第四十八話・新たな聖剣
カミラが重い目蓋を開けて何度か瞬きを繰り返すと、彼女の視界には薄暗い天井が映り込んできた。何度瞬いてもぼやけたままの視界は、まだ焦点が合っていないことを教えてくれる。
全身が重い、片腕を動かすのも億劫なほどだ。
ここはどこだろう、自分はどうしたんだったか。普段よりも遥かに回転の遅い思考でそんなことを考える中、不意にその双眸が見開かれる。
「――! そうだ、みんなは……!? ッうう……」
横たえていた身を慌てて起こすと、世界がひっくり返るような強烈な眩暈が襲ってきた。思わず苦悶を洩らして片手で額の辺りを押さえ、項垂れてしまう。
確か、自分は地の王都グルゼフで仲間と一緒にいたはずだ。三手に分かれて城を目指し、その道中でアグレアスとメルディーヌが襲ってきた。
仲間と合流して城に向かった先では生き残りはいたものの、王族がネレイナの手にかかっていて。
これまで起きたことが、次々に頭の中に思い起こされていく。リンファだけでなく、仲間が重傷を負ったはずだ。みんなは大丈夫だろうか――彼女の中にはそんな心配ばかりが過ぎる。
「カミラさん、大丈夫!?」
そこへ、ちょうどジュードが顔を出した。
慌ててカミラがそちらを見遣ると、彼の顔には心配の色が色濃く滲んでいる。
ジュードは片手に持ったトレイを己の身に側面を押し当てるようにして支えながら、後ろ手に扉を閉める。そうして幾分か早足で布団の傍らへと歩み寄ってきた。
「ジュ、ジュード……ここは? みんなは?」
「お城の中だよ、二階より上はボロボロになっちゃったから無事だった一階の部屋を寝床にして使わせてもらってるんだ。みんなも他の部屋でゆっくり休んでるよ」
「だ……大丈夫だった、の……?」
「うん、なんとか……カミラさんは出血が多かったから、ゆっくり休んだ方がいいよ。まだ夜だしさ」
部屋の中を見回してみると、城の一階にあった部屋だということは内装からなんとなく理解はできる。部屋の床に布団を敷いたところにカミラは寝かされていた。窓から見える外の景色は、夜の闇に邪魔されてよく見えない。
そこで改めてジュードに向き直ると、彼の身には特に怪我はなさそうだ。
カミラはアグレアスとの戦闘の最中にも深い傷を負った身。聖剣の覚醒と共にその傷は癒えてしまったが、ネレイナの光線による攻撃でも重傷を負い、大量の出血があった。慌てて起き上がった際の強烈な眩暈も、恐らくその影響だろう。
「……ルルーナさん、は……?」
「……うん。大丈夫だとは思うんだけど……寝る前に様子を見に行ってみるよ」
ジュードのその返答で、ネレイナは死んだのだとカミラは即座に理解できた。そうなると、やはり彼女の胸中には心配が浮かぶ。
いくら敵であったとはいえ、ルルーナにとっては母親なのだから。
ジュードは布団の傍にトレイを置き、ひとつのボトルの蓋を開けてカミラに差し出す。カミラはそれを受け取ると、ゆっくり少しずつ傾けて中身を喉に通した。程よく冷えた水が喉を潤していく感覚が、非常に心地好い。
「ジュードは、ちゃんと休んだ?」
「え、あ……これから休むよ」
「えへへ……いつもとちょっと逆だね」
カミラのその言葉に、ジュードの目は思わず丸くなる。
しかし、すぐに眉尻を下げると同意したように何度も小さく頷いた。
これまで、なにかあればジュードは基本的に意識を飛ばして倒れていることが多かった。それで随分とカミラや仲間たちに心配をかけてきたものだ。
今回その仲間たちが休み、こうしてあれこれ世話を焼いて初めて理解した。今まで仲間はこれほど大変な後始末をしていたのだと。
「じゃあ、もうちょっと寝た方がいいよっていつもカミラさんが言ってくれたように、オレも口うるさく言わないとね」
「あわわ」
そう告げると、カミラはしまったと言わんばかりに片手で己の口元を押さえた。ジュードはそんな彼女を見遣り、片手を伸ばしてカミラの頭を撫でつける。
すると、カミラは一度目をまん丸くさせたかと思いきや、不意に火が点いたかのように耳まで真っ赤になってしまった。続いて「ひぃ」と片手で顔を覆う始末。それを見てジュードは慌ててその手を離した。
「ご、ごめん」
「う、ううん。ち、違うの、イヤとかじゃなくて……その……」
「(……そういえば、色々大変で忘れてたけど……両想いだったんだよな……)」
つまり――夜も遅い時間、好き合っている者同士が密室で触れ合っているというわけで。
それを認識すれば、ジュードの方にも妙な気恥ずかしさがむくむくと芽生えてくる。余計な雑念を振り払うべく小さく頭を振ると、座り込んでいた床から静かに立ち上がった。
「じゃ、じゃあ、ゆっくり休んでね」
「う、うん! お、おおおやすみなさい!」
「お、おやすみ……」
カミラは幾分か慌てたようにボトルの蓋を閉めてからトレイに置き直すと、改めて布団に身を横たえる。鼻の上辺りまで両手で布団を引き上げ、目だけを覗かせた形で就寝の挨拶を返してきた。
そんなカミラの様子を見て、ジュードの方には思わず笑いが込み上げてきたが、辛うじて堪えて踵を返す。
ヴェリア大陸から戻ってきて少し、どこか元気がないように見えたが、どうやら彼女はなにも変わってなどいないようだ。それを実感して、ジュードは静かに部屋を後にした。
* * *
「王子よ、休まぬのか?」
カミラが休む部屋をあとにしたジュードは、明かりひとつ灯らぬ一階の渡り廊下をゆっくりとした足取りで歩いていたのだが、そんな彼に中庭の方から声がかかる。やや大きめの窓から顔を覗かせてみると、広い中庭にうつ伏せる竜の神がいた。
「うん……ルルーナは大丈夫かなって」
「先ほどクリフが行ったようだぞ」
「え、そうなの? ……じゃ、邪魔になるかな……」
「ふははは、お前は変なところで無神経だからなぁ。どれ、迷うようならばこちらに来い。お前のために誕生した聖剣を我に見せてくれ」
無神経――そう言われて思い当たることは色々とある。そのため、むくれることはできても、言い返すことはできなかった。
ルルーナはもちろんのこと、クリフのことも気にはなる。仲間の母親を手にかけたのだ、彼は大丈夫だろうかと心配になった。
取り敢えず中庭に立ち寄ると、悠々と身と翼を休ませる神の傍へと歩み寄り、その巨体を見上げる。いつ見ても非常に大きい。
「ふむ……それか。どうやら、イスキアやサラマンダーが言っていた通りのようだな」
「え? な、なにかおかしいの?」
「……」
聖剣は新しく生まれ変わったが、通常時の形状はこれまでと変わらずイヤーカフだ。こうしている今も、ジュードの右耳に当然のことのようにぶら下がって存在を主張している。
ヴァリトラが言葉を返すことなく黙り込む様に、ジュードの胸には改めて心配が浮かんだ。神が黙り込んでしまうほど、聖剣はなにかおかしいのだろうか、と。
「うむ……いや、お前の頭で理解できるかどうか心配になってな……」
「は?」
「ううむ、やはりウィルがいる時にすればよかったか……」
「ど、努力するよ!!」
どうやら聖剣ではなく――ジュードの頭のデキを心配していたようだ。説明してもわかるだろうか、と。
自分の頭が残念な作りであるということは、ジュードとて痛いほどに理解している。それゆえに「失礼な!」と怒ることもできない。
そこは別に怒ってもいいのに、と。言葉にはせずとも、ヴァリトラはそんなことを思いながら愉快そうにジュードを見下ろした。
「では王子よ、聖剣のことについて話そう」
「う、うん」
「聖剣が光属性を持つ剣だということは、既に知っているな?」
「うん、だから魔族相手に有効なんだよね」
「うむ、そうだ」
ヴァリトラの言葉にジュードは一度しっかりと頷くと、傍にあった大きめの岩に静かに腰を落ち着かせた。そうして聞かないと、全てを理解できるかどうか定かではなかったのだ。落ち着いて聞かないと、と。
聖剣や神器は目の前にいるこの竜の神――ヴァリトラが生み出したもの。中でも聖剣は特に強い力を秘めていると聞いた。
「しかしな、お前の右耳にある聖剣には光ではない別の属性が付与されておる」
「……早速よくわからなくなってきたんだけど」
「……まぁよい、そのまま聞け。この世には火、水、風、地、氷、雷、光、闇――これらの属性が存在していることは知っているだろう。だが、これらの属性全てに有効な属性がひとつだけ存在するのだ」
「ど、どういうこと?」
ヴァリトラが口にする属性は、これまで何度も聞かされてきたものだ。
火は水に弱く、水は地に弱い。地は風に弱く、風は火に弱い。火と氷、光と闇は互いに相殺し合い、雷は水に特に強いが地には逆に無力となる。
だが、それらの属性の影響を受けず、むしろ全てに有効なもの――そんな話は今まで聞いた覚えがなかった。
「それが聖属性、光の大精霊セラフィムに認められた者だけが扱うことのできる力だ」
「光の、大精霊……」
「だが、お前の新たな聖剣にはその聖属性が付与されているのだよ。イスキアたちはそれを不思議がっておった。なぜ聖剣そのものが聖属性を持つようになったのか、とな」
「……え? でもオレ、光の大精霊になんて会ったことないよ」
イスキアやシヴァ、フォルネウスにトール、そしてフラムベルクとフレイア。
これまで色々な大精霊に会ったが、光の大精霊に遭遇した覚えはない。セラフィムという名も、ジュードにとっては聞き慣れないものだ。いくら物覚えが悪すぎる彼でも、そのくらいはわかる。
「うむ、我もイスキアに話を聞いた時はどういうことなのかと思ったものだ。だが、こうして聖剣を前にして理解した」
「あの、オレにはさっぱり」
「元から期待などしておらん。王子よ、お前……聖剣になにを願った?」
さらりと返される言葉に一度こそジュードの眉が寄ったが、続く問いには目を丸くさせて数度瞬きを打つ。
あの時、ジュードが聖剣に願ったこと。
自分の大事な人たちを、この世界を守りたいと――ただそれだけだ。それが一体なんだと言うのか、ジュードは不思議そうに首を捻った。




