第三十二話・地の国に侵攻するもの
「お兄さんたちが連れて行かれた?」
魔物の群れを退けメネットを助けたジュードたちは、温泉旅館の――前回訪れた際にも話をした広間で彼女から事の詳細を聞いていた。だが、当の彼女から返る話の内容は決して愉快なものではない。
彼女は、兄のトリスタンや同僚たちは王都からやってきた兵士たちに、無理矢理に連れて行かれたのだと言う。
「はい……城で戦う兵士が足りないからと、お兄ちゃんたちが駆り出されて……」
「城で戦う兵士……って? まさか、奴隷とかなのか?」
メネットの言葉にウィルは表情を顰め、リンファは口唇を噛み締めて膝の上で固く拳を握り締める。彼女は過去に地の王都グルゼフで闘技奴隷として戦っていた身だ、その過酷さや残忍さはどれほどのものなのかは痛いほどに理解している。
まさか、彼女の兄や同僚たちは以前の自分のように闘技場で戦わされることになったのだろうか――そう心配になったのだ。
しかし、ウィルの言葉にメネットは小さく頭を横に振ると、両手で持つハンカチで涙を拭いながら改めて口を開いた。
「い、いえ、違うんです。私にも詳しいことはよくわからないんですが、最近王都には不気味な生き物が攻めてくるようになったんだそうです」
「不気味な生き物?」
「はい、ゾンビの集団だそうです……今までグランヴェルには出没しなかったタイプだと聞きましたが、どこからやってきたのかは都の人にもわからないとか……」
メネットは女の子だ、この近くには村や街などは存在しない。北上したところにあるアレナの街も彼女の足では行くにはかなりの時間がかかる。
そのため、メネットの耳には詳しい情報などはあまり入ってこないのだろう。これまではトリスタンたち男連中が買い出しなどを担当していたのだ。
しかし、彼女が教えてくれた情報はそれだけで充分だった。ジュードたちには思い当たる節がある。マナやルルーナは弾かれたようにジュードを見遣った。
「ジュード、それって!」
「関所を越えてきたんだ……!」
本来は地の国グランヴェルに出没しなかったタイプの、ゾンビ集団。
間違いなくそれは、水の国から関所を越えてやってきた――元人間の集団だ。
『メルディーヌの死の雨にやられた者たちか……』
「それでメネットさんのお兄さんたちが、戦うために駆り出されたってことなんだね……」
「ジュード様、いかがなさいますか?」
実際に、メルディーヌの死の雨を受けてどれだけの人数がゾンビにされてしまったのかは定かではない。しかし、王都から遠く離れたこの旅館に住むトリスタンたちまでもが駆り出されたということは、王都の騎士や兵士だけでは足りないということだろう。
このままでは都が壊滅してしまう恐れもある。それに、トリスタンやその同僚たちを見捨てるなどジュードたちにできるはずもなかった。
「メネットさん、お兄さんたちが連れて行かれたのはいつ頃?」
「三日ほど前です……ここにいろとは言われたんですが、どうしても心配で居ても立ってもいられず……」
「すぐにでも王都に行こう、今ならまだ間に合うと思う」
以前ジュードたちが王都グルゼフに行き着いたのは、この旅館を北に行ったところにあるアレナの街から四日ほど経った頃だ。いくら馬車を飛ばしてもかなりの距離があるし、三日で到着できるとは思えない。
今ならまだ、間に合うはずだ。幸いなことに、こちらには空を飛べる神がいるのだから。
「だな、ゾンビ連中も気になるけど……今はトリスタンたちを助けるのが先だ」
「でも結局、王都の兵士たちとは会うことになるのね……」
ルルーナは文字通り嫌そうに双眸を細めながら吐き捨てるように呟くが、反対はしなかった。トリスタンたちを連れて行った兵士に追いつけるかどうかは別として、確実に王都の兵士と遭遇することになる。もしも追いつけずに都に突入する羽目になれば、恐らくはネレイナと話す機会もあるだろう。
それがよいことかどうかは別として、機会があるのであれば嬉しいことではあった。母に真意を確かめられるかもしれないのだから。
とはいえ、今現在気になるのはトリスタンたちのことだ。
「では、早速まいりましょう」
「そ、そうだね、まだ遭遇してないとは思うけど、どこまで攻めてきてるかわからないし……」
地の国にまでゾンビ集団がやってきたということは、既に西の関所は陥落している可能性が高い。統率が取れているなどとはあまり思えないが、水の国を出て他国に侵攻してきたのであれば、既に水の国の生き残りは誰もいないのではないか――と、そんな最悪な考えが脳裏を過ぎる。
精霊の里は大丈夫だろうが、他の街や村は大丈夫なのか。考えれば考えるだけ、心配や不安が芽を出した。
「(シルヴァさんを殺したのは、そのゾンビ集団って話だったな……ったく、人間がゾンビになるなんて一体どうなってやがる)」
それまで静観していたクリフは眉を寄せ、複雑な面持ちで小さく溜息を洩らす。
彼が密やかに騎士として憧れていたシルヴァは、ゾンビ集団から水の王リーブルを守るために一人で足止めを引き受けたのだ。遺体は確認されていないし、確認する術もなかったのだが――水の国から他国へ侵攻するほどの勢いを持つ集団を相手に、一人で戦い続けられるとは思えない。
ゾンビ集団と戦うことになるのなら、せめて彼女の弔い合戦になれば、と。言葉には出さないが、そう思った。例え元が人間であったとしても。
「す、すみません、なにからなにまで皆さんにお願いしてしまって……どうか、兄を……みんなを、よろしくお願い致します……」
「……お任せください、必ずお助け致します」
涙ながらに訴えるメネットを見つめて、リンファの表情は一瞬――ほんの一瞬だけ泣きそうに歪んだ。彼女も最愛の兄を持っていた身だ、今のメネットに過去の自分を重ねたのだろう。
どれだけ手を伸ばしても、その手は届かなかった。唯一の肉親となった兄が、目の前で魔物に喰い殺される様をただ見ているしかできなかった。
兄を失った際のあの絶望を思い返せば、メネットが今どのような想いを抱いているかは容易に理解できる。だからこそ、確実とは言えない口約束であっても絶対に守りたいと思った。




