第三十六話・折れた輝き
「グワアアァッ!」
躊躇もなく襲いかかってきたシルヴァを見て、リンファはいち早く武器を構えると歯を――否、牙をむき出しにして咬みつこうとする彼女を真正面から受け止めた。
両肩を掴んで首元に咬みつくつもりなのか、伸ばされた手は片手のみ掴むことができたが、逆手は肩を鷲掴みにしてきて非常に痛い。力の加減など一切なかった。
刃を寝かせた短刀で顔を押し退けることで咬みつき攻撃を防ぎながら、リンファは痛ましそうに表情を歪ませる。
「シルヴァ様……っ!」
このゾンビは、間違いなくシルヴァだ。だが、美しかったその風貌は既に失われている。
肌は人間のものとは程遠く蒼白く染まり、目は黒目がなく完全に白目。犬歯はアンデット化に際し発達したのか、魔物の牙のように上部分のみが伸びている。まるで吸血鬼の牙のようだ。
先ほどまで彼女が立っていた場所の近くには、息絶えているのか複数のゾンビが倒れている。そのいずれも首元を喰いちぎられた痕跡があることから――このシルヴァが貪り喰ったのだと考えられた。
その証拠に、彼女の口元は未だ真新しい血で生々しく彩られている。
「う、そでしょ……なんで、シルヴァさん……ッ!」
シルヴァは死の雨を浴びてはいないはずだ。だというのに、彼女までもがこうしてアンデット化してしまっている。
ルルーナは口唇を噛み締めながら、ジュードの言葉を思い返していた。
「……ゾンビ連中が自分たちで数を増やしてるってことでしょ……! 下手したら私たちもああなるわよ、さっさと構えなさい!」
「シ、シルヴァさんと戦うっての!?」
「よく見てみなさいよ! 今のシルヴァさんに言葉が通じるっての? ……あの人のためを思うなら、楽にしてあげるのよ!」
マナは慌てたように傍らのルルーナを見遣り抗議の声を上げようとはしたのだが、ルルーナの表情を見れば、その先の言葉は出てこなかった。悔しそうに、けれどもどこか泣きそうに歪む表情は決して冷酷な者の言葉ではない。
ルルーナとて気持ちはマナと同じだ、シルヴァと戦いたくなんてない――だが、そうしなければならない。自らの手で無抵抗の人間を、そしてかつての仲間を殺すなど彼女が喜ぶはずがないのだから。
ウィルは背中に聞こえる二人の会話を聞くと、固く武器を握り締めた。
「(そうだな、シルヴァさんがこんなこと望んでるわけないもんな……俺たちが、俺が……やらないと……)」
聖剣ではない神器で、その魂を救うことができるかどうかはわからない。
それでも、この場で止めなければ――師匠を止めなければ、と。ウィルは確かにそう思った。
* * *
「なかなかやるようにはなったようだな、しかし……この程度で俺を倒せるとは思わんことだ!」
アグレアスは、己の身に刻まれたいくつもの傷に口角を引き上げて笑うと、埃でも払うかのように片手で己の腕や胸、肩を叩き払う。カミラの光魔法で貫かれた傷は、徐々にだが癒え始めている。これも魔心臓の影響だ。
しかし、聖剣で斬られた傷ばかりはそうもいかないのか、裂けた部分からは依然としてだらだらと鮮血が溢れ出している。
その傷口を見下ろし、アグレアスは手の平を大地に向けた。すると、彼の思いに応えるように大地が盛り上がり、中から岩で造られた大剣が姿を現したのである。
勝負はまだまだこれから――そういうことだ。
「ゆくぞ、贄! 我が大剣、受け切れると思うなァッ!」
ジュードは聖剣を握り直すと、飛びかかってくるアグレアスを見て双眸を細める。その一挙一動も見逃すまいと。
カミラはジュードの援護をすべく改めて詠唱を始め、クリフはそんな彼女を庇うようにその前に立つ。
頭上から勢いよく振り下ろされた大剣を、ジュードは両手で持つ聖剣でしっかりと受け止めた。刃同士が衝突すると、両者の腕には強烈な衝撃が走る。麻痺にも似た感覚だ。
その衝撃にジュードは思わず表情を歪ませながら、固く奥歯を握り締めた。アグレアスの剛腕から繰り出される一撃はその全てが重く、聖剣で強化されていても腕には堪える。
「まだだ……負けるか――ッ!」
けれども、ジュードがそのくらいで怯むはずがないのだ。両手でしっかりと握り込む聖剣を力任せに振り抜くと、思わぬ反撃だったのか、はたまた単純に力負けかは定かではないもののアグレアスの大剣が大きく弾かれる。
軽くバランスを崩したところへ追撃を加えるべく、次にジュードは照準をアグレアスの肩に鎮座する魔心臓へと向けたのだが――突き刺すことは叶わなかった。
「うわッ!?」
「坊主!!」
追撃を繰り出そうとした矢先、ジュードの足元が大きく盛り上がり――中から先ほどの巨大なミミズが大口を開けて襲いかかってきたのである。このままジュードを飲み込もうというのだ。クリフはそれを見て思わず声を上げた。
地中から――それも、この口の中からアグレアスとメルディーヌが現れたことを考えると、これもサタンの一部なのかもしれない。ジュードは舌を打つと、容赦なくその口に聖剣を突き刺した。
「こいつッ!」
「ギョピエエェェッ!」
「ジュード! ……やらせないんだから!」
思わず上空に跳んだジュードが下方に突き出した聖剣は、彼の身を喰らおうとしたミミズの口内を突き刺し、外へと貫通した。それでも諦めていないのか、緑色の血を溢れさせ悲痛な声を上げながらも咬みつこうとしてくる。
それを見て、カミラは詠唱を終えた魔法を放った。
すると、巨大なミミズの身はその身の丈にも負けないほどの大きな光の槍で貫かれたのである。それは光属性の攻撃魔法、聖なる槍を喚び出して対象を攻撃する『ホーリーランス』だ。
流石に耐えきれなかったか、巨大ミミズは大きな口から盛大に血を吐き出すと重厚そうな音を立てて地面に倒れ伏した。視覚的にはあまりよろしくない、非常に気持ち悪い様だ。
「隙ありッ!」
「ぐっ!」
ジュードがミミズに気を取られていた間に、アグレアスは彼の真後ろへと回り込んでいた。上空で上手く動けないのをいいことに、着地の隙を狙って再び大剣を振るってきたのだ。
振り下ろされる刃を、ジュードは片手で握る聖剣を振り向きざま――叩きつけるように振るうことで受け止める。
けれども片腕一本、それも姿勢的に明らかに不利だ。身体ごと向き直るだけの余裕がなく、半分以上背中を向けた格好。
「(仕方ない――!)」
ジュードは内心で舌を打つと、早々に鍔迫り合いをいなすべく刃を寝かせると同時に片足を滑らせて、その場に寝転がるかのように倒れ込み、姿勢を低くした。
それには流石のアグレアスも驚いたのか、一度こそ怪訝そうな表情を浮かべるものの――次の瞬間、思い切り足払いを叩き込まれたことで狙いを理解する。
しかし、完全に足を払わせることはせずに耐えると、今度はこちらの番とばかりに再び大剣を振るおうとはしたが――ジュードは戦闘になると手癖も悪ければ、足癖などもっと悪い。
片手を地面につきバネのように使うことで身を起こすと共に、勢いよく片足を振り上げてアグレアスの顎を蹴り上げた。
その一撃は、予想だにしない攻撃に防御が遅れたアグレアスの顎に見事に叩き込まれ、彼の目の前には星が散る。ジュードはそのまま宙返りすると、上空で素早く体勢を整えて再び剣を構え――着地と同時に上体を低くしながら渾身の力を込めて聖剣を振るった。
「いっけええええぇ!」
「こ、の……っ! 調子に乗るなよ、ガキがああぁッ!!」
対するアグレアスは一度こそ眩暈を起こしたものの、程なくして体勢を立て直し、追撃に出るジュードを真っ向から迎え討つ。
どちらも、ありったけの力を込めて剣を叩きつけた。
その結果――辺りには、金属が割れるような音が響き渡った。剣が折れたのだ。
「――がはッ!」
「うににぃっ!」
一瞬、身が浮くような錯覚を覚えたジュードの鳩尾に衝撃が走ったのは、それから間もなくのことだった。脳が大きく揺れる感覚に意識が飛びかけたが、身に感じる激痛のせいでそれも叶わない。
彼の腹に思い切り叩き込まれたのは――アグレアスが振るった大剣だった。
「ジュード!!」
「な……っ!?」
ジュードの身はアグレアスの渾身の一撃を受けて盛大に吹き飛び、地面を背中で滑り中央広場に通じる階段脇へと転がった。ちびは大慌てでその傍らに駆け寄り、カミラは真っ青になりながら悲鳴に近い声を上げる。
クリフは――ジュードの手にある武器を見て、思わず瞠目した。
折れたのは、聖剣の方だったのだ。
ジュードは腹に直撃した一撃により仰向けに倒れたまま、大きく咳き込む。その表情は苦痛に歪んでいた。
だが、なにが起きたのかは理解しているらしい。震える手で利き手を動かし、刃の中ほどから折れた聖剣を見つめて戦慄いた。
「喰らいなさいッ!」
メルディーヌが剣を――ソウルキャッセを振るうと、まるで人の悲鳴のような音が辺りに木霊する。矢継ぎ早に繰り出される剣撃は一度たりともジェントの身に触れることはなく、メルディーヌは忌々しそうに、けれどもどこか楽しそうな表情を滲ませた。
「デカい口を叩いておきながら、逃げ回るしか能がないのですか? やれやれですねぇ、かつての勇者が逃げるしかできないとは!」
『安い挑発だな、程度が知れるぞ』
ジェントが地面を蹴り後方に跳ぶと、メルディーヌは休む暇も与えず即座に後を追う。突進するような勢いのまま、手に持つ剣を目にも留まらぬ速さで繰り出すのだが――その刀身や切っ先は彼の身を捉えることは叶わなかった。
しかし、直撃はせずともジェントは確かに感じ取る。ソウルキャッセが纏う禍々しいオーラも、魂そのものに影響を与えてくるようだ。切っ先は触れていないが、ジェントは身の――否、魂のあちらこちらに鈍痛を覚えていた。
『(……下手に長引かせるのは得策ではないか、早々に――)』
――片づける。
そう思ったのだが――その時、彼の元にも聖剣が折れる音が届いた。
頭で考えるよりも先に何事だとそちらに目を向けて、その双眸は大きく見開かれる。彼にとっては慣れ親しんだ聖剣の破片が、折れて宙を舞っていたのだから。
だが、メルディーヌはそんな隙を見逃さない。口角を引き上げるなり吼えるように声を張り上げた。
「どこを見ているかッ!」
勝利を確信したかのようにわずかに笑みさえ孕ませながら声を上げると共に、メルディーヌは片手に携える剣を――己から目を離したジェントへ向けて振るった。その切っ先は彼の右腕を深く抉り、一拍遅れて訪れる激痛にジェントの表情は思わず歪む。
更に、それと同時にこれまで彼の身を守るように包んでいた緑色の輝きが消失してしまったのだ。
「(シルフィードの加護が消えた……最早これまでだな、ジェント!)」
ジェントが突然のことにバランスを崩し、その場に片膝をつくとメルディーヌはトドメを刺すべく両手でソウルキャッセを握り締め、高く掲げる。
彼のその表情は――狂気と歓喜がない交ぜになったような笑みだった。
「終わりだッ! 今こそ積年の思いを――!」
ジェントは斬られた片腕を逆手で押さえながら肩越しにメルディーヌを振り返り、迫りくる刃を見て翡翠色の双眸を細めた。




