第十二話・水祭り
夕刻に近付くにつれ、王都フェンベルの街は賑わいを増していく。
年齢問わず大人も子供も何か音の出るものを手に持ち、王城向かいの広場へと集まっていった。
タンバリンやカスタネット、他にも――音が鳴りそうな砂や小石を詰めた硝子瓶の即席マラカスなど、人々が手に持つものは様々である。
夜に近付いていく中、王都フェンベルは確かな活気に包まれていった。
王城向かいの広場には煌々と明かりが灯され、数多くの屋台が出店している。祭り特有の焼きそばであるとか、ジュードも昔はよく食べたフランクであるとか、大人の為の各種アルコール類など他にも幅広く取り扱われていた。
住民達はそれぞれ満面の笑みで歌い、そして踊り始める。決まった形の踊りなどではない、取り敢えず騒いで楽しければ充分なのである。
今日の祭りは水の国の平和と安定を願ってのものだ。広場にある噴水には、多くの供え物が置かれた。水の神柱――水を司る偉大な存在――へ願いを捧げる意味を込めて、である。
そして、多くの住民達は噴水の前で手を合わせ、祈りを捧げる。隣国である水の国の、一日も早い安定を願って。
王城からは簡素な鼓笛隊が現れ、自由気ままに音楽を奏でた。人々はそれに合わせて歌い踊り、そして騒ぐのである。
ジュード達は洋服屋を後にすると、王城向かいの広場へ足を向けた。
ジュードやマナ、ウィルには久方振りになる賑やかな、且つ騒がしい祭り。カミラにとっては初めてとなる祭りだ。
ウィルは額に片手を翳し、賑わう広場を眺め遣る。
その身は、店の女性店員に好き勝手に着せ替えられていた。黒のタンクトップに、腰には羽織る為の白い上着が巻かれている。先程までは羽織っていたのだが、風の国ミストラルは一年を通して温暖な地である。冬は多少なりとも冷え込むが、それ以外は一年中春のような麗かな気候なのだ。オマケに祭りの熱気も加わって暑い。その為、いつもしているように上着は脱いで腰に巻き付けたのだった。
首からは紅い石をあしらった金細工の首飾りと、何連かに連なる銀の――同じく首飾りを重ねられていた。下は上と同じく黒いズボンで、足元は黒の革ブーツ。
色素が薄く、明るい髪色をしたウィルに黒という色はとても映える。腕には金の腕輪を付け、一見すればモデルのような出で立ちであった。
「相変わらず、フェンベルの祭りはただうるさいだけだよなあ……」
「別にいいじゃない、みんな楽しければ満足なんだから」
そんなウィルの隣にはマナがいた。
普段よりも機嫌が良いらしく表情には笑みを浮かべたまま、横からウィルの背中を急かすように軽く叩く。ウィルはそんな彼女を横目に見遣り、緩く眉尻を下げて肩を疎めてみせた。
彼らの後ろにはジュードとカミラがいる。ジュードはそんな二人を微笑ましそうに眺めながら、そっと目を細めた。
親友兼兄のような存在であるウィルの、マナへの気持ちを知っているジュードとしては、彼らが仲良くしているのは純粋に嬉しいことなのである。
ジュードにとってはウィルもマナも大切な仲間で家族でもあり、そんな二人が一緒になってくれればと密かに思ってもいるのだ。
いつもよりも幾分表情が柔らかいジュードを横から見上げて、カミラも薄く微笑む。そうして彼の見慣れない衣服を眺めてほんのりと、また改めて頬を朱に染めた。
「……ジュード、似合ってるね」
「え、……そ、そう?」
普段の青いジャケットとは異なり、今現在ジュードが着用しているのは風の国のシンボルカラーでもある緑を基調としたものばかりであった。
いつもウィルが身に着けているものよりは幾分色の明るい緑のカットソーだ。襟は喉元まであるタートルネックで、袖部分はない。丈は膝上辺りまであり、何らかの紋様など独特の刺繍でも入っていれば何処かの民族衣装にも見える作り。その上からやや暗めの色をしたストールをマントのように巻いたスタイルである。
下は黒と灰の中間色のスパッツを着用しており、長さは七分丈程度。
足元は濃い茶色の編み上げブーツで飾り、両腕には金の手甲型の腕輪、首元には同じく金で加工された青い天然石を付けていた。
普段と異なり袖部分がない為、ジュードがグラムから「忘れず付けるように」と押し付けられた金の腕輪も彼の左腕に鎮座して――いるが、羽織るストールの下に隠れて人目には触れない。
花が綻ぶように微笑むカミラを見て、ジュードもまた表情を笑みへと変えた。
「うん、素敵だよ」
「……ありがとう」
ジュードとしては自分の衣装やら格好はあまり気にならない。元々洒落っ気など持ち合わせてはおらず「衣服は清潔感があって着れればいい」程度の認識しかないからだ。
しかし、カミラに褒められるのは悪い気はしないらしい。緩く目を細めて視線を明後日の方に逃がしながら、ジュードは片手の人差し指で自らの頬を掻いた。
だが、そんなカミラこそジュードの目から見ればとてもよく似合っているのである。
普段は全体的に広がっている長い髪は今は三つ編みで背中側へ纏められ、それだけでいつもとは異なる印象を与えてくれる。
初めて逢った時に、精霊や妖精のようだとジュードは思ったが、今は神官などの神に仕えるような神職の女性にさえ見えた。
戦闘になれば剣を振り回して戦う彼女ではあるが、今は特に淑女と呼ぶに相応しいと、ジュードは思う。
「じゃあ、ジュード。各自、自由に騒いで来ようぜ」
「あんまりハメを外さないようにね」
広場に着くと、既に大勢の住民達がいつものように歌い、踊り騒いでいた。
様々にある出店からは客寄せの声が響き、ウィルとマナはジュードとカミラを振り返ると、それぞれ気の向くまま人の輪の中へと消えていく。
ジュードはそんな二人を見送ると、傍らのカミラへと向き直った。
「カミラさん、どこか行きたいところはある?」
「お、おなかすいた……」
王都フェンベルの祭りは初めてとなるカミラには、右も左も分からない祭り会場だ。
ジュードは彼女に同行し案内しようと問い掛けたが、カミラから返る言葉に思わず目を丸くさせ、そうして笑う。
淑やかそうに、そして控えめに見える彼女ではあるが、実はかなりの大喰いである。ヴェリア大陸には食べ物は豊富に存在していないのだろうと、最初はジュードもそう思ってはいたのだが、彼女は純粋に大喰いでもあるのだと、共に生活するようになって理解した。
笑うジュードに対し、カミラは顔を真っ赤にして俯く。そんな彼女へジュードはいつものように片手を差し出した。
「行こう、カミラさん。食べ物いっぱいあるから、好きなの選んでいいよ」
「う、う……ご、ごめんなさい……」
「いいよ、そんな。オレ、いっぱい食べる女の子って好きだよ」
気恥ずかしそうに俯きながら呟くカミラに、ジュードは頭を左右に振りながら言葉を返す。決して気を遣っての発言と言う訳でもなかった。
ジュードにとっては体重を気にして食事を制限し過ぎる女性よりも、見ている方が幸せになるくらいに美味しそうに食べるカミラの方が可愛らしく感じるのである。
食べ物を食べれること、それはすっかり当たり前になってしまっている。カミラは食事の度にそれはそれは嬉しそうに笑い、そして限りない感謝を以て幸せそうに食べるのだ。
食事とは、命を戴くということ。
当たり前になり過ぎて忘れがちになることだが、カミラを見る度にそれを思い出す。
命を戴いているのだからそれに恥じないよう、失礼にならぬよう今を精一杯生きるのだと、そう思わせてくれるのである。
ジュードの言葉にカミラは顔を上げると、気恥ずかしそうに――そして照れたように笑って彼の手を取った。
広場一杯に広がる人の輪、人の波。
はぐれないよう互いに手を掴み、ジュードとカミラは出店の方へと足を向ける。
時刻は祭り開始の夕刻をゆっくりと過ぎ、夜の闇が降りようとしていた。だが、このフェンベルの祭りの一帯だけは今暫く闇に染まることはない。
周囲には弾むように賑やかな音楽が響き、それに合わせて人々は好きに踊り歌い、笑い合う。
カミラは足を進めながら、そんな光景を見つめる。ヴェリア大陸には存在しなかった何処までも陽気で気兼ねしない雰囲気に、彼女はそっと幸せそうに表情を和らげた。
祭りが終わるのは、いつも日付が変わるほんの少し前ほどの時間帯である。
だが、明日には王都フェンベルを発たなければならないジュード達は、そのくらいの時間まで騒いではいられない。彼らには水の国に行き、彼の国で多く採掘される鉱石を大量に仕入れてこなければならない大事な仕事があるのだ。
様々な出店を回り、カミラの腹の虫も収まってきた頃。時刻は祭り開始から二時間と少し経っていた。
出店を茶化して回り、プリムに絡まれ、顔馴染みの商人にカミラとの関係を揶揄され、そして彼女の手を引いて踊りの輪に加わり、久方振りにジュードは楽しい時間を過ごした。
まだ宿に戻って眠る気にはなれず、ジュードはカミラを連れて踊りの輪を外れると広場の隅にある休憩所に足を向けた。
「カミラさん、大丈夫? 疲れてない?」
「少し疲れちゃったけど、でも楽しい。わたし、踊ったのなんて初めて」
その言葉通り、カミラの顔にはやや興奮の余韻が残っている。頬はほんのりと上気していて、依然として楽しそうな笑みを浮かべていた。
休憩用に置かれた椅子に彼女を促し、ジュードは未だに踊り騒ぐ広場中央を一瞥する。
カミラは椅子に腰掛けると、片手を胸元に添えて興奮を落ち着かせるように一つ息を洩らす。そしてジュードにも、白い丸テーブルを挟んだ向かいの席を促した。
「ジュードも疲れてるんじゃない?」
「はは、流石にね。フェンベルの祭りは随分久し振りだから」
「ジュードって知り合いが多いんだね、みんなジュードのことを知ってるみたい」
「フェンベルには父さんの付き添いで昔から来てたから、顔馴染みばっかりだよ」
ジュードの養父であるグラム・アルフィアは、元々世界各地を旅する鍛冶屋であったが、ジュードを拾ってからは風の国ミストラルにすっかり腰を落ち着けてしまっていた。
幼い子供を連れての旅は彼なりに気が引けるものがあったのか、はたまたミストラルが気に入ったのかどうかは定かではないが、その為に風の国ミストラルには顔馴染みが増えたのである。
グラムの代わりに鍛冶屋の仕事に努めるジュードのことも、王都フェンベルの商人達や住民は快く迎えてくれる。
カミラはジュードを微笑んで見つめながら話を聞いてはいたが、ふと彼女の瑠璃色の双眸が丸くなる。それを見てジュードは不思議そうに瞬いた。
どうしたのか。そう問おうとして、阻まれる。
真後ろから羽交い絞めにされるよう、首に腕を回されて喉元が圧迫されたからである。
この感覚とこの腕、更に力――ジュードには覚えがある。そして、それは間違いではなかった。
「うぐッ! ……メ、メンフィスさん!」
「こんなところにおったのか、ジュード」
「さ、酒臭い……どんだけ飲んだんですか……!」
上機嫌そうに笑うメンフィスは、椅子に座ろうとしていたジュードの真後ろから彼の首に腕を回し力任せに引き寄せる。
しかし、気懸りなのはメンフィスの様子である。確認せずともアルコールの匂いが漂い、ジュードは気分悪そうに力なく頭を揺らす。
そんな彼の様子に気付いたメンフィスはその身を解放し、代わりに肩を組む形で寄り掛かった。随分と酔っているらしい。顔など既に赤い。
カミラは椅子から立ち上がると、メンフィスの身を支えるジュードとは反対側からその身を支えて、椅子へと導いた。メンフィスの片手には未だに酒瓶が握られている。まだ飲む気なのかと、ジュードは苦笑いを滲ませる。
その身を椅子に座らせると、メンフィスは白い丸テーブルに突っ伏す形で目を伏せた。