第十五話・水の国への入国
王都フェンベルを後にした馬車は、街道沿いを真っ直ぐ北上していく。
北には風の国ミストラルと、水の国アクアリーを繋ぐ関所があるからだ。ジュードやウィルは水の国に仕事で行く際には、いつもこの関所を通っていた。他に通るような場所や道もなかったからである。
そう距離もなく、馬車は無事に関所へと辿り着いた。襲撃者を警戒してのことか、そこには数多くの兵士の姿が窺える。そのいずれも水の国アクアリーの兵士らしく、メンフィスの馬車を見つけるなり片手に持つ槍を突き出してきた。水の国の者は戦い慣れをしていない、警戒心は必要以上に強いのだ。
メンフィスは彼らに必要以上には近寄らず、やや距離を空けて馬車を止めると懐から封筒に入った手紙を取り出した。
「私は火の国エンプレスから来たアイザック・メンフィスと申す、女王陛下からの命令で水の国への入国を願う」
「火の国……火の国だって……?」
関所を守る兵士達は、皆一様にメンフィスの言葉に難色を示し、動揺の色も色濃く窺えた。
無理もない――メンフィスが命令した訳ではないにしても、水の国アクアリーは争いを好まぬ平和主義者が多いにも拘らず、火の国の女王アメリアはそんな彼らを数多く徴用した張本人である。水の国の民が火の国の者を快く思わないのは当然と言えた。
兵士の中から、水色のショートヘアの少年兵が一人歩み出てメンフィスへと歩み寄る。中性的な顔立ちだが男性だ。歳は十四、五歳程度。ジュードやマナよりも幼い印象を受けた。
「断る、火の国の者を水の国に入れる訳にはいかない!」
「何――」
「火の国は野蛮人の国だ! 我ら神聖なる水の国への入国は認めない!」
少年は表情に明確な怒りを宿して、メンフィスへ怒声を飛ばす。それに倣い、周囲にいた兵士達からも非難の声が飛んだ。
メンフィスとて快く受け入れてもらえるとは思っていなかったが、こうまで取り付く島もない状況に陥るとは流石に思っていなかった。
前線基地で戦う者達の為に、何があっても水の国に入り必要な鉱石を調達しなければならない。だが、これでは調達どころか入国さえ出来ない状態だ。困り果てたようにメンフィスは頭を掻く。
そこへ、後方から声が掛かった。
「……エイル?」
「えっ……? ……ジュード!?」
外の騒ぎに反応したジュードが、馬車の扉を開けて降りてきたのだ。メンフィスは肩越しに彼を振り返り、少年は驚いたように目を丸くさせて声を上げる。
しかし、すぐに表情を怒りに歪ませ、両手で槍を持ち直すと切っ先をメンフィスの顔へ向けた。
「貴様っ! ジュードを捕らえてどうするつもりだ!」
「エイル、違う、そうじゃないって!」
何やらとんでもない誤解をされているようだ。ジュードは慌ててメンフィスとエイルの間に入り、槍を下ろさせた。
だが、当然ながらエイルと呼ばれた少年兵の怒りは鎮まらず、ジュードがメンフィスを庇うように立つのを見て、彼の激昂は更にエスカレートの一途を辿る。エイルは眉をつり上げてジュードに詰め寄った。
「どういうことだよ、ジュード! なんでそんな奴を庇うんだ!」
「おいおい、ジュード。誰なんだ、その駄々っ子は」
馬車の外から聞こえてくる様々な非難や怒声に、ジュードに続いてウィルも顔を出し馬車を降りる。カミラやマナ、ルルーナもその後に続いた。
ウィルはいち早くジュードの傍らに歩み寄ると、掴み掛からんばかりの勢いで彼に詰め寄るエイルとを交互に見遣る。だが、エイルにとっては不愉快な言葉だったらしい。眉をつり上げたまま今度はウィルに怒声と槍の切っ先を向けた。
「なんだと……!? 失礼な奴!」
「うわっ、おいおい! 刃物を人に向けるな!」
「エイル、やめろ!」
槍の切っ先をウィルに向けながら、エイルは更に一歩前に足を踏み出して詰め寄る。切っ先はギリギリ、ウィルの鼻先手前で止まりはするが、更に詰められれば確実に突き刺さる。
ウィルは不快そうに眉を寄せ、ジュードは慌てて槍を掴み改めて下ろさせた。そうして一度、視線のみでウィルを見遣る。
「……コイツはエイルって言って、水の国の王都に住んでるんだ。前に仕事で行った時にちょっと話して仲良くなってさ」
「お前、顔広いのな……」
ジュードは仕事であちこち走り回ることが多かった。このエイルとも、材料調達や配達などで何度か顔を合わせ親しくなったのである。また、彼が魔物に襲われた際に助けたことがあり、それ以来エイルはジュードに特別懐くようになった。
元々内向的で友達と呼べるような者もいなかったエイルにとって、ジュードは特別な存在だ。唯一と言える友人であるからこそ、執着も人一倍強い。
ジュードは改めてエイルに向き直ると、真剣な表情で要件を口にした。
「エイル、オレ達は仕事で……今は火の国に住んでるんだ。今日来たのは、前線基地で戦う人の為に必要な武具を調達する用で来た。頼む、通してくれ」
「火の国に住んでるの……!?」
「……ああ。頼むよ、前線基地の状況が思わしくないんだ。魔物が強くて、毎日多くの人が死傷して――」
「火の国の奴らなんか、みんな死んじゃえばいいんだ!」
ジュードが改めてエイルに頼み込もうとした矢先、言葉途中に出た怒声にジュードのみならずメンフィスやウィル、カミラも絶句した。
マナは明らかに不愉快を表情に滲ませてウィルの傍らに並ぶと、激昂するエイルに言葉を向ける。
「な、なんてこと言うのよ! 火の国には水の国の人達も行ってるんでしょ? 前線基地で一緒に戦ってる筈じゃない! その人達のことまで見捨てるつもり!?」
「うるさいっ! それもこれも、火の国が無理矢理決めたことじゃないか! 戦いたいなら自分達だけでやればいいだろ、関係ない国まで巻き込むな!」
火の国にある前線基地には、水の国からも多くの者が徴用されて行っている。他にも様々な国から傭兵達が参戦している筈だった。最早、火の国だけの問題ではないのである。
しかし、水の国の民からすれば、圧力を掛けて無理矢理に戦いへの参加を促してきた火の国は友好国ではなく、寧ろ敵国に近い。だが、だからと言ってジュード達も引き下がる訳にはいかなかった。
「エイル、前線基地で魔物を防げなければ水の国もいつか危険に晒される。そうなってからじゃ遅いんだ、……頼むよ」
もしも前線基地が魔物により壊滅することになれば、凶悪な魔物達は次に火の国全土を滅ぼし、勢いを付けて世界中に広まっていくだろう。そうなれば、風の国ミストラルや水の国アクアリー、更には完全鎖国を貫く地の国グランヴェルも無事では済まない。世界中が凶悪な魔物で溢れ返るだろう。
ジュードの言葉にエイルは暫し唸っていたが、やがてメンフィスを一瞥してから呟いた。
「……分かった、ジュードがそう言うなら……でも、その男だけはダメだ。ジュード達だけなら通す」
「エイル!」
「そんな目で見ないでよ! 優しくしてくれないジュードなんて嫌いだ!」
そう怒鳴ってエイルは俯き、ジュードは困惑して眉尻を下げた。エイルのその様は、まるで叱られるのを待つ幼子のように見える。
ウィルとマナは改めて何か言おうとはしたのだが、それよりも先に入国を拒否されたメンフィスが口を開いた。ジュードの傍らに歩み寄り、そっと彼の肩に片手を置く。
「ジュード、今回ばかりはやむを得ん。ワシは先にフェンベルに戻っていよう」
「え、でも……」
「ワシなら大丈夫だ、寧ろお前達だけで行かせることが心配だが……ジュード達の身の安全は保証してくれるのだな?」
確かにメンフィスの言うことは尤もである。メンフィスが入国を拒否されたからと諦める訳にはいかないのだ。ジュード達だけならば通すと言うのなら、その言葉通り彼らだけでも行かなければならない。
だが、水の国は襲撃を受けて間もない。メンフィスはジュード達の身が心配であった。襲撃してきた魔物がどれほどの強さを持っているのかも分からない以上、どう助言をすればいいのか何も分からないのである。
王都フェンベルの宿を出る際にも、プリムが心配そうに――何度も何度も、気を付けるようにと言っていた。
メンフィスは俯いたままのエイルに一声掛けると、彼は勢い良く顔を上げて睨み付けてくる。
「当たり前だろ! 僕達はお前達みたいな火の国の野蛮人とは違う! 誰彼構わず危害を加えたりはしない!」
「ならば、その言葉を信じるとしよう。ジュード……皆と共に行ってこい、鉱石を頼むぞ」
何を言われようと気にすることもせず、ふと薄く微笑むメンフィスに対しウィルやマナ、カミラは寂しそうに――そして切なそうに表情を曇らせる。ジュードは暫しの逡巡こそ挟むものの、師と仰ぐようになった彼の頼みに曖昧な言葉を返せる筈がない。
しっかりと頷き、真剣な眼差しを向けて返事を返した。
「――はい、必ず鉱石を調達して戻ってきます」
師匠と弟子のような関係を築いて間もない内に離れるのはメンフィスにとっても寂しいものではあったが、今回ばかりは仕方のないことである。
しっかりとしたその返答に、メンフィスは目を細めて優しく笑った。
* * *
ジュード達はメンフィスに見送られながら、案内役と護衛役を買って出たエイルに連れられ関所を北上する。メンフィスの所有するものではあるが、目的が鉱石の調達と言うことから馬車の入国も許可はされた為、馬車による移動だ。手綱はジュードが握り、隣には上機嫌そうに笑うエイルが乗っている。
先程までの激昂っぷりは何処へやら、すっかりエイルの機嫌は戻り嬉しそうにジュードに声を掛けていた。
馬車の中では、そんな様子を窓越しに眺める仲間達がいる。
「ウィル、あの子……知ってる?」
「いいや、知らない。ジュードの奴、本当に顔が広いよなぁ……」
窓越しに見える――ジュードの隣に座るエイルの姿にマナは目を細める。そのマナの横には同じように、そして不愉快そうに表情を顰めるルルーナがいた。
ウィルはそんな二人を見て思わず苦笑いを浮かべるのだが、ふとルルーナの隣で俯くカミラに気付くと、心配そうな視線を投げ掛ける。心なしか顔色が悪く感じられた。
「カミラ、大丈夫か?」
ウィルの言葉に、マナもルルーナも同時にカミラに目を向ける。手が多少なりとも小刻みに震えているように見えた。顔を上げて「大丈夫」とカミラは笑うのだが、どうにも顔色が悪い。無理をしているのは明白だ。
ルルーナは隣に座るカミラの手を取ると、逆手で優しく摩る。
「カミラちゃん……本当に大丈夫なの? 馬車での移動に酔っちゃったのかしら……」
「う、ううん……水の国に入ってから少しだけ気持ちが悪くて……でも、大丈夫……」
カミラの言葉通り、確かに気持ちが悪そうであった。顔色は悪く、手や肩が小さく震えている。ルルーナがそんな彼女の身を支えるが、心配は尽きない。
ウィルは一度正面に目を向けると、遠くに見えてきた街の建物を確認してカミラへ改めて目を向けた。
「あの街で少し休もう、店も覗きたいしさ。まあ……この辺りに目的の鉱石が出回ってるかどうかは微妙だけど……」
「そうね、期待出来ないなら鉱石の情報も集めなきゃならないし。その間、カミラは休んでて。……ルルーナに任せてもいいのよね?」
依然として胡散臭そうにルルーナを見遣るマナだが、ルルーナ本人はその視線を気にすることなくマナに目を向けると小さく頷いてみせた。
「当たり前でしょ、カミラちゃんは私が見てるわ」
「……そう。なら、お願いするわ」
これまでとは違い、見下すような――バカにするような発言が返らないことに幾分か拍子抜けしつつ、マナは余計に突っ掛かることはせずに素直にカミラのことを任せた。普段は喧嘩ばかりだが、マナとて別に喧嘩をしたい訳ではないのである。
カミラは自由な片手で胸元を押さえると極々小さく息を吐き出し、窓越しに外の景色に視線を投じた。
「(苦しい、気持ち悪い……わたし、どうしちゃったの……?)」
カミラの胸中には、気持ち悪さだけでなく不安や心配が広がっていく。風の国にいる間は、全くと言っていいほどに問題も異常もなかったと言うのに。水の国に入ってからと言うもの、カミラの体調は悪くなっていくばかりだ。
だが、彼女には思い当たることがまるでない。ルルーナの言うように馬車での移動に酔ったのかとも思うのだが、乗り物酔いで気持ち悪くはなっても、胸の辺りに何かがのし掛かるような強い圧迫感や、全身への倦怠感に近い感覚はあまり覚えないだろう。
「(どうしよう、休んでなんていられないのに……お願い、落ち着いて……)」
徐々に近付く街の建物を眺めながら、カミラは心の中でそう願った。