第二十九話・二人の大精霊
マナが神器を振り上げると、最深部全体を真っ赤な光が包み込んだ。
それと同時にオロチの周辺には赤く複雑な紋様の魔法陣がいくつも浮かび上がり、宙には無数の刃が出現した。それらはオロチの肉体をあらゆる方向、角度から貫き――その刹那、巨大な爆弾が破裂したかのように爆ぜたのである。
オロチと交戦していたジュードは、巻き込まれていてもおかしくはない。大丈夫なのかと、ウィルやリンファのみならず、後方から状況を見守っていたクリフやルルーナも不安そうな面持ちで息を呑んだ。
「ジュ、ジュード……は……?」
『フィニクスの加護がある、無事だとは思うが……』
カミラはケリュケイオンを両手でぎゅ、と握り締めながら蒼褪めた顔で呟き――傍らへとやってきたジェントが複雑な表情で答える。彼も確実に大丈夫だとは言えないのだろう。
あまりの威力だ、本来ならばこの最深部全体が吹き飛んでいてもおかしくはないレベルの爆発だったのだが、やはり精霊が住まう場所。恐らくは火の神柱の加護のお陰でフロア全体は守られているのだろう。
フィニクス自身の力で自分の寝所を破壊するなど、愚かとしか言いようがないのだから。
「……ひ、ひえ……なにが、あったんだ……?」
「わふうぅ……」
やがて爆発の煙が晴れてくると、壁際に座り込むジュードの姿が見えてきた。その彼の膝の上にはちびもいる。ウィルのように危険を察知したちびが、ジュードに体当たりをかます勢いで爆発から庇ったのだろう。
それだけでなく、ジュードの身は赤い球体型の結界により守られていた。目を凝らさないと見えないほどのものだが、ジェントが与えた火の神柱の加護によるものだろう。ジュードの周辺の地面は爆発の影響で地面が深く抉れており、マナの魔法がどれほどの威力だったのか容易に理解ができた。
しかし、結界に覆われたジュードと、その彼にべったりとくっついているちびの身には傷らしい傷もなく、彼らがいる場所はなんの被害も受けていない。
ジュードは己の膝の上に乗るちびの頭を片手で撫でながら、オロチの姿を探した。
「あ……」
けれども、彼の双眸が捉えたオロチの姿は――既に原型を留めていなかった。
内部から爆発したこともあってかその身は粉々に吹き飛び、辺りには弾け飛んだ臓器が飛び散っている。その様にジュードの表情は彼が意識するよりも先に歪んだ。
全身が吹き飛んでしまったのかは定かではないが、辺りを見回してみても他には特になにも見当たらない。倒せた、と判断してもいいだろう。
「ジュード! 大丈夫!?」
「もうっ、なにしてるのよマナ! あっぶないわねぇ! アンタ、ジュードまでぶっ飛ばす気!?」
「ご、ごごごめん!」
カミラはジュードの傍に駆け寄り、ルルーナはその光景を見て安堵すると共にマナに向けて咎めをひとつ。マナはそこでようやく我に返ったのか、蒼褪めるなり慌てて謝罪を向けた。
クリフは腹の底から安心したように息を吐き出して、思わずその場に屈み込むと頭を垂れる。すると、彼の手にある神盾はペンダントの形になり首元へ、マナの神杖は彼女の頭頂部を飾る髪飾りへと姿を変えて鎮座した。
これらがオートクレールとレーヴァテインの通常の形なのだろう。
「なんとか……なったみたいね……」
「はいですぅ、どうなることかと思いましたぁ……サラマンダーは大丈夫ですかぁ?」
精霊たちの反応も大体が同じものだ。イスキアはそっと小さく安堵を洩らしてその場に座り込み、彼の傍らをふよふよと飛んでいたトールは嬉しそうに何度も頷いた。そうして視線をサラマンダーに向ける。
ジェントは当のサラマンダーの傍に寄ると、その状態を窺った。見たところ随分とボロボロではあるが、怪我はカミラの治癒魔法で癒されたこともあり、意識もハッキリしている。これならば問題はないだろう。
しかし、サラマンダーはそんなジェントを睨み上げると、片手を勢いよく彼の胸へ伸ばしてきた。胸倉を掴み上げてやろうというのだ。
「テメエェ……ッ! 一体今更どのツラ下げて――!」
『おい、待……っ』
けれども、今の彼は――亡霊だ。実体など当然ながら持っていない。
サラマンダーの手はジェントの身に触れることはなく、するりとすり抜けると勢い余って前につんのめる。それを見てサラマンダーは思わず彼を見上げた。
「やめないか、サラマンダー」
「フ、フラムベルク……フレイアも……」
サラマンダーが疑問符を浮かべながらジェントを見上げていると、そんな彼にひとつ凛とした声がかかった。
聞き慣れない声が鼓膜を刺激するのに気づいたジュードたちは、安堵を滲ませるのもそこそこにそちらに視線を投じたのだが――そこには先ほどまでいた火の神柱フィニクスの姿はなく、代わりに二人の大層美しい女性が佇んでいた。フラムベルク、とサラマンダーが呼んだのを見る限り、片方が火の大精霊なのだろう。
戦闘が終わったことで、大精霊の姿へと分離したのだ。
「それよりもマスター様は? 随分と錯乱されていたようですけれど……」
「うむ、ご無事のようだ。マスター様、こちらのサラマンダーが粗相をしたとの報告を受けております。申し訳ございません」
白く長い髪を持つ片方の大精霊と思わしき女性は、片手を己の頬に添えて困り顔で辺りを見回す。下がった眦からは優しげな印象を受ける。
それとは対照的に赤い髪と褐色の肌を持つ女性は、依然として地面に座り込んでいるジュードの姿を見つけてそちらへと足を向かわせた。
ウィルとリンファは倒れ込んでいたそこから起き上がり、それぞれ衣服についた土埃を払いながら、彼らもまたジュードの元へ足先を向ける。
そしてジュードは傍らに座り込むカミラと顔を見合わせてから、こちらに歩いてくる赤毛の女性を見つめた。
「お初にお目にかかります、私はフラムベルク。既にご存知かもしれませんが、火を司る大精霊です」
「あなたが、火の大精霊……じゃあ、あっちの人は?」
「彼女は命を司る大精霊フレイア、我々二人が――火の神柱フィニクスです」
「命の……大精霊……」
マナとルルーナは彼女――フラムベルクが語る言葉に対し、こちらも互いに顔を見合わせた。己の髪留めに鎮座する飾りとなった神器に片手を触れさせながら、マナは静かに瞬きを繰り返す。
すると、ちょうど近くまでやってきたウィルが片手を口元に添えながら口を開いた。
「フィニクスって……もしかして、不死鳥……?」
「博識な方がいらっしゃるようですね。そうです、フィニクスとは不死鳥を意味します。我々がもたらす炎は破壊だけではなく、浄化と再生――ゆえに火の神器レーヴァテインは負の感情を浄化し、無効化する力を持つのです」
「負の感情を浄化?」
ウィルとフラムベルクのやり取りを聞きながら、ジュードとカミラは小首を捻る。
取り敢えずオロチを倒すことはできたが、状況の把握はまったくできていないと言っても過言ではない。ただでさえジュードはオロチを――ヘビを前に錯乱していたのだから。
フレイアは「ふふ」と優しく笑うと、ゆったりとした足取りでサラマンダーたち精霊と共に歩み寄ってきた。
「ええ、そうです。それが例え魔心臓がもたらすものであろうと、レーヴァテインがあれば大丈夫ですよ」
「じゃ、じゃあ、この神器があれば……もう魔心臓は怖くないってこと、ですか!?」
「怖くないとは言い切れませんが……レーヴァテインは負の感情や魔心臓による能力強化、驚異的な肉体再生の効果をかき消します」
「ってことは、この先、魔心臓で身体強化してる魔族が現れても普通にダメージを与えられるってことか」
これまでメルディーヌや先のオロチなどの魔族と戦ってきたが、彼らはいずれも負の感情や魔心臓に守られており、神器であればともかく、通常の武器では満足に傷を負わせることもできなかった。例えダメージを与えても、負の感情が瞬く間にそれを癒してしまったのだ。
しかし、マナが手にした火の神器レーヴァテインがあれば、その効果を全てかき消すことができると言う。その言葉に、やや遅れがちではあったものの彼らの顔には嬉々が滲み始めた。
「ですが、魔心臓が放出する負の感情による拘束まではレーヴァテインでは防げません。神器を持つ者であれば負に縛りつけられることはありませんが、神器を持たぬ者はお気をつけくださいね」
「……あれですね、もう何度か味わってきましたが……」
負の感情による拘束――とは、アグレアスが魔心臓を使い王都ガルディオンに蔓延させたものだろう。あの時は聖剣がその負の感情を払うことで都と、そこに住まう者たちを解放してくれたが、あの感情に包まれた時はウィルとカミラを除く面々は身体の自由を完全に奪われてしまった。ジュードが聖剣を継承した時もそうだ。
立ち上がろうとすればするほど身体は重くなり、満足に動くこともできなくなったのである。
あの効果はレーヴァテインでは防げないとしても、その神器の効果は彼らに希望を与えるには充分であった。




