第十六話・クリークの街の騒動
関所を北上したジュード達は、クリークという一つの街に到着した。そう大きな街ではなく、こじんまりとしている。街を流れる水が非常に綺麗で澄んでいることから、小川を意味する名が与えられたのだ。
ジュードも仕事で水の国を訪れた際は休憩に立ち寄ることが多い街である。王都までは多少なりとも距離がある為に、ここで道具の補充や休息が必要であった。
しかし、馬車を降りたジュードは街の異変に気付く。
「……なんだ? この街、こんなに寂れてたか……?」
馬車を街の出入り口付近に停めて、ジュードは街を眺める。
彼の記憶にあるクリークの街の風景は多少田舎で長閑なものではあれど、人々が辺りを行き交い楽しげな雰囲気の漂う街であった。
だが、今ジュードの目の前に広がる街の風景はと言えば、人の姿は疎らで草花も枯れていたりと、楽しげな雰囲気の欠片もない。寧ろただただ寂れていて、哀愁さえ漂っていた。
ちらほらと窺える住民は中年の男性が主で、妙なほどに女性の姿が見えない。その男性達も元気がなく、顔も目も死んでいるようにジュードは感じた。
ジュードの言葉に反応したと思われるエイルは、馬車から降りてくるウィル達を一瞥してから口を開く。
「先日現れた魔物の影響だよ」
「え?」
「気味の悪い生物らしくて、それを従えてる奴が女を好むらしいんだ」
エイルの言葉にジュードは思わず彼を振り返る。どう言うことなのか、問おうとしたのはジュードだけではない。その場に居合わせる面々、皆一様に気掛かりのようだ。
しかし、その疑問を口にするよりも先に街の住民達が集まってくる。ジュードはエイルから視線を外し彼らを見遣るが、その表情は誰も彼も必死なものであった。縋るような視線と表情、中には今にも泣き出してしまいそうな男も窺える。
その中の一人の男性がエイルに歩み寄り、彼の腕を取った。
「あんた、都の兵士さんだよな? 頼む、頼むよ。娘達を助けてくれ!」
「うるさいな、お前達なんか構っていられないって言ってるだろ! 僕達は忙しいんだ!」
しかし、エイルは煩わしそうに男性の腕を振り払い、怒声さえ飛ばした。国と国民を守る兵士にあるまじき言動である。
男達は絶望の色を滲ませる者、怒りを浮かべる者と様々だ。ジュードは彼らの様子やその口から出た言葉にただ事ではないことを悟り、代わりに声を掛けた。
「エイル、そんな言い方ないだろ。……おじさん達どうしたの? 娘達を助けてくれってのは?」
「ジュード、聞くことない!」
「お前、少し黙ってろよ」
怒り出したように、しかし何処か不貞腐れたようにジュードの肩を掴むエイルの襟首をウィルが鷲掴みにして後ろへと引っ張る。何かしら事件や騒ぎがあると黙っていられないのがジュードだ。ウィルはそんな彼に小言を言いはするものの、なんだかんだと放っておけない難儀な性格をしている。
男達は不思議そうにジュードやウィルをそれぞれ眺めていたが、先程腕を払われた男性が静かに口を開いた。
「街の娘達がいなくなっちまったんだ……」
「娘さん達が?」
「先日、北西の森の中に不気味な館が出来たんだが……あれが出来てから、街からは娘が次々いなくなっちまって……」
「偶然とかじゃないんだよな?」
憔悴した様子で呟く男の言葉に一度ジュードとウィルは互いに顔を見合わせ、後ろではマナが心配そうに表情を曇らせた。更に後ろには依然として具合の悪そうなカミラと、そんな彼女を支えるルルーナが控えている。
館が出来た時期と娘達が姿を消した時期、恐らく偶然と言うことはないだろうがウィルが念の為に確認の言葉を向けると、周りの男達は口々に声を上げた。
「ああ、偶然なもんか! あれが出来てから、街には妙な男が現れるようになったんだ!」
「真っ昼間からタキシードを着込んでる変な男でよ、こんな小さい街にはエラい不釣り合いなんだ」
「ウチの娘は、あの男に誑かされていなくなったんだ!」
次々に上がる文句に情報が含まれているのをウィルは聞き逃さない。
館が出来てから出没するようになったタキシードの妙な男。冷静な頭でその情報を整理していきながら、考え込むように片手を顎の辺りに添えた。
何か心当たりがあるのかと、マナはそんなウィルの背中を見つめて衣服の裾を軽く引っ張る。
「ウィル……何か心当たりがあるの?」
「いや、ないけど……女の人だけがいなくなるってのが引っ掛かってさ」
「そうね……ただのスケベ男の仕業だとは思うけど……」
ウィルの言葉にマナも小さく頷くと、頭に浮かぶ可能性を呟く。男達の様子は誰もが皆心配そうであり、怒りも浮かべていた。無理もない、大切な娘が行方を眩ました上に余所者の男が絡んでいる可能性があるのだから。
続いてマナはジュードに目を向けた。
「ジュード、どうするの?」
「その館に行ってみよう。大切な家族がいなくなったんだ、心配になるのは当たり前だよ」
「寄り道にはなるけど、こっちも人命がかかってる可能性もあるしな」
ジュードには、特に考えるような時間も必要ではなかったらしい。マナからの問い掛けに躊躇いもなく頷くと、肩越しに彼女を振り返り返答を告げた。傍らにいたウィルも本来の目的こそ失念してはいないが、同じ考えであるらしい。反対することなく同意を示す。
しかし、そこでウィルが心配になるのはカミラのことであった。彼女は先程から随分と具合が悪そうなのである。ウィルは後方――マナの肩越しにカミラとルルーナの姿を認めて心配そうに眉尻を下げた。
「……けど、カミラは大丈夫なのか?」
「え?」
それは、先程まで手綱を握り馬車を走らせていたジュードには伝わっていない情報であった。今更ながらカミラの具合が悪そうな様子を目の当たりにして、ジュードは表情を曇らせると足早に彼女の傍へと歩み寄る。
「カミラさん、具合悪いの?」
「う、うん……でも大丈夫だよ、心配しないで」
カミラは口では大丈夫と言いはするが、やはりジュードの目には無理をしているように映る。とても大丈夫そうには見えなかった。困ったように眉尻を下げるジュードを見て、カミラはそっと微笑む。
自分の身を支えてくれるルルーナの手に片手を添え、その温もりを噛み締めながら改めて口を開いた。
「本当に大丈夫だよ。いなくなっちゃった人達、早く見つけてあげなきゃ」
「うん、そうだけど……」
「ルルーナさんが一緒にいてくれるから、大丈夫」
その言葉に、ジュードは一度ルルーナを見遣る。初めて自宅で逢った頃は何かと緊張感の漂う二人ではあったが、自分の知らぬ間に仲良くなったのかと数度瞬いた。
しかし、街の男性達の気持ちを考えればあまり迷っているだけの時間もない。更にジュード達には本来の目的もあるのだから。
ジュードは小さく吐息を洩らすと改めてその視線はカミラへ戻す。
「分かった。オレ達、少し支度してくるからカミラさんは休んでて。ルルーナ、カミラさんのこと……」
「ええ、カミラちゃんは私が見てるから、行ってらっしゃい」
これまでとは多少なりとも雰囲気の異なるルルーナに、一度こそジュードは不思議そうに目を丸くさせた。今までならばジュードの傍らにいることを第一として、仲間には目もくれなかったからである。
昨日、何か話をして親睦が深まったのだろうと単純にジュードは思った。ルルーナの言葉にしっかりと頷き、踵を返す。お願いします、と視線や表情で懇願してくる男性達を見れば、意地でも行方不明となった女性達を見つけなくてはと使命感のようなものさえ感じた。
「ウィル、マナ。早く支度を済ませて、館に行こう」
ジュードの言葉に、ウィルもマナもしっかりと頷いた。
各々頭を下げてその場を後にする男性達を見送ると、そこでやはり声を上げるのはエイルであった。エイルは拳を震わせて、逆手でジュードの肩を掴む。
「――ジュードっ! なんであいつらの頼みを引き受けるのさ!」
「なんでって……エイルはなんでおじさん達の頼みを聞きたくないんだ? あんなに困ってるのに……」
理由を問われてジュードは振り返り、マナは怪訝そうな表情を滲ませた。ウィルは「またか」と自らの前髪を軽く掻き乱す。
正直ジュードには、なぜエイルがそこまで怒るのかが分からなかった。人の頼みを聞くことがそんなに悪いことなのかと疑問さえ抱く。ましてや、彼はこの水の国を守る兵士だと言うのに。
そんなジュードの心情を知ってか知らずか、エイルは「ふん」と一度鼻を鳴らすと街をぐるりと見回してから吐き捨てるように言った。
「だって、僕はエリートだ。あんなのエリートの僕が聞いてやるような頼みじゃない」
当たり前のように返った言葉にウィルはあからさまに嫌悪を表情に乗せ、マナは怒りを前面に押し出す。ジュードは眉を顰め、無言でエイルを見据えた。
エイルにとってウィルやマナは気にならなくとも、ジュードだけは別である。怒りとも嫌悪とも多少異なる――やるせなさを宿すような彼の視線にエイルは小さく肩を跳ねさせて、その顔色を窺った。
「ジュ、ジュード……?」
「……エリートなら、人助けしてやれよ」
「ぼっ、僕はエリートなんだ! こんなのは落ちこぼれの兵にでも言えばいい!」
「…………」
ジュードはまた改めて口を開こうとはしたのだが、傍らに立つウィルに腕を引かれてそうもいかなくなった。行くぞ、と短く低く呟くウィルと、不機嫌そうに無言で歩き出すマナを見遣り、ジュードも足を進めた。
エイルは一瞬ぽかんと口を開けて彼らを見つめたが、すぐに我に返り後を追う。
「ま、待てよ! ジュードが行くなら僕も行くんだからな!」
エイルは水の国の王都シトゥルスの貴族である。貴族と言っても庶民との格差はあまりなく、他より多少裕福なくらいだ。
しかし、水の国は豊かさよりも才能を重視する国。エイルは貴族として産まれ、両親や親類などに期待を寄せられて生きてきた。実際に彼は魔法の才能が高く、水の国の優秀な生徒ばかりが集う魔法学院を首席で卒業したりとエリートの中のエリートなのだ。
蝶よ花よと持て囃されて育った為か自分の優れた才能を鼻にかけ、他者を見下す一面がある。
当初はジュードのことも小馬鹿にしていたが、魔物に襲われていたのを助けたことを機に懐くようになったのである。そのプライドと他者を見下す性格から他人とは合わず、これまで友達と呼べるものがいなかった為、唯一自分と気長に接してくれたジュードに対し執着が強いのだった。
ジュードはウィルやエイルと共に武器防具の店に行き、マナは単身で道具屋へと向かった。
水の国は魔術師が数多く存在する国である。逆に言うのであれば剣士や戦士など、肉弾戦を主とする者はほとんどいない。その為、店屋で売っている装備も魔術師用のものばかりであった。
武器は魔術師が扱う杖やメイス、防具はクロークやローブばかりだ。皮で作られた帽子やブーツなどもあるが、いずれも前線で戦うジュードやウィルには向かない装備。防御面でやや心許ない。見たところ、ジュード達が求める鉱石もこの武具屋では取り扱っていないようだった。
ジュードは棚から一枚マントを手に取ると、感触を手の平や指で確かめる。外側こそごく普通の生地だが、裏地には羊の暖かな毛がしつらえてある。とても暖かそうだ。
水の国は北側に位置していることもあり、一年を通して比較的寒い国である。ジュードは手にしたマントを暫し眺めていたが、やがて棚に戻す。どうせ暖かい装備を整えるのなら、王都シトゥルスで揃える方が良いだろうと考えてのことだ。いずれも王都には腕の良い職人が集まっていることが多いからである。
自分達に良い装備を調達出来ない以上は、長居しても仕方ないかとジュードはウィルを振り返る。ウィルの考えも同じものであったか、出ようかと口を開きかけた――その矢先だった。
「――うわッ!」
「な、なんだ!?」
不意に、店の外から悲鳴が聞こえてきたのだ。それと同時に木箱や、樽か何かが砕けるような音も。
ジュードとウィルは同時に窓へ目を向けた。だが、特に何も見えない。
込み上げるもどかしさにジュードは舌を打ち出入り口へ駆けると、勢い良く扉を開けて飛び出していく。
「お、おい! ジュード、待て!」
ウィルはそんな彼の後を追い店から駆け出し、エイルも慌てて二人の後を追いかけた。
店の外へ飛び出したジュードは、住民達が逃げてくる方へと足を向かわせる。逃げる者達と正面衝突しないよう気を付けながら、真っ直ぐに視線を向けて一目散に駆け出した。
程なくして見えてきたのは、街の出入り口であった。そこは、先程カミラやルルーナと別れた場所である。逃げ遅れたのか腰を抜かしたのか、そこにはまだ数人の街人が残っていた。
ある者は腰を抜かして情けなく後退し、ある者は竦み上がったように佇み震えている。またある者は棍棒と盾を手に持ち、怯えながら攻撃の機会を窺ったりしていた。
ジュードは彼らを確認しつつ、その視線を辿る。すると目を向けた先には、つい先程聞いた情報通りの――真っ昼間からタキシードをきっちりと着込む長身細身の男が立っていた。
男は黒いタキシードの下に白いシャツを纏い、首元には金に輝くタイを付けた――見た目は紳士スタイルである。やや癖っ毛の黒髪はショート、肌は病的なまでに白かった。双眸は血のように赤く、顔立ちは気味が悪いほどに整っている。
そんな男に対し、街の男達は叫ぶ。
「テメェ! 娘達をどこに連れて行きやがった!」
その怒声を聞き、男は薄く笑った。住民達の神経を逆撫でするように態とらしい口調で敬語を紡ぎ、目を細める。
そして指先を住民達へ向けて、口を開いた。
「ご安心を、私の館で楽しくやっていますよ。このような街で暮らすより私の館で過ごす方が彼女達も幸福でしょう」
「ふざけるな! 娘を返せ!」
「やれやれ、喧しいものですねぇ……」
そうして、男が住民達へ向けた指先へ青白い光が集う。程なくして眩い輝きを放ち始めるのを見て、ジュードはマズいと咄嗟に思った。頭でどうするか考えるより先に身体が動く、地を蹴りジュードが駆け出すのと男の指先が魔法を放つのはほぼ同時であった。
光が飛散し、二人の住民達の足元に青白い魔法円が広がる。足元から勢い良く氷の刃が突き出す氷属性の中級魔法『アイシクル』だ。初級魔法どころか中級クラスの魔法である、無抵抗な住民達が直撃を受ければ命が危ない。無数に突き出す地面からの氷柱が身体を貫く危険性だって充分過ぎるほどにあるのだから。
ジュードは間に合わないと踏み、思い切り地面を蹴って跳んだ。両手を左右に広げ、飛び掛かる勢いそのままに住民二人へ体当たりをかます。両腕それぞれに住民達を抱えるようにぶつかると、受け身を取ることも考えず体当たりの勢いで二人を突き飛ばした。
地面へ勢い良く転がり込み、ジュードはキツく目を伏せる。その直後に、後方では無数の氷柱が地面から突き出してきた。間一髪、回避することが出来たのである。氷柱からは冷えた空気が醸し出され、ジュードは弾かれたように身を起こす。
間一髪逃れた住民二人は満足に受け身も取れず、何があったのかと目を白黒させながら、突き飛ばされた際にぶつけた鼻先や額を押さえるが、陽光を受けて光る氷柱が地面から顔を出しているのを確認するなり青褪め、泡を食ったように立ち上がってジュードの後ろへ隠れた。
ジュードは男へ目を向けると、眉を寄せて睨み付ける。
「いきなり何をするんだ!」
「ほう、よく私の魔法を避けれましたね」
そこへ、ジュードを追い掛けてきたウィルとエイルが合流する。
エイルは地面から突き出したままの氷柱を見て思わず足を止めるが、ウィルはそれには目もくれずジュードの傍らへ駆け寄り、身構えながら男を見据えた。ウィルにとっては状況把握も大切だが、まずは仲間の安否が第一なのだ。
「ジュード! 騒ぎの原因はこいつか?」
「ああ、こいつ……ただ者じゃない。気を付けろ、ウィル」
自分を見据える二人の少年の睨むような視線に何を思うのか、男は上機嫌そうに笑った。