第十四話・秘密の共有
「バカモン! なぜ分からんのだ、ジュード!」
今日も晴れた空の下、メンフィスの怒号が飛ぶ。もちろん、対象はジュードであった。
ジュードは片手に剣を持ち、軽く頭を垂れて力なく左右に揺らす。眉尻は下がり、何とも情けない表情だ。服装はすっかりいつもの青いジャケットに戻っている。祭りは終わったのだから当然だ。
ジュードはチラと視線のみを上げてメンフィスを見遣ると、自分が持つ剣とメンフィスの手にある剣とを何度か交互に眺めてから口を開いた。
「メンフィスさん、訓練用の剣とか……買いませんか? 実戦用の剣じゃ、ちょっと……」
「……むう」
「訓練で再起不能になったらシャレになりませんよ」
ジュードの言葉に、流石のメンフィスも考え込むように黙り込む。真剣を扱っての訓練の方が、緊張から神経が研ぎ澄まされはするのだが、如何せんジュードはまだ剣の扱いに関しては素人。器用な彼ではあるが、扱い慣れた者からすればド素人もいいところだ。
そんなド素人相手にいきなり真剣を使っての訓練は確かに無理がある。ただでさえジュードは人との戦いに慣れていない、刃の付いた剣でメンフィスに本気で攻撃を加えるなど無理な話なのだ。魔物に刃を突き立てることさえ、躊躇うほどなのだから。
一つ溜息を洩らし静かに踵を返すメンフィスを見て、ジュードは不思議そうに双眸を瞬かせながら小首を捻った。
程なくして、メンフィスは近くの木の根元に落ちていた枝を拾い上げ、ジュードへ向けて下から放る。彼の手を離れた木の枝は緩いカーブを描き、ジュードの元へと飛んできた。それを半ば反射的に受け取り、ジュードは怪訝そうに小首を捻る。
そんな彼に構うことなく、メンフィスはもう一本の木の枝を拾い上げると愛剣は腰の鞘に戻し、ジュード目掛けて駆け出した。
え、と何が何だか分からないまま目を白黒させるジュードに、メンフィスは木の枝を剣の如く振り、攻撃を叩き込んでくる。ジュードは慌てて後方に飛び退くことで距離を取り、手にしていた剣を同じように鞘に戻すとメンフィス同様に木の枝を構えた。
「これならば文句はなかろう、ジュード」
「はい!」
互いに剣の代わりに木の枝を構えて対峙する様は、外野から見ればシュールだが本人達は至って真面目である。
両者同時に地を蹴って駆け出し、手に持つ木の枝を素早く振り回す。メンフィスの攻撃を持ち前の動体視力を以て見切り、片手に持つ木の枝で弾き、防いでいく。辺りには木の枝同士がぶつかり合う乾いた音が響いた。
そんな様子を、旅の支度を終えて宿を後にした仲間達が遠巻きに眺める。朝早く朝食を済ませたメンフィスとジュードは、仲間が支度を終えるまでの間、こうして街の外で訓練を行っていたのだ。
素振りなどは実際に重量のある剣でなければ意味がないが、直接刃を交えるにはジュードにはまだ早い。ウィルもそれは理解しているのだが――暫しジュードとメンフィスを眺めてから、傍らのマナに視線を向けた。皆、すっかり普段の装いに戻っている。
「……なあ、アレ。遊んでるって言わないか?」
「あははっ、あれはあれで訓練になってるんじゃないの?」
「ただチャンバラごっこやってるだけだろ」
外野から見れば、どうしても真剣な訓練には見えないのである。いい歳をした大人の男が若い男と木の枝で殴り合っている、それは父親が息子とチャンバラごっこをして遊んでいるようにしか見えなかったのだ。
しかし、マナは片手を口元に添えて愉快そうに笑った。
「でも、なんかジュードったらイキイキしてるじゃない。ここ数日ちょっと元気なかったから」
「……うん、そうだな」
マナが、最近のジュードの様子に気付かない筈はなかった。
魔物と満足に戦えない葛藤を抱えていたのは当然理解していた。だが、なんと声を掛ければ良いのかが分からず、見守るしか出来なかったのだ。それはウィルも同じで、マナの言葉にふと微笑んで小さく頷いた。
ウィルもマナもジュードが昔、魔物と共に遊んでいたことをよく知っている。それ故に「ちゃんと魔物と戦え」などとは間違っても言えなかった。
彼女の言葉通り、確かに今のジュードは楽しそうであり、活力に満ちている。吹っ切れたような、そんな表情だ。
言葉通り安心したように、マナは微笑んでジュードを見つめていた。
――が、後方から聞こえてきた会話にすぐに眉を寄せ、胡散臭そうにそちらを振り返る。
「カミラちゃん、その髪どうしたの?」
「あの、昨日……三つ編み解かないで寝たら、いつもよりクシャクシャになっちゃって……」
「あら、そうなの? なら今夜は私が髪を手入れしてあげるわ」
「本当に?」
「ええ、もちろんよ」
ルルーナとカミラである。
昨日、ウィルは確かにルルーナとカミラが衝突したところを目の当たりにした。実際に何があったかまでは知らないが、ルルーナが花瓶を投げ付けたことでカミラが多少の怪我をしたのは事実である。
どうなるものかと思ったのだが、今朝ウィルが起きて部屋を出ると不機嫌そうなマナの後ろに、仲良く話をしながらカミラと腕を組むルルーナがいたのだ。昨日の出来事が夢か幻かのように思えるほどに親しげで、カミラもそんなルルーナを普通に――否、普通以上に嬉しそうに受け入れていた。マナはその時から、どうにも胡散臭そうにルルーナを眺めている。
当然である。これまでカミラを意識外に追いやっているのではないかと言うほどに関わることをしなかったのがルルーナだ。そんな彼女が突然カミラに親しげに接するようになったのだから、マナが胡散臭がるのも無理はない。昨日の出来事を見た以上、ウィルとて同じように思う一人である。
昨夜、水祭りに出る為にマナがカミラの髪を三つ編みにして結ったのだが、眠る際に解かなかった瑠璃色の髪はあちこちに毛先が跳ねていて、言葉通りクシャクシャだ。気恥ずかしそうに髪を一房手に取り呟くカミラにルルーナは眉を上げると、軽く肩を疎めながら返答する。その言葉にカミラはそれはそれは嬉しそうに笑った。
マナも何があったのかとウィルに尋ねはしたのだが、ウィルにも分からないことである。昨日のあの出来事を考えれば、仲が悪化するのが普通なのだ。
しかし、マナやウィルの心情も露知らず。ルルーナはカミラと腕を絡めたままさっさと脇をすり抜け、馬車の方へ歩いていく。マナもウィルも、そんな姿を半ば呆然と眺めていた。
だが程なくして我に返ると、ウィルはジュードとメンフィスへ向けて声を掛ける。こちらの支度は既に済んでいる、もういつでも発てるからだ。水の国に行ってやるべきことを果たさねばならない。ゆっくりしている暇はないのである。
「おーい、ジュード! そろそろ行こうぜー!」
「え、あ。メンフィスさん、みんなもう来て――」
「隙あり!」
「あだッ!」
ウィルの呼び掛けにジュードは意識と視線をそちらに向け、既に仲間達が宿を後にして出て来ているのを確認するなり木の枝を持つ手を下ろす。続いてメンフィスに言葉を向けようとしたが、不意に頭頂部に走る痛みに悲痛な声を上げ、そこを押さえて蹲った。
メンフィスはそんなジュードを腕を組んで見下ろし、鼻を鳴らす。
「バッカモン! いつ如何なる時にも敵から目を離すな!」
「す、すみませ……っ、いだだだ……」
訓練には到底見えない様子ではあったのだが、やはり訓練である。思い切り木の枝で頭を打たれたジュードを目の当たりにして「あちゃ」とウィルは小さく声を洩らし、片手で己の横髪を掻き乱す。
ジュードは頭頂部に感じる痛みと、熱を持つ感覚に半分涙目になりながら頭を下げた。
「あ……ありがとう、ございました……」
痛みに耐えながらも、震える声で訓練に対しての礼を紡ぐジュードを見下ろし、メンフィスはふと眦を和らげる。
木の枝を傍らに放りジュードの隣に立つと、彼の腕を掴みその場から立たせた。表情はすっかり訓練時とは打って変わり穏やかだ。
「ふふ、まだまだお前には稽古をつけねばならんな」
「は……はい、お願いします、師匠」
「師匠?」
優しく腕を掴み立たせてくれる力と動作に抗わず、ジュードは静かに立ち上がると眦に浮かんだ涙を軽く拭いつつ、木の枝から手を離した。
ジュードの口から出た言葉にメンフィスは目を丸くさせたが、数拍の後に高く笑い声を上げて逆手でジュードの赤茶色の髪を問答無用に撫で回す。いつもより激しく執拗に、力強く。それはメンフィスなりの喜びの表現であり、また照れ隠しでもあった。
「師匠……師匠か、それは良いなジュード! わははは!」
メンフィスにとってジュードは、彼がまだ幼い子供だった頃からの見知った存在だ。亡くした息子と同年代であることや、人見知りも物怖じもせずに自分を慕ってくれる可愛い若者でもある。
何処で生まれ、どのようにして神護の森に迷い込んだのか。ジュードのことはほとんど何も分からない。グラムからも「分からない」としか言われていないのが現実だ。親に捨てられたと思われる境遇ながら――それでも、真っ直ぐで曲がったことを嫌い、歪んだ部分も特になく育ったのは幸運と言えた。
メンフィスは抱き潰す勢いでジュードを抱き締めると、グリグリと頬擦りを喰らわせる。最早ハグとは言えない、クマの鯖折りのようなレベルであった。
「ジュード、グラムが嫌になったらいつでもワシのところへ来て良いのだからな?」
「へ?」
「可愛い奴よ!」
「いだだだッ! ヒ、ヒゲが、ヒゲが痛い!」
上機嫌に喜びを表現するメンフィスとは対照的に――ちくちくと頬や首など肌に小さい針が刺さるような痛みを、ヒゲが擦れる度に覚えるジュードは悲痛な声を上げる。
ウィルやマナはそんな親子のような二人を眺め、声を立てて笑っていた。
そんな仲間の笑い声を聞きながら、ルルーナは馬車の傍まで歩み寄るとカミラから手を離して彼女へ向き直る。
「……カミラちゃん、昨日はごめんなさいね」
「え? そんな……わたしこそ、無神経で……」
「ううん、そんなことないわ。私……ちょっと嫌なことを思い出して、八つ当たりしちゃったの。本当にごめんなさい」
申し訳なさそうに視線を下げて謝るルルーナに、カミラはやはり慌てて頭を横に振った。友達と言うものが出来る度に幸せそうに破顔するカミラにとって、例え誰であろうとそんなに悲しい顔はされたくはなかったのである。
「そ、そんな、わたし本当に気にしてなくて……」
「ねぇ、カミラちゃん。……落ち着ける場所に着いたら話を聞いてくれる? 誰かに聞いてもらいたいの」
「も、もちろん!」
ルルーナからの思わぬ申し出に、カミラはやはり嬉しそうに笑って何度も頷く。そんな彼女に、ルルーナもふと紅の双眸を細め口元に笑みを滲ませた。
それと同時にこちらにやって来るジュード達を確認して、ルルーナはカミラに片目を伏せて軽くウィンクを飛ばす。
「じゃあ、落ち着ける場所に着いたらね」
「うん!」
まるで二人だけの秘密である。
ルルーナと二人だけで秘密を持てたような気さえして、カミラは妙に嬉しくなりながら彼女と共に馬車へと乗り込んだ。