第四十二話・ネレイナとルルーナ
「お母様……なぜこんなことを……」
「なぜ? 別に不思議なことではないでしょう、ルルーナ。元々必要なものが揃えばこうする予定だったのだから」
「なんですって……!?」
ルルーナは一歩前に出ると、母の凶行の理由を問うたのだが――返る言葉に彼女は二の句が継げなくなった。
どうやらネレイナにとっては、王族を手にかけることも予定の中に入っていたらしい。ルルーナはそんな話、母の口からただの一言さえ聞いた覚えはない。
ジュードは彼女の傍に倒れる王妃や王女を見つめた末に剣を握り締め、複雑な面持ちでネレイナを睨み据える。
「どうして……なんで、そんなに……」
「ふふ、あなたはくだらないことを考えないでわたくしのモノになればいいのよ。そうすれば悪いようにはしないわ」
「冗談じゃない、人間が神さまになんてなれるもんか!」
「なれるわ、わたくしが最初で最後のヒトの神となるのだから」
ジュードから向けられる言葉にネレイナは切れ長の双眸を笑みに細めると、片手に携える杖を先頭に立つジュードやルルーナに向けた。そうして口角を引き上げてニィ、とどこか妖艶に笑ってみせる。
だが、その笑みには余裕はさほど感じられなかった。
「……あなたたちのような子供にはわからないのよ」
「お母様……?」
「ルルーナ、あなたはわかっているはずよ。お父様がいなくなってからの周りの反応、忘れたわけではないでしょう?」
「それは……」
ネレイナが呟いた言葉に、ルルーナはなにを思い出したのか眉根を寄せて口唇を噛み締めた。
彼女の父親は、ルルーナがまだ幼い頃に彼女と母を捨てて突然出ていってしまった身。その行方をルルーナは知らないし、現在生きているのか否かさえ定かではない。
その父が出ていってからというもの、ルルーナを取り巻く環境は激変した。
「それまでわたくしたちに従ってきた下々の者が、突然わたくしたちを見下すようになり、形ばかりの憐れみを向けてくる様――あなたは忘れたというの? あの者どもが裏でわたくしたちを嘲笑い、コケにしていたことも……」
「……」
「だから、わたくしはあの人を取り戻し、王族や貴族を好きに蹂躙する立場になると決めたのよ。わたくしを侮辱した者どもをこの手で辱め、嬲り、自分たちの愚かさを知らしめてやるわ。そして、わたくしが新しい世界を創る……」
ルルーナはネレイナの言葉に口唇を噛み締めたまま、拳を握り締める。
なにも知らないままであれば、彼女とてネレイナの言葉に賛同していたかもしれない。父が家を出ていってからの周囲の反応は、今でも鮮明に思い出せる。「どうしたのかしらねぇ」だの「元気出してね」と口で言いながら、多くの者が裏では嘲笑していたのだ。
ノーリアン家はそれでも地の国の最高貴族として君臨し続けたが、一言目には称賛しても二言目には「これでお父様がいらっしゃればねぇ」などと言ってくるばかり。クスクスと小馬鹿にするように笑いながら。
「……お母様」
けれども、ルルーナの目にネレイナは「可哀想なもの」として映った。
彼女は母の傍を離れてジュードたちと共に過ごす中で、友人というものの暖かさを知った。
これまで腹の探り合いばかりだった環境とはまったく異なり、ジュードたちにはそういったものは一切存在しなかったのだ。最初こそ彼ら個人のことなどどうでもよかったが、仕方なしにではあれど共に過ごした時間の中で、ルルーナの中には確かな変化が現れた。
「お母様は、もうずっと最高貴族として生きてきたからわからないのよ。そんなこと、どうしようもなくちっぽけなことなんだって」
「……なんですって?」
「お母様、私は貴族である前に一人の人間よ。当時のことを忘れたわけじゃない、今でも鮮明に思い出せる。でも、今となってはそんなことどうでもいいの」
ジュードとルルーナの後ろに控えるウィルやカミラたちは、いつでも戦闘に入れるように身構えていたが、ルルーナの言葉に視線のみを彼女の背中に向けた。
ネレイナは彼女の実母だ、できることならば戦いたくはない。
「どんな人間にも裏があるって、少し前までの私はそう思ってたわ。でも、この子たちときたら……バカでマヌケでアホで歳の割には幼稚だしうるさいし、すぐに感情的になってばかりだし……」
「……」
「……でもね、そんなこの子たちの方がずっと人間らしい生き方をしてたのよ。最初はバカらしいと思ったけど、この子たちと一緒にいる時は腹の探り合いなんか必要ないし、ありのままでいられるの。貴族のプライドなんて……どうでもよくなる、とてもちっぽけなものだって思えるようになったわ」
次々に洩れる決して褒めていないルルーナの言葉に、マナは呆れ果てたような表情を浮かべはしたが――余計な口を挟むことはしなかった。
出逢った頃と比べてルルーナは本当に変わった。マナは心からそう思っている。そのため、続いた彼女の言葉にマナの表情には自然と笑みが浮かんだ。とても安心したようなものが。
しかし、娘のその言葉にネレイナは美しい風貌を嫌悪に染め上げ、杖の先端に魔力を集中させ始めた。
「……どうでもよくなる、ですって? お前は誉れ高きノーリアン家の誇りを忘れたの?」
「そんなもの、持ってたってなんの役にも立たないわ! お母様は自分に従わない者が気に入らないだけよ、癇癪持ちの子供みたいなものじゃない!」
「お前ええぇ……ッ!!」
ルルーナのその言葉は、ネレイナの逆鱗に触れたようであった。
刹那――ネレイナの全身からは爆弾でも爆ぜるような強い衝撃が巻き起こり、クリフは神盾を構えて先頭へと飛び出す。そのお陰で間一髪、吹き飛ばされることはなかったものの周囲の様子は悲惨なものだ。
ネレイナの身を中心に周囲の装飾は大きく弾け飛び、壁や階段の手すりはひしゃげてしまっていた。彼女の近くに倒れていた王族や兵士たちは遠くに飛ばされてしまい、安否さえ窺えない。
ネレイナは片手に持つ杖を高く掲げて、ジュードたちを睨み下ろしてくる。
「できれば穏便に済ませたかったけれど、生意気を言うのであれば仕方がないわね……ルルーナ、この母に刃向かうというのであればお前とて容赦はしませんよ」
「……お母様、どうしてお父様が家を出ていったのか今ならわかるわ。お父様はお母様の、そういう性格に嫌気が差して出ていったのよ! 神になるですって? お母様はどう足掻いたって神になんてなれない、なれるのは人の形をした悪魔だわ!」
「黙れ……ッ! 黙れ黙れ、黙れええぇッ!!」
ルルーナのその怒声を皮切りに、ジュードたちは各々武器を構えて戦闘態勢に入る。話し合いの余地があれば、と願ってはいたものの、ネレイナの考えが変わるような気配は微塵も見受けられない。
ジュードを使ってこの世界の在り方を変え、自分が世界を統べる神になる――彼女の願いはどうやらそれだけのようだ。
「……お嬢、いいのか?」
「……お母様が今までやってきたことを考えたら、娘として決して許せることではないわ」
クリフは最後の確認として視線をネレイナに向けたままルルーナに問いかけたが、迷うようなこともなくルルーナは一言――それだけを返した。
国王が無事でいるかどうかはわからないが、ともかくネレイナとの衝突は避けられない。禍々しいほどの魔力を全身から放出させるネレイナを見上げて、ジュードは聖剣を握り締めた。




