第六話・風と地の攻防戦
「うぬうぅ……これが、魔族の力なのか……!」
風の国ミストラルでは、既に戦闘が始まっていた。
ミストラルの東側――カームの街にほど近い平原が戦場と化し、最前線では風の王ベルクが奮戦している。
空からは無数のグレムリンが襲撃してくる他、地上には様々な種類の魔族が展開し、進軍してくる始末。二足歩行をする人型が多いが、それらは決して人間ではない。
病的なまでに白い肌を持つ彼らは、女性型をサキュバス――男性型をインキュバスと呼ぶ夢魔の類だ。
人間の精神に容易に入り込み、脳を支配してくる恐ろしい魔族。それらが千を超えるほどの大軍でミストラルにやってきていた。
彼らに脳を支配され、次々に倒れていく騎士団の姿が見える。
ベルクは忌々しそうに奥歯を固く噛み締め、片手に持つ剣を握り締めた。
グレムリン程度ならば騎士団で力を合わせることで撃退もできるが、空と地上両方からの襲撃となるとそうもいかない。
「おのれ、バケモノどもめ……ッ!」
忌々しそうに睨み据えるベルクを嘲笑うかのように、彼の視線の先ではサキュバスとインキュバスが口角を引き上げて、うっすらと笑みを浮かべた。
そうして片手を徐に引き上げ、人差し指をベルクに向ける。爪の先が黒い不気味な光を纏い始めるのを見ると、ベルクの頭は危険を察知して警鐘を鳴らす。しかし、まるで金縛りにでも遭ったかのように指先ひとつ動かせなかった。
「ぐぐッ……!」
恐怖に慄いているわけではない、これも――魔族の力なのだろう。
ベルクは必死に身体を動かそうとするが、やはり自分の意思ではどこも動いてくれない。そうこうしている内に、視線の先に見えるサキュバスの口が「死・ね」とゆっくり動くのが見えた。
次の瞬間、サキュバスの指先からは黒い光が弾丸のように放たれ、一直線にベルクへと飛んでくる。
けれども、その黒い光が彼の身を直撃することはなかった。
「おおっと! 到着早々ご挨拶だな!」
「……!?」
黒の弾丸がベルクに直撃するよりも先に、その間に一人の男が割り込んだからだ。放たれた凶刃を大きな盾で弾く様に、サキュバスやインキュバスたちは怒り始めた。
しかし、彼らが再び攻撃に移る前に、今度は上空から――薙ぎ払うかのように無数の風の刃が飛翔してきたのである。夢魔たちは枯れ木のように吹き飛ばされ、その身を次々に斬り刻まれていく。
「――父上! ご無事ですか!?」
「ヴィ、ヴィーゼ……? それにウィルも……では、これは……」
「はい、アメリア様が援軍を出してくださいました。ガルディオンの騎士団も一緒です!」
「そ、そうか……! なんと有り難い……」
辺りに目を向けてみれば、少し離れた場所には見慣れぬ鎧に身を包む騎士たちの姿。彼らがガルディオンからやってきた騎士だろう、疲弊しつつあるミストラルの騎士たちを助けてくれている。それを見て、ベルクは安堵したように深く息を吐き出した。
次に空へ目を向ければ、先ほどまでグレムリンの群れで黒に染まりつつあった空は青みを取り戻している。上空では長い金髪を持つ一人の青年が、現在進行形で大暴れしていた。
ひとたび片腕を振れば巨大な風の刃が飛び、空のグレムリンたちを斬り落とす。地上で夢魔たちが進軍する様を見ると、次にはそちらにいくつもの刃を放った。
風を自在に操るその様は、他の誰でもない――風の神柱シルフィードだ。
彼が加護を与えるこの風の国ミストラルであれば、その力は何倍にも強化される。流れるような戦い方で魔族の群れを蹴散らしていく姿は、見ている分には非常に心地が好い。
「流石にとんでもないな、こっちも負けてられないか。行くぞ、ウィル!」
「はい、せめて地上の敵だけでもなんとかしないと……」
クリフは額の辺りに片手を翳して上空のシルフィードを見遣ると、ひとつ口笛を鳴らす。
だが、彼にばかり負担をかけるわけにもいかない。後続があるのなら、多少なり力を温存しておかなければ途中で力尽きてしまう。
クリフは神盾を、ウィルは神槍を手に――地上に群れる夢魔の群れへと飛び出した。
* * *
一方で地の国にも同じように上空、地上から魔族の群れが侵攻していた。
グラムはガルディオンの騎士団と共に最前線で大剣を振り回し、飛びかかってくる夢魔たちを薙ぎ払っていく。
「――怯むなッ! 続け!!」
地の国の戦場となったのは、王都グルゼフの南西だ。地震で崩壊したアレナの街に拠点を置き、民はその後方にある町や村に避難させた。だが、地の国は広い。逃げ遅れている者も多いだろう。
彼らを守るためにも、決して防衛ラインを下げるわけにはいかなかった。
幸いにも、この地の国でも神柱が――ガイアスが暴れてくれている。地の神柱ということもあり、遥か上空の敵をどうにかするのは難しくとも、地上ではほぼ無敵だ。
駆けるように進軍してくる夢魔の群れへ地割れを起こし、大きくばっくりと開いた大地の中に叩き落してしまうのだ。そしてサンドウィッチでも作るかのように、大地同士を勢いよく叩き合わせて一気に圧死させる。
素早い反応で地割れを回避したとしても、即座に足元からは大小様々な岩の槍が突き出し、アイアンメイデンのように肉体の至るところを突き刺して絶命させてしまう。これが敵だったらと思うと、グラムは思わずゾッとした。
更に大した被害もなく戦い続けられるのは、ガイアスの傍で地の神器ガンバンテインを構えるルルーナの存在だ。
神器の力で敵全体の能力を極限まで低下させているお陰で、最前線の騎士たちは獅子奮迅の勢いを見せている。この調子でいけば被害を最小限に抑えて勝てるのではないか。
ルルーナはそう思ったが――相手はやはり魔族、そう簡単にはいかなかった。
「うわああぁッ!」
「な……なんだ、コイツは!?」
「……!?」
グラムは不意に上がった悲鳴に眉根を寄せ、弾かれたように視線を投じる。
すると、なにかが上空から降ってきたようであった。視界が土煙に覆われていて、その正体がなんであるかまでは窺えないが。
グラムは片腕を大きく振り、即座にそれらを払うが――それとほぼ同刻。
やや離れた場所にいたと思われる者の悲痛な悲鳴が上がり、その周辺の騎士たちからは動転したような声が洩れた。
「何事だ! どうした!」
「グ、グラム殿、か……怪物、怪物がッ!」
「怪物だと……!?」
程なくして土煙が晴れた先、そこには洩れた言葉の通りに怪物が立っていた。
見た目はミストラルにも生息していたオーガに似てはいるものの、蒼白い肌と真っ赤な双眸からして恐らくは魔族と判断すべきだろう。
頭髪のない丸々とした頭、ぽっこりと突き出た腹部。太い二の腕や両足を見る限りは、さほど強そうではない。
けれども、丸々とした頭部に生える黒い角や、太く大きな両手の爪に大量の血が付着しているのを見れば警戒するに越したことはない。
「ほっほっほ……これは驚きですなぁ、人間とはこうも脆弱な生き物だったのですか。……っと、そこにいらっしゃるのはジュード様のお父様ではありませんかぁ?」
「……なんだと? 貴様、その声……」
不意に言葉を発した怪物に、グラムは怪訝そうに眉を寄せて切れ長の双眸を細める。人語を喋るということは、やはりこの怪物は魔物ではなく魔族だ。
だが、グラムはその声に確かに聞き覚えがあった。別に親しかったわけではないし、むしろ憎い存在だ。もっとも――憎い存在であるからこそ記憶していたのかもしれないが。
「貴様、まさか――ヘルメス王子の傍にいた大臣か!?」
「はははははッ! そのまさか、ですよぉ! いやはや、魔族の技術とは素晴らしい、この私がこれほどの力を身につけられるとは……はっはっは! 笑いが止まりませんねぇ!」
ジュードが聖剣を継いだ際、アンヘルに連れられてヘルメスと共に魔族の元に行ってしまったが、間違いはない。ヘルメスの腰巾着だった、あの嫌味ったらしい大臣だ。
曲がっていた腰はまっすぐにピンと伸び、老人だった面影はどこにもない。身の丈は三メートルほどあり、下手をすると踏み潰されてしまいそうだ。
グラムは小さく舌を打つと、逆手で後方の騎士団を制した。
「……この怪物はこちらで引き受ける、騎士団は各々協力して各個撃破を」
「は、はいッ! お気をつけて!」
「うむ、お前たちもな」
敵は、この怪物――元大臣だけではない。こうしている間にも上空からは無数のグレムリンが襲撃してきているのだ、戦力を無駄に割くわけにはいかなかった。
それに、この大臣の身から醸し出される力は――恐らくグラムであっても苦戦は必至。それほどのオーラを放っている。
「ふわはははは! お一人で大丈夫ですかぁ? どれどれ、では少しばかり遊んで差し上げましょうかねえぇ!」
「突破できると思ったら大間違いだ、人間であることを捨てたような者に――負けるわけにはいかん!」
大臣が思い切り地面を蹴り駆け出すと、グラムはその様を真正面から睨み据える。そうして両手で大剣を固く握り、身を低くしてこちらも勢いよく駆け出した。
振り下ろされる爪と、それを受け止めるべく振り上げられる大剣。それらが激突し、辺りには爆ぜるような衝撃が走った。




