第二話・勇者と精霊たち
ジュードは、朝から中庭で剣を振るっていた。
それは聖剣ではなく、城の中にあった倉庫で見つけたものだ。ずっしりと両腕に感じる重量と両刃であることからして、両手で扱う大剣だろう。訓練にはもってこいだと思い、こうして素振りに使わせてもらうことにした。
魔族との戦いは迫っている、それまでに少しでも剣の腕を磨き、身体を鍛えておかなければ――そう思ったのだ。
ヴァリトラは、そんな彼を中庭に座したまま見守っている。
「王子よ、少し休め。気持ちはわかるが、無理はよくない」
「う、うん。ルルーナは?」
「まだ戻らぬ、王と話が長引いているのだろう。彼女の説得で協力関係を結べればよいのだがな」
現在、ルルーナは意識を取り戻した国王ファイゲの説得を試みている。
地の国はアンデット集団の襲撃を受けてほぼ壊滅状態だ、この状況ならば改めて同盟の話を持ち掛けてもよいのではないか――そう判断して。
以前は私欲のためにジュードを狙ってきたが、今となってはそんなことも言っていられないはず。捨て置いてもよかったのだろうが、それでなにかあった際はやはり夢見が悪い。
ジュードは近くの岩に置いたタオルで汗を拭うと、ひとつ安堵にも似た息を吐き出してからヴァリトラの傍へ足を向けた。静かに腰を落ち着かせると、ゆったりと温くもなく冷たくもない風がそっと頬を撫でていく。
「……ねぇ、ヴァリトラ。聞いてもいいかな?」
「うん? 構わぬぞ、お前に隠さねばならぬことは我にはない」
「イスキアさんやサラマンダーは、なんでジェントさんのことを……その、悪くって言うか、あんな風に言うのかなって。カミラさんも気にしてたけど、ずっと知りたかったんだ。でも聞いていいのかわからなくて……」
ジュードのその言葉に、ヴァリトラは暫し黙したまま彼を見下ろした。
そして、程なくして愉快そうに声を立てて笑う始末。なにかおかしなことを言ってしまったかと、ジュードはタオル片手に改めてヴァリトラを見上げた。
「ふははは、随分とあやつが気に入ったようだな」
「そ、そりゃ、オレがずっと憧れてきた人だし――そんなに笑うことないだろ! ……それにオレ、イスキアさんたちのこともジェントさんのことも好きだから、嫌なんだよ」
「ふむ……そうか、そうだな。精霊たちも戸惑っているように見える」
幼い頃から伝説の勇者のおとぎ話に憧れてきたのがジュードだ。
その伝説の勇者本人が傍にいて、興味を持つな、気に入るなという方が無理な話。更に、その彼が自分の遠い先祖ときたら最早他人の気がしない。
「王子よ、お前は昔から耳にタコができるほど伝説の勇者の話を聞いてきただろう。その締めくくりがどうなっていたか、覚えているか?」
「え、締めくくり? えっと……勇者様は、魔王サタンを倒して世界に平和をもたらした後、聖剣をこの世に残して天に帰った……だっけ?」
「そうだ、天に帰ったわけではないが……それはあながち間違いではないのだ」
「……って言うと?」
ジュードには、ヴァリトラの言わんとすることがよくわからなかった。余計な言葉を挟むことなく、静かに続きを待つ。
「魔族との戦いから一年近く経った頃だ、ヴェリア王国が築かれ初代の王を決めねばならんという頃になって……あやつは突然行方をくらましてしまった」
「……え? 逃げたとはイスキアさんが言ってたけど……」
「うむ、逃げたのかどうか我にはわからぬが……どこにもいなくなったのだ。精霊や仲間たちは世界中を必死に探し回ったものだよ、どこへ消えたのかとな。……だが、結局見つからなかった」
「……」
ヴァリトラが語る話の内容に、ジュードの表情は複雑に歪む。その巨体を見上げていた視線を正面に戻し虚空を見つめながら、片手を顎の辺りに添えた。
その話で考えられる可能性は、王位に就きたくないから逃げた――ということだ。
確かにジェントはそういった立場は苦手そうな印象は受ける。しかし、彼はそんなに無責任な人間なのだろうか、それはジュードにはわからなかった。
「あやつの妻――初代姫巫女のことだが、その時には既に身重でな。そんな彼女を置いて逃げたのかと、精霊たちは怒ったものだ」
自分の妻も置いて逃げた――イスキアは確かにそう罵っていた。
王位に就きたくないから身ごもった妻と子供を捨ててまで逃げ出した――イスキアやサラマンダーは、そう解釈してしまっているのだろう。逆に言うのであれば、それ以外の可能性があまり浮かんでこない。
「……当時の巫女様はなんて?」
「我に――ヴァリトラに会ってくる、と。そう言い残していつものように出掛けていったそうだ」
「ヴァリトラはその日、ジェントさんに会ったの?」
「いいや、会っていない。だが、神の山で痕跡を見つけた。あやつが持っていた聖剣が山の中腹に突き刺さっていたのだ。……それゆえ、おとぎ話では聖剣をこの世に残してと記されているのだろう」
ジュードの頭では、いくら考えてもわからないことだらけだ。もっとも――答えは恐らく、ジェント本人しか持っていない。誰がどう考えたところで、なにが正解なのか導き出すことは難しいだろう。
帰らない夫を待ち続けた姫巫女の悲しみは、どれほどだったことか。考えれば考えるだけ胸が痛んだし、イスキアたちの怒りもわかるような気がした。
「だが、我はあやつがそのような人間でないことを知っている。精霊たちとて同じだ。だが、感情の行き場がないのだろう」
「……うん」
ジェントがなぜ行方不明になったのか、その答えはヴァリトラも持っていないのだろう。
まだ付き合い自体は短いが、それでも――ジュードにも、ジェントがそのような人間だとは思えなかった。きっとなにか理由や事情があるのだと、そう思う。
元気になれば、その理由を聞き出すことができるはずだ。逆に今できることはなにもない、精霊たちを下手に宥めても火に油を注いでしまう可能性もある。
「(ジェントさんが元気になるまで待とう、それでこの戦いが終わってからでもいいから……ちゃんとイスキアさんたちと話をしてもらうんだ)」
両者の間になにかしらの誤解があるのなら、それは解いた方がいい。
ジュードがそこまで考えた時、ふと廊下の窓から顔を出したカミラがこちらを呼ぶ声が聞こえた。顔を上げてみると、すっかり元気になった彼女が手を振っている。
「ジュード、ルルーナさん戻ってきたよ! 交渉、上手くいったみたい!」
その報告にジュードの表情は自然と和らいだ。状況が状況だ、これで協力を拒むようであれば本気でどうしようもないと思ってはいたが。
ジュードは座していた草むらから立ち上がると、タオルを首に提げてからヴァリトラを振り返る。
「ありがとうヴァリトラ、教えてくれて」
「ふふ、構わぬ。今はひとまず先のことを考えようか」
これから火の都まで戻り、今後のことについて話し合う必要がある。
王都ガルディオンは――父は、エクレールやテルメースたちは無事だろうか。気になることは山のようにある。
ジュードは片手でそっと右耳のイヤーカフに触れると、ふと口元に薄く笑みを滲ませて城内へと足を向けた。




