第十六話・神器の目覚め
「わわわ……っ!」
やがて空からふわりと舞い降りてきたセラフィムは、とても穏やかな表情をしていた。先ほどはあまりの速さでその風貌を窺うことさえできなかったが、彼女は非常に美しい姿の持ち主だ。手にする物騒な槍など似つかわしくない、見た目だけは非常に清楚だった。
セラフィムはカミラの傍に降り立つと、ランスを大地に突き刺してから彼女の手にある聖杖にその手を触れさせる。すると、ケリュケイオンは一際強く光を放ち、カミラの全身を包み込み始めた。
リンファとエクレールは慌てたように彼女の傍に駆け寄り、大丈夫なのだろうかと心配そうな様子でその光景を見つめる。
「あ、あああの」
「……ダーインスレイヴの魔力が、未だ各地で猛威を振るっています。姫巫女よ、随分と待たせてしまいましたが……この力で魔剣の魔力を祓いなさい」
「はわわわ……」
カミラはケリュケイオンを両手でがっしりと握り締めたまま、その身を小刻みに震わせる。リンファとエクレールは彼女の傍らに寄り添い、その身を両脇から支えたが――震えの理由はすぐに理解できた。
ケリュケイオンから放たれる力が、あまりにも強力なのだ。
聖杖ケリュケイオンは光の大精霊セラフィムに認められることで真の力を発揮するもの――つまり、これはその彼女に認められた結果というわけなのだろう。
そこでリンファは、ふと腰に据えた短刀から蒼白い光が溢れているのに気づき、片方を引き抜いてみた。すると、神双アゾットの刃が白く美しい光に包まれている。一体どうしたというのか、リンファは不思議そうにアゾットとケリュケイオンを交互に見つめた。
「お、おおおねがいします、みんなを……みんなを、助けてください……!」
カミラは彼女たち二人に支えられながらケリュケイオンを両手で持ち直すと、空へ掲げる。
静かに目を伏せて、いつも治癒魔法を仲間にかけているように意識を集中させた。ケリュケイオンで魔剣の魔力を祓うのは、これで二度目だ。
ジュードたちとカームの街で再会した翌日のことを――当時のその感覚を思い返して、ケリュケイオンに集中する。
「光が……!」
そうすると、杖の先端から出現した真っ白な光が天高く舞い上がり、ガラス玉が割れるかのように天空で飛散。そのまま美しく光が広がりを見せる。まるで花火のようだ。
しかし、散らばった光はそのまま風に溶けて消えてしまった。暫しの間カミラやリンファ、エクレールは空を見つめていたが、程なくしてカミラはやや蒼褪めながらヴァリトラやセラフィムを見遣り、泣きそうに表情を曇らせる。
ヴァリトラはそんな彼女を確認すると、愉快そうに喉を鳴らして笑いを洩らした。
「はっはっは、そんな顔をするな。ほら、我の傷も癒えておるだろう? あれでよいのだ、失敗ではない」
「ほ、ほんと?」
カミラは目にいっぱいの涙を貯めながらヴァリトラを見遣るが、その言葉を肯定するかのようにセラフィムとオンディーヌが揃って頷いてくれた。それを見てカミラは杖を下ろして、片手で己の胸を撫で下ろす。
これで、仲間は魔剣の魔力から本当の意味で解放されたのだろうか。そうは思っても、実際に自分の目で見ないことにはまだ安心はできなかった。
リンファは暫し彼らの様子を見守っていたが、己の手にある神器が未だに光を失わないのを見遣ると幾分控えめに口を開く。一体この神器はどうしてしまったのかと。
「あ、あの……先ほど渡された神器が光っているのですが、これは……?」
「ケリュケイオンの覚醒と共に神器も目覚めたのだ。聖杖ケリュケイオンは聖剣に次ぐ力を秘めているが、その真の役割は他の神器の覚醒にある」
「ええ、オンディーヌの言う通りです。そのため、神器が悪用されぬようわたくしの承認がなければ力を発揮しないように眠りにつかせておりました。神器は神柱たちが認めぬ限りは顕現しないものですが……絶対に大丈夫だとは言い切れませんからね」
「じゃ、じゃあ、みんなが持ってる神器も……強くなったってことですか?」
実際に、フォルネウスは一度敵側に渡った身だ。シヴァが彼に同調しなかったからよかったものの、もし兄弟揃って魔族に協力していればオンディーヌが持つ神器は魔族のものになっていた可能性が高い。
カミラはオンディーヌとセラフィムの説明に彼らを何度も交互に見つめてから、己の手にある聖杖に目を向ける。先ほどまで感じた力は落ち着いているが、これまでとは確実に雰囲気が異なる。こうして両手で握り込んでいると、手の平から全身に力が迸るかのようだ。
オンディーヌは静かに踵を返すと、再びふわりと浮かび上がる。それを見てヴァリトラは彼を振り仰いだ。
「オンディーヌよ、どこへ?」
「東へ。残す神器は私が持つ氷の神剣のみ、使い手に相応しき者へ託すついでに加勢を」
「ノ、ノームも行くナマァ!」
こうしている間にも、他の地方では仲間が魔族と交戦している。少しでもその負担を減らすために、動ける者は援護に行く方がいいだろう。ノームが慌てて上空のオンディーヌに短い手を伸ばしてジタバタ動き回ると、当のオンディーヌは一旦地上に降りて丸々としたその身を掴み上げ、己の肩に乗せた。
しかし、エクレールはともかく、カミラとリンファは魔剣の魔力により随分と出血があった。そんな彼女たちに無理をさせるわけにはいかないと、ヴァリトラは低く唸った末にオンディーヌとセラフィムに目を向ける。
「……では、セラフィムよ。お前は姫巫女たちを頼む、我は火の都へ戻る」
「承知しました。彼女たちを精霊の里に送り届けた後、わたくしは西の援護へ向かいます。……ヴァリトラ、オンディーヌ、火の都で会いましょう」
どうやら、ヴァリトラたちは各地に分かれるようだ。
オンディーヌは地の国、セラフィムはカミラたちを送り届けた後に風の国、そしてヴァリトラは魔王の襲撃を受けているだろう火の国へと。
カミラとリンファは、依然として凍りついたままのアンデット集団へと目を向ける。
彼らは、つい今し方のカミラの治癒魔法を以てしても肉体が再生することはなかった。覚醒したケリュケイオンの力を用いても、救うことはできないのだと――そう痛感した。
* * *
「ルルーナ、大丈夫ですか?」
「え……ええ、なんとか……それより、あれは……?」
地の国グランヴェルでは、魔族へと身を堕とした大臣率いる魔族の群れが侵攻を続けていた。
魔剣の魔力により戦線を離脱していたルルーナだったが、地の神柱ガイアスの力のお陰でカミラたちよりはその負傷は軽い。精霊の里で魔剣を喰らった際、カミラはガイアスの力を借り受けて一時的にだが傷を塞いでくれたのだ。地の神柱は治癒に優れているのだろう。
襲い来る魔族の群れを地割れに巻き込み、時に大地の中から鋭利な槍を突き出して屠りながら――ガイアスは己の後方でダウンしていたルルーナを肩越しに見遣る。
見れば、ルルーナの身に刻まれていた魔剣の傷は綺麗に癒されていた。それを確認して、ようやくガイアスの顔に安堵が滲む。
けれども、ルルーナの意識が向いているのは――上空から飛翔する二人の天使だ。あれは一体何者なのだろうか、それが気になった。
「あれはワルキューレです、味方ですよ」
「ワルキューレ?」
「ええ。光の大精霊セラフィムが率いる天空の騎士団、それがワルキューレです。セラフィムの目覚めと共にケリュケイオンも……あなた方が持つ神器も強化されたはず。この機を逃してはなりません、一気に仕留めますよ!」
ルルーナは静かに立ち上がると、目の前が真っ暗に染まるような錯覚を覚え、杖を大地について身を支える。魔剣の傷がぶり返したせいで出血したためだ、軽い貧血だろう。
逆手を己の額辺りに添えて数拍やり過ごし、奥歯を噛み締めて顔を上げる。傷ついたのは自分だけではない、この最中にも周囲では多くの兵士たちが鮮血を流して魔族と交戦している。自分ばかり休んではいられない――そう思った。
「(今はひとまずおじさまの援護を……あの大臣さえ片づければ、随分楽になるはず……!)」
ルルーナは深く息を吸い込むと、両手に神杖を構え直す。
次いで意識を集中させ、敵側の能力を低下させるべくガンバンテインで辺り一帯を包み込んだ。




