第三十一話・再び地の国へ
「それで、なんでテメェがここにいやがる! 俺らを捨てておいて、どのツラ下げて出てきやがった!?」
「そうねぇ、サラマンダーとは根本的に合わないから好きじゃないんだけど今回ばかりは賛同するわ」
「おいコラ、このカマ野郎。聞き捨てならねぇな」
「あら、アタシに愛されたいの? カワイイとこもあるのねぇ、絶っ対にごめんだけど!」
「お前たち、我の背中の上でケンカをするな」
地の国へと向かう空の旅の最中、上空では他にできることもなく――サラマンダーが痺れを切らしたように声を上げた。現在の彼の怒りの矛先は、嘗て共に戦っただろうジェントだ。イスキアと同じようなことを言いながら眉を吊り上げて怒っている。
そんなサラマンダーの横から口を挟むのもイスキアなのだが、属性相性か、はたまた個々の性格ゆえにかイスキアとサラマンダーの仲はよいとは言えないらしい。
言い合いを始めてしまった二人を困ったように見ていたジュードたちだったが、そんな口論もヴァリトラがひとつ咎めを向ければ鶴の一声となって静まってしまう。精霊にとってヴァリトラは生みの親、謂わば父親のようなものなのだ。
しかし、イスキアもサラマンダーも口を閉ざしはしても、決して納得とは程遠い顔をしている。言葉を発する代わりに「理由を教えろ」と、今度は目で訴える始末だ。
『今はそんな話をしている場合ではないだろう、これから行くのは地の国なんだ。ジュードたちはあの国では色々と……』
「あ……そういえばあたしたち、地の国から逃げてきたのよね。やっぱりマズいかしら……」
「まぁ……兵士に見つかればマズいだろうな。地の神殿ってのは、王都の近くにあるのか?」
自分たちの疑問をあっさりと躱したジェントを見て、サラマンダーは不服そうに表情を歪ませたが、それ以上は深く問うことをしなかった。確かに――今は呑気に昔話に花を咲かせていられるような状況ではないのだ。
ジュードたちは地の国の王族から、ネレイナから逃げ出した身なのだから。下手をすれば指名手配されていてもおかしくはない。
ノームはウィルの肩に乗り上げると、彼が口にした疑問に片手を挙げて答えた。
「地の神殿は、王都グルゼフから遥か東に行ったところにあるナマァ。神殿自体は都から距離があるから、神殿のすぐ近くに降りれば多分見つかることはないナマァ」
「じゃあ、神器を手に入れて早々にトンズラすれば大丈夫そうね。あの王さまのことだから今も同盟なんて考えてくれてないんだろうし……」
そんな仲間のやり取りを聞きながら、ルルーナは神妙な面持ちで黙り込む。地の国は――王都グルゼフは彼女にとっての故郷だ。唯一の肉親である母がいる場所でもある。
クリフはそんな彼女を傍らで見守ってはいたが、心配になったのか程なくしてそっと声をかけた。
「お嬢、どうしたんだ?」
「……お母様に話を聞けば、ジュードにかけられた呪いのことがわかるんじゃないかと思って。魔法を受けつけない呪いをかけた張本人だもの」
ジュードの身にかけられた呪いの解呪法は、今も火の王都ガルディオンでアメリアたちが探してくれているはずだが、確かに呪いをかけた張本人に聞けばわかることは多いだろう。解かせることもできるかもしれない。
けれども、ネレイナは自らの野望のためにジュードを利用しようとした者。乗り込むのは得策とは言い難い。
それに、ネレイナだけでなく欲にまみれた地の王族たちもいる。魔族が現れた状況であるからこそ、保身のために絶対的な力を欲しているはずだ。
「……ですが、危険です。我々は一度脱走しているのですから、二度目はないと見てよいでしょう」
「そ、そうよね、今度捕まったらその場で処刑されそうな気がする……」
リンファは彼女の言葉を聞いてはいたが、頭に浮かぶ様々な可能性を考えれば賛同は難しかった。
彼女は地の国の出身だ、都やそこに住まう王族貴族がどのような生き物なのかは痛いほどに理解している。
そんなリンファの言葉にマナが小さく頷きながら同意を示すと、それまで静観していたカミラは仲間をそれぞれ見回してから口を開いた。
「……ルルーナさんは、どうしたいの? お母さんとお話がしたいなら、わたしはいいと思うよ」
「え……」
「どんな人でも、ルルーナさんにとっては一人しかいないお母さんだもの」
カミラのその言葉にルルーナは一度目を丸くさせると、瞬きも忘れたように暫し彼女を見つめた。ふと、己の胸の内にある素直な想いに気づいたのだ。
母に話を聞けば、ジュードにかけられている呪いのことがわかるかもしれない。そう思ってはいるのだが――本音は、少々異なっていた。
単純に、母と話がしたかったのだ。なぜこのようなことになったのか、どうして神になるなどと言うのか。なぜ――魔族と通じてしまったのか。聞きたいことは山のようにあるのだから。
しかし、彼女のその思考は、不意にジェントが声を上げたことで中断を余儀なくされた。
『……! ヴァリトラ、高度を下げてくれ』
「どうした?」
『今、悲鳴が……』
「なに?」
「アタシにも聴こえたわ、旋回して降りて」
空を飛ぶ最中、ジェントとイスキアの耳には微かにだが少女らしき悲鳴が聞こえていたのだ。上空で、それも風を切る音が響く中、よく聴こえたものだとジュードは二人を見つめるが、やがて見えてきた地上の様子には呑気に見物を決め込むわけにもいかなくなった。
ヴァリトラの背中から身を乗り出して見下ろした先――そこは、地の国グランヴェルに入国して最初に訪れたあの温泉旅館だったのだ。
「ジュード、あれ! メネットたちの旅館よ!」
「おい、あそこで女が魔物に襲われてるぞ!」
サラマンダーはジュードと同じように身を乗り出すと、旅館からやや離れた場所で魔物の群れに囲まれている少女の姿を視界に捉えた。あそこ、と指し示すその場所には、旅館の主であるメネットの姿。周りに彼女の兄や同僚たちの姿は見えない、メネット一人だけだ。
ジュードは己の耳に鎮座する聖剣に手を触れさせると、その形状を剣の形へと顕現させる。なぜ彼女が一人で旅館の外に出ているのかはわからないが、ともかく助けるのが先だ。
地上に降りるまで待っていられないとばかりに、ジュードはいち早くヴァリトラの背中から飛び出した。
「ちょ、ちょっとジュード! ここまだ空――!」
「ちびッ!!」
マナはそんな彼に慌てて片手を伸ばしたのだが、微かに間に合わず虚しく空を切る。だが、ジュードが吼えるように声を上げると彼の胸元からは白い光が溢れ出し、程なくして獣の――ちびの姿へと変化した。
ジュードは空中でちびに跨ると、逆手をふわふわの背中に添える。しかし、思ったような衝撃はほとんどなかった。まるで羽根のように、ちびはジュードを背に乗せたままふわりと着地を果たすと、こちらに気づいた魔物の群れを威嚇すべく咆哮をひとつ。
「ギャオオオッ!!」
「ちび、行くぞ!」
「ガウッ!」
それを上空から見ていたライオットは、暫し沈黙した末にポツリと小さく呟いた。
「マスターは普段はダメダメなのに、変なところで頭がキレるに」
「お前、自分のマスターのことバカにしすぎだっていつも言ってんだろ」
「ジェ、ジェントさんも落ちてっちゃったけど大丈夫かな?」
「あの男なら大丈夫よ、亡霊なんだから。聖剣から離れられないんでしょうね」
ウィルはライオットのもっちりとした身を軽く小突き、彼もまた武器を構える。とにかく今は魔物の群れを退けてメネットを救出するのが先だ。
けれども、飛び降りていったジュードから先ほども聞いたような賑やかな悲鳴が上がると――そこで彼らは重要なことを思い出す。
この場は、既に地の国グランヴェルなのだ。
――グランヴェルには、ヘビなどの魔物が非常に多いのだと、以前ルルーナとリンファは確かに口にしていた。
『ま、またか……ジュード、しっかり……』
「ヘビいぎゃああああぁ!!」
ジュードと共に地上に降りたジェントは、目の前に広がる魔物の群れ――否、ヘビの群れに思わず苦笑いを滲ませる。
先ほどはオロチ一匹であったため、なんとか己を奮い立たせることもできたのだろうが、現在彼の目の前にいるヘビの群れは正確な数を把握するのも困難なほどの大群。にょろにょろと蠢く様はヴァリトラが見せたあの記憶の――サタンの内部に似ていた。
そんなジュードを背中に乗せるちびも、あまりにも彼が叫ぶものだから突撃できずにいる。なぜって、このまま突っ込めばヘビの群れに飛び込むことになる、そうなれば余計にけたたましい悲鳴を上げるのは目に見えて明らかだ。
不幸中の幸いか、ちびが吼えてくれたお陰で魔物の注意はこちらに向いている。これならばメネットが集中砲火を受けることもないだろう。
「ぎゃううぅ……」
「ち、ちちちび、い、いいいくぞ。メネットさんを助けるんだ!」
「わ、わう」
だが、目的を忘れてはいないらしい。
その身を震わせながら、翡翠色の双眸からボロボロと大粒の涙を流しながら――更に言うなら顔面蒼白になりながら、それでも聖剣を構えてまっすぐにヘビの群れを見据えている。
程なくしてウィルたちも降りてくるだろう、それまでの間に数を減らしておけば退治は早い。
そう考えたのか否かは定かではないものの、ジュードの声に反応してちびは彼を乗せたままヘビの群れへと突撃した。




