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第四十六話・地の神器ガンバンテイン


 ガイアスは優しく微笑みながら、ルルーナに向けて片手を差し伸べる。

 すると、彼女の手には黄色い光に包まれた杖が出現した。仲間の容態を窺っていた精霊たちはその様を見つめて、絶句している。

 この女性が地の神柱(しんちゅう)ガイアスであるなら、地の大精霊と――それに関わるもうひとつの大精霊が一体化したものということだ。


 地の大精霊タイタニアは、大地が穢されないように眠りに就いたと聞いた。

 しかし、こうして地の神柱として姿を現したということは、その眠りから覚めたということに他ならない。イスキアたちはそれに驚いているのだと思われる。


「こ、の……杖は……?」

「無力から愛を見出した者よ。その願い、叶えたいと望むのならば……我が地の神器ガンバンテインを手になさい」

「ガンバン、テイン……?」


 それは恐らく、彼女の手にある杖のことだ。

 なぜ自分が――否、自分がそれを手にしてもいいのだろうかと、ルルーナの胸中には複雑な感情が寄せては引いていく。

 力がほしいとは思う、母を止められるほどの力が。

 しかし、なにも知らずにのうのうと生きてきた自分に神器を手にするだけの資格があるのか、彼女にはわからなかった。


「ルルーナさん、ガンバンテインを使うナマァ!」

「で、でも……」

「ガンバンテインはマナさんのレーヴァテインと姉妹みたいなものナマァ、地の神器ならお母さんを止められるナマァ!」

「……! 本当なの?」


 ネレイナを止められる――ノームの言葉にルルーナは弾かれたようにその身を見遣る。

 当のネレイナは、現在ジュードや加勢に加わった精霊たちと交戦中だ。イスキアとトールが一体となり、風の神柱シルフィードが顕現していることからして一方的に追い詰められているということはないだろうが、ネレイナの強大な魔力は今もまだ肌にありありと感じられる。

 ジュードや精霊がどうなっているかは、この場所からでは距離があって窺えないが――ネレイナが無事である以上、安心とは言えない。


「火の神器レーヴァテインが負の感情を引きはがすことで敵の守りを弱体化させるのなら、姉妹武器ガンバンテインは敵の能力を抑え込み、極限までその力や魔力を封印します」

「つまり、簡単に言うとお母さんのあの魔力を抑え込めるんだナマァ!」

「お母様の魔力を、抑え込める……!」


 ネレイナの一番の脅威は、あの強大過ぎる魔力だ。彼女の魔力から繰り出される攻撃は、下手をすれば一瞬の内に人の命など刈り取れてしまう。

 それを抑え込めるのだとしたら、現在も交戦しているだろうジュードたちの大きな力となるはずだ。

 躊躇う面は確かにあれど、ルルーナは口唇を噛み締めると差し出されたままの神器を逆手で手に取った。


「(ジュードに全て任せるわけにはいかない……)」


 ネレイナは自分の母なのだ、その母の始末を大事な仲間にさせるわけにはいかなかった。

 神器を手にしてから、ちらりと彼女の視線はカミラに支えられるリンファへと向く。青い顔でぐったりとする様を見れば、彼女の胸はずきりと痛んだ。


「(……アンタの気持ちを汲んであげたいけど、でも……アンタはもう奴隷じゃないの。私が偉そうなこと言えたモンじゃないけど、復讐のためになんて生きたら――きっとお兄さん、悲しむわよ)」


 ルルーナが神器を手にすると、所有者として認めるかのようにガンバンテインが力強く光り輝き、彼女の全身を優しく包み込んでいく。それは言葉で表現するのは聊か難しい、果てしなく大きいなにかに優しく抱き込まれるような――そんな感覚だった。

 けれども、ルルーナには覚えがある。ずっとずっと、遠い昔に同様の感覚に包まれたことがあると。


 ガイアスを見れば、彼女は依然としてどこまでも優しくルルーナを見つめている。まるで、母のような慈しむ表情で。


「(……ああ。母なる大地って、よく言うものね。これはきっと彼女の……ガイアスの大きな愛なんだわ)」


 幼い頃に出て行った父、家のことばかりで慌ただしい母。

 ルルーナは、これまでずっと愛情に飢えて生きてきた。物心ついた頃には他人に心を許すことはなく、いつだって疑ってばかりで。

 そんな自分が、例えようのない大きな愛を持つガイアスから神器を託されるなんて皮肉で滑稽だと、ルルーナは内心で自嘲した。


 両手で杖を構えるなり、ルルーナは余計な考えを頭から強制的に追い出して前線へと身体ごと向き直った。脇腹からは依然として激痛が走るが、今はそんなことを言っている暇はない。

 ノームはルルーナの肩に飛び乗ると、応援するかのように短い手を上下にぶんぶんと振る。

 ガイアスは彼女の後方に回り込み、その身を支えるべくそっと背中に両手を添えた。


「いいですか? ガンバンテインは決して破壊をもたらす神器ではありません。剣に剣で対抗すれば争いが生まれるだけ……向こうが剣を振りかざしてくるのなら、その剣ごとあなたの愛情で真綿のように優しく包みなさい。そうすることで神器は力を発揮するでしょう」

「……なんだか難しいけど、要は憎しみを持たず、相手を包むような感覚でってことかしらね」


 不特定多数にそうすることは難しいが、今回の相手はネレイナだ。母が相手であれば、それは決して困難なことではない。

 ガイアスに支えられ、ノームの応援を受けながらルルーナは神器に意識を集中させた。



 ネレイナと交戦するジュードは直撃こそ受けてはいないものの、苦戦を強いられていた。

 身体のあちこちを抉られはしたが、それでも聖剣の力で彼の身には傷らしい傷もない。シルフィードはそんなジュードの傍らにふわりと降り立ち、その安否を窺った。


「ジュード、大丈夫なのか?」

「……シルフィードになると口調まで変わるんだね。大丈夫だけど……身体が軽すぎて……」

「(……本格的な覚醒を果たしたようだが、その聖剣の力を持て余しているのか)」


 聖剣は今や、ジェントではなくジュードのための剣として新しく生まれ変わったが――ジュード自身がその強大過ぎる力を完全に掌握できていないのだ。

 元々聖剣は所有者の全能力を爆発的に高めるもの、エクスカリバーの状態でも充分な身体強化がされていたというのに、新たに誕生したこの聖剣はその強化能力が更に上がっているらしい。

 問題は、強化された状態をジュードが上手く使いこなせていないということ。


「なにをコソコソやっているのかしら!?」

「――! 跳べ!」


 だが、今は状況が状況だ。のんびり話し込んでいられる場合ではない。戦いの中で慣れていくしかないだろうと――シルフィードはそう結論づけるや否や、傍らのジュードに声をかけて高く跳び上がった。

 ネレイナの周囲には無数の光の珠が出現し、彼女が声を上げると共に意志を持っているかのように自由に形を変えて飛翔してくる。その一発一発が先ほどの光の鞭と変わらぬ威力を持っているらしく、直撃した壁や床は問答無用に破壊され、抉れた。


 この場所は三階。先からの戦闘のせいで、足場はどんどん不安定になっていく。いつ崩れ落ちてしまってもおかしくはないだろう。

 高く跳び上がったシルフィードとジュードは、互いに攻めあぐねていた。

 ネレイナに近づこうにも彼女の周辺はその強大な魔力に支配されており、半径三メートル前後の壁や床はその魔力に耐え切れず次々に崩れていく。ネレイナ本人は魔法で宙に浮いているせいで床が崩れようが、まったく問題はないのだが。


「厄介な女だ……こいつッ!」

「ふふ、四神柱(ししんちゅう)ってこの程度なのかしら? だとしたら――期待外れね!」


 上空に跳び上がったシルフィードは鋭利な風の刃を無数にネレイナへ向けて放ったが、それらは彼女の周囲に渦を巻く魔力により強制的に軌道を逸らされ、瓦礫の山と化したあちらこちらに衝突する。

 けれども、山積みになった壁や天井が木っ端微塵に吹き飛んでしまう様を見れば、シルフィードのその攻撃が生半可な威力ではないことは容易に理解できる。

 そして、そんな攻撃の軌道を変えさせるネレイナの魔力もまた――半端なものではない。


「どうしたら……っ」

「――ジュード!!」

「……ルルーナ?」


 現在、サラマンダーはちびと共に攻撃の隙を窺っているが、そもそも近づけないのであれば手はないと言える。ライオットは、後方で仲間の傷を必死に癒しているはず。

 そんな中にかかったルルーナの声に、ジュードは着地すると共にそちらを振り返った。

 すると、彼女の傍にふわりと浮遊する黒髪の女性と、当のルルーナの手にある見慣れぬ杖が視界に入り、ジュードの双眸は思わず丸くなる。


「ジュード、私がお母様の魔力を止めるから……あとは頼んだわよ!!」

「と、止めるって、どうやって……」

「ガンバンテイン……そうか、あれならば――! ジュード、やるぞ!」


 次々に繰り出されるネレイナの魔法を宙で避けながら、シルフィードはルルーナの手にある神器を視界に捉えた。その効力は、同じく神器を預かる身だからこそ既に熟知している。

 説明しているだけの時間はないと判断し、上空からジュードに咄嗟に声をかけた。

 それと共にシルフィードの両手には渦を巻く風を模したと思われる円月輪が出現し、宙でひと回転。勢いをつけてネレイナへと急降下していく。


「気でも狂ったの? あっはは! ならいい、お前から先に片づけてあげるわ!」

「やらせないわよ!」


 ネレイナはこちらに向かってくるシルフィードを見て愉快そうに笑い声を上げ、片手の平を彼に向けて突き出した。

 しかし、ルルーナが杖を高く掲げると、ネレイナの周囲を透明なドーム状の結界で包み込んだ。それと同時に、ネレイナはまるでなにかに押し潰されるような錯覚を覚えたのである。

 それだけでなく、彼女を守るかのように包み込んでいた魔力は瞬く間に消失し、今まさにシルフィードに向けて放とうとしていた魔法は――不発に終わった。


「な、なぜ魔力が……ッ!?」


 シルフィードは勢いをそのままにネレイナの脇をすり抜ける間際、彼女の身に円月輪の刃を叩きつける。そして休む間も与えず急浮上すると、今度は真後ろから勢いをつけ――両手に持つ刃でネレイナの背を思い切り斬り刻んだ。


「があああああぁっ!!」


 ネレイナの口からは当然悲鳴が上がり、それでも彼女は己の真後ろに降り立ったシルフィードを撃退すべく、再び両手に魔力を纏わせていく。

 だが、反撃は叶わなかった。シルフィードへ向けて魔法を放つよりも先に――その手を切断されたからだ。

 千切れた腕からは勢いよく鮮血が噴き出し、辺りを真っ赤に染め上げていく。


「ひぎゃあああぁッ!?」


 彼女の腕を切断したのは――ジュードが持つ聖剣だ。

 ネレイナは天を仰ぎ、切断された片腕を押さえながら叫ぶ。脳が激痛を訴えてきて、目の前がチカチカと明暗を繰り返し、次第に胃の辺りがムカムカし始める。

 次に彼女の双眸はジュードの手にある聖剣を忌々しそうに睨みつけたが――その刹那、双眸が大きく見開かれた。

 彼女の目が捉えたのは聖剣の刀身。そこに刻まれる古代文字が、彼女の知っているものとまったく異なっていたからだ。


「(あれは……エクスカリバーでは、ない……!? そんな……まさか……)」


 双眸は途中までその文字列を辿ったが、全て読み切る前に激痛により思考を遮断された。



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