第十七話・経験の差
「きゃああぁッ!?」
空から飛翔するワルキューレ二人の協力もあり、上空の敵はそのほとんどが姿を消した。
空は彼女たちに任せ、自分は地上の敵を殲滅すべくルルーナは神器を振るったのだが――彼女が放った魔法はこれまで以上の威力を誇り、背後からグラムを襲おうとしていた魔族の数匹を直撃した。
それはコウモリのような翼を持つ全身漆黒の生き物、ガーゴイルだ。両手に生える鋭利な爪は恐ろしいほどの殺傷能力を持っている。
けれども、ルルーナが放った地の魔法はそんなガーゴイルたちを地割れの中に呑み込み、無数に突き出す岩の槍で頭部や胸部など様々な箇所を貫いた。
その威力に、術を放ったルルーナ本人が驚愕に悲鳴を洩らすほどだ。手に持つガンバンテインをまじまじと見つめて、思わず固唾を呑む。
「こ、これが、強化されてるってこと……なの?」
「ええ、そうです。仲間を巻き込まぬよう、注意するのですよ」
ガイアスの言葉に、ルルーナは一度彼女を肩越しに振り返り困ったように眉尻を下げた。
ルルーナは元々、攻撃魔法の類はそこまで得意ではない。マナは文句なしに攻撃魔法のエキスパートだが、回復主体のカミラよりも劣るほどだ。
その彼女に「仲間を巻き込むな」というのは、なかなかの無理難題である。
しかし、不平不満を洩らすことなく戦場に向き直ると再び詠唱に入る。文句を言っている暇さえ、今は勿体ないのだ。
「(……私は今まで、誰のことも信用なんかしてこなかった。その私が、初めて自分の居場所を見つけて、初めて大事にしたいと思う連中に出会えたのよ。それを――失ってたまるもんですか!!)」
今を守るためなら、どんな無理難題だってクリアしてみせる。
ルルーナはそう固く心に誓うと、辺りに展開するガーゴイルの群れに向かって神器を振るった。
一方で、魔族へと変貌を遂げた大臣と交戦していたグラムはまっすぐに相手を睨み据えながら、その挙動を窺っている。
見てくれはどこにでもいるような大酒のみの男と思えるような出で立ちだ。ぽっこりと突き出た腹は、街に行けば必ずと言っていいほどに見かける男たちのビールっ腹を思わせる。
けれども、大臣の動きはその外見からの印象を大きく裏切り、非常に俊敏だ。鋭利な五本の爪による引き裂き攻撃は威力が高く、援護にきた数人の兵士や騎士が深手を負い何度か後退させた。
「ぐわはははは! 弱い弱い弱いッ!」
「……」
「どうしましたぁ? アナタはかつて火の都を救った英雄の一人と聞きましたが、これは期待ハズレですなあぁ!」
大臣は、ジッと己を見据えてくるグラムを前に顔を天に向けて大きく高笑いを上げる。
けれども、グラムがこれまで守りに徹していたのには理由がある。彼は長い間、その手に剣を握っていなかったとは言えど――元々はメンフィスと肩を並べていたほどの腕前だ。
どこまでも冷静な、それでいて氷のように冷たい双眸で大臣を見据え、その隙や癖を頭の中で纏めていた。
「(――動きが早く、攻撃力も高い。だが、どれだけその身を怪物に変えようと相手は戦闘の素人。隙だらけだ……)」
今の大臣は確かにその身を魔族に変貌させてしまったが、それまではヘルメスの腰巾着として安全な場所から高見の見物を決め込み、時に口喧しく騒ぎ立てていただけ。自分の手で戦闘を行うのは今回が初めて。
ならば、戦い方はいくらでもある。
グラムは改めて大剣を両手で握り締めると、やや上体を前に倒す形で駆け出した。それを見て、大臣はなにをするつもりかと鼻で笑う。
驚異的な力を持つ自分に真正面から挑みかかってくるなど、自殺行為だと言いたいのだろう。鋭利な爪が生える五指を大きく開くと、その腕を振り上げた。こちらに突撃してくる身を思い切り引き裂いてやろうと言うのだ。
「身の程知らずが! くたばれええぇ!!」
「身の程知らずというのは、お前さんのような奴を言うんだよッ!」
風を裂いて勢いよく振られた爪をグラムは直撃する寸前の間合いを見極めることで回避すると、両手に握り締める大剣を問答無用に斜め下から振り上げた。
鋭利な大剣の刃は大臣の腹部を斬り裂き、真っ赤な血飛沫が上がる。それと共に大臣の悲鳴も。
激痛を覚えながら――それでも大臣は身を翻し、片足を軸にすることで逆手で裏拳を繰り出してくるが、それらがグラムの身を捉えることはない。
「ぐうぅッ!」
「いいことを教えてやろう、戦いは力ひとつで勝てるものではない。これまで安全な場所でふんぞり返っていただけの奴が力を手に入れたところで、俺のような奴には通用しないんだよ――踏んできた場数が違うからな!」
グラムは振られる大臣の攻撃ひとつひとつを、己の身に直撃するギリギリで回避し続けている。そして避けると共にすかさずカウンターを叩き込むのだ。
かつて火の都を救った戦いもそうだが、これまで戦闘を繰り返してきた数と経験が異なる。
今まで安全な場所にいた大臣と、本職ではなくとも戦場を潜り抜けてきたグラム。どれだけ力を持っていようと、実際に自分の身で戦ったことがない大臣にとっては――相手が悪すぎた。
その刹那、大臣の身には深くもう一太刀が刻まれた。斜め十字についた剣傷からは勢いよく鮮血が噴出し、大地を真っ赤に染め上げていく。
ルルーナはその光景を見て、思わず口をぽかんと開けて唖然とした。
「すごい……あれが、おじさまなのね……」
ジュードたちも随分と戦い慣れた方だとは思うが、グラムはメンフィスと同等だ。攻撃ひとつを取ってもほとんど無駄な動作もなければ、躊躇もない。戦いを知る男の立ち回り方だと思った。
観察することで相手の力量を推し量り、即座に頭の中で――否、身体に染みついた勘で対応してしまうのだから見事なものだと。それに、彼は神器さえ持っていないのに。
腹部から胸部にかけて深い裂傷が刻まれたことで、大臣は苦悶の声を洩らしながら力なくその場に倒れ込んだ。激痛からか脂汗が全身から噴き出し、頻りに浅い呼吸を繰り返している。助けてくれとでも言うように震える手を伸ばしてくる様を見下ろしながら、グラムはトドメを刺すべく剣を振り上げた。
「たっ、助けてくれ……ッ! 本当はこんなことしたくなかったんだ! だが、ヘルメス様には逆らえず……!」
「……」
「ほ、本当だ! 私は人間なのだぞッ、その私が人間であることを捨てて魔族になりたいなどと思うはずがない! だ、だからほらッ、私を助けてくれ! 私も共に魔族と戦いたいのだ、この力があればそなたたちの力になれよう!」
言っていたことが、先ほどまでと比べて百八十度変わっている。
こうなる前は辺りにいた兵士たちを薙ぎ払い、己の力に酔い痴れていたというのに。あろうことか、それはヘルメスに逆らえないからだと言い出した。
言葉にし難いほどの嫌悪を感じながらも、グラムは無表情に大臣を見下ろす。彼が大臣を許せないのは、その言動のせいではない。
「別にワシは、誰に逆らえなかったとかそんなことはどうでもいい」
「……へ?」
「無事だったからいいようなものの……裏で魔族と結託し、ワシの愛息子を魔族に引き渡したことが許せんのだよ」
「……! そ、それは――!」
「そんな貴様が、本当はこんなことしたくなかった、だと? 笑わせるのも大概にしろ、例えその言葉が事実であったとしても――そのように簡単に靡く奴を受け入れる気など毛頭ない」
グラムはそうハッキリ告げると、振り上げた剣を躊躇もなく大臣の胸部目がけて叩き下ろした。すると、刃は肉を裂いて骨を砕き、心臓部まで到達する。
「ひぎぃあああああぁッ!!」
けれども、その時。裂けた部分から血と共にドス黒い霧のようなものが噴き出してきたのだ。
恐らく悲鳴を上げる大臣は気づいていない。
グラムは本能的に危機感を覚えると、咄嗟に大地を蹴り後方に跳び退る。全身が粟立ち、理由もわからず心臓が悲鳴を上げるかのように脈を打った。まるで怯えるように。
「な……ッ!?」
そして次の瞬間、大臣の身は不気味な紫色に輝くと共に――まるで爆弾でも破裂したかのように大きく爆ぜたのである。
後方にいたルルーナの方まで爆発の余波が届き、全身にビリビリと微かな衝撃が走る。大臣がいた周囲を巻き込んでの破裂、傍にいたグラムは大丈夫なのかとルルーナは息を呑んだが、空へ浮上していく黒煙の多さと濃さに邪魔をされて彼の安否を窺うことはできなかった。




