第二十三話・七つの神器
「おじさまッ!」
ルルーナは全身が震えるような錯覚を感じながら、覚束ない足取りで前線へと駆け出した。グラムは無事なのか、大丈夫なのか。一体なにがどうなったのか――気になることは多いが、今はともかく一番近場で戦っていた彼の安否を確認する方が先だった。
先の爆発の影響で近くにいた魔族の群れも吹き飛んでしまったようだ。辺りには肉片が飛び散り、腕や足、頭がごろごろと転がっている。胃の辺りが気持ち悪くなり、思わず嘔吐しそうになった。お嬢さま育ちのルルーナにとっては酷な、慣れない光景である。
魔族でさえこのような状況になってしまうのだ、人間であるグラムがあの直撃を喰らってしまったのなら――ルルーナの頭には、嫌な想像ばかりが次から次へと押し寄せてくる。
「おじさま! どこなの!?」
周囲には爆発の余韻が残り、霧のように煙がもくもくと漂う。
本来ならば戦場で大声を張り上げるのは自分の居場所を教えるだけの愚かな行為なのだが、皮肉にも先の爆発で近場の敵は絶命している。ルルーナは必死に声を上げて、濃霧からの返答を待った。
けれども、程なくして聞こえてきた声は彼女が求めていたものではなく、死んだと思っていた大臣の声だったのだ。
「クックック……キキ、生きているはずが……ありませんよおぉ……」
「……!」
弾かれたようにそちらを見ると、霧の中でふわりふわりと浮かぶ変わり果てた姿の大臣がいた。
魔族へと変貌してしまった身は下半身部分が綺麗に吹き飛び、現在の姿は上半身の右側半分と首が辛うじて存在しているだけの――言葉にならないほどの異様な姿だった。
元は人間だった者が、このような姿になってしまう。その現実に頭が追いつかなかった。こんな姿になってまで力がほしかったのかと、憐れにも思う。
大臣はにたりと歯を見せて笑い、宙に浮遊したままゆっくりとルルーナへ近づいてくる。非常に不気味な姿に、彼女はガンバンテインを両手でぐ、っと握り締めて身を強張らせた。
今の大臣は見るからに弱っている。この状態であれば攻撃魔法をぶち当てることで倒せるかもしれない。そう思ったのだ。
けれども、そんな彼女の思惑などお見通しとでも言うかの如く――次の瞬間、大臣の姿は不意に彼女の視界から消えてしまった。
どこへ、とルルーナが息を呑むのと背中に刺すような殺気を感じたのは、ほぼ同時。反射的に肩越しに振り返ると、ルルーナの目に映ったのは大臣の狂気染みた笑みと、振り上げられた腕。
やられる――と、そう思ったのだが、振り上げた大臣の腕が彼女の身に叩きつけられるよりも先に、上空から降り注いだ無数の氷柱が大臣の身を貫いたのである。
「ぐわああぁッ!? つ、氷柱だと!?」
「な……なに……?」
ルルーナは身体ごと大臣に向き直り、慌てて後退ることで距離を取ってから空を見上げた。
すると、そこには白銀の長い髪を持つ一人の青年の姿。非常に美しい姿をしているが、見覚えはない。一体誰だろうと疑問符が浮かぶルルーナを後目に、後方で騎士団の援護をしていたガイアスが嬉しそうに声を上げた。
「オンディーヌ……! よかった、間に合ったのですね……」
「オン、ディーヌ……ってことは、シヴァさんとフォルネウスが……」
肉体を失ったシヴァと、その彼を支えるために共に眠りについたフォルネウス。その二人の大精霊が目覚めたのだと、頭が理解するや否やルルーナの顔には隠し切れない安堵が滲んだ。
なぜって、水の神柱であるオンディーヌが地の国にやってきたということは、既に水の国の防衛は終わったも同然だからだ。カミラたちは無事、それを理解したのである。
「気が早いことだ、貴様の相手はまだ終わっていないのではないか?」
「な、なんだと……!?」
「そのために来たのだ、無駄足になってもらっては困る」
オンディーヌは空に浮かんだまま大臣を見下ろすと、不愉快そうな表情を浮かべながら吐き捨てるように言葉を向けた。
大臣は理解できないとばかりの様子でオンディーヌを見上げていたが、ルルーナは慌てて濃霧の最も深い部分へと目を向ける。
すると、徐々に――だが確実に晴れていく霧の中に、力強い輝きを見つけたのだ。
「な……なんなんだ、これは……?」
それは、グラムだった。爆発のせいで尻餅をついたものと思われるが、そんな彼の開いた足の間の地面には大きな一本の剣が突き刺さり、淡い青の輝きで結界を作り出している。
その剣は、これまでグラムが振り回していたものとは明らかに形状が異なる。まるで氷のような青く透き通った刀身は、思わず息を呑むほどの美しさだった。
「バ、バカな……あの爆発を受けて、生きてるだと……!?」
「我が氷の神器を甘く見てもらっては困る、貴様の渾身の一撃など神剣バルムンクの前ではただの自爆芸だ。身の削り損だったな」
「じ、神器だと……!?」
オンディーヌと大臣のやり取りを横目に見遣りながら、グラムは目の前に突き刺さる剣を――神器を見つめる。「ふふん」とでも言うようにこれでもかと存在を主張する剣は、これまで様々な武器を見てきた彼でさえ見惚れてしまう非常に美しいもの。
触れてもいいのかと僅かな逡巡の末にその場に立ち上がり、しっかりと柄を握り込んだ。
「うおッ!?」
すると、神剣バルムンクは改めて強い輝きを放ち――あろうことか、刀身部分が大小様々な破片となり砕けてしまったのだ。
その様を目の当たりにして、手にしたグラムはもちろんのこと、ルルーナも顔面から血の気が引いていくような錯覚に陥る。
――どうしよう、神器壊した。そう言いたげに。
だが、宙を舞った破片は残った鍔部分へと即座に集束を始める。
それらは見る見るうちに別の姿を形作り、程なくして先とは異なる形状の剣へと変貌したのだ。
つい先ほどまでの形状は、両手で扱うクレイモアと呼ばれる大きな剣と同じタイプの形だったのだが、現在はそれよりも更に大きいもの。これまた同じく、両手で使うことを前提に作られるトゥハンドソードの形状だ。
長さはグラムの身よりも大きい、二メートル前後はあるだろう。
「こ、こいつは……これが、神器なのか……?」
「状況に合わせて形が変わるのかしら……だとしたら、おじさまにピッタリの武器なんじゃ……」
グラムは有名な鍛冶屋として世界を渡り歩いていた男だ、彼ほど武器というものを多く知る者はそうそういないだろう。ルルーナの言うように、この神剣バルムンクが状況に応じて変化するのであれば――彼以上に適した所有者はいない。
「ふざけやがって……! おいッ! あの空の奴を殺せ、殺せええぇッ!!」
大臣は表情を怒りに染め上げると、無事な片腕を振り回して辺りのガーゴイルたちに命令を出した。オンディーヌさえ来なければ既に終わっていたのに、よくも邪魔をしてくれた。そう言いたいのだろう。
すると空を飛び交っていたもの、地上で戦っていたもの、それぞれ無数のガーゴイルたちが上空に浮かぶオンディーヌへ向けて襲いかかった。
「あ……っ!」
「心配しなくても大丈夫ですよ、殲滅戦に於いてオンディーヌの右に出る者はいませんから。この場が例え不得意な場であっても、低級魔族ではあの膨大な魔力から繰り出される魔法を受け切るなど無理な話です」
ガーゴイルたちを追いかけてきたと思われるガイアスは、オンディーヌに向かっていく様を確認すると自分が手を出す必要はないと判断したのか、それ以上の追撃をしなかった。
その刹那――上空に飛び出したガーゴイルの群れは、一瞬にして吹き飛ばされてしまったのだ。オンディーヌの身を中心に、その魔力がまるで波紋のように空で広がりを見せ、己に群がるガーゴイルを一掃したのである。
地上と空との距離があっても、オンディーヌの身から溢れ出す強大な魔力を肌にしっかりと感じてルルーナは思わず固唾を呑んだ。
これならば上空の敵は心配ないだろう。
そう考えたグラムは、神剣を手に大臣へ身体ごと向き直った。当の大臣はそんな彼を睨むように見据え、吼え立てる。
「なにが……なにが神器だ! そのようなもの、叩き壊してくれるわッ!!」
「神器と言われてもワシにとっちゃ未知の存在なんだ。加減などできんが、悪く思うなよ」
一直線に飛んでくる大臣を見遣り、グラムは神剣を両手で構える。
手にした剣をしっかりと握り込み、強く大地を蹴って駆け出すと双眸を細めて照準を胸部に向けた。よくもまぁ、下半身だけになって生きていられるものだと思うが、ここさえ叩けば恐らく終わるだろう。そう思ってのことだ。
大臣が振り下ろした爪はグラムの左肩を抉り、グラムが振るった剣は――大臣の胸部を真一文字に斬り裂く。
すると、グラムの手にある神剣の刃が砕け、大臣の身体に入り込んだ破片が鋭利な氷柱と化して内部から肉体のあちらこちらを貫いた。
「ひぎゃあああぁッ!!」
大臣の肉体に入り込んだ氷柱は瞬く間にその大きさを増し、実際に攻撃をしたグラムや状況を見守っていたルルーナも恐ろしくなるほど。大臣の全身は次に突き出た氷により覆われていき、程なくして全体がその氷に包まれ、最後は――氷柱と共に粉々に砕け散ってしまった。
ルルーナは暫し口を半開きにさせたまま呆然としていたが、やや暫くの空白の末にグラムの手にある神器へと視線を投じる。
「……あ、あれが……氷の神器の力なの……?」
「ケリュケイオンの覚醒と共に神器も各々独自の能力に目覚めたのだ。あとは……」
「……あとは?」
ふわりと降り立ったオンディーヌはルルーナが洩らした疑問に返答を向けた後、その視線を南西の空へと向ける。その方角は、火の都がある方だ。
「(……これで七つの神器全てが揃った。マスター……あとは、お前次第だ)」
それは言葉にこそならなかったが、オンディーヌは祈るようにそっと目を伏せた。




