもういないものと思っていた。これまで聞いたこともないし、テルメース自身も話そうとはしなかったため余計にだ。
「おじいさまと、おばあさま……?」
「な、なんだって? では、君も……イスラ、イスラ。起きなさい。私たちの孫だぞ、今度は女の子だ……!」
思わぬ言葉に、驚いたような声を洩らしたのはラギオだ。まじまじとエクレールを見つめて、己の腕の中で薄らと目を開けたイスラに優しく語りかける。
そんな様子を見て、エクレールは己の目元に滲んだ涙を片手で拭って傍に片膝をついて屈んだ。ゆっくりと伸べられるイスラの手を両手で包み込み、そっと微笑む。
カミラとリンファは改めて顔を見合わせると、余計な言葉を挟むことはなく聖石の傍へと歩み寄った。
「みなさんは、ここでなにを……?」
「イスラや他の若い衆が不意に傷を負ったので、聖石に助けを求めて祈りを捧げておりました……」
「はい。それに、ラギオのお孫さんなら私たちにとっても家族のようなもの。なにかお役に立てることはないかと、みなさんが発たれてから毎日ご無事と平和を祈っていたのです。効果があったかはわかりませんが……」
里の住人たちから返る言葉を聞きながら、カミラは依然として光を放つ聖石へと向き直った。
――ヴァリトラは言っていた。聖石は人の強い願いに反応する、と。見るからに効果を発揮している聖石を見れば、これまでのいずれかが彼らの願いに応えてくれた結果の奇跡なのかもしれない。
「(もしかして、シヴァさんとフォルネウスさん……それにセラフィムが来てくれたことも、そのひとつなのかな……?)」
だが、戦いはまだ終わっていない。
カミラは聖石の前で静かに目を伏せると、両手を己の胸の前で合わせる。そうして、今もまだ各地で戦っているだろう仲間の無事を聖石へと祈った。
* * *
サタンは静かに屋上へ降り立ち、ジュードを守るように彼の前に立つ男へ視線を合わせる。
四千年前、確かに己を打ち倒したあの男に間違いはない。それからと言うもの、延々と己を封じてきた存在でもある。サタンにとってはなによりも忌々しい男だ。
「このッ、どこから湧いて来やがったクソ野郎! テメェからブチ殺してやる!!」
「やめておけ、貴様程度では――」
リュートは自分の身を拘束する光の鎖を力任せに引きちぎってしまうと、己にとってはなによりも憎いジュードを庇い立てするジェントに照準を合わせた。サタンは咄嗟に止めようとはしたのだが、完全に頭に血が上っている現在の彼にその言葉は届かなかったらしい。
リュートが利き手を固く握ると、その拳に竜巻のような猛烈な風が巻きつく。一度その腕を大きく後ろに引き――その刹那、脇目も振らずにジェントへ向けて正拳突きを繰り出した。
「くたばれ!!」
ジェントはちらりとリュートを視線のみで見遣ると、徐に片手を下から振り上げる。
すると、リュートの拳に纏わりつく風は瞬く間に飛散してしまった。否――焼かれたのだ、振り上げたと同時にジェントの手元に発生した紅蓮の炎に。
それだけではない。渾身の力を込めて叩きつけた拳は、彼の手の平に難なく受け止められてしまったのである。
「ほ、炎だとッ!?」
「バカめ……その男は人間どもが伝説の勇者などと呼ぶ存在だぞ、貴様程度の生き物が敵うものか」
『心配しなくていい、俺はなにもしない。お前を殴るのは――ジュードの役目だからな』
サタンの言葉にリュートが双眸を見開くのと、ジェントが口を開くのはほぼ同時だった。一度こそ引きつった笑みを浮かべたリュートだったが、それも一瞬のこと。
ジェントの肩越し、煌々と輝く黄金色の双眸を視界に捉えれば――その顔からは血の気が引いていった。
身を引こうと頭で思ったが、それは叶わない。リュートが動くよりも前に、ジュードの方が先に動いていたからだ。
ジュードは右手の拳を振りかぶり、リュートの胸部に思い切り叩きつけた。
すると、ボギ、という太い骨が折れるような音と共にリュートの口からは苦しげな呻きが洩れる。目にも留まらぬ速さでぶち当たった拳はそのまま巨体を殴り飛ばし、その身は屋上の塀へと思い切り叩きつけられてしまった。
「……な、殴るのはオレの役目って聞いて、本当に殴るだけになっちゃいましたけど……」
『いいんじゃないか。あれでも元は人間だろう、聖剣を使うまでもない』
ジュードの双眸は、常の翡翠色から完全に黄金色へと変貌し――これまでの時よりも遥かに力強く、煌々とした輝きを放っていた。今までヴァリトラとの交信はあくまでも無意識のものであり、その強大な力のごく一部しか得られていなかったが、今回は異なる。
ヴァリトラと一体化し、その力の恩恵全てを一身に受けている状態だ。その一撃をリュートが耐え切れるものではなかった。聖剣を振るっていれば、彼が思考を働かせる前に命を奪っていたことだろう。
『(王子よ、本番はこれからだ。準備はよいか?)』
「ああ、大丈夫だ!」
ジュードの頭の中には、いつも精霊と交信した時と同じように――今回はヴァリトラの声が響き渡った。右手に聖剣、左手に神牙を携えて身構えると真正面からサタンと対峙する。
サタンはこれまでとは異なり、血のような真紅の双眸にありありと殺意と憎悪を宿してこちらを睨み据えていた。そして、静かに喉を鳴らして笑う。目は決して笑ってなどいないが。
「ふふ……氷雨、紫電、焔炎舞……どこかで見た覚えがある技だと思ったが……懐かしいじゃないか、ジェント。同時に思い出したよ、貴様や人間共に対する……身が裂けてしまいそうなほどの憎悪をな……」
『……構うことはないジュード、討つぞ』
「――はい!」
サタンの身からはどす黒い霧のようなものが大量に放出され、彼の全身はもちろんのこと、それらは王都の上空へと広がりをみせていく。このままでは、この黒い霧に都全体が包まれてしまうのも時間の問題だ。
ジュードは地面を蹴って勢いよく飛び出すと、これまで同様に聖剣を振るう。サタンはこちらもやはり同じく片手を突き出してきたが――彼が張り巡らせた透明な結界は、今回はなんの意味もなさなかった。
聖剣の刃はなんでもないことのように結界を叩き壊し、サタンの肩から脇腹までを斬り裂いて深い裂傷を負わせたのだ。
「チィッ……! ガキが、たかがヴァリトラの力を得たくらいで……調子に乗るな!」
「くッ!」
サタンは即座に五指を広げた利き手をジュードの脇腹目がけて叩き込もうとしたが、彼の鋭利な爪が身に直撃するよりも先にジュードは逆手に持つ神牙の刃で、その一撃を防ぐ。鍔迫り合いのように僅かばかり互いの力が拮抗したが――やがて、サタンが押し込まれる形で決着がついた。
競り負けたのだ、あの魔王が。その事実が余計にサタンの神経を逆撫でしていく。
サタンは一度大きく後方に跳ぶと、忌々しそうに歯を食いしばった。
すると、彼の目――正確には白目だが、それらが白ではなく漆黒へと染まり始めたのだ。空から攻撃しようというのか、背中の両翼を羽ばたかせてふわりと浮かび上がっていく。
しかし、直後にその身は浮力を失い、再び地面へと降りることとなってしまった。何事だと背中の翼を見てみれば、あろうことか翼全体が分厚い氷に覆われて完全に固まっていたのである。
「これは……霧氷ッ! おのれ……!」
「(聖剣が……!? ジェントさんか……!)」
それは、聖剣から醸し出される強力な冷気によるものだった。犯人は他にいない、聖剣と同化したジェントが起こしている現象だ。的確にサタンの翼を氷漬けにすることで空への逃亡を阻んだのである。
ぎり、と奥歯を噛み締めた末にサタンが大口を開けると、その口からは燃え盛る紅蓮の業火が勢いよく吐き出された。じりじりと照りつける熱が徐々に氷を溶かしていくが、まだ飛べるほどではない。
ジュードは眼前から迫る炎の渦に眉根を寄せて双眸を細めると、素早く真横に跳ぶことで回避し、そのまま駆け出して一気に距離を詰める。
「ぐうぅッ! ちょこまかと……!」
「このっ!」
叩き払おうと上げたサタンの片手を神牙で弾くように斬り裂き、微かに怯んだ隙を見逃さず利き手に持つ聖剣を躊躇なく突き出した。
切っ先はサタンの腹部から背中へ綺麗に貫通し、真紅の双眸は彼の頭上で大きく見開かれた。次の瞬間、口からは鮮血が吐き出され、それと共に強く咳き込む。肉を貫く嫌な感覚が剣を通して手に伝わってきても――今は気にする余裕もない。
余計にサタンの怒りを刺激してしまったようだが、既にサタンにも余裕はなくなっていた。先ほどまでの余裕に満ちた表情は、今やどこにも見受けられない。
「忌々しい……貴様も、その剣も……」
サタンは片足を振り上げてジュードの脇腹を強く靴裏で蹴ることで、無理矢理に己の腹から聖剣を引き抜いた。通常の傷であれば問題なくとも、聖属性を持つ剣は彼の身には猛毒も同然だ。ましてや、その力はヴァリトラの力で爆発的に強化されているのだから。
口から垂れる血を片手の甲で拭い、逆手は腹の傷に添えて憎悪に満ちた双眸でジュードを睨みつける。
サタンが身構えるのを見て、ジュードも再び武器を構えた。
両者、既に限界は近い。互いに相手の挙動のひとつとて見逃すまいと、息を呑んだ。




