第三十九話・能力解放
「ウィルちゃん、みんな大丈夫だったのね」
「イスキアさんたちだ! 生き残りは……」
「アタシたちの方は駄目だったわ、あなたたちは……見つけたみたいね」
中央広場に行き着いたウィルたちは、ちょうど反対側からやってきた精霊たちとの合流を果たすことができた。精霊たちの身には返り血がべっとりと付着しており、思わず目を背けたくなるほど。
ウィルたちはシルヴァに襲われていた住民を一人助けることはできたが、余程恐ろしかったのだろう。彼女は真っ青になったまま小さくその身を震わせている。これでは話を聞けそうにない、今は少しでも早く身を休ませることが先だ。
「ジュードたちは?」
「……まだ来てねぇのか、それとも先に行っちまったのか」
中央広場には幸いにもゾンビたちの姿は見えない。それまでずっと先頭で刀を振り回し続けていたサラマンダーは流石に疲れたのか、そこでようやく刀を肩に担いで「ふう」とひとつ息を吐き出した。
軽く辺りを見回すが、ジュードたちの姿は見えない。人命がかかっているのだ、もしかしたら自分たちを待たずに先に行ったのかもしれない――そこまで考えるとサラマンダーの眉は自然と寄る。
しかし、そんな話をしていた時。
この中央広場に至る手前の道を中心に、都全体を包むほどの巨大な光の柱が出現したのだ。
「きゃあッ!?」
「な、なんだよ、あれ!」
突然のことにその場に居合わせた面々は弾かれたようにそちらを見遣り、マナやルルーナは慌てて頭を押さえる。
ウィルとリンファは目を庇うように片腕をかざし、双眸を細めて横目にそちらを見遣った。
「……行きましょう、ジュードちゃんたちだわ」
イスキアの耳には、彼らの会話は届いていた。彼らになにがあったのかは、ある程度理解しているつもりだ。
アグレアスやメルディーヌに襲撃を受けていることも、ジェントが――もういないことも。
脇に下ろした片手を固く握り締めると、トールを頭に乗せたまま先んじて駆け出した。
* * *
カミラは、勢いよく上体を起こした。それまで彼女の傍らに付き添っていたライオットは、突然のことにもっちりとした身を跳ねさせて、あわあわと短い手を忙しなく動かす。
「カ、カミラ、まだ起きない方がいいに……」
「傷が……傷が、治っていく……」
「う、うに?」
それまで彼女の身に刻まれていた痛々しい裂傷は、聖剣が放ったと思われる光の柱に包まれた途端に癒え始めていた。見る見るうちに傷口が塞がり、今となっては傷痕はおろか、痛みさえ感じない。
カミラは思わず目を丸くさせて、そんな己の身を見下ろしていた。
次にクリフに視線を向けると、彼のボロボロになった身もすっかり傷が癒えている。クリフ自身も不思議なのか、端正な顔に驚きを乗せて己の身体や辺りを忙しなく見回している様が窺えた。
その内にばちりと視線がかち合うと、互いに不思議そうな顔をしてから自然とジュードの方に目を向ける。
「ひ……ぎゃああああああぁッ!!」
眩い光の中、目を凝らしてみると――メルディーヌが右腕を肘のやや上部分から切断されている様が見えた。切断部からは鮮血が勢いよく噴き出し、メルディーヌは天を仰ぎながらその片腕を押さえて、喉奥から悲痛な叫びをひり出している。聞いている方が恐ろしくなるほどの悲鳴だ。
巨大な柱の出現に目を押さえたアグレアスは、突如として上がった悲鳴に奥歯を噛み締めながら何事だと表情を顰める。状況を把握すべく、彼もまたそちらに視線を投じたが――その光景に思わず怪訝そうに眉根を寄せた。
徐々に晴れゆく光の中、彼の目に映ったのは――ジュードに片腕を切断されたメルディーヌの姿だ。
「贄……ッ、まだそのような力が残っていたか!」
アグレアスは忌々しそうに再度表情を顰めると、クリフやカミラには見向きもせずに駆け出した。今度こそ仕留める――そう考えながら。
片腕を切断されて狼狽するメルディーヌは突然の激痛に全身から脂汗が噴き出し、満足に呼吸さえできなかった。頭が完全にパニックを起こしているのだ。
気が遠くなるほどに長い間、憎悪し続けてきた男を自らの手で始末できた達成感の最中に腕を斬られたのだ。なにが起きたのか、彼の頭でも理解が追いつかなかった。
「贄ええぇッ!」
アグレアスはジュード目がけて突進しながら、そのままの勢いで大剣を振りかぶる。大きなその剣を片手で振り回すそれは、直撃すればどれほどの威力があることか。
ジュードは猛烈な勢いで突進してくるアグレアスを横目に見遣ると、振り下ろされた一撃を右手に携える剣で難なく受け止めた。互いの力が拮抗するだとか、そんな状況でさえない。アグレアスは全力で剣を振り下ろしたというのに、ジュードは片腕一本――それも、涼しい顔で受け止めてしまったのだ。
けれども、その双眸は決して笑ってなどいない。どこまでも怒りに満ち溢れていた。
「ぐはッ!?」
その刹那――ジュードが持つ剣が一層強く光を放ち、無数の風の刃が刀身から出現するなりアグレアスの身に次々に打ちつける。
肩、腕、脇腹に足――様々な箇所に風の刃が直撃し、アグレアスの身を深く抉った。その拍子に彼の肩に鎮座していた魔心臓が外れ、大きく跳ねて地面を転がる。メルディーヌはサッと、慌ててその魔心臓を逆手で拾い上げた。
「バ、バカな……今のは、まさか……!?」
魔心臓を片手で胸に抱きながら、メルディーヌは信じられないと言わんばかりの様子でジュードを――否、彼の手にある剣を凝視した。光り輝くその剣は、形状はすっかりエクスカリバーとは変わってしまっている。
これまでの聖剣は一般の剣よりも刀身が細く、振り回しやすいタイプだった。しかし、今のジュードが持つ聖剣は一本の刀身、両刃剣だ。プラチナシルバーの刃の内側は眩いゴールドの色をしており、なんとも美しい。大剣とまではいかないが、これまでジュードが使ってきた剣よりは大きいだろう。
「(なぜ……なぜ聖剣そのものがアレを持っている……!? それに今の風の刃は――!)」
無数に飛び出した風の刃は、最後にアグレアスの胸を貫通した。地属性を強く持つ彼にとって、風は天敵だ。
胸部を貫かれたアグレアスの口からは大量の血が溢れ、白目を剥いて真後ろに倒れ込んでしまった。強制的に魔心臓を剥がされたことで、身体強化能力も失い、それまで彼の腕を包んでいた岩の塊がボロボロと崩れ落ちていく。
クリフとカミラは先ほどの劣勢も忘れたように、目をまん丸くさせてその光景を見つめていた。
「ライオット」
「う、うにに? ど、どうしたに?」
アグレアスが倒れたのを確認したジュードは、依然として眩い光を放つ剣を片手に携えたまま静かにライオットに声をかけた。すると、当のライオットは目をぱちぱちと瞬かせてから、彼の傍らへと飛び跳ねて近寄っていく。
それを見て、ジュードは逆手をそっと差し出した。乗れ、と言うように。
状況も状況なのだが、ライオットはそれを見るなり嬉しそうにジュードの手に飛び乗った。
「力を貸してくれ、ライオット。あいつを倒したい」
「にょ? ……マ、マスター……もしかして……」
ジュードの手に乗ったライオットは、久方振りになる独特の感覚を感じていた。もっちりとしたその身が馴染むような、言葉にし難い大きな安心感を。
それは、これまで何度か行ってきた接続だ。
元々ジュードと精霊との接続は切れていなかったが、ネレイナに能力を封じられてからというもの――交信ができないためか、こういった繋がりを強く感じることもなかった。
それが今、再び感じられるようになったということは。
「うにー! マスター、久し振りに大暴れするによ! ライオットたちでメルディーヌを倒すに、ジェントの敵討ちだにいぃ!!」
ライオットは瞳孔が開いたようにしか見えない目をうるうると潤ませながらジュードの手の上で跳びはね、そのまま彼の頭に飛び乗る。
すると、それを見てメルディーヌは一歩二歩と後退し、己の目の前に黒い魔法陣を出現させた。
「ク、フフ……調子に乗ってもらっては困りますねぇ……仕方ありません、これはまだ取っておきたかったのですが……来なさい、合成獣! 貴様にエサをくれてやる!」
メルディーヌとジュードの間に出現した魔法陣――そこからは、様々な生き物が融合した非常に不気味な生き物が姿を現した。口振りからしてメルディーヌが飼っている魔物なのだろう。
巨大なスライム、オーガ、鳥、クマにオオカミ――本当に多くの生き物が融合した様は、見た目にはひどく醜悪だ。眼球は飛び出し、開かれたいくつもの口からは粘着性のある唾液がしとどに垂れ落ちる。
「クフフ、このキメラはそう簡単には倒せませんよ。様々な属性を融合させた生き物ですからねぇ、獣のスピードとオークの剛力、竜の翼と刃物をまったく寄せつけないスライムの身……それをどう攻略して――」
余程の自信作だというのか、メルディーヌは先ほどまでのパニックも鳴りを潜め、今度は得意満面にキメラの特徴を饒舌に語り始めたのだが――その言葉は途中で止めざるを得なかった。
全て説明し終わる前に、三メートルほどはあろうかというキメラの身が真っ二つに斬れ――そのまま両脇に転がり、一瞬で物言わぬ屍と化してしまったからだ。
それには思わずメルディーヌも片目を見開いて、絶句した。キメラが真っ二つになり、開けた視界の先には――聖剣を振り下ろしたと思われるジュードの姿。
「な……っ、な……!? バ、バカな……そんな……!」
「――交信」
目に見えて狼狽するメルディーヌを後目にジュードが小さく呟くと、彼の頭の上にいたライオットはふと空気に溶けるようにして消えてしまった。
そして次の瞬間――ジュードの身を中心に、白と緑が織り交ざる閃光が大きく爆ぜたのである。爆風のような衝撃が辺りに走るとクリフとカミラは慌てて身を縮め、メルディーヌは反応さえできず、まっすぐにジュードを見据えた。
――否、正確には動けなかったのだ。
恐怖を感じているなどと、メルディーヌは思わない、思いたくない。だが、彼の手にある聖剣は、間違いなくメルディーヌにとっても天敵となる存在。その心臓は、嫌になるほどに脈打った。
ジュードはそっと地面を蹴ると、自分でも驚くほどに軽くなった身を持て余しつつ一瞬の内にメルディーヌの真正面へと移動し、睨むように見返す。
「お前だけは……!」
「な、なんだと……!? 貴様、いつの間に……!」
「お前だけは――これで、仕留めるッ!!」
吼えるようにそう声を張り上げると、ジュードは聖剣を両手で握り締めて思い切り振りかざす。その瞬間、彼の想いに応えるように聖剣がより一層強い輝きに包まれ――振り下ろされた矢先、これまでとは比較にならないほどの巨大な衝撃波が発生しメルディーヌの身を直撃した。
「――閃光の衝撃!!」
衝撃波に呑まれたメルディーヌからは苦悶の声が洩れ、ボロ切れのように大きく吹き飛ばされる。その際に彼の手からは魔心臓が零れ落ち、直後――メルディーヌの身は左肩から右脇腹にかけて真っ二つに一刀両断されたのである。
メルディーヌの口からは先ほどよりも悲痛な声が洩れたが、やがて衝撃波の音に阻まれて聞こえなくなった。




