第二十四話・再臨
嬉しいことに以前から「あの人の容姿が気になる」と言われることがわりとありましたので、挿し絵ついでに久しぶりに絵を入れてみました。いつも閲覧ありがとうございます。
「な、なんなんだよ、こりゃあ……!?」
階段を転げ落ちたリュートは、その顔を怒りに染めて再び屋上へと駆け上がってきたのだが、戻った彼の目に映ったのは思わず恐怖を覚えてしまう光景だった。
先ほど姿を見せた巨大な竜――ヴァリトラの姿はなく、代わりにジュードがその場に蹲り額の辺りを押さえている。だが、彼の全身が眩い金色の輝きに包まれ、何ものをも寄せつけていない。離れているにも関わらず全身が強張り、気を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうなほどの強大な力を感じた。
「が、ががが……ッ! ううぅ……!」
その真っただ中にいるジュードはジュードで、己の内側から溢れ出す力に気が狂いそうな錯覚を覚えていた。胸の真ん中に無理矢理に風船をねじ込まれたような感覚だ、それが自分の意思とは無関係に徐々に膨れ上がり、胸を突き破って出てきそうな。ちびがヴィネアに殺された際の感覚に非常に酷似していた。
痛みの類はまったく感じない。その代わりに脳だけでなく、内側から全身をかき乱されるような猛烈な不快感がある。
「ふっ……こうなることなど、わかりきっていたではないか。愚かな神だ、力の暴発で自ら都を滅ぼすがいい」
サタンは時間の経過と共に癒えた両翼を静かに羽ばたかせると、上空へと浮かび上がる。
ジュードは精霊族の主としての力を持っているとはいえ、結局は人間の子供。その彼が、神であるヴァリトラの力の全てを受け止めるなどできるはずがないのだ。ジュードの体調を考慮した上で強行したのだろうが、これでは人間にとって最悪の結末にしかならない。
サタンはそこまで考えると、やれやれと小さく溜息を吐いて頭を左右に揺らした。呆れ果てたとでも言うように。
「こんな、もん……どうやって、抑えろって……っ!」
額に添えていた片手を咄嗟に己の胸に添えることで力の流出を留めようとするが、その程度でヴァリトラの力が落ち着いてくれるはずがない。確かにこの力を手に入れればサタンとも互角――否、下手をすれば圧倒できるだろう。
だが、どうやって手に入れろというのか。力を落ち着かせることさえできやしない。
ジュードの身から溢れ出る金色の光は、やがてその身体を離れてあちらこちらへと飛翔していく。
屋上の壁や階段をぶち抜き、更に遠くへ飛ぶことで城下にさえ被害をもたらした。ジュードから洩れ出る力が城を、街を次々に破壊し始めたのだ。
『王子よ、気を落ち着かせろ。我に同調するのだ』
「んなこと言ったって……ッ! こんな状態で同調なんて……!」
これまで精霊たちと交信する時は、己の中に入り込んだ精霊に意識を向けることで難なく同調し、恩恵を得ることができた。
しかし、今の状況はどうか。己の中にいるだろうヴァリトラに意識を向ける前に、全身を駆け巡る力と不快感に意識そのものを持っていかれてしまう。ヴァリトラに意識を合わせることすら困難なのだ。
『(やはり無理なのか、この男ならやってのけると思っておったが……このままでは都が……)』
こうしている間にも、都は次々に破壊されていく。だが、ジュードの体力は既に限界に近い。いくらヴァリトラが援護をしても、交信しない状態でサタンと戦えるとは思えなかった。
* * *
「まさか、ヴァリトラ……なんの下準備もなしに……!」
「ど、どうしたの?」
城下に降り注ぐ黄金色の光に、フィニクスは驚いたように屋上を振り仰ぐ。無差別にあちらこちらを破壊する様は、決して援護とは思えなかった。
この光がヴァリトラのものだとは理解できる、しかし神が人間たちが住まう場で力を振るうはずがないのだ。となれば、考えられる事態はひとつしかない。
「なんという無茶を……ヴァリトラの力を受け入れるなど、ジェント様でもできなかったこと……それをマスターさんにだなんて……! 精神が崩壊してしまいます!」
「え……ッ!?」
フィニクスのその言葉に、マナは思わず瞠目した。次に城の屋上を見上げれば、遠目だというのに全身が強張るような錯覚を感じる。恐らくジュードがいるのはあそこだろう。
一瞬こそ、彼女の胸には締めつけられるような心配が湧いた。だが、すぐに口を引き結ぶと両手で神杖を構え直して魔族の群れへ向き直る。前線では、合流を果たしたサラマンダーとメンフィス、騎士団が奮闘していた。
「……あたし、難しいことよくわかんないけど、ジュードなら大丈夫だって信じてる。今までもヤバい時はいつだってジュードがなんとかして、助けてくれたの」
フィニクスは屋上へ向けていた視線をマナへと下ろし、朱色の双眸を緩く丸くさせた。
「甘えてばかりじゃいけないのはわかってるけど……今のあたしにできることは、少しでもジュードが安心して戦えるようにサポートすることよ! さあ、来なさい! ジュードのところへは絶対に行かせないんだから!」
マナが神器を高く掲げると先端に鎮座する鳳凰の装飾が紅蓮の炎を纏い、群れを成す魔族へ向けて勢いよく放たれた。上空へと舞い上がり、一旦四方に散ってから地上に降り注ぎ、足元から燃え上がる紅蓮の炎が次々に魔族の身を焼いていく。
フィニクスはそれを見てから、改めて一度城の屋上へと視線を投じたが――やがて彼女もまた戦闘へ戻った。
信じることがジュードの力になってくれるものなのかどうか定かではないが、彼女の持つ神器がまるで想いに応えるかのように力強い輝きを湛えていたからだ。
* * *
「な……なんかよくわからねぇが、なんだよ、棒立ちかぁ?」
リュートはジュードの身から溢れ出す力を見て最初こそ狼狽していたが、今の彼がなにもできないことを悟ると、その表情に再び笑みを浮かべた。依然としてただならぬ力の気配は感じられるものの、肝心のその力を振るうこともできない状況では怖くはない。そう思ったのだろう。
ニヤニヤと口端を引き上げて厭らしく笑いながらジュードの元へ歩み寄ると、指の骨を何度か鳴らしてみせる。今から殴ってやるぞ、という意思表示だ。
「ずっとテメェが気に入らなかったんだ、甘ちゃんで綺麗事ばっかほざきやがる。いかにも自分は正義です、って言いたげなツラでな。だが、今の状況はどうだ? テメェが都をボロボロにしてるんだぜ? ククッ……どうせテメェは――ただのバケモノなんだよ!!」
リュートはそう叫ぶと、ジュードに殴りかかるべく飛び出した。
当のジュードはリュートが襲ってくることには気づいているものの、全身を支配するヴァリトラの力に阻害されて満足に身を動かすことさえままならない。代わりに歯を食いしばって、訪れるだろう衝撃に備えた。
「んな……ッ!? なんだよ、これは……!?」
「……?」
だが、ジュードが予想した衝撃は訪れなかった。
彼に殴りかかろうとしたリュートの身は、足元から全身へと這う光の鎖のようなものに固く拘束され、その場に縫い留められてしまったからだ。
それと同時に、ふとジュードは――それまで全身に広がっていた力がじわじわと落ち着き、己の胸の中心に集うような感覚を覚えた。まるで己の身や心に馴染むかのような。
「(な、なんだ? なんだか……暖かい……?)」
そんな彼の視界の片隅に、ふと紅が映る。
なんだろうと反射的にそちらに目を向けて、その双眸は大きく見開かれた。それと同時に、ジュードの顔には思わず嬉々と驚愕が綯い交ぜになった複雑な表情が滲む。
『……バケモノか、気に入らない言葉だ。今の自分の姿を鏡で見てみるといい。もっとも……俺から見れば、人を傷つけようという悪意で口汚い暴言を吐く者の方が、醜いバケモノに見えるがな』
「な……なんだとッ!?」
それはジュードの傍らに立っていた。片手の平を彼の胸の辺りに優しく添えて。
淡々とした口調でリュートに言葉を向けてからジュードに目を向けると、ふわりと穏やかに笑った。拘束されたまま憤慨するリュートになど興味もないとばかりに。
「ジェント、さん……!」
それは、地の国でメルディーヌの凶刃に倒れたあの勇者だった。暴れるヴァリトラの力を彼が抑えてくれたのだ。
これならば、内に宿るヴァリトラに意識を合わせることで交信できるだろう。
『一人でこの暴れん坊の力を抑え込むのは大変だろう。暴れ出さないように俺が抑えておくから、君はその間にアレと交信してくれ』
「で、でも……」
突然のことにジュードの頭は混乱していた。彼がこうして再び姿を現してくれたことは嬉しいのに、驚きの方が勝りすぎてどう答えればいいか言葉がまったく出てこない。
宙に浮かんでいたサタンがふわりと降り立ってくる様を見れば、こんなことをしている状況ではないと理解はできているのだが。
しかし、彼は――ジェントはふっと微笑むと片手の人差し指を立てて己の口唇前に添えた。
『いつも言ってるだろう? 大丈夫、君ならできるよ』
その一言は、不思議なほどにジュードの心を落ち着かせてくれた。じわりと滲みかけた涙を呑み込んでリュートやサタンへ向き直ると、聖剣を構えて静かに目を伏せる。
そうして、己の内に潜んだヴァリトラへと意識を向けた。




