第十九話・真紅の雨
サタンが片手を突き出せば、ジュードは思い切りぶん殴られるような強烈な衝撃を全身に感じる。片腕を振ると突風が彼の身を襲い、あちらこちらを切り刻んだ。
援護に来てくれた騎士や兵士たちは、血のように真っ赤なサタンの目に睨みつけられた途端に内部から燃え上がり、物言わぬ屍と化した。幸い、聖剣に守られているジュードには効かないようだが、神器を持たぬ者たちでは相手にもならない。
「ククッ……人間とは実に脆い生き物だ、これでは暇つぶしにもならんな。さぁて、お前はどう死にたい? 斬首か圧死か溺死か……焼死でもいいぞ、特別に選ばせてやろう」
「冗談……」
「やれやれ、せっかくの厚意だというのに……では、こちらで選ばせてもらおうか」
ジュードがサタンと交戦する城の屋上には、目を向けるのも恐ろしくなるほどの死体が転がっている。人間、魔族――両方のものだ。
人間はサタンが、魔族はジュードが屠ったもの。この場に立っているのは、最早サタンとジュードの二人だけ。辺りには今もまだ魔族の群れが翼を羽ばたかせて飛び回っているが、襲ってくる気配はない。いずれも城下の方へと飛んでいく。
サタンは全身に魔力を漲らせると、開いた手の平をジュードへ向けて突き出した。
「では、凍死にしてやろう。勇者の再臨とも呼べる貴様を氷漬けにして殺し、他の人間どもに見せつけてくれるわ!」
「やってみろッ!!」
サタンが開いた手をゆっくりと閉じていくと、ジュードの両足が突如として凍りつき始めた。それは屋上の床とくっつき、彼の身をその場に固定させる。
しかし、ジュードが利き手に携える聖剣を薙ぐように振るうと、その氷が爆ぜるように派手に砕け散った。それらを視認することもなく、次の瞬間には床を蹴って勢いよく飛び出す。
一気に間合いを詰めるなり、躊躇もなく聖剣を振るうとサタンは逆手を静かに突き出した。
「何度やっても無駄なこと!」
すると、ジュードが振るった聖剣の刃は――サタンの身に直撃することはなく、まるで見えない壁にでも阻まれるかのように止まってしまう。先ほどから、何度やってもこうなるのだ。
聖剣の力を以てしても、サタンの魔力を打ち破れずにいる。不敵に笑うその顔面に一発と言わず何発でも叩き込んでやりたいのに、ただの一撃も浴びせることができない。
サタンは双眸を細めて愉快そうに笑うと、逆手の五指を揃えて槍のようにして突き出しジュードの右肩を狙った。
「くそッ!」
「ククッ、さっきまでの威勢はどうした?」
「(こいつ、全然本気なんか出しちゃいない……! どうする、聖剣でもあいつの魔力を破れないなんて……)」
ジュードは咄嗟に真横に跳ぶことでその攻撃を避け、持ち前の素早さを活かしてサタンと距離を取る。
しかし、必死に思考をフル回転させる中、サタンは不敵に笑ったまま片手を掲げると――その刹那、城下へ向けて無数の火炎弾を放った。それらは復興途中の街並みを無遠慮に破壊し、街全体を火の海へと変えてしまう。
少しでも攻撃の手を緩めればこうだ。ジュードの相手をしながら、彼との距離が開けばその魔力を城下街に向ける。お陰で街はボロボロだ、マナはメンフィスはどうしているか――こんな状態でも仲間の安否が気にかかった。
一方で、サタンは城下へ攻撃を向けながらも決して意識はジュードから離してはいない。
彼にとって、ジュードなど相手にはならない。けれども、その手にある聖剣ばかりは別だ。
「(……ふむ、やはり妙だな。聖剣が聖属性を持ってしまったのは仕方のないことだが……なんだ、あの不穏な気配は……)」
サタンは、聖剣というものをよく知っている。神々しい力を秘めた、サタンにとってはなによりも忌まわしい存在だ。
けれども、今の聖剣から受ける印象は――神々しいだけではない。
あまり長引かせるのは得策ではないと判断したか、サタンは背中の両翼を大きく広げると片手を真横に薙ぐように振るった。
「なかなか楽しませてくれたが、遊びはここまでだッ!」
すると、鋭利な風の刃が無数に出現し――ジュードへと襲いかかる。ジュードはそれを見ると小さく舌を打ち、腰裏から短剣を引き抜き再度真横に跳んだ。
だが、彼に直撃しなかった風の刃は城の屋根を叩き壊し、都全体を覆う高い外壁を思い切り破壊してしまう。それを肩越しに見遣ると、ジュードは思わず下唇を噛み締めた。
戦うには場所が悪すぎるのだ。避ければ街や城に被害が出る。かと言って身ひとつで受け切るには、サタンの魔力が高すぎた。
「ククク、とんだ王子様だな。貴様が避ければ街が壊れていくぞ」
「(……仕方ない)」
城下では今も多くの者たちが必死に戦っているはずだ、そんな彼らにサタンの凶刃を向けるわけにはいかない。ジュードはそう考えると、一度深呼吸をしてから再び飛び出す。
負傷しようとどうしようと、サタンから離れなければいい。この男を相手にするには、得意な戦法を捨てることさえ必要だ。
「何度やろうと無駄だとわからぬのか……愚か者め!」
「破れないなら、破れるまで叩いてやる!」
一度やっても壊れないのならば、何度でも。
一気に間合いを詰め、これまで同様に聖剣を振りかざす。すると案の定、サタンは片手を突き出してその攻撃を防いだ。そして、即座に逆手を振るってくる。サタンが振るう手は刃物のような鋭さを持ち、ジュードの右腕を深く抉った。
けれども、ジュードは怯むことなく逆手に持つ短剣をサタンの右斜め下から思い切り振り上げる。それは、父グラムがジュードの身を守ってくれるようにと願いを込めて生み出した剣だ。
当然、これも弾かれるはず――そう思ったのだが、不意に聖剣が淡い輝きを放ったかと思いきや、短剣の刀身が呼応するかのように輝いた。
次の瞬間、サタンが張り巡らせた透明な盾のような結界はその効果を見せず――短剣の刃が彼の脇腹から胸部を深く斬り裂いたのだ。
「え……ッ!?」
「なに……っ!?」
それには、実際に短剣を振るったジュード本人も驚いたように目をまん丸くさせた。弾かれるものと思っていたせいでバランスを崩しそうになりながら、それでも即座にジュードは追撃に出る。
まるでヴァリトラの双眸のように美しい金色に輝く刃を逆手持ちに構え、サタンの首を狙った。
思わぬ事態にサタンは忌々しそうに舌を打つと、今度は彼が距離を取る番だった。後方に跳び退り、背に生える翼を羽ばたかせて上空へと浮かび上がる。
負傷した箇所を片手で押さえ、視線は――ジュードの手にある短剣へ向けた。金色に輝くその刃全体から、ただならぬ強大な力を感じる様に自然と表情が歪んだ。
「(あれは……ヴァリトラの牙か……ッ! それも、聖剣と併せ持つことで威力が倍増している……!)」
サタンはひとつ舌を打つと両手を高く掲げた。
もう手加減もなにもする気はない、そう言うかのように。すると上空には空を覆い尽くすかのような、途方もない数の火の玉が出現した。それを見上げて、ジュードは思わず表情を強張らせる。だが、すぐに聖剣を構え直した。
「この国と共に焦土と化せッ!」
サタンの魔力は、やはり魔王というだけあってか生半可なものではない。城下を攻撃した先の魔法も本気を出していないにもかかわらず、一般の者が扱う上級魔法ほどの威力があった。
この空を覆うほどの火の玉も――恐らくそれと同等か、それ以上の破壊力を持っているだろう。そんなものが今、この都を襲おうとしている。
サタンが吼えるように声を上げて掲げた手を叩き下ろすと、上空に出現した火の玉は――火の都へと雨のように一斉に降り注いだ。




