第三話・神の牙
「おお、戻ったかジュード!」
地の国の騒動から約五日。
国王ファイゲの調子が落ち着くのを待っていたジュードたちは、この日ようやく王都ガルディオンに帰り着き、メンフィスやエイル、ヴィーゼの出迎えを受けていた。神器集めに行っている際にこの王都も地中からの襲撃を受けたのか、街の中は所々の大地が抉れている。
しかし、こうして馴染みの顔を見るとジュードたちの顔には自然と安堵が浮かんだ。
「ガルディオンも襲撃を受けたんですね……」
「うむ、まぁな……だが問題はない。陛下やリーブル様、テルメース様方はご無事だ。お前たちも疲れただろう、受け入れはこちらで済ませる。取り敢えず身を休めなさい」
メンフィスの言葉に、ジュードは一度仲間たちを肩越しに振り返ってからしっかりと頷く。受け入れとは、地の国の生き残りのことだ。渋られるかと思っていたのだが、特にお小言が返らないことにジュードは胸を撫で下ろす。
だが、エイルは目を輝かせながらジュードの傍らに駆け寄ってくると、彼の片腕をしっかりと両腕で抱き締めて引っ張ってきた。
「もちろん休むのも大事なんだけど、ジュードはこっちだろ! おじさん!」
「はっはっは、そうかそうか、そうだな」
「えっ、えっ……? ど、どうしたんだよ、エイル」
王都ガルディオンに帰り着いたことでウィルたちの気も弛んだのか、各々身を休めるために散り始めたのに倣いジュードも屋敷に戻ろうとは思っていたのだが、こうして掴まれてしまえばそうもいかない。
メンフィスとエイルが交わす言葉に目を丸くさせながら、ジュードはその意味を問う。
初めて彼らが会った時は非常に険悪な雰囲気になってしまったが、皮肉なことに世界的な危機を迎えたことで蟠りは解消されたようだ。エイルの方にはメンフィスに対する嫌悪は既に見受けられない。
メンフィスの方もそうだ。目を輝かせて言葉を向けてくるエイルに対し、まるで孫にでも接するかのような様子でうんうんと頷いている。ヴィーゼはそんなやり取りを一部始終見守ってから、片目を伏せて「奥」と示してみせた。
「いいからいいから、ちょっとついてきなよジュード」
「は、はい。……あ、みんなは先に戻ってて。オレちょっと行ってくる」
一体どうしたんだろう――そうは思うものの、ヴィーゼにまで言われてしまえば流石に「疲れてるから」などと言って断るわけにもいかない。不思議そうな様子の仲間たちに一声かけてから、エイルに腕を引かれるままジュードは王城へと足を向けた。
テルメースやエクレールは元気にしていただろうか、彼の頭にはそんなことが過ぎる。未だに母親と妹なのだという実感は湧かないが、それでも気になることは確かなのだ。
* * *
メンフィスやエイル、ヴィーゼに連れられてやってきたのは、王城の二階にある一室だった。
サタンの地中からの攻撃に備えてなのか、現在はこの場所を鍛冶屋の作業場として使っているらしい。辺りには懐かしく感じられる作業道具が散乱していて、自然とジュードの胸は高鳴る。鍛冶仕事から離れて随分経つ、久方振りにハンマーでも手にしたいと頭の片隅で思った。
部屋の中にはガルディオンの鍛冶屋連中が集まり、その中央に父グラムが立っている。皆、とてもうれしそうな表情を浮かべていた。
「おかえり、ジュード。待ってたぞ」
「ただいま、父さん。……あの、どうかしたの?」
「うむ、これをお前に渡さなければと思ってな。お前が戻ったら連れてくるように頼んでおいたんだ」
グラムはジュードに気づくと、依然として嬉しそうな表情を浮かべながら愛息子に向き直る。その手には鞘に収められた剣――と呼ぶよりは、短剣に近い長さの武器が握られていた。
ほんのりと色づいたベージュ色の鞘には竜の紋様が彫られていて、非常に美しい。ほら、と差し出されるその武器にジュードは戸惑ったように短剣と父とを何度も交互に見遣る。
これを、どうして自分に。彼の頭はそんな疑問でいっぱいだ。
「メンフィスの奴に鍛えられてお前の戦闘の型は今や二刀流だろう、聖剣に見合う武器が必要になるとヴァリトラに言われてな」
「――! もしかして、父さんがヴァリトラに頼まれた仕事って……」
「うむ、これだ。なかなかむず痒くて言えんかったがなぁ」
神器を集めるために今後のことを謁見の間で話した時のことだ。あの時、グラムは確かに「ヴァリトラから仕事を頼まれた」と口にしていた。
その内容までは教えてくれなかったものの、こういうことだったのかと――ようやくジュードの中にあった疑問は解ける。
そっと鞘から引き抜いてみると不思議なほどに手によく馴染み、刃がまるで応えるように淡い輝きを湛えた。
「それはヴァリトラの牙で造られている。そう簡単には折れんから、安心して振り回しなさい」
素材に使われたのは、神であるヴァリトラの牙らしい。
神の牙ならば確かにそう簡単に破損したり、折れたりすることはないだろう。聖剣とこの神の牙――これでもかと言うほどの待遇だ。こうまでしてもらって負けるわけにはいかない。
ジュードは刃をそっと鞘に戻すと、両手でしっかりと握り締めて胸に抱いた。
「……ありがとう、父さん」
「久々の仕事の一発目がお前のための武器造りとはな。……その剣がお前を守ってくれると信じとるよ」
「頼んだぞ、坊主!」
「なぁに、坊主なら魔族なんてチョチョイのチョイで倒せるさ!」
ジュードが礼を告げると、グラムはふっと優しく――どこまでも優しく笑って、大きな手の平で彼の頭をポンポンと撫でつける。
それを皮切りに周囲にいた鍛冶屋連中からは、色々な声が上がり始めた。近くにいた厳つい風貌の男はジュードの首に太い腕を回して絡んでくる始末。それを見てグラムや他の男たちもまた愉快そうに声を立てて笑い始めた。
「さあさあ、ワシの息子は戦い続きで疲れとるんだ。少し休ませてやってくれ」
「そうだよ、ジュードは長旅で疲れてるんだから」
一頻りじゃれ合ったところで、グラムやエイルが助け舟を出してくれた。そのお陰で解放されたジュードは受け取ったばかりの短剣の鞘を大切そうに片手で撫でてから、いつもしていたように腰裏に据え付ける。
最初こそ二刀流など難しく感じられたが、今はこの場所――腰裏に武器の重みがないと落ち着かなくなっているほどだ。慣れは怖いなと、ジュードは内心で思った。
「ゆっくり休みなさい、これからのことは明日にでもまた話そう。アメリア様もきっとそうされるはずだ」
「うん、じゃあ悪いけど……先にちょっと休むよ。ありがとう、父さん……」
新しい武器を手にしたからと言って、これだけで魔族との戦いに勝てるわけではない。浮かれてばかりもいられないのが現状だ。またいつ魔族が次の手に出てくることか。
父やメンフィスたちに見送られながらジュードが部屋を後にすると、廊下ではエクレールとテルメースが待っていた。部屋から出てきた彼を見つけて、テルメースはそっと、それでもどこかぎこちなく微笑む。
「おかえり……なさい、ジュード」
「た……ただいま、戻りまし、た……」
テルメースは母親で、エクレールは妹なのだ。
けれども、やはりジュードにはその記憶がない。ぎこちなさは依然として拭えずにいる。両者の間には気まずい沈黙が落ち、二人を見守るエクレールの表情も徐々に曇り始める。
血の繋がった家族のはずなのに、どうしてこう上手くいかないのか。落胆の色を孕む彼女の表情は、そう言っているかのようだ。
しかし、そんな時。ふとジュードの胸辺りが淡く輝くと、彼の中から白い獣が飛び出てきたのである。
言わずもがな、それはジュードの相棒のちびだ。
ちびは彼の傍らに降り立ち、おすわりをするとジュードを見上げて「わうっ」と吠える。その様はまるで「頑張って」と応援しているように見えた。
ジュードは暫しそんな相棒を見つめていたが、やがて軽く眉尻を下げて薄く笑う。いつもしているようにふわふわの毛を優しく撫でつけて、改めてテルメースやエクレールと向き合った。
「あ……あの」
なにをどう言えばいいのか、それはまったくわからない。グラムたちとこれまでやってきたように話せばいいんだと思うものの、いざ言葉を発しようとすると喉につっかえて上手く出てきてくれない。
それでも足りない頭を必死に働かせて、言葉を向けた。
「む……昔のこと、教えて……くだ、さい」
「……」
その言葉にテルメースもエクレールも双眸を丸くさせた。同じ色をした翡翠の双眸が唖然としたように見つめてきて、ジュードは居心地悪そうに片手で己の後頭部を掻く。
しかし、程なくしてエクレールが表情を破顔させると、つられたようにテルメースも――目にうっすらと涙を浮かべながら何度も頷いた。
「ええ……ええ、もちろんよ。あなたが知りたいこと、なんでも話しましょう……」
まだ親子と言うにはぎこちなく、ジュードも母や妹と呼ぶには程遠いが――それでも、少しだけ距離が近付いたような。そんな気がしていた。




