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第四十七話・呪いの言葉


 獣のような悲鳴を上げて倒れ伏したネレイナを見つめて、ルルーナは気が抜けたようにその場に膝から座り込んだ。文字通り母を止めることはできた、あの強大な魔力さえなければあとは問題ないだろう。

 そう思うや否や、集中していた際には気にならなかった脇腹の激痛がぶり返してくる。ずきんずきんと、脈打つように痛むそこに片手を触れさせると、手の平に意識を集中させて簡単にだが治癒魔法を施した。


「ルルーナさん、大丈夫ナマァ……?」

「ええ……平気よ。みんなは……大丈夫なの?」

「わたくしが治療のお手伝いをします」


 ノームはそんな彼女の肩から飛び降りると、心配そうに様子を窺う。しかし、ルルーナが一番気になっているのは仲間の安否だ。

 とはいえ、彼女の出血量もかなりのものだった。駆け寄ろうにも足元はフラフラだ。更に全力で神器を使ったことで疲労がピークに達しているようだ。

 けれども、そんな彼女のことは理解しているのか、それまでルルーナの身を支えていたガイアスが優しく微笑みながら、仲間の治療を続けるライオットの元へと飛んで行った。


 ジュードはジュードで、ネレイナの腕を切断した聖剣を驚いたように見つめていた。瞬きも忘れたかのように刃を眺め遣る。

 腕を傷つけるつもりで振るったはずが、聖剣は彼が思っていた以上の――それも、とんでもないほどの威力を発揮したのだ。いくら敵とはいえ、ネレイナは人間。それもルルーナの母親だ。

 彼の頭には「どうしよう」という罪悪感と焦りが次々に湧いてきた。


「う、うがああぁ……ッ! う、腕っ、わたくしの、腕が……ああぁ……っ!!」


 ジュードはその傍らに駆け寄ろうとはしたが、そんな彼をシルフィードは即座に制した。同情の余地はない――そう言いたいのだろう。ジュードの前に無言のまま片手を添えて、険しい表情でネレイナを睨み下ろしている。

 こうしている間にも切断されたネレイナの腕からは止め処なく鮮血が溢れ出し、ズタボロになった床に次々に血だまりを生みだしていく。


 程なくして激痛にも慣れてきたのか、ネレイナは床に這い蹲ったまま上体だけを起こし、蒼白い顔を上げた。


「う……腕……わたくしの、美しい身体が……なぜ、なぜ魔力が……消えっ……こ、こんな……こんな醜い身体をあの人に、見せられ……ッううぅ……!」


 ネレイナは、すっかり錯乱しているようだった。

 千切れ飛んだ腕を手探りに探して、無事な方の腕を必死に虚空に彷徨わせている。目など血眼だ。

 傍に駆け寄ってきたちびの頭を撫でながら、ジュードは複雑な面持ちでその様子を見つめる。既にネレイナの目にはジュードやシルフィードの姿など映っていないようだった。


「(この人……なんだか壊れ物みたいだ……)」


 ルルーナの父親――つまりネレイナにとって夫であった男性は、随分と昔に家族と家を捨てて出て行ってしまったとは聞いた。それからと言うもの、彼女はずっとその夫を探していたのだろうかと、そう思えばジュードの胸はちくちくと痛み始める。

 夫婦の間になにがあったかもわからなければ、彼女の夫がなぜ家族を捨てたのか――その理由も定かではない。

 だが、今のジュードの目にはネレイナがまるで小さな子供のように見えた。愛情がほしくて必死に立ち上がろうとしている子供のようだ。


「お前……お前、なの? ルルーナ……お前、が……ッ!?」

「……!」


 けれども、彼女の血走った眼が離れた場所に座り込むルルーナと彼女の手にある神器を捉えるなり、美しい風貌には憎悪と憤怒が滲んだ。ちょうどルルーナもネレイナを見ていたらしく、自身を射抜くその双眸と向けられる表情に息を呑んだようだった。

 そうしてネレイナは無事な方の人差し指を勢いよく彼女に向けて突き出し、最期の抵抗とばかりに――再び光線を放ったのである。


 地の神器ガンバンテインの効力のお陰で威力は格段に落ちているが、完全に無防備な状態で受ければかなりの傷にはなる。

 シルフィードは咄嗟に傍らのジュードをちびもろとも抱きかかえ、直線状近くにいたサラマンダーは反射的にその光線を避けてしまった。


「――ルルーナ!!」

「お前だけ……お前だけが、幸せになることなんて……ッ! 絶対に許さないわ、わたくしが死ぬのなら――お前も一緒よッ!!」


 ジュードやシルフィード、サラマンダーが弾かれたように振り返る様。

 ノームが庇うように目の前に飛び出す姿。

 そして、猛烈な勢いで眼前に迫る――母が放った光線。


 それらを呆然と見つめながら、ルルーナの頭は真っ白になっていた。


「(……私は……結局お母様にとって、なんだったの……?)」


 母の言葉が、ずっと彼女にとっての全てだった。

 彼女の言うことを聞いていれば、父が戻ってくる。そう言われたから、なにも考えずに従った。

 周囲のことなんてどうでもよかったし、興味もなかった。ただ父が戻って、また家族三人で仲良く暮らせることが一番の望みだったのだ。


「(でも、ジュードたちと一緒に過ごしている内に変わっていけた……)」


 母はそんな自分の変化が気に入らなかったのだろうか、それとも最初からなんとも思われていなかったのだろうか。

 ただの手駒? 使い勝手のいい道具? ……消耗品?

 そんな様々な考えや疑問で、彼女の頭の中はメチャクチャだった。

 もういい、考えることに疲れた――ルルーナは思考を放棄してしまうと、諦めを滲ませてふっと自嘲気味に笑う。自分があまりにも滑稽で、惨めに思えた。惨めすぎて、今すぐ消えてしまいたいと思ったのだ。


「……え……」


 しかし、その思惑通りにはいかなかった。

 ネレイナの放った光線はルルーナの身に触れることはなく――代わりに、盾となるように間に割り込んだクリフの左肩に直撃したからだ。

 いくら神器の力で抑え込まれているとはいえ、持てる限りの力を込めて放たれたもの。貫通こそしなかったが、身に打撃を与えるには充分過ぎた。

 クリフの肩は鎧の肩当てごと深く抉られ、すぐ真後ろにいたルルーナの顔や髪に彼の傷口から零れたと思われる鮮血が舞う。


「ク、リフ……さん……あなた、なにして……」

「なぜ……神器を使わない……!?」


 ルルーナは瞬きさえできずに紅の双眸を見開いたままクリフを見据え、ジュードとちびを庇ったシルフィードはそんなクリフの姿に怪訝そうに眉を顰める。彼ならば神盾オートクレールで防げたはずなのだ。

 にもかかわらず、なぜ敢えて直撃を受けるというのか。それも左肩、一歩間違えれば心臓に直撃していたかもしれないのに。


「なぜ、って……この方がよ~くわかるだろ? 違いってモンがさ」

「ち、違い?」

「可哀想になぁ、オバさんよ。アンタにはこうやって、身体張ってくれるような奴もいなかったんだろうな」


 ジュードは思わずそちらに駆け出してしまいそうになるが、ネレイナの傍を離れて大丈夫なのか未だ定かではない。まだなにか行動を起こす可能性もある。

 クリフはやや蒼褪める彼に向け、常と変わらぬ薄笑みを滲ませながら右手をヒラヒラと揺らしてみせると、 ゆっくりとした足取りで一歩一歩そちらへ足を進めていく。

 当のネレイナはクリフのその言葉を侮辱と受け取ったのか、依然として表情には憎悪を滲ませながら声を荒げた。


「貴様……ッ! このわたくしを侮辱すると言うのかッ!?」

「侮辱ってよりは憐れみだね、自分が可愛いあまりに娘まで殺そうとするような女……軽蔑とか侮辱よりもひたすら哀れで仕方がねぇな」

「なん、だと……っ!?」


 己に向けられる言葉にネレイナは再び片手に魔力を纏わせはするものの、先の一撃で全てを使い切ってしまったのか――それらが、形になることはなかった。

 変わらずゆったりとした歩調でネレイナの真正面まで歩み寄ったクリフは、普段からは考えられぬほどの冷たい表情で彼女を見下ろし――口元にのみ薄く笑みを滲ませる。


「けどさぁ、アンタの娘は違うんだわ。こうやって身体張ってまで守ろうって奴がいるワケ。……アンタの娘はアンタの操り人形でもないし、アンタが自由にしていいモンでもねーの。娘には娘の人生があるんだからな」

「このわたくしに、説教をすると……!?」

「違うね、冥土の土産に人の心を教えてやろうっていうクリフさんの親切心さ。次があるなら、今度は真っ当な人間として生まれられるようにな」


 その言葉を聞いた直後――ネレイナは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。

 己を見下ろす彼の双眸に静かな怒りと殺意が宿ったからだ。恐らく彼の背中側にいるジュードたちには見えていない、それを目にしているのはネレイナだけ。

 クリフは利き手に持つオートクレールの剣を振り上げると、一度掲げた体勢で止めた。そうして顔だけを横向かせて後方のルルーナを見遣る。


「お嬢――――憎んでくれていいからな」

「……!」

「けど俺、自分が腹痛めて産んだ子供を殺そうとする親っての……本気で、反吐が出るくらい嫌いなんだわ」


 ルルーナは、不意に己に向いた言葉に息を呑んだ。

 しかし、止める気にはなれなかった。

 ネレイナはこの世にたった一人の母親だが、それでも。母にはもう、自分の言葉など届かないのだと――それがよくわかっていたから。


 ネレイナがほしかったのは、あくまでも彼女の夫だった男の愛情だけ。それを手に入れたいがためにジュードを使って、全てを支配しようとした。


 たった一人の男の愛情を得るために、彼女は内部から壊れてしまっていたのだ。

 それのなにが重要なのか、ルルーナにはまったくわからない。それでも、ネレイナにとってはなによりも大切で、かけがえのない唯一の拠りどころだったのかもしれない。


「ルルーナ!!」

「……?」

「覚えておきなさいッ! お前が、お前だけが幸せになるだなんて、そんなことは――抜け駆けは決して許さないわ! この母を裏切り、死に至らしめたお前は絶対に許さない、呪ってやる……呪ってやる! 呪ってやるッ!!」


 ネレイナが美しい風貌を般若のように変貌させ呪いの言葉を吐き散らかすと、クリフは真っ直ぐに剣の刃を彼女の首目がけて振り下ろす。ジュードとルルーナは固く口唇を噛み締め、静かに顔を伏せた。

 程なくして、その首はオートクレールの刃により切断され――床を何度も転がった。手には肉が裂け、骨が砕けるリアルな感触がハッキリと伝わったが、クリフは騎士だ。人の命とて奪ったことがある。

 もっとも、それらはいずれも重罪人ばかりだったが。


 首を失った肉体は糸が切れた人形のように力なく床に倒れ込み、辺りには鼻につくような血の匂いが漂う。

 トリスタンたちをメネットの館に送り届けてきたと思われるヴァリトラは、ちょうどその様を上空から見守り、複雑そうに小さく唸っていた。


「……どうやら、しこりを残す戦いとなったようだな……」


 王都の街並みは元の美しさの原型をまったく留めておらず、半分以上が壊滅している他、まだあちらこちらにはゾンビの姿も窺える。

 そんな城下を見下ろしてヴァリトラはやり切れない思いを抱え、極々小さく頭を振った。



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